秘密*4
フェル・プレジルは城の見張り塔に駆け上り、すぐさま『魔王』とやらの姿を確認した。
……それは、漆黒の髪をうなじで括り、漆黒の翼を両肩から生やし、そこらの刃物が霞むような爪を持つ猛禽の脚で大地に立つ、1体の魔物の姿であった。
その隣に控える犬の魔物もそうだが、今までに見たどんな魔物よりも強大な気配を持つ魔物である。
遠く離れた見張り塔からでも、寒気を感じる程の威圧感。それを目の当たりにして、フェル・プレジルは怯む。
……どう足掻いても、自分には勝ち目が無い。
そう、すぐに悟ってしまったから。
それから間もなく、王城の中では緊急の会議が開かれた。
既に『魔王』は城下町のすぐそばまでやってきているらしい。一応、街門の内側には銃で武装した兵士達を待機させているが、フェル・プレジルは『銃程度で止められるような相手じゃないだろう』と感じている。
それでも、王は銃があれば魔物の侵入など容易に防げるはずと信じているらしく、会議には緊張感が無い。
……緊張しているのは、『魔王』の強さを容易に察することができる程度の能力を持つ、騎士達。
第三騎士団の騎士団長であるフェル・プレジルや、第一騎士団の騎士団長などは、既に打つ手無し、と判断が付いている。だからこそ、民衆の避難や、下手をすれば自決の必要まで考えているのだが……それでも、王にはその緊張感が無いのである。
「ことの収拾には第三騎士団が当たるように」
終いには、そんなことをおざなりに言って会議を終わらせようとする始末である。当然これには反発せざるを得ない。
「……我が騎士団の手には余ります」
静かに、慎重に、それでいて緊張感は隠さず。フェル・プレジルが発言すれば、国王は何とも疎まし気に視線を向けてくる。
「ふむ?前回の怪物騒ぎの時も、制圧に手間取ったとは聞いていないが」
あの時とはまるで事情が違う、と叫びたいのを抑えて、フェル・プレジルは慎重に言葉を選ぶ。自分達が軽んじられぬよう。それでいて、この事態もまた、軽んじられぬように。
「あれとはまるで事情が異なります。私とて、魔物相手の戦いの経験が然程あるわけではありませんが、それでも、あれは別格だと分かる」
戦わずただ玉座に居るだけの国王や王子に、果たして理解できるだろうか。……否、どうせ、理解できまい。そう半ば諦めつつも、王都の安全のためにここは粘らなければならない。
「今、外に居るあれと比べれば、この間、城下を襲った怪物どもなどそこらの塵芥に過ぎないでしょう。……あの時の怪物相手に善戦した私とて、あれには向かって行ったところで一太刀浴びせられれば御の字だ」
そう主張すれば、流石に多少、室内をどよめきが走った。国王は相変わらず疎まし気であったが……それを見て、フェル・プレジルは思う。
……自らも勇者として戦っていた第二王子であるならば、この危険を誰に言われずとも理解し、そして、国の為、誰よりも先んじて剣を振るったことだろう。
そう思ってしまえば、やはりどうにも、今、悠々と椅子に座っているだけの第一王子が憎い。
そうしてフェル・プレジルが表情を引き締め、ただ国王と第一王子とを見つめていると、その間にも部屋のどこかからか、囁きが聞こえてくる。
『勇者が居れば』。
……最早不要とばかりに第一王子が追い出した勇者達が、今、誰よりも望まれている。
皮肉なものだな、と、フェル・プレジルはどこか虚ろな思いを抱えて、いよいよ声を張り上げることになった。
「第三騎士団を捨て駒にするというのであれば、せめて、『魔王』との対話の許可を!」
……その言葉は会議室のざわめきをより一層強く大きなものへと変えたが、その中でフェル・プレジルはただ堂々と、騎士団長の名に恥じない姿勢で立っていた。
それでも、王族の反応は芳しくなかった。
「魔物と対話?ふざけているのか」
第一王子がそう、眉を顰める。
『ならば一体どうしろというのだ』と怒り狂いたいのを抑えて、フェル・プレジルは懇々と説明する。
「最早、それしかないかと。どのみち我々が戦って勝てる相手ではありません。死ぬなら、少しでも可能性を探りたい」
フェル・プレジルの言葉に、周囲がまた、ざわめく。
戦う前から敗北、ましてや死を想定するなど、騎士の恥である。……だが、その恥ずべき言葉は恥として以上に、そう想定しなければより多くの犠牲が出るぞ、という脅しとして、この場の者達に浸透していったのだ。
