愚者の抵抗*4
アシル・グロワールの言葉に、兵士達は困惑していた。
何せ、今までずっと戦って、それなりの犠牲を払って、そうして得てきた戦果を手放せ、と言われているのだから。
「撤退せよ。……そして、我らの国の防衛に、力を注いでくれ」
アシル・グロワールはそう言うが、撤退して祖国へ防衛力を固めなければならないまでに戦況が悪いとは思えない。そして何より、今までの犠牲を考えれば、やはり、魔物の国を捨てるのは躊躇われる。
……そう、兵士達は困惑している。
「魔王が復活した」
特に、こんなことを、言われては。
『魔王の復活』。それは、兵士達にとっての悪夢である。
……兵士達の中には、魔王の力を間近に見たことのある者も、多くはないが居る。
ただの人間の力ではまるで太刀打ちできず、勇者レオ・スプランドールの到着を只々待ち……その間にも仲間の命がどんどんと消えていくあの絶望を、覚えている者も居るのだ。
「魔王が……!?どうして」
「魔王は我らの国、王都に現れたらしい」
更に、自分達の愛する者が暮らす王都に直接魔王が赴いた、となれば、兵士達は更に混乱した。人々の無事を確かめようと、口々にアシル・グロワールへと質問を投げかける。
だが、アシル・グロワールはそれを押し留め、あくまでも冷静に、壇上から話し続けた。
「このままでは王都が落ちる。更に悪いことに……兄上は毒を撒き、魔王を撤退させようとして、失敗した。魔王は無傷。そして……魔王は民衆を殺さなかったものの、第一王子の毒の散布によって死んだ者は、何人も居たとのことだ。今分かっていることは、それだけだ」
兵士達が不安そうにアシル・グロワールを見つめ、そして不安や焦燥を囁き合う。それらを見下ろし……そして、アシル・グロワールは声を張り上げた。
「このまま兄上に任せておいては、国が滅ぶ。民衆もこのまま巻き込まれ続け、我々は多くのものを失うことになる!だからこそ、我らは撤退しなければ!……国を、守るために!」
その言葉は勇ましく、声は力強い。だが、アシル・グロワールの言葉の後には、困惑混じりのざわめきが湧き起こる。
「ま、待ってください!魔王が出たというなら、また魔王と戦えばいいではありませんか!こちらには今、勇者が……勇者が、3人もいるじゃないですか!」
何せ、アシル・グロワールは勇者だ。そしてその横には、スプランドール兄妹も控えている。
……そう。勇者である。魔王を倒し、人間に勝利をもたらすはずの……あらゆる悪をねじ伏せ、理想的な状況を生み出すことができるはずの、勇者。それが3人も揃っているのに何故、魔王に立ち向かおうとしないのか。何故、今までの戦果を捨てるような道を選ぶのか。
「いや、俺達は……」
兵士達の疑問を受け、アシル・グロワールは躊躇い……しかし、思い直したように今度こそはっきりと、言う。
「俺達はもう、魔物と戦うつもりはない」
いよいよざわめく兵士達を前に、アシル・グロワールは少々、怯んだ。
フローレンとの理想の国を創る、という目標の下、動いてきたが、それでも彼は王子であり、勇者である。民衆を率い、彼らの幸福のために進まねばならない立場であって、自らの理想を身勝手に追い求めてよい立場ではない。
……だが。
「このままでは、永遠に憎みあい、殺し合うだけ」
アシル・グロワールの代わりに、エクラがそう、口にしていた。
「きりがない」
ごく短く、単純な言葉。だが、それ故に、兵士達に重く、受け止められる。
「……そろそろ疲れたんだよ。俺達も。それに、皆だって、そうだろ」
更に、この中で最も長く『勇者』である者からそんなことを言われてしまえば、士気は下がり……同時に、深く、顧みるきっかけとなる。
ここに居る兵士達も、多くを失ってきた。魔物の抵抗に遭って命を落とした兵士も多い。それを思い起こせば、確かに『もう疲れた』。
「大切な者を喪う経験など、我らの代で終わりにしよう」
