殺し見殺し皆殺し*1
人間達を乗せた荷馬車は、早速王都へ向けて出発した。
アレットは御者台に座ってパクスの手綱を握りながら、馬車の中の人間達と会話していた。
……最初に人間達に挨拶した際、義勇兵として参戦することは伝えてあった。その時点で人間兵士達からの覚えは良い。
人間達としては共に戦う仲間であるアレットを拒む理由は無く、そして何より、小柄で華奢な美少女が馬車の乗り心地を気遣ったり、用意してあった茶を振舞ったりと甲斐甲斐しく動き回るのを見て、中々まんざらでもなかったのである。
そう。アレットは実に計算高く動いた。人間に好感を持たれるように動くのは、アレットの得意とするところである。
水筒に茶をたっぷりと用意してきたのもこのためだ。茶なら湧き水を汲んでおいて沸かし、干して焙じた薬草を煎じれば出来上がる。多少の手間がかかる程度で金は一切かからないが、人間はとにかく『相手が自分のために何かをした』という事実を好む。形が見えるものならそれは猶更だ。
ということで、アレットは王都に戻るまでに、十分人間達の信用を勝ち得ていた。これはアレットにとって嬉しい結果である。
何せ、この人間達は当初アレット達が予想していた通り、寄せ集めの義勇兵ではなく、人間の国の中央部からやってきた、選り抜きの戦士達だったのである。
彼らの地位は、義勇兵より余程高い。今後、戦場で指揮を執るであろう者もここには居る。そういった人間達の信用を勝ち得たということは、今後、人間の兵士達の中で大層動きやすくなる、ということに他ならない。
信用は信用を招く。『ああ、あの人に信用されているなら』とアレットを信用する人間もこれから出てくるだろう。何も、全ての人間と関わる必要は無いのだ。それでも十分、アレットは動けるようになる。
「おい、アレット。茶はもう無いか?」
「ああ、ごめんなさい。売り切れです!……ふふ、こんなに喜んでいただけるなら、もっといっぱい用意してくればよかったなあ。ああ、でも茶葉は持ってるんです。次の休憩場所は近くに湧き水がありますから、そこで新しく淹れましょうか?」
「ああ、そりゃあいいな。是非頼むよ」
人間達とにこやかに会話しながら、アレットは人間達に見えない位置で、パクスの口元に干し肉を持っていった。ソルから譲られたものである。
はぐはぐ、と口を動かして、パクスはなんとも嬉しそうな顔をしている。……人間の乗る馬車を牽く、などという不名誉な仕事をさせられているのだ。この程度のご褒美は無ければやっていられないだろう。
フローレン達が干した果物もあるよ、とパクスにそっと差し出しつつ、アレットはそっと微笑むのだった。
そうしてパクスの牽く荷馬車は無事、王都へ到着した。
……実は、これはソルとガーディウムによって演出された平和である。
ソルとガーディウムは、そろそろ魔物の中から反逆を起こす者が現れるだろうと考えていた。自分達と同じことを考える者が居てもおかしくない、と。
だが、ここでアレットとパクスが率いる人間の兵士達が襲われるのは好ましくない。人間の兵士の上位に居る彼らには特に、油断していてほしいからだ。人間の兵士達を如何に油断させておくかが、アレットの動きやすさ……即ち、毒を盛り、銃に細工を施す作戦の成功を決めるのだ。
ということで、ソルとガーディウムには、南の町から王都までの街道を『警備』してもらっていた。もし道中で奇襲に備えている魔物達が居たならば、その時は自分達の仲間に引き入れ、今暴れるのではなく処刑当日に一気に暴れるようにせよ、と説得する。
……そうすることで反乱を企てる魔物の仲間達を無駄死にさせることを防げる上、人間達の平穏を演出することができ……そして何より、仲間が増える。
戦では、兵の強さよりも兵の数が勝敗を左右することも多い。やはり、手数頭数が多いということは、それだけことを有利に運べるということなのだ。
