魔王*3
パクスが真っ先に駆けていく。四肢を繰って大地を大きく蹴り、シャルール・クロワイアントへと肉薄した。
並の人間には躱すことなどできない攻撃であったが、シャルール・クロワイアントはそれを避ける。……その場に生み出した怪物を盾にして。
「な、なんだこいつ!?虫!?でっかい虫!?」
聖堂の近く、地面に居たのであろう小さな虫。それに魔力を与えたのか、突如として生まれた怪物。それがパクスの進路を阻み、シャルール・クロワイアントを生き長らえさせた。
「妙な真似をするじゃあないか!」
そこへベラトールが突進して鋭い爪を振り抜けば、次はその場にあった植物に魔力が与えられ、大きな植物の怪物となって現れる。ベラトールの爪は肉厚な葉を切り裂くのみとなり、その切り口からは緑がかった粘液がとろりと流れる。
「だが、ここまでだったな!」
……そして、シャルール・クロワイアントが次なる怪物を生み出して延命しようと試みるより先に、ソルが上空から迫っていた。
ソルのナイフは深々とシャルール・クロワイアントの肩口に突き刺さり、彼に悲鳴を上げさせる。
「私を忘れてもらっては困る!」
更にそこにヴィアがぴょこんと乗っかり、シャルール・クロワイアントの手から何かをぬるりともぎ取った。
「それは……!」
シャルール・クロワイアントがヴィアに気づいてすぐさま手を伸ばすが、その手はパクスの足によって踏み落とされる。その勢いにぽよよん、と弾き飛ばされたヴィアはベラトールの手の中にすぽりと着地し、そして、ソルは倒れたシャルール・クロワイアントの手の甲に、もう一本のナイフを勢いよく突き立てた。
「他愛ねえな」
勇者を陰で操った人間。ある意味では、魔物の国を滅ぼした真なる敵。
……そんな人間が自分の足の鈎爪の下で悲鳴を上げているのを見下ろして、ソルは何ともひやりとした感情に満たされる。
即ち、他愛ない、と。
……この程度の奴に、自分達の祖国は滅ぼされたのか、とも。
「あいつが持ってやがったもん、見せてみろ」
「ふむ。どうやらこれのようだが」
ソルはシャルール・クロワイアントの見張りをパクスに任せると、ヴィアが先程奪っていったものを検分する。
……それは、装飾された宝石のようだった。そしてそれに、ソルは見覚えがある。
「……これ、魔王様のだな」
深紅のルビーを囲むように黄金細工が巡らされたそれは、かつて、魔王が身に着けていたものである。
魔王としての正装の中に含まれる由緒正しい宝玉であったが、レリンキュア姫などは『いずれ妾があれを引き継ぐ訳だが、あの色がどうにも強すぎてな。妾には合わん。せめて青にしておけばよいものを、何故あれはああも赤いのだ。趣味が悪い』などと冗談めかして言っていたのを覚えている。
「特殊な魔法が込められて……いるのだろうか。うーん、私には分からないな」
「ベラトールは?」
「生憎、そういうのは苦手でね」
ベラトールが嘆く横で、ソルもまた、頷く。……ソルもまた、魔法を読み解くのはあまり得意ではない。だが、この中で一番マシな方だろう、と踏んだソルは、集中して宝玉を見つめ始めた。
……煌めく深い赤色の奥底に、ふと、先日戦った宝石の竜に似た気配を感じる。
もしや、と思ってよくよく確かめてみると……成程、確かに、宝玉の中には『魔力を与え魔物とする力』が残っているように見えた。
この宝玉が元々その用途のために作られたものなのか、はたまた、魔王が身に着ける内にそうした力を持つようになったのかは分からない。だが、ひとまず……シャルール・クロワイアントはこの宝玉を用いて怪物を生み出していたのだろう。
「手の内が分かって安心したぜ」
ソルはため息を一つ吐くと、宝玉をそっと、懐にしまった。……いつか、いずれ、この宝玉は魔物の国へ還す必要がある。そして、もしその時に実現可能なら……敬愛する魔王と、次期魔王であったレリンキュア姫との墓を設けて、そこに供えたいと思ったのだ。
自分達に墓は無い。棺すら、無かった。
……だから、全てが終わったなら、それを望もうと思う。
そう。全て、終わってから。
「舐められたものだ……まさか、ここで、終わりだとでも?」
パクスが押さえつけ、時々蹴りつける下で、シャルール・クロワイアントがそう、呻いた。
「ま、『ここで』ってことなら、そうだろうな。少なくともお前は、ここで終わりだ」
ソルがそう返せば、シャルール・クロワイアントは怒りの籠った目でじっとソルを見上げてくる。
「私1人でも、悍ましい魔物を殺すには、十分……!」
「へえ、そうかよ」
ソルはパクスに合図して、シャルール・クロワイアントの上から退かせる。去り際にパクスが強く蹴りつけたせいでシャルール・クロワイアントは大きく咳き込み、また、ソルが先んじてナイフで刺しておいた傷口からは絶えず血が流れている状態ではあったが、それでも何か、魔法の動く気配がする。
「……あいつも魔力を持つ人間、ってことかい」
「ま、だろうな。そう多くはなさそうだが、それでも魔力を持っていなけりゃ、この宝玉も使えねえだろ」
