愚者の抵抗*6
「さて。随分な歓迎だったが……」
そうして船は無事に着岸し、アシル・グロワールはそこに居た砲手達……第一騎士団の者達を見回して、ため息を吐く。
勇者一行が上陸した時も、第一騎士団は退却することなく、しかし、最早大砲を撃つでもなく、抵抗もせず、ただ、そこに居た。
……そんな彼らを糾弾し、或いはここで殺すことは簡単だ。勇者が揃っているこちらに、生殺与奪の権がある。
だが。
「……まあ、お前達も兄上の命に従っただけだろう?ならば仕方ない。これ以上お前達を咎める気は無い」
アシル・グロワールは敢えて、そう言った。慈愛すら感じさせる微笑みを浮かべて、立ち尽くす兵士達にそう、言ってやったのである。
「……しかし、我々は殿下に大砲を向けました」
「今後向けずにいてくれれば、それでいい」
処分を覚悟していた第一騎士団長にもそう言ってやれば、彼らは皆、アシル・グロワールの寛大さに感謝し、ひれ伏すばかりとなる。
「これからこの国は大きく姿を変える。今はその過渡期だ。その渦中の混乱を咎め、処分していては多くのものを失うだけだ」
ひれ伏した兵士達の目に、アシル・グロワールの姿は『理想的な王』として映った。寛大で、強く、正しい。……第一王子とはまるで異なるその姿に、第一騎士団の者達は『正気に戻った』。
「アシル殿下……」
「お前達は自由に動くといい。今後も港を防衛しても構わんが……王都に戻ってもよい」
自分達に堂々と指示を下すアシル・グロワールの姿は、勇者であり、王。その姿に、第一騎士団の者達は……動かされた。
「我々も王都へ戻ります」
「どうか、我々も連れて行ってください!」
「我らはアシル・グロワール殿下と共に参ります!」
先程まで命を狙っていた相手に付き従うようになることの是非は、最早、考えるべきことではなかった。
アシル・グロワールこそが正義であり、希望であり、そして、未来である。……第一王子側についていても、最早、生き残ることはできない。そう、皆が信じたのである。
「分かった。お前達の好きにするといい。……では、一時間後に出発だ!」
アシル・グロワールの声に明るく返事をしながら、兵士達はすぐさま動き出す。その姿は生き生きとして、力強かった。
そうして港町が大きく変化したところを、ソルとパクスは遠くからゆったりと見守っていた。
「あー、ちょっと火薬の匂い、しますね。やっぱりさっきの音、でっかい銃だったんじゃないですかね」
「ま、だろうな。……第一王子は何としても、第二王子の帰国を止めたかっただろうし」
ソルはため息を吐きつつ、港町の方から上がった歓声に耳を傾け、薄く笑う。
「……さて。いよいよ革命の時だ。俺達は俺達で上手く動かねえとな」
「はい!頑張ります!」
尻尾をぶんぶんと振るパクスに苦笑しつつ、ソルはしっかりと、袋を握る。……人間への意趣返しをしてやらねばならない。
アレットは勇者達や勇者達に連れられた兵士達と共に、王城へと向かっていた。
港から王城へ向かう道は平坦だが、1日で到着する距離でもない。途中に宿泊を挟みつつ、それでも最速で王城を目指す予定だ。
……だが、アレットは多少、どこかで『事故』を起こさなければならない。というのも、ソルには『夜に王城へ到着するようにする』と伝えてあるからである。
ソルは夜目が然程利かないが、恐らく、人間の国で魔力を回収して、以前よりは余程目が利くようになったはずだ。少なくとも、人間よりはマシな程度に。
であるからして、波乱があるなら夜が良い。人間達には碌に何も見えず、アレットには全てが見通せる、そんな夜こそ、革命の時に相応しい。
また、ソル達が暗躍するにしても、やはり人間達から目立たないよう夜闇に紛れて行動する方がいいだろう。アレットはそう踏んで……道中で多少、時間稼ぎをする予定である。
……港町から王都までの間では、2、3度ほど宿泊を挟む。急げば2度、のんびり行けば3度だ。