王都へ到着したアレットは、そのまま荷馬車を王城の方へと導いていく。
心なしか、町に魔物の姿は少ない。人間の兵士達がやってくると聞いて、身を潜めているのかもしれない。人間達は『手近な魔物が居たら適当に甚振ってやろうと思ったのに』と残念がっていたが、アレットはそれに合わせて笑いながら魔物達が手近に居ないことに心底安心し、そして人間への憎悪をより深めた。
……兵士達を丁寧に気遣いながら王城へと招き入れ、そこで係の人間に引き渡したら、ここでアレットの仕事は一旦終了となる。アレットは人間達に笑顔で挨拶して、パクスと共に荷馬車を集荷所へ戻しに行く。
人間達はアレットとの一時の別れを惜しんだが、アレットとしてはさっさとここを立ち去りたかった。……何せ、王城の変わり果てた様子にパクスが毛を逆立てており、そして、パクスを見た人間が『甚振るのはこいつでもいいか』などと言い始めたので。
パクスを甚振りたがった人間には『これは駄目ですよ、まだまだ義勇兵だって集まってくるんですから、馬車を牽く家畜を減らさないでください!』と冗談めかして言ってやり、アレットは人間達に愛想よく手を振って逃げるように王城を出た。
パクスはまだ少々興奮しているようだったが、それを宥めつつ、彼を厩に戻す。
「……先輩!」
そしてパクスの鎖を壁に留めた後、パクスはめらり、と燃えるような瞳でじっとアレットを見つめた。
「俺はやりますよ。必ず、やります。……人間共に、地獄を見せてやりましょう」
パクスにしては珍しく、静かな声だった。だが、それだけに強く強く、彼の意思と憎悪を感じさせる。
「……いい目だね、パクス。それでこそ誇り高き戦士だ」
アレットはそれをただ、褒め称えることにした。パクスを一人の戦士として……守るべき相手ではなく、共に進む仲間として、認めるために。
……本当のことを言えば、後輩の成長はアレットにとって、嬉しくもあったが申し訳なくもあった。憎悪を感じさせていることを……そのような状況に置かざるを得ないことを、申し訳なく思っている。
だが、それを言うべきではないということもまた、分かっているのだ。何故なら、アレットもパクスも誇り高き戦士なのだから。
「じゃあ、当日はよろしくね、パクス」
「はい、先輩!」
そうしてアレットはパクスと挨拶を交わし……最後に、普段ならば決してしない行動をとる。
「……皆も」
アレットは、ぐるり、と厩を見渡した。
パクス以外の、ここに繋がれ働かされている魔物達。彼らの中には、アレットを深く憎悪する者も多い。……だが。
「必ず、解放する」
アレットがそう言うと、魔物達は特に何を言うでも無かったが……小さく頷く者も居た。……それで十分だ。
アレットは微笑むと、厩を後にした。
……いよいよ、戦いが始まる。
「今までお世話になりました」
アレットが集荷所の人間達に挨拶すると、人間達は大層それを惜しみ、悲しんだ。
「兵士としての仕事が終わったらまたこっち戻ってこいよ?」
「はい。戻ってこられたら、その時は是非」
『戻ってこられたら』。アレットの言葉の裏に『死』を感じた人間達は、なんともいえない、悲痛な表情を浮かべた。
「……死ぬんじゃねえぞ、アレット」
「ええ。大丈夫です。私は死にませんよ」
それにアレットはあくまでも笑顔で返してやる。死ぬのはアレットではない。人間達である。
その日の夜、アレットはフローレン達の地下へ向かった。
……ここで寝泊まりするのも、もしかすると今日が最後かもしれない。
何故なら、姫を救出した後……アレットは、そのまま姫を守って、次なる神殿を目指すことになるからだ。
「皆、元気でやるんだよ」
「アレット……」
地下の子供達は、アレットとの別れを惜しんだ。……アレットとて、同じ気持ちである。
ここの子供達とフローレンは、この3年あまり、アレットの心をずっと支え続けてくれた。彼らを地下に匿い守ることでアレットは精神の平穏を保ち、他の魔物からの罵倒にも耐えることができた。