……そしてアシル・グロワールがそう言えば、今度は、耳を傾ける者も多かったのである。
「魔物の国から、撤退する。そして二度と、争わずとも済むように……そうした国を、創ろう」
そこに駐屯していた兵士達の撤退準備を大方手伝ったところで、勇者達の一行は次の町へと発つことになった。
こうして魔物の国中を巡って、そこに居る人間達に話を聞かせていく。中にはそれでも魔物の国を諦めない人間も居るだろうが、半分でも、撤退を受け入れてくれればそれでよい。
……人間の数が減れば、ある程度魔物達は動きやすくなる。人間の最大の脅威は、その数だ。その数が銃で武装してきたからこそ、魔物達は人間相手に苦戦した。だが……人間の数が減ったなら、当然、この戦況はひっくり返るだろう。
いくつかの町で撤退の命令を出してからは、『魔物の国に残ってもいいが、多くの兵が既に撤退を決めている。そんな中で残っても危険なだけだ』という理由でも説得を進めるようになった。
立派な信念があっても、無駄に死にたい者は居ない。自分だけ残っても魔物に殺されるだけなら、と撤退を決める者も増え、そうして、人間達の撤退はアレットの予想より順調に進んでいったのである。
「よかった。順調ですね」
「ああ。皆が理解を示してくれて嬉しい」
アシル・グロワールはアレットに笑いかけ、そして、空を見上げる。
アレットもつられたように空を見上げて、そっと微笑んだ。
……この調子でいけば、人間と人間の戦いが人間の国で勃発するだろう。
ソルとパクスは、相変わらず人間の国に居た。そして……人間の国を、そっと、混乱に陥れていた。
具体的には……人間達の町の井戸に毒を投げ込んでおいたり、その不安を煽ったり、食糧庫から蓄えを奪っておいたり、第一王子の悪い噂を流しておいたり。
……そして、それらの実行には、ソルの力が大きかった。
「案外、なんとかなるもんだな」
「いやー、隊長すごいですね。先輩みたいだ!」
そう。ソルは今、人間に化けているのである。
ソルの両腕は翼だが、冬が終わるまでは長い外套を着こんでいても怪しまれない。足の鉤爪は縮こまらせて靴の中につっこんでおけば怪しまれない。旅人のふりをしておけば、多少習慣がおかしくとも怪しまれない。
……そうしてソルは、ふらふらと人間の町から町へ渡り歩く旅人のふりをして、あらゆる噂を流し、そして時には町の中で少々の悪事を働いた。
危険ではあったが、もし魔物だと知れてもそれはそれである。今のソルは人間に殺されることなどほぼ無いと言っていい。気を付けるべきは先日の王城前で使われた毒のような、ああいった兵器だけであり……あの兵器についても、これだけ民衆の声があれば、そうそう再使用できないだろうと思われた。
そう。民衆の声は、第一王子に向いている。
「不思議なもんですよねえ。なんで人間達は第一王子のことが嫌いになっちゃったんですか?」
今日の食事を食べつつ、パクスが首を傾げる。
「一番魔物を滅ぼそうとしてる奴じゃないですか」
「ま、そうだな。だがやり方がへたくそなんだよ。だから人間は滅ぶ。皮肉なことにな」
ソルはにやりと笑いつつ、人間達の食糧庫から頂いてきた南瓜で作ったシチューを口内に流し込む。ほっこりとまろやかな味わいのそれは、今の2人の会話には似つかわしくないかもしれないが。
「人間達のために働いてても、そこに別の意義が見出されたらもう駄目だ。今回の場合は……『第二王子を失脚させるために魔物を利用している』だとか『毒を撒いたのは恐怖政治を行うためだ』とか色々言われちまってるだろ?」
「いや、俺は知らないですけどそれ。そうなんですか?」
「そうなんだよ」
ソルは人間の町にふらりと立ち寄った時のことを思い出す。
……ソルが井戸に毒を混ぜる前から既に、『国王は乱心している』だとか『第一王子に政治を任せてよいのか、第二王子の方が適格では』だとか、そういった噂が流れていたのだ。
