魔王*2
「なんだと?俺の元を去ろうというのか?」
アシル・グロワールが途端に焦燥を露わにしてきたのを見て内心で笑いつつ、アレットは尚も沈痛な表情で続ける。
「身分が違い過ぎます。それに、立場が、あなたの隣に居るにはあまりにも……違い過ぎるんです」
「そんなものは関係ない!」
ますます強く語調を荒げるアシル・グロワールの前で、アレットは……俯きがちに、言った。
「関係ない、とは思えません。だって騎士団長殿は、王子様なのですよ?この国を、率いていく方です。だから……私はあなたの足枷になってしまいます。私は、私は……あなたの望みを妨げる存在には、なりたくないのです!」
アレットの悲痛な声を聴いて、アシル・グロワールはただ黙って、そんなアレットを見つめていた。
……だが。
「いや、関係ないんだ、フローレン」
俯いたアレットの顎にそっと指をかけて上向かせながら、アシル・グロワールは優しい微笑みを浮かべる。
「俺の望みは、王位ではないからな」
「へ?……な、なりません、騎士団長殿!あなたは、あなたは、王位を望むに足る器の持ち主です!それが、どうして……」
「他にもっと大切なものを見つけたからだ」
アレットにそう微笑みかけて、アシル・グロワールはそう言う。
「王位など、要らない。城に居場所が無いというなら、喜んで出ていこう。ああ、そうだ。俺を裏切った祖国くらい、捨ててみせるさ」
「騎士団長殿……」
……実に、感動的である。
だが、困る。
何故なら、アシル・グロワールには人間の国を滅ぼしてもらわなければならない。だから、アレットはアシル・グロワールがフローレンへの思いなど口にするより先に、言うのだ。
「……私は、騎士団長殿が王位に就くべきだと思っています」
「能力ある者を不当に追い出して、王位にしがみ付こうとする者が王になるなど、許されてはいけないと、思います」
アレットは強硬に、それこそ先程までのアシル・グロワール並みに焦燥を露わにして話し始める。
「だって、騎士団長殿は誰よりも、様々なことに励んでおられます!私達が付いていきたいのは、第一王子ではなくあなたなのです!……大切な人が蔑ろにされていて、黙っているわけには、参りません」
「フローレン……」
アシル・グロワールは胸を打たれたような、そんな表情でアレットを見つめる。自分をこれほどまでに想う人間が、今まで周囲に居なかったのかもしれない。
「だから……だから、どうか、多くを望んでください。私は、もっと騎士団長殿に高望みをしてほしいのです!」
ましてや、『高望み』など。それを現実味も無くただ押し付けてくる母親と、それを阻止しようと押さえつける兄と。それらに囲まれて、どうして『高望み』など、できただろうか。
「あなたが王になれば、この国はきっと、もっと、良くなる。私のような者が、人々と手を取り合って堂々と生きていられるような、そんな世界を創ってくださる。そう、思えるのです」
そして……理想。
それを抱くことすらなく生きていたアシル・グロワールに、今、初めて理想の国の姿が見えたのだ。
愛しい者が迫害されない世界。それを自分が生み出したなら、『フローレン』はより、喜ぶのではないか、と。それを果たした暁には、『フローレン』は自分と共に在ることを受け入れてくれるのではないか、と。
「あの、騎士団長殿に王位より大切なものがおありだというのならば、それは勿論、手に入れるべきです!しかし……それは、王位と共に、両方手に入れることができるものでは、ないのですか?もし、両方手に入るならば、是非、両方を望んで頂きたいのです!」
……『フローレン』のような者が受け入れられる世界ができたなら、その時は、自分が王城に居ながらにして、『フローレン』を正妻とすることもできるのではないか、とも、アシル・グロワールは考えただろう。
「……少し、考える時間が欲しいな」
アシル・グロワールはそう言って、アレットをじっと見つめる。そしてアレットの存在を確かめるようにすると、笑みを浮かべた。
「何せ、俺は今まで高望みなんてしたことが無かった。それを急に、高望みしろと言われてもな」