温かな会話は、アレットの荒んだ心に潤いを思い出させた。粗末ながらも心の籠った食事は、アレットにとって何より得難い栄養となった。
アレットが彼らを助けていたのと同じように、彼らもまた、アレットをずっと、助けてくれていたのだ。アレットが今も尚、心を失わずに居られるのは……この小さな地下空間があったから。
「皆、上手く逃げてね。どうか、無事で」
だが、それともお別れだ。また会う日が来るかどうかは分からない。
……フローレンと子供達は、公開処刑の日に王都を脱出する。王都の門を見張る兵士も恐らく、公開処刑とそこで起こる問題のために駆り出されるだろう。逃げ出すなら、その時しか無い。
そして、逃げ出した後……どこかでまた会える保証は無い。お互いに生き残れるかさえも。
だが、公開処刑の日、姫を奪還してアレット達が逃げたなら、人間達は王都中をくまなく探すだろう。そうすれば、フローレン達の地下室も見つかり、襲撃される可能性が高い。ならば彼女らはここに留まっている訳にはいかないのだ。
子供達がアレットとの別れを惜しみ、泣き疲れて眠ってしまったり、はたまた勇ましくも戦士に憧れてアレットを尊敬の瞳で見つめたりする中、アレットはフローレンと、少し話すことにした。
「……ごめん、フローレン」
「え?何が?」
子供達も居る手前、少々言い出しづらいことだったが、ここで言わなければ永遠に伝える機会を失うかもしれないのだ。アレットは意を決して、フローレンに伝える。
「私、あなた達についていくっていう選択肢だって、あったんだ。でも……魔物の未来を優先したいと、思ってしまった」
アレットが、フローレン達をある種の見殺しにすることについて。
姫の奪還やそれに伴う反乱について行動を起こさなければ、王都に住む魔物達は今まで通りに生活していけるかもしれない。無論、生活は徐々に徐々に先細っていくのだろうが……延命は、できる。
だが、アレットはその、先が暗くとも慎ましやかな幸せがあるであろう未来を切り捨てた。
魔物全体の未来を考えるならば、ここで如何に犠牲を払ったとしてもレリンキュア姫を救出し、魔王としての力を持たせなければならない。
……そのためには、王都の平穏を覆すことになる。王都の力無き魔物達……愛するフローレンや子供達の慎ましやかな幸せを奪うことになるのだ。
大義名分はある。アレットは己の正しさを信じている。
だが、それに徹しきることはできない。
……それだけアレットにとって、この地下室と地下室の仲間達は、大切なものだから。
アレットの言葉を聞いたフローレンは目を瞬かせると、ふ、と笑った。
「……何も謝ることじゃないわ、アレット」
俯いたアレットの手を取って、フローレンは、ああ、アレットってこういう子だったわ、と思い出す。
昔から、ずっとそうだった。
アレットは蝙蝠である割に、自分の利益を最優先できない魔物だった。そして、戦士である割には、優しすぎた。
あらゆる者の仲間になれる蝙蝠は、誰かの敵として君臨する度、仲間を踏み躙るような苦しみを味わうのだろう。それがアレットを苛んでいる。
……だからフローレンもまた、ずっと胸の内に秘めていた言葉を、伝えることにした。これが最後かもしれないのだから。
「私、ずっと考えていたの。前も話したかもしれないけれど……この日々が終わるとしたら、どう終わるのかしら、って」
アレットはじっとフローレンを見つめる。フローレンもアレットを見つめ返して、笑いかけた。
「魔物が反撃に出る時……その時ってきっと、足枷が外れた時だわ」
「足枷……」
半ばぼんやりとしたアレットはそう呟くと、はっとしてフローレンを見る。……だが、フローレンは構わず続けた。
「私達が足枷になって、魔物の未来を潰してた。ずっと」
……事実だ。紛れもなく、事実である。
