秘密*6
婚約。
そんなものを唐突に申し込まれて、アレットは只々、茫然としていた。
「……へ?」
ついでに思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまいつつ、アレットは少々予想外であった言葉を反芻する。
……婚約。婚約、とは。
アシル・グロワールがすっかり自分に惚れこんでいるということは分かっていたが、まさか、その下地もできていない内に婚約を申し込んでくるとは思わなかった。
人間の国の文化はある程度、アレットにも分かっている。婚姻関係になった人間は番になって子を産み育て、そして生涯添い遂げるらしい、という程度の知識はある。当然、それが特別なことだ、ということも分かる。
また、本来ならば婚約の前に交際の申し込みがあるべきなのだろう、ということも知っていた。……要は、アシル・グロワールは、今、一足飛び二足飛びに、随分とせっかちな様子を見せている、ということである。
「そ、それは……」
「……返事を急ぐ必要は無い。ゆっくり考えてみてくれ」
アレットがすぐさま返答しなかったことに少々落胆している様子であったが、アシル・グロワールは余裕を持ってそう言い、微笑みかけてくる。
アレットは只々、柘榴のような瞳を円くして、アシル・グロワールを見返すことしかできなかった。
「……どうしたらいいのかなあー」
そうしてその晩。アレットはじっくり、考えることになる。
……適当な言い訳や、嘘を。
「ううー、困った、困ったよ、これは。いや、困ってない……?困ってないかもしれない……」
アレットは寝台の上で、ころん、ころん、と転がりながら考えをまとめる。
……今、ソル達が人間の国の『勇者不要論』を覆すべく、働いている。だからこそ、そこに勇者達が帰還すれば、人間の国をアシル・グロワールのものにすることも容易いだろう。人間の国が二分されて争い始めたならば、その時は間違いなく、魔物にとって喜ばしい結果となる。……どんな結果であっても、人間が大量に死ぬことだけは間違いないのだから。
だからこそ、アレットはアシル・グロワールに野心を持たせる必要があった。
現状、アシル・グロワールは『魔力持ちであるフローレンが迫害されないような国を作る』という野望を少しばかり抱いている様子であるが……それはきっと、中々手に入らないフローレンを手に入れようとしているからこそのものだろう。
そう。『フローレン』は、ここで手に入れられてしまってよいのか。婚約の申し込みに頷いてしまった時、アシル・グロワールはそれで満足しきってしまいはしないか。それが、問題なのである。
アレットが悩みつつころころと転がっていると、客室の戸が叩かれた。はあい、と返事をしつつ戸を開ければ、そこに居たのはエクラである。
「……フローレン、どうしたの?髪の毛、ぼさぼさ」
「え?ああ、ええと……あはは、さっきまで、ちょっと、その、転がってたものだから……」
エクラを迎え入れつつアレットは曖昧に笑って……そして、考え直す。
「……あの、エクラさん。ちょっと、相談に乗ってもらっても、いいかな」
折角だ、嘘の信憑性をより上げつつ、更にアレットの考えをまとめるために、エクラに『相談』してみるのも良いだろう。
「ええと……その、アシル様に、婚約の、申し込みを、されて……」
「……まあ!」
テーブルを挟み、テーブルの上には茶と素朴な茶菓子を出し、そして話し始めて一言目。
アレットが照れ入りながらそうぼそぼそ言えば、エクラは目を輝かせて口元を両手で覆った。
「すごい……おめでとう、フローレン!」
「あ、いや、その、まだ婚約したわけじゃ、ないから」
満面の笑みを浮かべて立ち上がりかけたエクラを慌てて止めれば、エクラは少し落ち着いたらしく……そして、こて、と首を傾げた。
「……婚約、しないの?」
「ええとね……うーん、その、迷って、る。うん」
改めて座り直して、エクラは不思議そうにアレットを見つめる。それからアレットは、如何にも『迷っている』という風に茶を飲み、間を置いてから話し始める。
「うん……ええとね、あの、私、実は魔物で」
「うん」
……そして、突然の告白にもかかわらず、エクラは平然としていた。
「……驚かないんだね」
驚かないエクラに少々驚きつつそう言ってみれば、エクラは目を細めて少し楽し気に笑った。
「そんな気はしてた。ヴィアと仲が良かったみたいだったから」
まあそうか、と納得しつつ、アレットは茶のカップを傾ける。……特に、エクラはヴィア以外の魔物と遭遇したことが無い。となれば、『私は魔物です』という告白にも然程抵抗が無いのだろう。人間を殺し人間に殺される魔物を知らないのだから、当然かもしれない。
「まあ……ええと、だから、私がアシル様と結婚、なんてことになったら、絶対にご迷惑をお掛けするし……」
「……例えば?」
「え?うーん、そうだな、すぐに思いつくものだと、まあ、当然、王家からの反発はすごいだろうな、って思う。それから、町の人達にも祝福はされない、よね。他にも……まあ、色々と、あると思う」
