愚者の抵抗*3
アレット達は魔物の国に到着後、会議を重ねていた。
……というのも、アシル・グロワールはこれ以上魔物の国への侵攻を積極的に行う気になれず、かといって今すぐに人間の国へ取って返す口実も無いからである。
アシル・グロワールとしては、魔物の国は魔物の国として捨て置き、フローレンが人間として生きられるように、人間の国を整備していきたい、のだが……やはり、周りにはそれを許さない者達がそれなりに居た。
魔物の国で長らく戦ってきた傭兵。ずっと駐屯させられている兵士達。そして、魔物の国を侵攻する過程で戦死していった者達。
そういった者達の意思を全て踏み躙っていくのは、流石に躊躇われたのだろう。その結果、アシル・グロワールはひとまず、『魔物の国をこれ以上攻めるべきか、攻めるならどこからか』といった議題で連日の会議に及んでいる。
……要は、時間稼ぎである。こうして時間を稼いでいる間に、人間の国の情勢が変わればそれでよし。そうでなくとも、魔物達が情勢を変えてくれればそれでもよし。そういった具合に。
そんな日々を過ごしていたアレットであったが、人間の国を出て一月弱、といった頃、人間の国から書簡が送られてきたのを受け取った。
アレットに書簡を渡した兵士は、『フローレンさんならアシル殿下に渡しやすいでしょうから』と言っていたが……要は、アシル・グロワールの機嫌を損ねるかもしれない書簡、ということなのだろう。
そう踏んでよくよく書簡を観察してみれば、封の形に見覚えがある。間違いなく、人間の国の公的なものだ。
「何?書簡か?王都から?……何故?」
そうして、アレットが書簡を届けたところ、アシル・グロワールは首を傾げることになった。
それはそうだろう。人間の国が今更、追い出した勇者に何か言ってくるとは考えにくい。ましてや、第一王子の印でも国王の印でもなく、『国の公印』が入った書簡なのだ。少々怪しい。
……だが、怪しんでいても仕方がない。アシル・グロワールは慎重に書簡を開け、中に入っていた手紙を読み始め……そしてすぐ、血相を変えた。
「国が魔王に襲われたらしい!」
「ええっ!?」
アレットは一緒に驚くふりをしつつ、内心で満面の笑みを浮かべた。
……どうやら、ソルは上手くやったらしい。
あのソルは、どのようにして魔王のふりをしたのだろうか。『俺は演技派って訳じゃねえぞ』と渋ったのだろうが、それでも、やる時はやってくれる隊長のことだ。きっと、立派に『魔王』としてやり遂げたのだろう。
見たかったなあ、と内心で少々悔しく思いつつ、そんなソルの登場に慌てる人間の国のことを考えれば、悔しさを忘れられるほどには面白い。
「あの、アシル様。詳細は」
「ああ……なんでも、魔王は城の一部を破壊していった、と……ん?それだけか?」
魔王から受けた被害について、『城の一部を破壊していった』だけ、とは、あまりにも不自然である。……無論、アレットはソルがどのように動くかもある程度分かっていたので、『まあ、威嚇だもんなあ』とのんびりしていたが。
……だが。
「……フェル・プレジルが死んだそうだ」
「えっ」
続いた言葉に、アレットは思わず驚きの声を上げる。流石にそれは、予期していなかった。ソルやパクスには、ヴィアを通してフェル・プレジルが比較的与しやすい存在であることを伝えてあったので、意図して殺したわけではないだろうが……。
「……なんと」
「アシル様?」
アシル・グロワールの表情が怒りに満ちていくのを見て、アレットは『何かあった』ことを悟る。アレットも知らないその情報について、書状を覗き込めば……。
『第一王子が用意した兵器に巻き込まれ、第三騎士団は壊滅。フェル・プレジルは魔王との交渉に当たっていたが、交渉中に兵器が用いられ、死亡した』というような記載があったのである。
アレットの脳裏に真っ先に浮かんだのは、ソル達の安否についてだった。
交渉中に兵器が使われて、フェル・プレジルが死んだ、というのなら……それなら、その兵器の影響を、ソル達も間近に受けたのではないだろうか。