そして今回はどうせ急ぐ旅路となる。2度の宿泊で王都まで到着するだろう、と思われ……その場合の到着予定時刻は、恐らく、夕方前。日が長くなってきたとはいえ、まだまだ冬の気配の濃い今の季節であるならば、2時間か3時間ほど稼げればいい。それで、王都への到着は夜になる。
残る問題は、『どのようにして』時間を稼ぐか、だが……。
「アシル様」
いよいよ明日、王都へ到着する、という日の夜。アレットはそっと、アシル・グロワールの部屋を訪ねた。
「夜分遅くに申し訳ありません」
「な、なんだフローレン」
夜の訪問ということもあってか、アシル・グロワールは少々戸惑い、また、少々期待混じりにアレットを迎えた。
「その……少々、緊張して眠れなくて」
アレットはそう、しおらしく言うと……手に持っていた薬缶を掲げて見せた。
「一杯、お付き合いいただけませんか?」
テーブルと茶のカップを挟んで向かい側。いつものように席に着いて、アレットは茶を振舞った。
「美味しくできていますか?」
「ああ。いつものことながら、お前が淹れる茶は美味いな」
アシル・グロワールが茶を飲むのを眺めてにっこり笑いつつ、アレットは茶のカップを手で包むようにして持つ。そのままカップを持ち上げて、しかし口を付けるでもなく、躊躇うようにまた、机に戻す。
……そんな様子を見ていれば、アシル・グロワールは心配そうに、こちらを見るようになる。
「緊張しているのか」
アシル・グロワールがそう言うのを聞いて、アレットは恥じ入るように体を縮めてみせた。
「はい。明日、この国が大きく変わるのですから」
そして、ちびり、と茶に口を付け、ほう、と息を吐き出してから、アレットは少しばかり考えて、言葉を改める。
「……いえ、緊張、ではなくて、興奮している、の、かも、しれません」
「ほう」
「一度死んでから初めて、この国に希望を抱いているんです」
アレットはただカップに視線を落とし、穏やかな顔で語る。
「死んで魔物になってから、ずっとずっと、この国を憎んできました。私を殺した人達を憎んで、自分の境遇を憎んで……でも今、ようやく、憎しみではなく、希望を抱いていられるようになったんです」
静かに語るアレットの前で、アシル・グロワールは黙って茶のカップを傾ける。その目はアレットを見つめて、アレット同様穏やかだ。
「アシル様の、おかげです」
アレットが顔を上げれば、その穏やかな目が、はっきりと見えた。アレットはその目を見つめて、微笑む。
「あなたが、私に人間の心を、取り戻させてくださったんです」
見つめる先で、青空色の瞳が見開かれた。アレットはそれに、ただ笑顔で応える。
「フローレン……」
感極まったようにアレットを見つめる瞳をもう一度見つめ返して、アレットはまた、茶のカップへ視線を落とす。いかにも恥じらうようにそうしておいて、また、カップに口をつけ……。
「フローレン」
ふと、アシル・グロワールの手が伸びる。
テーブルを挟んだ向かいに居るアレットにまで手が伸び、指先がアレットの黒い髪に触れる。
する、と滑らかに指の間を通り抜けていく髪の一房を捕まえて、アシル・グロワールはじっと、どこか熱っぽくアレットの目を覗き込んで……。
……そのまま、かくり、と、力を失ってテーブルに突っ伏した。
「わ、寝ちゃった」
アレットは呟くと、にっこり笑ってアシル・グロワールをなんとか寝台へと運んでいく。そっと寝台に寝かせ、優しく毛布を掛けて、そしてアレットはそっと、アシル・グロワールの部屋を出た。
……アレットは魔物の国へ一度戻った際、眠り蔓をいくらか採取しておいたのである。
それが良く効いたらしいアシル・グロワールは、恐らく、明日の朝までぐっすりと眠り……ついでに少々朝を通り越して、寝坊してくれるはずだ。
そう。このようにして出発を遅らせることができたならば、当然、到着も遅れるのである。
翌日。
「……あれ?第二王子はどうしたんだよ」
起きてきたレオが首を傾げているのを見て、アレットもまた、首を傾げた。