「でもなんか変なかんじですねえ」
「だな。ま、勇者が作れるってんなら、こいつも自分で自分を作り替えたのかもしれねえな」
3人はそんなことを話しながら、シャルール・クロワイアントの魔法が終わるのを待つ。……魔法を使っている相手に下手に突っ込んでいけば、魔法に巻き込まれて妙なことになりかねない。こういった時は外に出せる魔法をぶつけてやるのが一番良いのだろうが、生憎、アレットでもない3人は外に出す形で魔法を使えない。
パクスが適当に石を投げてシャルール・クロワイアントにぶつける中、シャルール・クロワイアントは姿形を変えていく。
首がメキリ、と伸び、肩ががぱりと割れたかと思えばそこから複数本の腕が伸び、腹を突き破って何本目かの脚が伸び……。
「うわ、気持ち悪いなあこいつ!」
パクスが正直な感想を漏らすが、正にその通りだ。
異形の怪物……魔物とは明らかに異なるその『何か』へと姿を変じさせて、シャルール・クロワイアントは吠える。
「神の意に反する、愚かな生き物め!貴様らはここで、死ね!」
鎚や鎌のように変じたその腕を振り上げて、シャルール・クロワイアント……否、シャルール・クロワイアント『だった』ものが、襲い掛かってくる。
「その『神』ってのは、一体誰のことなんだろうな」
ソルは皮肉気に笑って、ナイフを構える。横でパクスが毛を逆立て、ベラトールが爪を構えた。
……そうして、人間の国の聖堂で、人間ならざるもの達の戦いが始まった。
ソルのナイフが宙を閃けば、シャルール・クロワイアントの腕がすぱり、と落ちた。尤も、複数本ある腕の内の1つが消えたところで大した痛手ではないのだろうが。
「こんな奴に負けてたまるか!よーし、また一本!」
更に、パクスが力任せに腕をへし折って、引き千切り、更に噛み付く。シャルール・クロワイアントの悲鳴が上がるが、その悲鳴すら最早変質しきって、屠殺される豚か、はたまた粘つく液体の吹き出す音か、といった様相である。
「妙な姿になったもんだね、こいつは」
やみくもに振り回される鎚の1つをひらりと躱して、ベラトールはその腕の内側へと潜り込む。そこですかさず爪を繰り出せば、シャルール・クロワイアントの胴に届いて深く切り裂いた。
ベラトールが切り裂いた胴からは、ごぽり、と、粘つく黒い血液が流れ出す。
……すると、その血液が地面に落ちた途端。
じゅ、と嫌な音がし、煙が上がった。ベラトールはぞくりと怖気を感じて、すぐさまその場を離れる。さっきまでベラトールが居た場所にぼたりと固まって落ちた血液は、じゅうじゅう、と音を立てて地面を……溶かしていく。
「気を付けな!こいつの血は妙だよ!」
「ええー!?なんだこれ!?」
ベラトールが警告すると、ソルはすぐにさっと飛び離れ、パクスはというと……血液にうっかり触れてしまったらしく、その個所の毛を一部、溶かされていた。
「毛が溶けた!?」
「馬鹿、パクス!離れな!」
パクスが『ええー!?』と驚いているのを引っ張って、ベラトールはその場から撤退させる。そうすればパクスも、後は体が勝手に動いたらしく、軽やかな身のこなしでその場を離脱し、迫ったシャルール・クロワイアントの腕を払いのけ、更にその内の一本をまたもへし折ることに成功した。
「パクス!大丈夫か!」
「大丈夫です、隊長!ちょっと肘の毛が無くなりましたけど、それだけです!……あれっ!?もしかして俺、肘の手触り、悪くなったんじゃあ!?」
ソルは慌ててパクスへ声を掛けるものの、パクスはすこぶる元気な様子である。心配して損をしたかもしれない、とソルはちらりと思った。
「元々肘なんて撫でられてねえだろうが!尻尾と腹だけ用意しとけば十分だろ!」
「それもそうか!よーし!がんばるぞー!」
「頑張るのはいいが、血には触れるな!できる限り、傷を増やさずに仕留める!」
ソルが声を掛ければ、早速、ベラトールも爪による斬撃ではなく、打撃へと切り替えて戦い始めたらしい。パクスは元々が打撃ばかりの戦い方なので、後は『胴体は噛むんじゃねえ、馬鹿』とだけ言ってやればいいだろう。
……そして、ソルは。
「……あんまり得意じゃねえんだけどな」
速さこそあるものの、重さは然程、無い。そんな体で刃物を使わずに戦うというのは、中々に厳しい。だがそれでもやらねばならないというのであれば、やるしかないだろう。
ソルは手近なところに落ちていた、元は鉄の柵の一部だったのであろう棒を手に取ると、それを持って、空へと一気に舞い上がった。
シャルール・クロワイアントはそれからも随分と暴れた。すばしこく動くベラトールの片足を掴んで、殺す寸前まで追い詰めさえした。
しかし、それが成功することもなく、ベラトールには逃げられ、側頭部をパクスの強烈な体当たりに揺らされ、次いで脳天から鉄の棒で殴りつけられてその場に倒れる。
それからは魔物達の猛攻によって、ひたすらに体力を失っていった。
そして、シャルール・クロワイアントがその中で何を思っていたかといえば。
「魔物め……決して、決して、許すものか……!」
……魔物への、憎悪である。




