秘密*3
「元々、人間……って」
「そのままの意味だよ。私は元々、人間だった。最初から魔物だったわけじゃ、ない」
ぽかん、とするレオに苦笑しつつ、アレットは薄く微笑みつつ話す。
「生まれつき魔力があったから、故郷では受け入れてもらえなくて、それで傭兵として魔物の国に渡ってきて、そこで、死んで……」
「し、死んだ!?」
「うん。死んだの。多分、だけれどね。……今も覚えてるよ。魔物に囲まれた中で、囮として置いて行かれた時のこと。逃げられないように足を切られてね……」
ヴィアの話を思い出しながら、アレットはそれらしい嘘を作り上げていく。レオはすっかりアレットの話に聞き入って、疑うことを忘れてしまっているらしかった。
「まあ……それで、気づいたら、知らない草原に寝てて。それで……これが、生えてた」
アレットは服の裾から、ぴょこ、と蝙蝠の翼を少し出して見せる。レオは目を瞠りつつ、既に知っていたそれを再び目の当たりにして、『やっぱり本物だったか』というような、そんな妙に感慨深いような顔をしていた。
「……最初はね、私を殺した人間に復讐しようと思ったんだ。それが、私が魔物として生まれ変わった理由だろう、って思って」
「それは……」
「だって、元々、人間としては、その……あんまりいい思い出は、無かったから」
何か言いかけたレオを遮って、アレットは笑う。吹っ切れた、というように笑って、その笑みの裏に酷く残酷なことがあったのだ、とでもいうかのように振舞う。
……ヴィアの話を聞く限り、魔力を持つ人間というものは、人間達の中で迫害されるものらしい。そして、そんな魔力持ちの人間が、自らを迫害する他の人間達を恨む、ということは、ごく自然な成り行きであるように思われた。
そして実際、レオにも納得のいく筋書きだったのだろう。レオは俯き、悲痛な顔で、そうか、とだけ言った。
「まあ、だからね。人間の常識も、その、魔力持ちの人間として知ってる程度のことだけとはいえ、知ってたわけだし。なら、人間達に紛れ込んで、人間を滅ぼしてやろう、って、思ってたんだけれど……」
ふ、と息を吐いて、地面に視線を落とし、アレットは呟く。
「……それも、なんだか空しくて」
そんなアレットを見て、レオは何か言おうとし、しかし、何も言葉が見つからないらしく、ただ、まごまごとしているばかりである。アレットはそんなレオを見て『純粋だなあ』などと思いながら少々笑った。
「……やっぱり私は、まだ、人間なのかもしれない。少なくとも、もう、魔物ではいられない」
そして、どこか期待か希望かを抱いているらしいレオに、アレットは言ってやるのである。
「殺したくない人間が、できちゃったから」
レオが何を思ったのかは分からない。だが、思ったらしい『何か』は、間違いなく、『フローレン』に対する希望の類である。
魔物であるはずの者が、人間を殺したくない、と宣っている。それに、レオは希望を見出しているようなのだ。
「……そうか。魔物も、そういうこと、思うんだな」
「まあ、うん。元々が人間、っていうことも、あるとは思うけれど」
アレットは一応、諫めるようなことも言ってみるが、内心ではにこにこと笑顔である。レオが魔物と人間の和平などを望むというのならば、随分とやりやすくなる。この愚かな勇者を処理するのは予想以上に簡単かもしれない。
「……で、殺したくない人間、ってのは」
「そうだね、例えば、エクラさん。エクラさんは……うーん、ヴィアが気にかけてたっていうこともあるし、なんとなく、殺したくないな」
どこかそわそわとした様子のレオにそう返してやれば、レオは『予想外だった』というような顔をする。
「……第二王子は?」
続く問いはアレットの予想通りである。そもそも先程のレオの問いは、アレットがエクラより先にアシル・グロワールの名前を挙げることを期待してのものだったのだろう。
「……言うまでもなく」
アレットは如何にも照れたように、ぽそぽそ、と呟くように言えば、レオはなんとも嬉しそうな顔をした。『やっぱりな』とのことであるが、やはりこの勇者は愚かである。哀れなほどに。
「で……ところで、俺は?」
