魔王*1
「おおー!ヴィア!ヴィア!久しぶり!お帰り!」
「パクス!いやはや、相変わらずの煩さじゃあないか!……あっ、やめてやめて、揉まないでくれたまえ!ちょ、なんで!なんでそんな乱暴な!あっあっ!」
ソル達は、改めてヴィアとの再会を喜んでいた。場所は森の中、崖の下ではあるが、人間の国の中であることに変わりはない。油断はせず、しかし、どうにも緩む口角を抑えることはせず、ただ、今は仲間との再会を喜ぶ。
「それにしても大したもんだな。死んだ後にまだ生きてる、ってのは」
「むう……一応、勘違いしないでもらいたいのだが、私と大きい私は別の生き物なのだ。元が一緒だったというだけで」
ソルの呆れたような笑みに少々歯切れの悪い言葉を返しつつ、ヴィアはもじもじと動く。『死んだのに生きている』ということが多少、気まずいのだろう。
「ま、そこらへんも分かっちゃあいるけどね。それでも会えて嬉しい、ヴィア」
「ああ、私もです、ベラトール嬢!あなたのその美しいペリドットの如き双眸に再び見つめていただける日が来るとは!ああ、何たる、何たる至福!」
ヴィアが、ぴょこん、と跳ねてベラトールの胸元に飛び込もうとすると、『嬉しいけど煩いねえ』とベラトールは笑いながらヴィアを叩き落とす。ぺち、とヴィアは地面に落下し、『ああん!無情な!』と嘆いた。何をされてもこの煩さは健在なようである。
……このヴィアはソル達のために神の力の欠片を消化して死んだヴィアとは異なるヴィアだが、それでも皆、この煩いスライムとの『再会』を喜んだ。
「で、お前、アレットのところにはもう戻らない、ってことか」
しばし、ヴィアの煩さを堪能したところで、ふと、ソルがそう、言う。
「ああ、その通りだ。アレット嬢は、もう私に戻ってこなくてもいい、と言っておられた」
それにヴィアが答えれば、ソルは黙って納得した。……こうなるだろうな、と、どこかで思ってはいたのだ。
「あの麗しく気高く美しい戦士は、覚悟を決めておられる」
「……そうか。ま、あいつらしいけどな」
孤独を嫌う蝙蝠が、1人、敵地に取り残されている。その胸中を思って、ソルは目を伏せた。……隊長として、副長の手を放すようなことはしたくなかったのに。
「えっ!?じゃあ先輩、独りぼっちじゃないですか!大変だ!」
……だが、周回遅れでパクスがその事実に気づいたことによって、しんみりと何かを考えるどころではなくなった。良くも悪くも、これがパクスの持ち味である。
「大変だ!大変だ!……あっ!いいこと思いついた!ヴィアがこっちに来たなら、じゃあ、俺がヴィアの代わりに行ってきます!」
「止めとけ馬鹿。お前みたいな図体のデカい馬鹿がいきなり転がり込んできてもアレットが困るだけだぞ」
「ああー!俺もヴィアぐらい小さくなれたらなああああー!」
……ソルに首根っこを掴まれて止められたパクスがそう悔しがりつつ遠吠えする横で、パクス以外の3名はそれぞれ『こいつは小さくなっても煩いのでは?』と思ったが、それを口に出す者は居なかった。……ただ、皆、笑みを漏らしてはいたが。
「さて。そういうわけで、私はすぐに戻らなければならないわけではない、ということだ。まあ、そうでなくても手短に話そうと思うがね」
皆で一頻りパクスの尻尾を撫でまわした後で、ヴィアがそう、切り出した。
「お嬢さんが私をこちらへやったのは、一方通行であろうとも情報を提供すべきだと判断したからなのだ」
「ああ……まあ、だろうな」
ソル達はヴィアを囲んで、早速話を聞く。離れて過ごすアレットのことなら何でも知りたい、という気持ちで。
「魔物の国の為に我々にできることは、人間の国にある魔力を回収することだ。お嬢さんが勇者3人を連れて、魔物の国へ戻っている、その隙に」
3人に囲まれつつ、今誰よりも小さなヴィアは、それでも朗々と、舞台役者かのように声を上げる。
「勇者を生み出す根幹を、潰すのだ。そうして勇者無き世界を生み出そう。それができれば……!」
「……人間を滅ぼすことも容易い」
後を引き継ぐようにソルが言えば、ヴィアは『その通り!でもそこは私が言いたかった!』とぷるぷる抗議を始めた。
だが、魔物達はそんなぷるぷるした抗議が気にならない程、気分を高揚させている。
……延々と奪われる側であった魔物達が、ようやく、奪う側になるのだ。
「えーとじゃあ、人間達が魔物の国へ行っている間に……んっ!?人間共は魔物の国へ行くっていうんですか!?何のために!?」