魔物の戦士達がずっと反逆できなかったのは、弱い魔物達が人質に取られていたからである。弱い魔物達の命などどうなってもよい、と皆が決心したのなら、とっくに魔物達は反逆を起こし……この国は魔物の手へと戻っていたのかもしれない。
「ごめんなさい。ずっと、私達はあなたの足枷だった」
そして、多くの弱い魔物が強い魔物達の足枷であったと同時に、より詳細に言えば……フローレンが、アレットの足枷であったのだ。
「そんなことない!そんなこと……私はあなた達のこと、支えだって思いはしても、足枷だなんて思ったことない!」
アレットは思わず、声を荒らげた。
アレットの言うこともまた、事実だった。荒んだ世界で、それでもアレットが優しさや思いやりを失わずに居られたのは、フローレンや子供達が居たからだ。彼女らが居なかったなら……アレットの日々は、より辛いものとなっていただろう。
……だが、そんなものなのかもしれない、と、アレットもフローレンも思うのだ。
優しさは甘さと表裏一体のものだ。そして、自らが荒波に攫われぬよう繋ぎ止めていてくれる錨は、大海へ漕ぎ出るのを邪魔する足枷と表裏一体なのかもしれない。
「今更だけれど……けれど、今、希望が一欠片でも見えたんだったら、私はあなたに行ってほしい。私達のことなんか気にしないで、行ってほしいの」
フローレンは続ける。押し黙るアレットを見つめて、ずっと胸の内にあった思いを言葉に変えて。
「飛んでいって。アレット。お願い。私達もう皆、うんざりしてるの。どうか、私達に……夢を見させて。きっと未来は幸せだって。そのためなら今がどうなったっていいから」
アレットにもフローレンの言葉は理解できた。理解できるからこそ、苦しい。
アレットもフローレンも、望むものは同じなのだ。両者とも唯一つ、『魔物の国の復活』を夢見ている。魔物達が人間に支配されることなく、平穏に暮らしていける未来が欲しい。だが、同じものを夢見る2人は、犠牲にする者と犠牲にされる者という2つに分かたれる。
「ねえ、アレット。私達に棺は、必要ないわ。……あなたが持ち得る全ては、あなたと、魔物達の未来のために使って」
弔う手間も時間も、戦うために使えばいい。棺を作るための木材は、焚火にでも使えばいい。生きる者が生きる者の為に全てを使えばいいのだ。そうやって、どうか、皆が望む未来を。
……祈るような気持ちで、フローレンはそっと話す。
「……もっと早く、こう言えばよかったな、って、ずっと思ってた。なのにずっと言えなくて、ちょっと悔しかった」
祈りを託すのは簡単だ。そして、託された側はそう簡単に割り切れない。
だが、アレットならばきっと理解してくれるだろうと、フローレンは信じている。
「ねえ、アレット、私も魔物なのよ。力は無いけれど、誇りはあるつもり。だから、どうか……」
何故なら、アレットもまた、フローレンと同じように誇り高き魔物であるから。
「……分かった」
やがてアレットは頷いて、それから強く、フローレンを抱きしめた。フローレンもアレットの背に手を回し、強く強く、抱きしめ返す。
「フローレン……どうか、元気で」
「ええ。……それでいつか、二人ともこの大地に還った時には……また仲良くしてね」
そうして2人は、最後となるかもしれない一時を共に過ごす。その内子供達も寄ってきて、じきにアレットは皆からぎゅうぎゅう抱き着かれ、身動きが取れなくなっていたが。
別れはあくまで、笑顔で。悲観的にならずにいずれ皆が大地に還った時、きっと巡り会うこともできるだろうから。
……夜は、静かに過ぎていった。
翌日、未明。
アレットは皆が寝静まっている間に地下室を出た。
未練はある。だが、未練が消える時など永遠に来ない。思い切って夜明け前の空の下へ出てしまえば、冷えた空気が徐々にアレットへと染み込んでいく。
体が冷えていくにつれて、アレットの心は戦士のそれへと変わっていく。
今を犠牲にしてでも、必ずや、未来を。
……アレットは王城に向けて、足を踏み出した。