騎士団長ともあろう者がここまで言葉を尽くしているのだ。そして、その言葉に会議室はどよめき、そして、『ここはフェル・プレジルの言葉を尊重すべきではないだろうか』という囁きが大きくなっていった。
これには流石に、国王も反応する。最早フェル・プレジルの言葉を無視してただ命令を下すべきではない、と思われた。
……だが。
「魔物の侵入をひとまず食い止めろ。時間さえ稼げばそれでいい。後は第一騎士団が処理する」
第一王子が、そう言い捨てたのである。
「……お言葉ですが、第一騎士団といえども、あの魔王相手にはどうしようもないかと」
フェル・プレジルは第一王子を睨む。今度こそ、侮蔑や憎悪が視線に混じるのはどうしようもなかった。
「問題ない。こちらには武器がある。いかなる魔物であろうとも、処理することができるだろう」
だが、そんな視線を鼻で笑って、第一王子はそんなことを言う。
第一王子の言葉に、またも会議室がざわめいた。『こちらには武器がある』と豪語できるほどの武器を、フェル・プレジルは知らない。
第一王子の言う『武器』が銃のことなら、威力を過信し過ぎだろう、と思う。銃で撃てば大抵の魔物は殺せるわけだが、それで『魔王』が殺せるなら勇者など不要であったはずなのだから。
……そう、フェル・プレジルが訝しんでいると。
「で、殿下!城下にも被害が出るかもしれません!」
第一騎士団の団長が、そう、声を上げていた。
……その緊張の走った表情に、何か、不安にさせられる。一体何のことか、とも思うが、それ以上に悪い予感ばかりが湧き出てくるような、そんな感覚だった。
「そうならぬよう上手くやれ」
第一騎士団からの声もすげなく払い飛ばして、第一王子はただ、フェル・プレジルを見据えた。
「では行け。あの『魔王』とやら、ふざけた魔物を殺せ。それが叶わないなら、時間稼ぎ程度には働いてくるがいい」
その、あまりにも不誠実な言葉に、フェル・プレジルは怒りを覚える。
自分達を捨て駒にすることも厭わない、ということか。或いは、『武器』によって第三騎士団の者達が死なずに済むと高を括っているのか。
どのみち、真意が見えない。手探りの闇の中に放り出されたような心地で、フェル・プレジルは問う。
「……殿下。その『武器』とは、一体?」
「それをお前達が知る必要は無い」
だが、第一王子には答えるつもりが無いらしかった。そして、第一王子はフェル・プレジルを追い払うように、尊大に言ってのける。
「どのみちそうせざるを得ないのだろう?何、後のことは我々に任せろ。勇者など無くとも、国は守れるのだから」
……『勇者など無くとも』。
ある種、人間達の悲願でもあるその言葉が、今のフェル・プレジルにはどうにも、受け入れがたい言葉に思えた。
「おい、パクス。分かってるだろうな」
「はい!何度も確認しましたからね!大丈夫ですよ!銃を使わせるより先に連中をぶち殺してやります!」
ソルは大地に立って、じっと人間達の城を見上げていた。
既に、何人もの人間達がこちらを確認して慌てている様子は見ている。ソルの目は太陽の光の下では非常によく利く。人間側は見られているとは思っていないかもしれないが、それら一挙手一投足、全てがソルには見えていた。
「そうだな……銃は勿論だが、それ以外に何か妙なモン使ってくるかもしれねえ。油断するなよ」
「はい!油断しません!よーし頑張るぞ!」
油断なく人間達を観察するソルとは対称的に、パクスは今日も元気いっぱいである。ぶんぶんぶん、と振られる尻尾は戦闘への期待と興奮によるものであるらしいが、ソルからしてみれば『なんでこいつこんなに楽しそうなんだ』という疑問でいっぱいである。
「楽しみだなあー!」
「……くれぐれも深追いするな。今回はひとまず、人間の城にちょっかい出せればそれでいい」
「はい!ちょっかい出して終わりにします!……でも楽しみだなー!」
パクスが元気になればなるほど、ソルは少々不安になる。だが……ソルもまた、戦いの気配には少々、興奮していた。
「……ま、憎い人間共の本拠地前に居るわけだしな」
今、自分は『魔王』としてここに居る。その重みと感慨を深く感じて、ソルはにやりと笑った。
……ソルの視線の先では、人間達が隊列を組んでこちらへ向かってきているところである。
だが。
「……ん?」
ソルは、訝しむ。