アレットが答えると、エクラは真剣な顔で頷いて、それから、ふと、表情を緩めた。
「……フローレンが嫌、っていう訳じゃ、ないのね」
「え、うーん、そう、なの、かな……?」
エクラがにこにこと嬉しそうにしているのを眺めつつ、アレットは半ば本心からため息とともに言葉を吐き出す。
「……こういうの、初めてで。どうしたらいいのか、ちょっと困ってる」
「ふうん」
エクラはやはり、どこか嬉しそうであった。人間のことはやっぱりよく分からないなあ、と思いつつ、アレットはただ茶を飲んで考えをまとめ……そして、なんとも上手い言い訳を思いつく。
「その……私はどうでもいいんだけれど、でも、アシル様には幸せでいてほしい」
それらしいだろう、と思いつつエクラの様子を見れば、エクラは少し寂しそうに、きゅ、と手を握りしめて聞いていた。
「お傍に居られたら嬉しいけれど。でも、それを望むことでアシル様の足を引っ張るようなことはしたくないの。アシル様がどう望むかは関係なしに」
……人間の気持ちは分からないが、魔物の感覚で十分に理解できる言い訳を立ててみた。
相手がどう望んでいようとお構いなしに、相手を思いやる。……我儘でしかないのだろうその気持ちが、今のアレット達を作っている。
そう。生きていてほしいと思っていた仲間が自ら死んでいって、そうして、今のアレットがある。
「……少し、気持ちは分かるかも、しれない。私からしてみると、少し、寂しいけれど……」
「うん……そうだね。これもきっと、私の我儘だから」
アレットは『まあこんなところかな』と思いつつ、茶を飲み干し、次の一杯をポットから注ぐ。ついでにエクラの分も注ぎ足しつつ、少々困ったように笑ってみせるのだ。
「ごめんね、こんな話して。でも助かったよ。なんとなく、少し、考えが整理できたかも」
「ううん、嬉しい。フローレンが相談してくれるの、すごく嬉しいから」
エクラは礼を言ってカップを手に包むと、また一口茶を飲んで、そして、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「……それで、フローレンが幸せになってくれたら、もっと嬉しい」
そうして、翌日。
「昨日のお返事をしたいのですが」
アレットがそう、アシル・グロワールに申し出てみたところ、アシル・グロワールは目に見えて身を固くした。
「そ、そうか。いや、そんなに焦らずとも」
「私は魔物です。だから私は、あなたに相応しくない。ご迷惑をおかけしてしまいます。きっと」
そして、逃げを打とうとしたアシル・グロワールに構わず、話し始める。
「私はアシル様に幸せでいていただきたいのです。私がどうなろうと、関係なく。できることなら、私以外の誰かと、幸せになるべきだと、そう、思っています」
「おい、フローレン、それは」
アシル・グロワールが緊張か恐怖かに目を見開き、何かを言い募ろうとする。その手がアレットの肩を掴み、逃がさない、とばかり、自制しきれなかった力が籠もる。
「……でも、それでも、憧れてしまいました。身勝手にも」
「フローレン……」
だが、アレットが話を進めていくにつれ、アシル・グロワールの緊張が解けていく。そしてその瞳の奥に期待がちらつくのを見て、アレットは、くすり、と笑う。
「魔力の有無も、人間か魔物かさえも、関係ないような……魔物でも、祝福してもらえるような、そんな国に、なったなら。私が隣に居ても、あなたが不幸せにならずに済むなら、どんなに素晴らしいことか、と」
魔物の国に来る前も言ったことを、より重みを伴って、伝える。
『フローレン』は魔力持ちどころか、魔物なのだ。それでも祝福される国など、この世のどこにもありはしない。つまり……。
「ですから……アシル様。もし、お許しいただけるなら、あなたが幸せになるためのお手伝いを、させてください。……あなたの、一番、近くで」
これは、『人間の国を創り替えろ』という、遠回しな脅しなのである。
「……創る。そうした国を、必ずや、創ってみせる」
そして、脅しを脅しとも思わず、アシル・グロワールはそれに乗った。
「だからどうか、フローレン。ずっと、俺の傍にいてくれ」
アレットもまた、幸福そうな愚者に微笑み返し、はい、と頷いて見せるのだった。
ソル達は兵士の動きを警戒しつつ、様子を見る。
何やら慌てて動いているような兵士達の姿は見えるが、銃を撃ってくるような様子はない。そもそも、この距離ではまともに狙いも付けられないだろうと思われた。
「何をしているんだ……?」
……そして、ソルとパクスよりもこの動きを警戒していたのは、恐らく、フェル・プレジルであった。
何せ、自分の騎士団の者達が、自分の指示無く動いているのだ。何か別途指示があったのだろう、と思われたが、心当たりなど……1つしかない。
「第一王子の兵器、とやら、か……?」
……そして、フェル・プレジルがそう呟くと同時。
銃を構えた兵士の1人が、血を吐いて倒れた。