秘密*2
魔物達が迫ってきている中、アレットは気にせず、アシル・グロワールの部屋を訪ねた。
……魔物達のことを考えるならば、間違いなく魔物に敵対するであろう勇者を1人、足止めしておく方がいい。レオは魔物相手にどう動くか未知数であり、エクラはそもそも、実戦経験が無い。ならば、アシル・グロワールをひとまず押さえに行くべきだ。
「騎士団長殿」
様々な思惑に早鐘を打つ心臓を抑えて、アレットはアシル・グロワールの部屋の戸を叩いた。すると、戸のすぐそばで待っていたのか、という程に早く、戸が開いてアシル・グロワールが顔を出す。
「ああ、フローレン。呼び立ててすまなかったな」
「いえ、お呼びいただけて光栄です」
アレットは考えや心配の一欠片すら顔に出さず、にっこりと笑ってアシル・グロワールの部屋へと入ることにした。
「まあ、折角だ。茶でもどうか、と思ってな」
部屋に入ると、小ぶりなテーブルの上にはカップが2つ、置いてある。その傍にはティーポットが1つと、茶菓子の皿も。
「……騎士団長殿が、淹れられたのですか?」
「ああ。お前程には上手く淹れられていないだろうが。……偶には俺が淹れてもいいだろう?」
アレットは『楽しみです』と笑いながら、内心では『毒とか入ってないよね?』と心配に思う。だが、それをここで表すわけにもいかない。笑顔のまま着席して、アシル・グロワールがティーポットから茶を注ぐのを見守ることになる。
茶葉は、人間の国で生産された高級品のようだった。恐らく、城を出てくる際にいくらか持ってきたのだろう。或いは、第二騎士団を動かす、となった時、物資の中に入れておくよう命じたのかもしれないが……何にせよ、遠征中の騎士団にあるにしては珍しい嗜好品の存在は、間違いなく『フローレン』の為のものなのだろうと思われた。
「わあ、いい香り」
カップの中に注がれた茶は透き通って明るい茶色を呈していた。部屋のランプの明かりを透かして煌めく様は、確かに高級茶の風格である。
「味は分からんぞ」
「美味しいに決まってますよ。……じゃあ、頂きます」
アレットは少々躊躇うような心地でありながらも、迷いなど見せず、そっと、カップを口へと近づけた。
……ふわり、と漂う茶の香りに心を落ち着かせながら、茶を飲む。
アシル・グロワールが用意した茶である以上、何があるか分からない、と警戒していたが……特に何ということも無かった。毒のような味は茶のどこにも見当たらない。無味の毒も無いわけではないだろうが、それを警戒しても仕方のないことである。
「美味しい……とても美味しいです」
「そうか。それはよかった」
一方、アシル・グロワールも茶については不安だったらしく、アレットがそう言った途端、表情を綻ばせて安堵していた。……自分が淹れた茶が不味くはないか、気にしていたらしい。やはり、この様子ならば毒を警戒する必要は無さそうである。
アレットは一頻り茶を飲み、唇を潤して、それから少々、雑談に興じた。
魔物の国へ来るまでの船から見た海が美しかったこと。
魔物の国での生活が長かったせいか、上陸してみて少々懐かしいような心地であること。
冬の終わりの気配、気温の和らぎを感じる、ということ。
……そんな話をアレットから、またアシル・グロワールの方から紡いでは繋いで、暫し、『本題』から離れた話を続ける。アレットとしては時間を稼ぎたく、アシル・グロワールとしてはすぐに『本題』に踏み込む勇気が無かったのだろう。両者の意図は合致していた為、雑談はそれなりに長く続いた。
「……騎士団長殿」
だが、いつまでもそのまま、という訳にはいかない。アレットは話を切り出すように、茶のカップを置き、真っ直ぐにアシル・グロワールを見つめる。
「お伝えしなければならないことが、ございます」
「……ああ。聞こう」
アシル・グロワールはアレットよりもさらに緊張したような顔で頷いて、じっとアレットを見つめ返してくる。アレットはじっと、その目を見つめ返して……。
こんこんこん、と、忙しなくノックの音が響く。
アシル・グロワールは『こんな時に何だ』というような、如何にも迷惑そうな顔をしつつ、戸を開ける。すると、そこには少々気まずげにレオが立っていた。
「……何の用だ」
『何故邪魔をする』と言わんばかりのアシル・グロワールに、レオはそれはそれは気まずそうな顔をしながらも、退かずに言う。
「緊急事態だ。外に魔物が来てる」
……やはり。
アレットの予想通り、アシル・グロワールとの会話は中断されざるを得ないようである。
「魔物が!?ならば……ああ、くそ。フローレン、すまないが、話は魔物退治の後にしよう。フローレンはここに居てくれ」
アシル・グロワールは舌打ちしつつも剣を手に、部屋を出ていく。アレットはそれを引き留め損ねたような様子でその場に残され……そして、同じく残っていたレオが、何とも気まずげに、アレットに話しかける。
「……止めなくていいのか」
レオは、アレットが魔物だと知った上で、そう、聞いてきたのだ。『どちらを』とは言わずに。
「……うん。止めない」
だが、アレットはそう言って、ただ、椅子に座り込む。
「卑怯かな」
「いや……どうだろうな」
外では銃声が響いている。魔物達の悲鳴も、また。