隊列を組んでやってきた人間達の大半は、門を出てすぐの所に待機した。そして、こちらにはただ1人の人間だけがやってくるのである。
剣を佩いてはいるが、抜刀はしていない。その表情は緊張と覚悟に満ちている。
「あれっ!?先輩!なんか1人だけこっちに来ますよ!?あれ食っていいですか!?」
「やめとけ」
ソルは向かってくる人間を眺めつつ、ふむ、と唸る。
……どうやら、戦いの熱が冷めそうである、と考えながら。
フェル・プレジルは死を覚悟して、『魔王』へと向かっていく。
自分の部下は皆、門を出てすぐの所に残してきた。もし交渉が決裂するなら、その時、彼らは銃を使って魔王を止めなければならない。
……無論、交渉が決裂するようなことがあれば、銃があろうとなかろうと関係無いだろう、と思われた。その時はフェル・プレジルは勿論、第三騎士団の者は皆、あっさりと殺される。
フェル・プレジルは自分自身が交渉役になることを躊躇わなかった。最も死ぬ可能性の高い役割を誰かに押し付けることなど、自分の矜持が許さなかった。それが騎士団長である自分の役割である、と受け入れたのである。
だが、一歩ごとに、足が竦むような心持ちであった。魔王は然程、大きな体をしている訳ではない。フェル・プレジルよりも小柄なようにも見えた。だが、それをそうと感じさせぬほどの迫力がある。
彼の目の前に立ったが最後、一瞬にして殺されるだろうと予感してしまう程には、『魔王』の存在が恐ろしかった。
そうして遂に、フェル・プレジルは魔王の前に立つ。魔王も恐ろしいが、その横に控えている大柄な犬の魔物もまた、随分と恐ろしい。妙に爛々とした目でじっとこちらを見ているが、もしこちらが何か不用意な行動をとれば、すぐさまとびかかられて死ぬだろう、と予感させられた。
「……魔王よ!私は第三騎士団騎士団長、フェル・プレジルという者だ!」
だが、フェル・プレジルは恐れを御して、声を張り上げる。
「対話の機会を頂きたい!」
魔王が果たしてどうするか、フェル・プレジルは返答までの一瞬一瞬を永遠のように感じながら過ごし……。
そして。
「ああ、あんたがフェル・プレジルか」
……魔王がそんなことを言ったので、一気に力が抜けるような、そんな心地を味わうことになった。
「……俺の名を知っているのか?」
「ん?ああ、まあな。仲間から聞いてた。人間の情報に多少詳しい奴でね」
フェル・プレジルの頭の中は混乱でいっぱいになる。
『仲間』とは一体誰のことか。何故、自分の情報が魔王に渡っているのか。そしてそもそも、魔王が言葉の通じる相手であったということに、安堵と驚きと混乱を隠せない。
「多少、話が分かりそうな奴が来た、ってことか。まあ、どうでもいいんだが……」
『魔王』はフェル・プレジルが想像していたよりずっと気安い喋り方をした。威厳を表すような態度を取るわけでもなく、ごく自然な振る舞いをするものだから、どこかで緊張が解けていってしまう。
危険だぞ、と思う自分と、早く安堵したい、と思う自分とのせめぎあいにフェル・プレジルがまたも混乱していると、その間に犬の魔物がそっとやってきて、自分の匂いを嗅いでいく。『うーん、別にいい匂いじゃないな!』と失礼なのかどうなのかよく分からない感想を漏らしていった魔物を見て、フェル・プレジルはますます混乱するはめになったが。
「じゃあ、今からやることをちょいと邪魔しないでもらおうか。必要なことでね」
やがて、魔王がそんなことを言いだすので、フェル・プレジルは瞬時に身構える。交渉の前に何か行動を起こされては困る、とも思いながら。
「な、何をする気だ」
「ん?大したことじゃねえよ。ちょいとばかり、人間の城を壊させてもらう」
そして魔王は『大したこと』をさらりと言ってのけると……その漆黒の翼から、とろり、と黒い何かを放つ。
……それは、闇であった。形を成し、凝った闇。どう見ても『ありえない』代物である。驚きを通り越して、理解できずに只々固まることしかできない。何せ、フェル・プレジルは魔法というものを初めて間近に見たのだ。
「……俺もこういう手品ができるようになったぜ、アレット」
誰にともなく呟いて、『魔王』ソルはその翼を一振りする。すると形を成した闇が解き放たれ、小さな鴉の姿を成して城へと向かい……。
……そして、城の一角、王族の居室のあたりであろう位置を、大きく破壊していったのだった。