愚者の抵抗*2
その日。アシル・グロワールは大層浮かれていた。何といっても、愛しのフローレンが自分を受け入れ、共に在ることを望んでくれたのだから!
この浮かれぶりはすさまじいもので、何も言わずとも周囲の兵士達が『ああ、ようやくフローレンと結ばれたか』と察する程であった。……そう。その程度には、アシル・グロワールがフローレンに入れ込んでいるという話が出回っていたので。
「あー、第二王子殿下」
そんな浮かれ具合のアシル・グロワールの元に、レオがやってくる。少々気まずげに、それでいて祝い事を心から祝福する穏やかな表情を湛えて。
「なんか、上手くいったみたいだな」
「そうだな」
アシル・グロワールは随分と柔和な顔でその言葉を受け入れる。……元々、レオ・スプランドールを警戒していた割に随分と態度が緩んだものであるが、まあ、仕方がない。何せ、アシル・グロワールは浮かれているのだ。
「あー……俺が言うのも妙だけどな、まあ、おめでとう」
「そうだな。俺としても、お前に言われるのは妙な気分だが……ありがとう、と言っておこう」
レオが気まずげに笑えば、アシル・グロワールは少々皮肉を込めつつも存外素直に礼を言う。
……不思議な気分だった。かつてリュミエラを奪われ、そして地位を脅かされて刃を向けられ……敵対し、陥れ、処刑してやろうとしていた相手に、祝福を述べられるとは。
そしてそれを受け入れてしまえる自分もまた、不思議だった。アシル・グロワールは、自分自身のことを多少狭量だと自覚している。そんな自分が、レオを拒絶せずにこうして穏やかに言葉を交わしているとは。
「……俺、フローレンが魔物だってことには、随分前から気づいてたんだ」
「ほう」
続いたレオの言葉に、アシル・グロワールは一瞬、敵意めいた嫉妬を露わにする。
……何せ、レオはフローレンと親し気である。アシル自身に隠れるようにして2人で密談していたこともあった。それを見て嫉妬せずにいられるほど、アシルには余裕が無い。
「戦ったことがある」
「……ほう」
だが、続いた言葉とどこまでも気まずげな、後悔を孕んだ声を聞いてしまえば、嫉妬が緩む。降り積もった雪が融けていくように、レオへの不信が薄れていくのを感じた。
「その時、俺は随分と多くの魔物を殺した。それ以前もそれ以降も。……あいつ自身を殺そうとも、していた。結局、逃げられたけどな」
レオは自分自身の胸の内を整理するようにそう呟いて、それから、ちら、とアシル・グロワールを見た。
「……俺が戦ってきたのは、本当に正しいことだったのか、よく分からねえんだ。特に、フローレンを見てると、そう思う」
「……そうだな」
アシル・グロワールはレオの言葉を聞いて、自省する。レオだけではない。自分自身もまた、魔物と戦い、時に魔物を殺して魔物の国を蹂躙してきたのだから。
それを隣で見ていたフローレンは、どのような心境だったのだろうか。アシルのことを、思慮の浅い愚か者だと、思いはしなかっただろうか。
「俺が言うのも妙、っていうか、俺にこんなこと言う資格があるとも、思えねえけど……その」
迷いと憂いを生じたアシル・グロワールに、レオはぼそぼそと、話す。
「あんたには、魔物も人間も殺し合わずに生きていける国を、創ってほしい」
……その言葉は、アシル・グロワールの胸の内に希望の光を齎した。
今までの行いは、変えられない。フローレンが魔物とも知らずに魔物を殺し、彼女の意思など確認せずに人間の国へ連れ帰り……それでもフローレンは受け入れてくれたが、彼女の広い心に能うだけのものを、自分はまだ見せていない。
ならば、やるべきことは1つ。
「早速、動かねばな。花嫁を迎え入れるためには新しい国が必要だ」
アシル・グロワールはそう言って、空を見上げる。
……青く澄み渡った空は、勇者の瞳の色である。希望を齎し人々を導くその色が、今のアシルの心情には相応しい。
そして、新たに動き始めるこの世界にも。
ソルがパクスとヴィアの元へ戻ると、そこには幾分穏やかになった呼吸と共に眠るパクスの姿があった。
「……ヴィア」
そして、呼びかけてみるがヴィアの返事は無い。代わりに、パクスの胸のあたりに小さな水たまりができていた。ソルはその傍らに膝をついて、静かに瞑目する。仲間のために尽くし、魔物の未来のために死んでいった紳士への祈りを捧げるために。