……アレットは既に、悟っていた。魔物達がここを襲いに来たとして、人間側が撃退に成功するだろう、と。
人間達は銃で武装しており、更に、こちらには勇者が居る。……アシル・グロワールが居なかったとしても、銃だけで並の魔物の相手は十分である。銃弾をひょいひょい避けられるような魔物など、それこそ、ソルくらいしか居ないのだから。
「……仲間じゃ、ないのか」
「……どうだろう。確認するのも、怖くて」
確認は、している。宵闇の向こうに見えた魔物達の姿は、アレットにとって見覚えのない姿であった。少なくとも、王都の魔物では、ない。
……知り合いが混ざっていないとも限らなかったが、どのみち、アシル・グロワールだけでなく騎士団丸ごとを今すぐ止めることは難しい。同時に、人間達にこのように立ち向かってくる魔物達を止めることも、難しいだろう。同じ魔物同士、意思を同じくする者達だとしても、説明のための、或いは理解を求めるための時間が足りない。
「私は、どちらにとっても裏切者だから」
……何より、アレットは蝙蝠だ。人間達に紛れ込むのが得意な分、魔物達の信用を得るのには、不向きである。
「……お前が裏切者だっていうなら、俺だって、そうだ」
アレットの言葉をどう思ったか、レオはそう、言った。
「俺も、人間を裏切ってるのかもしれねえし、裏切ってたのかもしれねえし……」
青空色の瞳が、迷うように細められ、ふ、と揺らぐ。レオ自身、自分のこれまでとこれからの行動に後悔や迷いがあるらしい。
「何が正しいかなんて、分からねえから」
「……うん」
アレットにとって、正しさは揺るぎないものである。だが……そこへ至るまでの道を、もっと上手くやれたんじゃないかな、と思うことは、あった。
今も、そうである。
「その……あんま、気にするなよ」
「うん。ありがとう、レオ」
少々すれ違った勇者と魔物の会話はそこで途切れ、レオは魔物退治に加勢すべく、剣を手に、外へ向かって言った。
アレットはそれを見送り、ふ、と息を吐く。
……今、アシル・グロワールの剣や、その他人間達の銃によってに殺されているであろう魔物のことを思えば、何が正しいか、分からなくなる。
ここで魔物に味方する素振りを見せない方が、今後、アシル・グロワールやその騎士団を動かすためにはよい。だが……。
「……やっぱり私は蝙蝠だなあ」
未来の魔物の国のため、今、すぐそこにある命を見捨てている。全てを救うことはできないと理解してはいても、どうにも、やるせなかった。
やがてエクラがアレットに合流した。『魔物が襲ってきた』ということについて怯えながらも戸惑い、レオと同様の迷いを見せるエクラを宥め、励まし、アレットは暫し、時を過ごした。
……そうして。
「フローレン、無事か?」
「え、ええ。こちらには魔物なんて影すら見えませんでしたから」
元気に帰ってきたアシル・グロワールと、その後ろで少々疲れた様子のレオを出迎えて、アレットは苦笑して見せるのだった。
結局、それからもアシル・グロワールは諸々の雑務に追われて、フローレンとの会話どころではなかった。騎士団長ともなれば、襲撃に関する記録をまとめたり、襲撃による被害を確認したり、修復や不測の物資の手配をしたり、と忙しいのである。
……ということで、アレットもまた、時間潰しにぶらぶらと、他の兵に混じって港周辺の警邏に当たったり、被害状況を確認したり、と働いていた。
「フローレン、ちょっといいか」
「あれ?レオ、どうしたの?」
そこへやってきたのは、レオであった。……騎士団の所属でもない分、アシル・グロワールと比べて随分と暇であるらしい彼は、ずっと『フローレン』を探していたらしい。
「いや……さっき、邪魔しちまったから、どうだったか、と思って」
気まずげな様子のレオに思わず笑みを漏らしてしまいつつ、アレットはその場の手近な木箱に腰掛けた。隣の木箱を示せば、レオもそこに座る。
「ええとね、まだ、話せてない」
「……そうか。悪いな、邪魔して」
「ううん。私もちょっと喋る勇気が出なかったし……騎士団長殿も、聞き出す勇気が、出なかったみたいだったから。丁度良かったかも」
アレットの言葉に、レオは何か思うところがあったのか、俯く。
「……さっき、魔物を殺してきた」
そして、そんなことを言う。
「俺が、憎いか?」
更に、そう聞かれてアレットの心の中にはすぐさま、答えが出る。
『憎い』。それで終わりだ。その他に何か思うことがあるとしても、それは……この期に及んで迷う勇者への、憐憫。
「……どうだろう。よく、分からない」
だが、アレットはさらりとそれらしく嘘を吐いて、如何にも悩むようなそぶりを見せた。
……そして、折角の機会である。アレットは、この後アシル・グロワールに話すことになるであろう内容を、今一度確認しておくため、レオを練習台にすることにした。
「ちょっと、聞いてくれるかな。騎士団長殿に話す前に、整理しておきたくて」
「俺でいいのか」
「うん」
アレットの頼みに少々不思議そうな顔をしつつも、レオは木箱の上に座り直して姿勢を正す。アレットは笑ってそれを見守り……そして、いよいよ、話し始めた。
「私はね……元々、人間だったの」
まるきりの嘘を。