嫌に早鐘を打つ心臓を押さえつけながら、アレットはできる限りの情報を得ようと、書状とアシル・グロワールとを交互に覗き込む。
「ああ……魔王を取り逃がした、と。成程な、そうか……兄上は、味方を殺すだけ殺して、目的は達成できなかった、と……」
……そして、苦々しい声を聞いて、アレットはひとまず、ほっとした。ソル達は無事に逃げおおせた、ということだろうか。
無論、この文面から分かるのは、ソルの安否だけだ。パクスの、そしてヴィアの安否は分からない。アレットの胸の内で不安がぐるぐると渦を巻く。
「これは……これは一体、どういうことでしょうか……」
「詳しくは分からない。何せ、陛下でも兄上でもない、ただの執政官からの書状だ。恐らく、陛下や兄上の意向に反して、この書簡をこっそり送ってきたのだろう」
少しでも情報を、と思ってアシル・グロワールに尋ねれば、彼からも苦い返事が戻ってくる。
ただ、差出人に関することを聞く限りでは、現状、『第一王子と国王は国民らから見限られつつある』という情報を垣間見ることができた。これは、アレットからしてみるとそれなりに都合の良い情報である。
「それから……ふむ、魔王は『魔物の国から全ての人間、そして勇者を撤退させろ』と要求しているらしい。……温情だな」
アシル・グロワールは、ちら、と窓の外の様子を見る。窓の外には兵士達がうろうろとしており……当然、魔物の国に居る人間達、という訳だ。
「魔王が城を破壊したというのであれば、その先……兄上や父上を殺すこともできように、兵の撤退だけを求めてきた、となれば……兄上や父上よりもむしろ、魔王相手の方が交渉ができるかもしれん」
「……そして、そうお考えになったフェル・プレジル殿は、死んだ、と」
「……だろうな。惜しい者を亡くした」
アシル・グロワールは苦い表情で瞑目する。フェル・プレジルの死を悼み、その奥に第一王子や国王への憎悪を滾らせているのだろう。
「兵を撤退させるのですか?」
それから少し間を置いて、目を開いたアシル・グロワールにそう尋ねれば、彼は少し迷うように視線を彷徨わせた。
「俺としては、そうすべきであると考える。そうでなければ国民に被害が及ぶというのであれば、そうするしかないだろう。……だが、未だ、俺の元に届いた書類はこれだけだ。国王からの正式な撤退命令が出たわけではない」
アシル・グロワールは迷っているようであった。
何せ、今回、国の惨状を知らせる書簡ですら、国王や第一王子の目を掻い潜って出されたらしいものなのだ。つまり、国王も第一王子も、魔物の国から兵を撤退させる気は無い、ということなのだろう。……その結果、魔王に再び襲われた時、果たして勝算はあるのだろうか。
「どの程度の兵が、俺に従って撤退してくれるものか……」
そしてもう1つの懸念が、これだった。
……そう。国王や次期国王である第一王子の命令無しに……否、彼らの意思を無視して、果たして、どの程度の兵が動くか。
「やりましょう、アシル様」
それでもアレットとしては、人間共を撤退させたい。
「できる限り、で構わないと思います。それでも、話が通じる人々相手には、働きかけるべきです」
人間が一部でも撤退していけば、虐げられる魔物が減る。そして……一定以上に人間が減れば、きっと、魔物達は反乱を起こせる。
……アレット達がやった時のように、ただ姫を逃がすだけではなく、本当に、人間達の手から国を取り戻すための反乱が、起こせるはずだ。
「そうしてアシル様の言葉に耳を傾けてくれる人々が居れば、その人達はきっと……第一王子ではなく、あなたを支持してくれるはずです」
そして、魔物の国から兵を撤退させることは、第二王子の支持にもつながってくる。
……つまりは、人間の国の二分、人間の国の崩壊を、加速させるのだ。
翌日から、アシル・グロワール率いる第二騎士団と勇者スプランドール兄妹、そしてアレットを含めた一団は魔物の国の各地を回ることになった。