「うーん、そうだなあ。今、利害が一番一致するのはレオだから。そういう意味で殺したくないな」
「利害の一致なのかよ……」
「ふふ。冗談、冗談」
アレットはくすくすと笑ってみせつつ、レオがどこか安心した表情でいるのを見ていた。……要は、『アシル・グロワール以外にエクラのことも殺したくないと思っている』という情報が、レオにとって安心の材料となったのだろう。
まあ、安心していてくれる分にはいい。アレットは『まあ、殺すとしたら最初はレオになるかなあ』などと思いながら、レオと冗談を交わし合うのだった。
……そうしてアレットがレオと話している間。
ふと、夜闇の向こうから、視線を感じる。
魔物であるアレットには簡単に察知できる視線であるが、レオは気づいていないらしい。レオはやはり、他者の悪意に鈍感な性質であるらしい。
……少々じっとりとした気配を纏ったその視線がどこから向けられているのかをそれとなく探れば、案の定、アシル・グロワールの部屋の方からである。
成程、この位置はアシル・グロワールの部屋から見える位置であったようだ。アシル・グロワールは、レオと話す『フローレン』をじっと観察しているようなのだ。
レオとアシル・グロワールは、まだ完全に和解したとも言い難い。アシル・グロワールはレオの所業を『今更リュミエラなどどうでもいい』と考えてはいるようだが、それはそれとして、レオに好感を抱いている訳ではないだろう。
そしてレオもまた、アシル・グロワールに対しては少々気まずい思いがある様子なのだ。アシル・グロワールがレオを警戒するのは当然のことと言える。
アレットは内心で『アシル・グロワールがレオに対して復讐心を抱いているなら、それを元に何かできないかなあ』などと考えつつ、ひとまずはアシル・グロワールの視線に気づいていないかのように、もうしばらく雑談を楽しむ様子を続けておくことにした。
そうして、翌日。
「フローレン」
「騎士団長殿!」
アレットは朝食の支度をしていたところ、少々硬い表情のアシル・グロワールに呼び止められた。昨夜、レオと会話していたことについて尋ねたいのだろう。アシル・グロワールはレオを警戒しているようなので。
「おはようございます。スープをどうぞ。私が煮込んだのでお口に合うかは分かりませんが」
だが、『まるでそんなことには気づいていない』というように、アレットは朝食のスープを椀に盛り、アシル・グロワールに手渡した。アシル・グロワールは微笑んで礼を言い、椀を受け取ると……後ろに他の兵士も並んでいるというのに、少々、まごつく。
「……あの、本日、改めて昨日の続きのお時間を頂くことはできますか?」
そこでアレットがそう話しかけると、アシル・グロワールは安堵したように頷いて、今度こそスープの配膳待ちの列を離れていった。
アレットはそれを見送り、次の兵士のためにスープを椀に盛る。春が近づいているとはいえまだまだ冷える魔物の国の気候に合わせた、生姜を入れたスープである。多くの兵士達の体を温めるのに役立つだろう。……これはかつてフローレンが王城の食堂で作っていたものを真似た味だが……やはりどこか、足りないものがあるように思えた。
……そうして配膳が一通り済んだところで、アレットもまた、スープを飲み、パンを齧る。
生姜の香りとぴりりとした辛みを味わう度に、フローレンのことを強く思い出しながら。
その日はもう一日、港近郊に滞在することとなった。船旅で疲れた兵士達の休養のためでもあり、物資の整理のためでもある。
アレットも『フローレン』としてあちこちで働いていたが、それらの仕事もそう多くなく、昼餉の支度と片づけを終えたら暇になった。ならば、と思い立ち、早速、アシル・グロワールの部屋を訪ねることにする。
「騎士団長殿」
戸をノックすれば、やはり、中々の早さで戸が開く。そして、待ちかねた、というような様子のアシル・グロワールを見上げて微笑んで、アレットは昨日同様、室内へと入ることにした。
「今日は私が淹れますね」
「……やはり、俺が淹れるとあまり美味くないか」
「いいえ、とっても美味しかったです。だから、そのお返し、ということで。……それに、騎士団長殿のお茶を毎回飲んでいたら、なんだか勿体ない気がして」