「ああ……そう、ですよね。出過ぎたことを申しました。騎士団長殿がお望みでないことを、私は……」
「いや、分からんぞ。案外、俺も高望みするようになるかもしれない」
アレットが縮こまるようにしていると、アシル・グロワールはますます笑みを深めて言った。
「……妙な気分だ。野心などとは縁遠い性格だと思っていたのだがな」
「野心、ですか」
首を傾げて尋ね返せば、アシル・グロワールは窓の外、暮れゆく空を眺めてただ笑った。
さて。
アレットは、ここからどのようにして魔物の国へ勇者達を連れていくべきか、考えていた。
勇者達を一度人間の国から引き離すことで、人間側の戦力を大幅に削りたい。その間に、ソル達が人間の国にある魔力を回収していく手筈なのだから。
ついでに、アシル・グロワールが後戻りできなくなってから『実は私、魔物なんです』と明かす方が何かと都合がよいため、やはりここは、アシル・グロワールだけでも魔物の国へ連れていきたいところなのだが……。
こんこん、とドアがノックされる。それを聞いてアレットが戸を開けに出向けば、そこに立っていたのはレオである。
「あ、お前も一緒だったのか」
「うん。どうしたの?」
アレットが首を傾げていると、レオは少々気まずげにアシル・グロワールを見て、それからアレットをまたちらりと見て……言った。
「あー、そっちは、結局この後どうするんだ、って聞きに来た」
「どうする、とは……?」
要領を得ないレオの話にアシル・グロワールが困っていると、レオは何やら思い切ったらしく、思い切った言葉を発した。
「……魔物の国に、行かないか」
「その、そっちはどのみち国外追放されそうなんだろ?なら、魔物の国に逃げるのも手だろ」
「……まあ、確かに我々が魔物の国へ行ったなら、兄上達の警戒はひとまず解けるだろうな」
アシル・グロワールはそう呟いて、ふむ、と唸る。
現状、アレットが推察した通り、第一王子達は魔物の国の征服を望んでいるらしい。その為に勇者達が必要であり……その為なら、多少、アシル・グロワールや他の勇者への警戒を緩めざるを得ない。
「……それで、俺は第一王子に復讐したい」
そしてレオはそんなことを唐突に言ったかと思えば、その青空色の瞳の奥にめらりと憎悪を燃やしてアシル・グロワールをじっと見据えるのだ。
「俺を好きなように使った挙句、見殺しにしようとしたあいつを許さない。……それなら、あんたと利害が一致するだろ」
アシル・グロワールとしては、この申し出はあまりにも唐突で、かつ、予想していなかったものだっただろう。何せ、彼はレオのことをどちらかといえば敵と考えていたのだから。
「……復讐、か。俺のことはいいのか」
「……あんたについては、俺も奪ったりなんだり、してるからな」
「ふむ。そうか……」
だが、レオの返答を聞いて、アシル・グロワールはふと、表情を崩した。『しょうがないな』というように。
「そういうことなら、魔物の国へ一度渡るのも悪くはないな。兄上を油断させておくためにも」
そしてアシル・グロワールは決断する。数々の言葉に踊らされ、希望に憑りつかれて、生まれて初めての野望を胸に。
「魔物の国へ行こう」
……後戻りできない決断を。
「……おーおーおー、まさか、人間がいるとはなあ」
「なっ……何故、魔物がこんなところに」
ソル達が魔力に惹かれて向かった先、古びた聖堂には、1人の人間が居た。
多少、見覚えがある。レオ・スプランドールの従者として活動していた男……シャルール・クロワイアントだろう。
「そりゃ、決まってんだろ。お前と同じさ。ここの魔力を頂きに来た」
そして、ソルはにやりと笑う。……この人間自身は碌に魔力を持っていないらしいが、それはそれ、だ。
ここに来たということは、魔力を欲してきたのだということ。そして……魔力を操る手段を持っている、ということだ。
そんな人間は、殺しておくに限る。
「さあて、早速だが……死んでもらう!」
ソルはすぐさまナイフを抜き放ち、そして、そんなソルより先にパクスが飛び出し、後にベラトールが続いていったのだった。