理由は明白。『撤退命令』の書状を各地に送付した上で、それでも尚撤退が進まない地域に呼びかけ、直々に説得するためである。
「勇者が3人揃って撤退命令、なんて、考えられねえことだよな」
レオはそう言って苦笑いを浮かべる。
……レオの言う通り、勇者3人が揃えば、魔物の国の魔物達を全滅させることも難しくないのである。それが何故か、『撤退命令』。長らく戦ってきた人間の兵士達からしてみれば、受け入れがたい内容だろう。
それこそ、『勇者だけが帰国して防衛にあたれば魔王など完封できるのでは』と考える兵も大勢いるはずだ。
……だが、そうするわけにはいかない。
「これからの世界の在り方を、説かねばならないな」
何せ、アシル・グロワールは既に、魔物である『フローレン』と共に生きる望みを抱いてしまっている。そのために人間達の意思を捻じ曲げ、魔物との共存を目指してしまっているのだ。人間達からしてみれば、手遅れ、といったところであろう。
「フローレンが魔物、というのは内緒……でいいのね?」
「そうだな。不用意に情報を出して、フローレンが逆恨みされるようなことがあってはならない。フローレンについては公表しないものとしよう」
今も、アシル・グロワールは『フローレン』を守ることにばかり意識を向けている。人間より魔物を優先してしまう者が勇者であるという悲劇に、その悲劇を生み出したアレットとしては笑みを禁じ得ない。
「ま、殺し合うよりは、ずっと気分がいいよな」
レオがそう言って笑っているのに笑い返して、アレットは前を向く。
……いよいよ、人間達が、魔物の国から消える。
そしてその後には、人間の国自体が、消えるのだ。
消さなくては、ならない。
パクスはそれから3日もすれば、すっかり元気になった。
少なからず毒を吸っていてこの元気ぶりなので、ソルとしてはいささか心配なのだが、そんな心配を覆さんとばかり、パクスはすこぶる元気であった。
「いやあ、やっぱり元気になってから食う飯は美味いですね!」
「そりゃよかったぜ」
ソルはまたパクスの為に食事を作ってやって、ため息を吐く。
……一時は死ぬかと思った後輩である。生きていてくれることのありがたさを強く感じるが、こうも元気になられると、同時にどことなく気が抜けるのは遺憾ともしがたい。
「……けれど、ヴィアにも食わせたかったです」
「……そうか」
だが、パクスは先程までの元気とは一転、しゅん、と耳を垂れさせる。
「ヴィアは……あいつは、満足だろ。復讐も終えた。未来への布石になれた。ついでに貧乏くじは引かずに済んだ。十分だ」
「それでも、ですよ……」
ソルはもう、割り切っている。ヴィアが割り切っていたようには、割り切れないが。
仲間達の死は、自分達が歩む道の礎だ。この道を進むことこそが、弔いとなる。この道を進んで、進んで、その先にあるものを手に入れてこそ……自分『達』の救いとなるのだと、そう、割り切っている。
「……俺がもうちょっと早く、毒に気づいて撤退してたら」
「考えるだけ無駄だ。……ほら、んな面してるとヴィアに笑われるぞ」
ソルよりも更に割り切るのが下手な様子のパクスに苦笑を向ければ、パクスは少々戸惑いつつも、頷いた。
「……そうですね。ヴィアにも、ベラトールにも、ガーディウムにも姫様にも、他の、死んでいった皆にも……がっかりされないように、働きますよ」
迷うようであったが、それでも、パクスは誇り高き魔物の戦士であった。
「それで、大地に還った後は、めいっぱい褒めてもらうんです!」
「そうかそうか、その意気だ」
多少無理をして笑って見せる後輩の頭を翼でぱすぱすと叩くように撫でて、ソルは立ち上がる。
「さーて、じゃ、俺達は人間の撤退のお手伝いでもさせてもらうとするかね」
ぎらりと鋭い目で見据える先にあるのは……人間の国の、町の1つである。
「あ、俺、もうちょっと食いたいです!」
「そうかそうか、たっぷり食え。んで寝ろ」
……尤も、パクスがこの調子なので、実際に動くのは明日以降のことになりそうだが。