「昨夜、お茶を飲んでいたのだけれど、その途中で眠ってしまわれて……あのままぐっすり、まだ寝てらっしゃるのかも」
「つまり寝坊かよ……」
「……まあ、ここまで休み無しに動いてらっしゃったから」
呆れたような顔のレオに苦笑を返して、起こしてくるね、とアレットはアシル・グロワールの部屋へ向かう。
ドアをノックしても返事はなく、仕方なし、といったようにドアを開けて中に入る。
……案の定、アシル・グロワールはアレットが昨夜見た状態のまま、ぐっすり眠り込んでいた。アレットはくすくす笑いつつ、アシル・グロワールを優しく揺する。
「アシル様、アシル様」
「ん……?」
アシル・グロワールは目を覚まし、未だぼんやりとした目でアレットを見つめ……それから、窓の外がすっかり明るいことに気づく。
「い、今、何時だ!?」
「えーと、出発予定時刻です」
アレットが苦笑しつつそう答えれば、アシル・グロワールは即座に飛び起きる。……だが、アレットはそれをそっと押し留めてくすくす笑った。
「大丈夫ですよ、アシル様。ゆっくり御支度なさってください」
「い、いや、しかし……」
「出発が2時間ほど遅れたとしても、本日中に王城へ到着します。大きな問題にはなりません」
アレットがそう言ってやれば、アシル・グロワールはしゅんとして項垂れた。
「ああ……俺としたことが。面目ない」
「ふふ。偶にはお寝坊したっていいと思いますよ」
笑って答えれば、アシル・グロワールは只々恥じ入るようにしながらもそもそと寝台を出る。身支度を始めるのだろう。アレットはそれを見て、『皆に伝えてきますね』と部屋を出る。
……これで、1時間か2時間は稼げるはず。あとは道中で少々多めに休憩を挟めばよいはずだ。或いはいっそ、『夕方に到着するのであれば、いっそ夜になるのを待った方がよいのではないか』とでも進言してみてもいい。
アレットはその時のことを考えつつ、アシル・グロワールの寝坊を伝えに兵士達の元へと向かうのだった。
結局、出発は1時間の遅れとなったが、それ以上に道中が少々、ゆっくりしたものになった。兵士達が『アシル殿下がお疲れなのだから、あまり無理をしない速度で進もう』と配慮したからである。
アシル・グロワールとしては必要以上にぐっすりと眠って、体は軽く、むしろ眠りすぎて頭が少々重いような状況だったのだが、兵士達の気遣いを無碍にすることもできず、また、アレットが『夕方に入城するよりは夜になってしまってからの方が良いかもしれません。向こうは灯火の準備もあるでしょうが、こちらは途中で明かりを用意するようなことはできませんから』と進言したこともあり、進軍速度が上がることは無かった。
……また、もしかすると、休憩の中でアレットが淹れた茶が、心を落ち着かせる類のものであったため……勇者も含めた皆が、焦燥をまるで覚えなかった、ということもあるかもしれない。
そうして結局、王都の門の前に到着したのは陽が落ちてからのこととなった。
王城を、城壁を、見上げる。
城壁からは大砲らしいものが見え、その後ろには戸惑う様子の兵士達が窺えた。
王城を守る兵士達のざわめき、その向こうから聞こえる怒号らしいもの、不安の声……そういったものを聞いて、アシル・グロワールは眉を顰めた。
「ふむ、やはりな」
港であのような出迎えがあった以上、こちらでも似たようなことになるだろう、と思ってはいたが……その予想以上に、防衛の人数が多い。
「ただじゃあ通してくれねえか」
レオもまた、顔を顰めつつ剣に手を掛ける。大砲に剣で向かうなど愚かなようにも見えるが、勇者に限っては、決して愚かでも無謀でもない。実際、レオの剣は砲弾程度、切り裂くことができるのだから。
そう。こんな抵抗程度、勇者にとっては何の障害でもない。
港でそうであったように、大砲は全て対処できる。それをよく知っている勇者達も、率いられてきた兵士達も、大砲を向けられて尚、意気込み……。
「……え?」
……そんな中、唐突に、エクラ・スプランドールが血を吐いていた。