魔王*4
シャルール・クロワイアントは魔物を憎んでいる。何故、と言われれば、魔物がこの世界の秩序を乱しているからである。
クロワイアント家は代々、王家を陰から支えてきた一族である。そして、そのクロワイアント家が代々苦しめられてきたのが、『勇者』だ。
勇者が生まれ、他国へ戦争や討伐に出向くことが100年かそこらに1度は起こる。だが、その結果、勇者が次期国王になろうなどと思い上がった行動を取り、遠征のために税が足りなくなり、そして、国は荒れ、秩序が乱れる。
……このようにして、度々、王家は危機を迎えてきた。魔物や他の悪が存在することで勇者が存在し、そのために毎回毎回、国が荒れるのである。
王家が長年に渡って築き上げてきたものは、クロワイアント家の苦しみと共に在った。長い長いこの国の歴史は、多くの人間達の祈りと努力によって維持されてきたのである。
それが、ぽっと出の勇者や、悍ましい魔物達などによって揺らぐ。……これは非常に、許し難いことだった。
だからこそ、シャルール・クロワイアントはレオ・スプランドールの従者として立候補した。憎い魔物達を直に見て、殺すため。そして、憎い勇者を謀り、意のままに操って嘲笑うため。
自分達の長年の努力を踏み躙ろうとするそれらに近づいたのは、それらをひたすらに憎悪しているからであった。
それと同時に、シャルール・クロワイアントは神に救われた。
資源を独占し、人間を殺し、そして王家を脅かす魔物共は理不尽を体現したものであり、そのような理不尽にどのようにして耐え、怒りを忘れればよいか、と探しあぐねて辿り着いた先が、神への祈りだったのである。
自分1人の力ではどうしようもないことばかりのこの世の中で、その理不尽をどのようにして乗り越えるか。
……その答えが、神への祈りである。神は全てを見守っており、だからこそ、勇者を生み出される。それによって世界が荒れたとしても、それは神の意思の中にあり……だからこそ、今まで幾度となく揺らいだ王家は、未だ、ここに続いている。
そう。神がそう望まれたことであり、自分はその駒であり……そして、正しき人間にとってより良い世界が必ずやってくる、という希望が、シャルール・クロワイアントを支えた。
人間の国の中、足りなくなっていく資源も、増えていく貧民層も、それによって湧き上がる王家への不満も。それら全てへの漫然とした苛立ちも怒りも。……それら全てを乗り越えるために、シャルール・クロワイアントは祈った。
祈り、祈って、ここに居る。ここで、神の望んだ通り……『正しい』世界のために、『正しく』行動しているのだ。
シャルール・クロワイアントは今の状況を神の導きであると考えている。
憎い魔物の死体を踏み、愚かな勇者を出し抜いて、禍々しい魔王の城から1つの宝玉を見つけ、それを持ち出した時。シャルール・クロワイアントは勇者に、或いは魔物に、一歩、近づいた。
それは恐ろしくもあったが、彼にとってそれは神から与えられた使命のように思えた。
即ち、魔王がかつて行使していたのであろう力を行使して、新たな勇者を生み出し、敬愛する王家を乱す憎き第二王子を抹殺するための策を練り上げ、怪物を生み出して世論を操作して……そのようにして、この世界をより良い方へと導け、と。そう、神から使命を与えられたのだという風に、思われたのだ。
であるからして、シャルール・クロワイアントはここで死ぬわけにはいかない。死ぬにしても、魔物などをのさばらせておいてはいけない。
この聖堂は神を讃えるものではないにしろ、神聖な場所である。この場所で、本来人間達のためにある……否、シャルール・クロワイアントが神の意思に従って働くためにある魔力を、魔物達に奪わせるわけにはいかないのだ。
……この状況も、神の与え給うた試練であろう。ならば、神の意思のまま、シャルール・クロワイアントは動かなければならない。
シャルール・クロワイアントは、自ら魔力を取り込む。
今の状態では足りない。より強くならねばならない。神はそう望んでおられる。だからこそ、自分がそうするのは至極当然のことであり、『正しい』ことなのである。
長く、人に非ざる力を行使していた影響か。はたまた、今、既にシャルール・クロワイアントは人に非ざる存在となっているということか。何にせよ、魔王の宝玉無しでも、魔力は思いのままに動いた。そしてシャルール・クロワイアントはそのことに疑問を抱きすらしない。何故なら、これは神の意思であるから。
憎い魔物達が慌てるのが見える。シャルール・クロワイアントはそれを嘲笑いながら体を起こす。