毒を吸収して死んだというのなら、この水たまりを飲み干すことは避けるべきだろう。ただ、そのまま流してしまうのはあまりに惜しかったので、かつてヴィアだったそれを集められるだけ集めて、小さな瓶に入れた。
「パクス」
そして、祈るような気持ちでパクスを呼ぶ。……すると、パクスは薄く目を開く。
「……たいちょー?」
発された声は小さく掠れて、普段のパクスらしさが欠片も無い。だが、それでも可愛い後輩が生きていることの証明である。ソルは心からヴィアに感謝し、同時に人間を憎悪し……そしてまた、パクスへ意識を戻す。
「よし、意識はあるな。どうだ、死にそうか?」
「いや……死んでたまるか、って、とこです」
ソルの問いに、パクスは少々無理をしたのだろうが、にやりと笑って答える。
「なら上々だな」
それを見てソルは安堵した。生きようという意思があるなら、パクスは大丈夫だろう。元々、パクスの体は強い方だ。『なんとやらは風邪をひかねえってのは本当だな』と隊の中でもよく言われていたほどに。
「なら絶対に死ぬなよ。今はゆっくり休め。なんかほしいもん、あるか」
「うー……先輩が隣にほしいです」
「悪いがそりゃ無しだ。アレットには生き延びて自力で会え」
「うわ、じゃあ、ほんとに俺、死ねませんね」
冗談に笑って返せば、パクスも笑いつつ、ぎっ、と意志の強い目を虚空に向ける。
「先輩にもう一度会うまでは、絶対に、俺、死にませんから」
今はただ、その強い意志が頼もしい。ソルは可愛い後輩の成長を感じつつ、調理器具の準備を始めた。
「じゃ、アレットの代わりにゃならねえだろうが、お前に出すもんは俺が作った病人食ってことにしとくか」
「えっ、隊長、なんで俺が頼もうとしてたこと分かったんですか!?」
「はいはい、騒ぐな騒ぐな。できるまで寝てろ」
体はともかく心は元気いっぱいな後輩に何か食わせてやるべく、ソルは頭の中で『今のパクスにも食いやすいもんはどんなのかね』と考え始めるのだった。
「あ、これめっちゃうまい!」
「だろ」
そうして結局、ソルはパクスに粥を作ってやった。干し肉や野草の根から取った出汁で押し麦をこれでもかと柔らかく煮込んだもので、噛まずとも飲み込め、毒に傷ついた喉にも優しい代物だ。
「喉はどうだ」
「あー……痛いです。すごく」
「そうか。なら無理に喋らなくていい」
「いや、喋りますよ!寂しいじゃないですか!」
……そしてパクスはすこぶる元気であった。無論、体調は未だ、毒のせいで酷いものらしいのだが、それはそれとして、気分だけはもうすっかり元気であるらしい。その上、喉が傷ついているらしいにもかかわらず、喋る。ソルは『こいつバカか』と内心で思いつつ、『寂しい』の部分には同意できるため、後はパクスの意思に任せてこれ以上咎めないことにする。
「ならちょっと俺の考えを聞いてくれ。話しながら纏めたい」
パクスが寂しくないようにしつつあまり無理をさせないように、となれば、ソルが喋るしかない。
「二度は同じ手は食わねえ。その為にも、あれが何だったのかは見当付けとかねえとな」
「まず、ありゃ毒だったんだろうが……」
「はい!毒だったと思います!そういう匂いがしました!それが風に乗って来たんですよ!」
「だからお前は黙ってろってのに。俺が喋ってやるからお前は黙れ。喋るな。喉は飯食うためだけに使え」
ソルが話し始めて早速元気に喋り出したパクスの口に粥を匙ごと突っ込んで黙らせつつ、ソルは喋る。
「風に乗ってきたってことは、ヴィアが推測した通り焚いたか粉塵にしたか、ってとこなんだろうけどな。それにしたって、正体が分からねえ」
毒について思い出してみても、手掛かりになりそうな情報は得られなかった。
人間共もパクスも血を吐いていたことを考えると、吸い込んだ後の粘膜がやられて喉や肺から出血したのだろうが、その程度で毒の正体を絞り込めるわけでもない。
「……で、正体を探るのは得策じゃねえ。解毒剤の類を調合できりゃそれがいいんだろうが、そんなことしてる暇も無けりゃ、そもそも毒が何か調べる手段も俺達にはねえからな」
アレットであるならば、敵の内側に潜り込んで毒の正体を探ることができただろう。だが、ソルとパクスには無理な話である。ソルはさっさと毒の正体については諦めることにした。
