愚者の抵抗*1
「……何が起きてる?」
人間が、味方であるはずの人間を攻撃するようなことがあるだろうか。そもそも、攻撃らしいものは今まで見当たらなかった。
誰かの指示が門の内側からあったのだろうと思われたが、それだけで兵士の謎の死の理由を推察することはできない。
何が起きているのかよく分からなかったが、ソルはひとまず、警戒した。人間側が何も対策をしていなかったとは思えない。先程のフェル・プレジルの呟きからしても、何かがあることは確実だろう。ソルはソルの主戦場である空へと飛び、低空から地上の様子を眺めることにする。
……だが流石に、門に構えていた人間達が次々に倒れ始めたともなれば、慌てる。
1人や2人ではない。全員が、である。
「何事だ……!?」
そして同じように、フェル・プレジルもまた、この事態を把握していない様子であった。
この事態はなにかおかしい。ソルは警戒を露わに、じっと、人間の城の方の様子を見ていたが……。
「……パクス?」
ふと地上へ目を落とせば、パクスが、蹲っていた。
「パクス!」
ソルはすぐさま地上へと急降下し、大きく風を巻き上げながら地面すれすれで体勢を立て直す。そしてそのまま、足でパクスの逞しい背中をガシリと掴んで、羽ばたく。
パクスは重かった。何せパクスは地を駆るものだ。空飛ぶものであるソルよりガタイがいい。身長も体重もソル以上のパクスを持ち上げて飛ぶのは、中々の無茶である。
だが、それでもソルは飛んだ。
見苦しい程に翼を動かし、魔法による補助も得て、なんとか、パクスを持ち上げて空へと飛ぶ。
「パクス!おい、どうした!」
そうして空まで逃れたところで、息を切らしてそう尋ねる。パクスはソルの足に捕まれたまま、ぴくり、と反応し、ゆる、とソルの方を向く。
「……すみません、隊長。急に、苦しく、なって」
パクスはそこまで喋ると、ごぷ、と血を吐いた。
ソルは血の気が引いていく感覚を覚えながら、もう少々、空を征く。ばたばたと忙しなく羽ばたき、自分はともかくパクスだけはなんとしても安全な場所まで逃がさねば、と。
人間達の城から離れた一角。パクスとヴィアを残してきたそこへ降り立ったソルは、即座にパクスを寝かせる。
……だが、地面に寝かせたパクスはぜいぜいと息をするばかりで、意識は朦朧としている。そして、口から漏れたらしい血が、顎や胸を汚していた。
「ヴィア!パクスはどうだ!?」
1人で諸々を判断するのは危険である。そう判断して、ヴィアに声を掛ける。……だが。
「……ヴィア?おい、ヴィア!どこに居る!」
ヴィアの姿が、見当たらない。それにソルは青ざめ、周囲を見回す。ヴィアはずっと、ソルの懐に入れていたはずだ。だが、返事が無いということは……
……などと、思っていたら。
「ここだ」
ぬろん、と。ヴィアが、パクスの口から現れた。パクスは喉の奥をスライムに刺激されたからか咳き込み、そして、少々血を吐いた。
「ああ、ソル。まあ、こちらの状況は見ての通りだ」
「……見て分からねえから言ってる」
ソルは焦燥と混乱とで固まった思考に囚われながらも、ひとまずヴィアに説明を求めるだけの言葉は発した。するとヴィアはぷるん、と震えて『やれやれ』とでもいうかのように体を揺らし、それから説明を始める。
「そうか?なら説明しようじゃあないか。……まあ、先程まで、私はパクスの体内に入って毒物を回収していた。いや、大変だったんだぞ、飛ぶソルの脚を伝ってパクスまで辿り着くのは!」
どうやらヴィアは、移動中もパクスの処置を行うべく働いていたらしい。そう聞いて、安堵と焦燥がソルの胸の内に押し寄せてきた。
「……毒、か。人間共は毒を使った、って?」
「ああ。恐らく毒物だろうな。肺から入ったと見える。何かそういったものを焚いたか、はたまた、ごく細かい粉塵にしたか……それは今一つ分からないがね。何も見えなかったというのなら、まあ、そんなところだろう」
……ソルの知識の中には、このような毒は無い。人間が新たに開発した武器、ということになるのだろうが……。
「……見えなかったな」
ソルの目には、その毒物とやらが見えなかった。だが、ある程度判別は付く。恐らく、毒は煙のような状態で地面に沿って流された。空に居たソルには特に何とも無かったが、地上に居たパクスやフェル・プレジルには毒が効いたのである。そうとしか思えない。
「あいつら、人間も殺してたな」
「……制御するのは難しい、ということか。或いは、味方が多少死んでも何とも思わないのか。まあ、実に人間らしいじゃあないか」
また、毒物には人間が多く巻き込まれていた。門の所に構えていた兵士達も、ソルとの交渉に来ていたフェル・プレジルも。
……あの戦い方に、ソルはどうにも反感を覚えた。
「……よし」
ソルは立ち上がる。
「ヴィア。パクスを頼んでいいか」
「ああ、勿論。この命に代えても彼を救おう。最善を尽くす。魔物の未来のために!」