アレットは雑談などをしながら茶のポットを受け取り、沸かされていた湯で手早く茶の支度をする。野草茶でなくとも、ある程度美味しく淹れるコツは知っている。人間として活動するようになる以前から、茶を淹れるのは趣味のようなものだったのだから。
そうして茶がカップに注がれ、2人が向かい合って座ったところで……先に、アシル・グロワールが切り出した。
「……その、最近、レオ・スプランドールと親しいようだな」
「へ?」
最初にそう来るかあ、とアレットは意外に思う。どうやらアシル・グロワールがレオに対して感じている不安は、相当なもののようだ。
「ああ……そう、ですね。まあ、彼も協力者であるようなので」
アレットは無難にそう返答しながら……ふと、心配そうに、首を傾げて、尋ね返す。
「やはり、レオを疑っておいでですか?」
「いや……」
アシル・グロワールは言葉を濁しながら目を逸らす。やはり、疑っている、ということなのだろう。
何せ、アシル・グロワールにとってレオは、婚約者を奪い、更に王族としての立場までもを脅かしに来た相手なのだ。そう簡単に信用できるものではないだろう。……レオがアレットを信用しているようなのが、むしろおかしいのである。レオには警戒心が足りていない。
「その、やはり、シャルール・クロワイアントこそが騎士団長殿を陥れようとしていた張本人であったように思うのです。レオはそれに使われていた道具であり……道具であるならば、我々が利用することも、十分に可能なはずかと」
「ああ、分かっている。分かっているのだが……」
アレットが至極まっとうなことを言えば、アシル・グロワールは頷きつつ、ひっそりとため息を吐きだした。やはり不安、ということなのだろう。アシル・グロワールはレオのことを、理性によってではなく、感性によって、そう判断しているのだ。
「……フローレン」
「はい」
「俺はやはり、レオ・スプランドールを信用することはできない。今、魔物の国で奴が何をしたいのかも、よく分かっていないのだからな」
アシル・グロワールの言葉を聞きながら、アレットは『まあそうだろうなあ』と内心で頷く。……だが、ここで納得してしまうと、この後の話に差し支える。
「それは……」
アレットは表情を曇らせつつ、俯いた。それにアシル・グロワールは案の定、慌てた素振りを見せる。
「フローレン?やはり、何か気がかりなことがあるのか?」
『フローレン』に嫌われてはたまらない、とばかり、焦燥と不安とをない交ぜにした表情でアレットの顔を覗き込み、アシル・グロワールは問う。もっと根掘り葉掘り問い詰めたいところだろうに、中々立派な自制心である。
「……その、昨日の続き、に、なるのですが……」
アレットはその自制心の強さに敬意を表しつつ……ようやく、手札を1枚、明かすことにする。
「私は、人間ではないのです」
ちろ、と服の裾から覗かせた、黒絹の如き翼に、アシル・グロワールの目が釘付けになった。
一方、その頃。
「騎士団長!騎士団長!大変です!」
人間の国、王都にて。第三騎士団の詰め所に、兵士が1人、駆け込んでいく。
「どうした。また。第一王子か?」
詰め所で半ばぼんやりとしていたフェル・プレジルは、すぐさま緊張を走らせる。
……ここ数日で、この国は大きく変わった。第二王子が自ら魔物の国へ向かったことで、いよいよ第一王子が王位継承者として認められることとなった。少々横暴ともいえる動きを見せていることから、民衆の覚えはあまり良くない。だが、『奇怪な力を持ち、脅威となり得る第二王子』よりは第一王子の方がマシだろう、と思われているのも事実だ。
この事態に、フェル・プレジルは少々、憤っていた。何せ彼は、第二王子は勿論、その周囲の人間達の様子も見て、第二王子側にこそ正義があると感じていたのである。
だからこそ、事態の急変に際して、第一王子がまたも横暴な政策を打ち出したか、と緊張を強めたのだが……。
「魔王を名乗る魔物が、外に!」
「……は?」
あまりにも予想外な報告を受けて、ただ、頭が真っ白になったのだった。