ドロリ、と溶けて黒く崩れていく体は、周囲の草木を巻き込んで枯らしていく。
泥沼のようになった体にも自我があり、シャルール・クロワイアントはまるで、生まれ変わるような、神からの祝福を受けたような、そんな清らかな気持ちを味わった。
……そうして崩れ切った体の中から、シャルール・クロワイアントは這い出る。
その手は鰭のようであり、背骨は大きく歪み、肋骨が開いて脚のようになった。
胸から生えた顔の中、目は、無い。だが、全てが見える。これが全知全能の神の視覚なのか、と、感動に打ち震えて蟇蛙めいた声を上げる。
そうしてシャルール・クロワイアントは強い自覚をもって、魔物達へ立ち向かった。
自分こそが、神に選ばれし真なる勇者である、と。
シャルール・クロワイアント自らがぐずぐずと溶けて生み出した黒い沼が、周囲を飲み込んでいく。それに足を取られまいと、パクスとベラトールはさっと逃げた。
同時に、ソルは空へと飛び立つ。その直後、先程までソルの居た場所を、大きな鰭が薙いでいく。
まるで鋸の歯のように並んだ骨と、その骨を覆う硬い膜。それが通り過ぎていった後には空気が乱れ、ソルは少々、体勢を崩す。
ソルが体勢を立て直す間に、パクスとベラトールにも攻撃が及んでいた。反対側の鰭がまた振りぬかれ、かと思えば開いた肋骨がまるで咢のようにばくんと閉じてパクスやベラトールを食い殺そうとしてくるのである。
……そして、その一撃一撃が、恐ろしく速い。
「……これが、人間に魔力を与えた結果、かよ」
人間の国には魔力が少ない。人間は魔力無しにも生きることができ、そして、少しの魔力で十分な力を発揮することができる。
それこそ、ソル達が得てきた魔力の何分の一かを摂取するだけで『勇者』として魔物達を圧倒することができるように。或いは……今、目の前に居る化け物が、やはり神の力の欠片には及ばない程の魔力を得ただけで、このようにソル達を追い詰めているように。
理不尽だな、とソルは思う。
人間達は神に選ばれて勇者となる、などと言っているようだが、その実、魔物達の力の源を使って魔物達より効率よく強さを得られるというだけの話である。これが真に神の意思によるものだというのであれば、ソルは今すぐにでも神を殺してやりたいと思う。
……それでも、ソル達は足掻いてきた。理不尽な強さを誇る勇者によって魔王が殺され、人間達の手で魔物達が支配され、奪われ斃れ泥に沈んでいくだけの日々を経て……それでも、今、こうして人間達に抗っている。
諦める訳にはいかないのだ。自分が愛するもの、全てのためにも。
「さっさと……くたばれ!」
ソルは吠えながら空を落ちていく。怪物の眉間にナイフを突き立てんと、刃を下に、重力と羽ばたきとの力で下へ下へと加速する。その身を一振りの刃のようにして、ソルはシャルール・クロワイアントのなれの果てへと迫り……。
そして、その怪物の、目の無い顔を、貫いた。
痛みを感じていないのか、シャルール・クロワイアントはそれでも動きを止めなかった。鰭を振り回し、長大な肋骨を振りかざし、それでも尚、止まらない。
顔面と思しき個所にナイフを突き立てたソルはその場を離脱せざるを得ず、また、肋骨の一本がパクスを大きく弾き飛ばした。
パクスは胸のあたりに傷を負いながらも弾き飛ばされた先で体勢を立て直す。
「くそー、殴っても殴ってもダメだ!」
パクスはその蹴りも体当たりもシャルール・クロワイアントに効いた様子が無いことに苛立っている様子であった。単純な力と速さを持ち合わせているパクスだが、だからこそ、その単純な力と速さを持つ怪物相手には相性が悪い。
「どうしたもんかな……」
そしてソルも、手を出しあぐねている。
……先の戦いで宝石の竜と戦った時以上に、手ごたえが無いのだ。
どこを狙えばよいのかもよく分からず、そして、どこを狙おうにも、相手に隙が無さすぎる。脆そうな見た目でありながら妙に頑丈な怪物相手に、どのようにして戦えばいいのか、ソルには最早、分からない。
……だが。
「舐めるんじゃないよ、人間風情が」
ベラトールが堂々と、突出した位置に立っていた。
「勇者にすらなれないような奴に、私達は殺せない」
シャルール・クロワイアントは、見えているのかいないのか、それでもベラトールへと向かう。
蟇蛙めいた声を上げて、胸部から生えた顔からはだらだらと黒い血を流し、這いずるように、それでいて、あり得ない程に、速く。
「私達は、魔物だからね」
開いた巨大な肋骨を前に、ベラトールが、笑う。
直後、ばくん、と、怪物の肋骨が閉じ、ベラトールを食らった。