「だが、正体が分からなくてもある程度、対処はできるな」
ソルは少し考え、しかし、考えるために黙ると可愛い後輩がまた喉に無理を強いて喋り出す可能性が高いと思い出し、仕方なく考えつつ喋ることにする。
「まず……1つには、毒を用意させなきゃいいな。その前に殺せばいい。今回も、あのフェル・プレジルとかいう奴が寄越されたのは毒を準備するための時間稼ぎだったんだろうからな。あれを準備するにはそれなりに時間がかかるってことだろ」
話しながら、ふと、ソルは思い出す。
『魔王』を相手に、勇敢にも交渉を望んだ人間の騎士。勇者でもない彼がソルに勝てる可能性など万に一つも無かったが、それでも彼は、退かなかった。……そして、人間達から裏切られ、毒に巻き込まれて、死んだ。
……彼が魔物であったなら、王都警備隊に勧誘していたかもしれない、と思って少々苦い表情を浮かべつつ、ソルは考えを振り払った。既に死んだ者について考えている余裕はない。
「で、もう1つは毒を使われてからもある程度対処できるだろうってことだな。今回のを見る限り、毒は空気より重かったみたいだから」
「つまり、空を飛んでる隊長には効かないってことですね!流石隊長!」
「うるせえ」
隙あらば喋ってしまうパクスの口に再び匙を突っ込みつつ、ソルはため息交じりに喋り続ける。一体いつまで俺は喋ればいいんだ、と呆れつつ。
「後は、風を起こしちまう、とかか。適当に羽ばたいてやるだけでもある程度の効果は見込めそうだが、魔法を外に出した方が確実かもな」
ソルは、人間の国の魔力を吸い尽くす過程で外に出す魔法をいくつか習得している。闇を形作った鈎爪もそうであったし、大きく風を起こすような魔法も身に着けた。空気に紛れてやってくる毒に対しては、かなり役立つ魔法だろう。
「……ま、とりあえず、アレは勇者連中にも効くだろうな」
一旦毒への考察を止めることにして、ソルは浅くため息を吐く。
「だから精々、頑張って保持してもらっといた方がいい。流石に、勇者が3人生き残っちまったら、アレットもやり辛いだろうしな。ま、同士打ちの理想は、両者が戦って、生き残った方も満身創痍、ってところだ」
ソルはそう言って笑うと、また何か喋りそうになっているパクスの口に匙を突っ込んで黙らせるのであった。
『さて、どこまで人間側はやり合ってくれるかね』と笑いながら。
……魔王が去って、数刻。
人間の国、王城は大いに荒れていた。
『魔王』の恐ろしさは、城の内外で大いに囁かれた。何せ、ほんの一瞬で城の一部をいとも容易く破壊していったのだ。その圧倒的な力は、戦いを知らぬ人間達の目には、理解を超えた代物として受け止められた。
……そして、怯え囁き交わす人間達の話の種は、『魔王』のみに留まらなかった。
「第三騎士団が皆殺しにされた、というのは本当か」
「ああ……だが、魔王がやったんじゃないらしい。なんでも、第一騎士団が新しい武器でやったんだと」
「第一騎士団……っていうと、王子が関わっているのか……!?新しい武器、というのは……!?」
そう。
第一王子が使用した武器……空気に溶かして流す毒は、少々制御を外れて第三騎士団までもを殺してしまったのだ。
更には……魔王との交渉にあたっていたフェル・プレジルもまた、死んだ。その死骸は魔王によって王城の会議室へと放り込まれ、それによって彼の死は隠蔽することもされず、噂となって王都中を駆け巡ることとなったのである。
「フェルが死んだのか……くそ、良い奴ほどすぐに死ぬってのは本当だな」
「許せませんよ、一体どうして、彼をわざわざ巻き込んだのでしょうか。彼は死なずともよかったはずだ……」
フェル・プレジルはその人柄の良さから、あらゆる人々に好かれていた。貴族からは多少見下される地位であったが、少なくとも民衆からの覚えはよく、更に、城内で働く兵士や使用人達、果ては文官や研究者に至るまで、フェル・プレジルのことをよく思う者は多かったのである。
そんなフェル・プレジルが、第一王子の流した毒によって死んだ。民衆の心の行きつく先は、1つとなる。
「第一王子は、一体何を考えているんだ」
この悲劇を招いた張本人。第三騎士団とその団長、皆に愛されるフェル・プレジルを殺した第一王子へと、民衆の怒りが向かうこととなった。