ソルはヴィアに『頼んだ』と笑みを向けると……その視線を人間の城の方へと戻す。
……このままおめおめと逃げてはいられない。舐めてかかられているなら思い知らせてやらなければならない。
アレットに頼まれた仕事は、完璧にやり遂げなければならない。それが魔物の未来のためであり……ソル自身の矜持でもある。
撤退していく魔物2体を城の塔から眺めて、王達は満足していた。
「やはり、魔物など恐れるに足りぬ」
王がそう言えば、第一王子もその通りとばかりに頷く。そのほかの重鎮らも、眼下に広がる光景を前に、言葉を失うばかり。
「最早勇者など不要だな。そうは思わんか」
「その通りです、父上」
第一王子は期待通りの成果を前に、じわりと滲むように微笑んだ。
「勇者など必要ない。我々はそれだけの力を、既に手に入れているのですから」
魔王を名乗っていても所詮はこの程度。最早、人間の力は魔王など恐れるに足りないほどに発達したのである。
……だが。
『魔王』を名乗った魔物が消えていき、それを見送った者達がようやく窓辺を離れ、さて、諸々の後始末のために兵を動かすか、と話し始めた、その時。
ふっ、と窓の外が陰る。
何だ、と振り返り窓を見れば……そこには、闇が形作る巨大な鈎爪が迫っていた。
一瞬の内に城壁に穴が開き、風が吹き込む。
凄まじい音と共に硝子窓が割れ砕け、硝子に飽き足らず石造りの壁も天井も、吹き飛んでいく。
……あまりにも暴力的な風が、闇が、襲い掛かってきた。
「よお。随分と舐めた真似してくれたな」
そして人間達の前に姿を現したのは、漆黒の鴉。
目をギラリと輝かせ、何の力か羽ばたきもせずに宙に留まる姿を見せるそれは……間違いなく、『魔王』の迫力に満ちている。
そして人間達は、ようやく思い出すのだ。
……自分達が、弱い存在だということを。
「なんだよ、ビビッてんのか?さっきまで随分と調子に乗ってたじゃねえか。あの調子はどこへ行った?」
ソルがそう言ってやると、人間達はますます怯え竦んだ。
……遠くから銃を撃つなり、謎の兵器を使うなりして他者を殺している分には何とも思わないくせに、いざ自分達の目の前にナイフを突きつけられたら怯む。その惰弱な覚悟を嘲笑って、ソルは悠々と人間達を睥睨した。
「勇者が居ない人間の軍なんざ、恐れるに足りねえな。どうだ?違うか?現にお前らは俺に指一本触れられねえわけだが」
ソルがそう挑発すれば、護衛の騎士らしい人間が鬨の声を上げて剣を振りかぶる。ソルはそれをあっさりと見切り、ごくわずかに体を傾けるだけで躱してみせた。
続いてもう一撃、と相手が迫れば、今度はその剣を蹴り上げて弾き飛ばす。更に続いてナイフを軽く突き出してやれば、ナイフの刃がずぶりと人間の鎧の継ぎ目に沈む。
ナイフを引き抜いて血を払う。刺した人間が床に倒れて血だまりを広げていく中、人間達は恐怖に表情を引き攣らせ、何をするでもなく只々立ち尽くした。
「元々、魔物はお前ら人間を殺す意思はなかった」
静かになったな、とどこか冷静に思いながら、ソルは朗々と声を上げる。
「だが、お前らは俺達を殺しに来た。……なら、お前らが俺達に殺されたって、お前らは文句を言えねえんだ。いいな?」
ソルの声に答える者は誰も居ない。皆一様に恐怖し、それ故に声が出せないらしい。先程まで随分と舐めた口をきいていた国王も第一王子もそうだというのだから、全く、呆れるしかない。
ソルは皮肉気に笑いながら、破壊した壁の中へ、運んできたものを放った。
どさり、と床に転がったそれは、先程まで話していた人間……『フェル・プレジル』と名乗っていた人間の死体である。
「そいつは魔王相手に交渉を持ち掛けてきた。その勇気と心意気に敬意を表して、今日はこれで退いてやる」
「……え?」
そこでようやく、気の抜けた人間の声が発される。誰から発されたものかは分からないが、『今日はこれで退いてやる』というソルの言葉が人間の思考に余裕を生んだらしかった。
「もう一度言う。元々、魔物はお前ら人間を殺す意思はなかった。この国を欲している訳でもねえ。お前らが踏み込んで来なけりゃ、それでよかった。それだけの話だ」
人間達をぐるりと見まわして、ソルはそれら1人1人を睨みつけていく。二度と、自分のことを忘れられないように。『魔王』の脅威を、その骨にまで刻み付けてやるように。
「こちらからの要求は簡単だ。……俺達の国から、人間共を、特に勇者を、連れ戻せ。それができねえなら、俺はお前らを殺しに来る」
そしてソルは、破壊した壁から外に出た。人間達の緊張が緩んだのを感じて振り返れば、再び、人間達の気配は緊張に張り詰める。
「……お前ら、よく考えた方がいいぜ。お前らの王は、自分に仕える騎士ですら、殺すことに躊躇がねえんだ」
そこへ、ソルはそう言ってやった。
「お前らだって、いつか殺されるぞ。勇者が居ないなら、尚更だ」
どのみち滅ぶ愚かな生き物に向けて嘲笑を浮かべ、ソルは空へと飛び立った。