「それにやっぱり、人間ってのは『自分達』より『自分』の方が大事だからな。自分が死んでも共同体のためになればそれでいい、って訳にはいかないらしい」
「わー、俺が言うのもなんですけど、人間って馬鹿ですねえ」
王家を攻撃する噂の出処は、勿論多少はソルだが……それ以上に、人間達だ。
城下町に住んでいた人間達は、毒物で第三騎士団やフェル・プレジルが死んだことに怒りを覚え、同時に、『自分達も死んでいたかもしれない』と恐怖した。そうして生まれた保身の感情は、王家への怒りとなって、噂に乗ってあちこちへとばら撒かれる。
「それに、ほら。お前が取ってきてくれた毒草。あれで作った毒を井戸に撒いただろ。あと、黴を上空から夜の内に撒いといたこともあったか」
「はい!俺、お役に立てましたか!?」
「立った立った。おかげでたっぷり毒物撒けたからな。……ああいうのが重なれば、『毒物』ってもん自体に嫌悪を抱くようになるし、恐怖はより強くなる。後は俺がちょいと煽ってやりゃ、それで十分だ」
ソルがそう言ってにやりと笑うと、パクスは内容の半分ほどを理解して『流石隊長!』と目を輝かせた。
「……ま、後はアレットがどのくらい上手くやるか、だな」
そしてソルがそう呟けば、パクスは『やっぱり先輩もすごい!』と目を輝かせた。こちらの内容は恐らく半分も理解していない。
そんなパクスを見て苦笑しつつ、ソルはふと、空を見上げる。
アレットが飛び回るには明るすぎる空だが、この空は魔物の国とも繋がる空だ。アレットも空を見上げる余裕くらいは持っているといいが。
「急がねえと、勇者が巻き込まれるより先に国が滅んじまう」
ソルは、どうせ上手くやっているであろう副官を思ってにやりと笑った。
そして上手くいっていないのが人間の国、王家であった。
「……兵器は完全なものだったのではなかったのか」
「完全なものでした。しかし、第三騎士団の連中が指示に従わなかったために巻き込まれたのです」
今や、運命共同体であるはずの王と第一王子の会話でさえも、ささくれ立っている。
それほどまでに、上手くいっていない。国民は無責任に王家の責任を追及している。第三騎士団は貴族ではなく平民から取り立てた騎士団だ。それ故に、どうでもいい仕事に従事させるための騎士団として運用していたが……今回は却って、それが良くなかった。
第三騎士団に血族が所属していた、という者も、王都には多く住んでいたのだ。そして、『どうでもいい』仕事に従事させていたがために、王都の民との面識も深かった。……よく見知った者達が『第一王子の虎の子』である兵器に巻き込まれて死んだ、と噂が流れれば、彼らの敵意は第一王子へと向かう。
また、フェル・プレジル。あれもいけなかった。
元々、『失うものは何もない立場だ』とばかりに振る舞い、第一騎士団や第二騎士団が遠慮して言わないようなことまで発言する、厄介な男だった。そして、更に厄介なことに、フェル・プレジルは第三騎士団であり……やはり、民衆からの覚えが良かったのである。
そんなフェル・プレジルが死んだ。第三騎士団も壊滅状態。そうした状況で国民は怒り、怯える。
そして……そんな彼らが求めるのは、第一王子率いる第一騎士団ではなく……勇者。
そう。今、国民は勇者を求めている。
「……勇者を呼び戻すべきか?」
「いえ、今勇者を呼び戻しては取り返しのつかないことになりますので。……この国を、勇者などに任せてはいけない」
国民に求められているものを呼び戻したならば、間違いなくそれが国の頂点に立つ。
そんなことを許してはならない。前例をひとたび作れば、王家は勇者にとってかわられることだろう。
「この国は、私が守ります」
自分は『第一』王子なのだ。そう胸に強く刻んで、空を睨む。
殺そうとしても死なずに生き残ってしまった、憎い弟を思いながら。