「まあ、聞きたまえ。パクスにも分かりやすいように説明してあげようじゃあないか」
情報を整理しようとして余計にこんがらがったらしいパクスにぷるんと揺れてから、ヴィアは少々得意げに解説を始める。
「まず、現在人間の国は3つに割れているのだ」
「1つは第一王子の派閥。こちらは王位継承権第一位であるはずなのに、何故か第二王子を殺そうと画策している。ついでに魔物の国も得ようとしている強欲共でもある。これらは大聖堂と手を組んで、今、『勇者の排除』を行おうとしているのだよ」
「ええーっ!?なんで!?なんで人間が勇者を排除するんだ!?駄目だ俺にはもう分からない!」
「はえーぞパクス。まだ1つ目っつってるだろうが」
早速にしてパクスが頭を抱え始めたのを横目に、ソルはヴィアに続きを促した。ヴィアが分かりやすく解説しても、パクスには意味が無いらしい。後で『なので自分達はどう動くべきか』だけ解説してやろう、と、ソルとヴィアは顔を見合わせて頷いた。
「では……何故、人間が勇者を排除しようとしているかといえば、用無しになるからだ。魔物の国さえ滅ぼして自分達のものにしてしまえば、それ以上、『自分の意思を持って動く武力』などという恐ろしいものを抱えていない方が安全だからね」
ソルは『だろうなあ』と、半ば呆れつつも頷く。以前から、ソルは勇者が人間の国で厄介者扱いされる未来を見ていたが、今、正にそのような事態となっているらしい。
「ついでに第一王子は、第二王子を人為的に勇者とすることで、今、第二王子を他の勇者とまとめて排除しようとしている」
「その為にわざわざ勇者にしたってのかい?回りくどいね」
「まあ、レオ・スプランドールを排除するためにはどのみち、勇者の印象を落とす必要がありますからね。王族ともあろう者を排除するには、レオ・スプランドールと一纏めにして勇者自体の排除とした方が得策だったのでしょう。第二王子が勇者の力と称号を得れば、第二王子派の者達も警戒を緩めるでしょうし」
そんなもんかい、とベラトールはひとまず納得する。人間達は能力より身分で優劣が決まるらしいと聞くが、その結果がこうした判断なのだろう。
「或いは、『勇者が王位に就くという前例を作ってはいけない』っつう理屈で通すつもりだったのかもな。元々、王家は反勇者の立場だった。それなのに勇者でもある第二王子を王位に就けるとなれば、親勇者側の人間が黙っちゃいないだろうしな」
「うわー、もう俺は考えることを諦めました。隊長、後はよろしくお願いします!」
パクスがいよいよ降参したのを苦笑しつつ撫でてやって、ソルはヴィアに続きを促す。
……パクスが参ってしまったところではあるが、まだ、3分の1だ。
「……さて。2つ目の派閥が第二王子派だ。今の王后は第二王子の母であるらしく、第二王子を世継ぎに、と動いているようでね。しかし、能力が高いとは言い難く、現状、第一王子側に後れを取っていると言わざるを得ない。実質、第二王子が一人で戦っているようなものだな」
「……あの人間、不憫だね」
「まあ、うん、はい、そうですね……アレット嬢に惚れてしまったということも含めて、実に、不憫な……哀れな人間だと思いますよ、本当に……」
アシル・グロワールについて話し始めた途端、早速魔物達が何とも言えない顔になる。
……腹違いの兄から命を狙われ、味方である母親に大した能力は無く、そして、勇者の力を手に入れてしまったがためにますます追われることとなり……何より、魔物であるアレットに騙されて、惚れている。
どう考えても、この世で最も不憫な人間である。間違いなく。
「ま、いいや。あいつがどうこうってのは、まあ、ほっとくとして……第二王子派は、どういう動き方してるんだ」
「主に第一王子派からの攻撃に抵抗している、といったところかな。ああ、それから、最近生まれてしまった第三の派閥である『スプランドール兄妹』がアレット嬢を通して味方になったからね、そことのやりとりも行っている」
要は、人間達の派閥の中で今最も力の無い派閥、ということである。
武力という点では、純正の勇者であるレオ・スプランドールを凌ぐ武力を持っているため、それなりのものではあるのだが……如何せん、政治的な立ち回りが全て後手後手なのである。そのようにアレットが仕向けているとはいえ、なんとも精彩を欠く有様であった。
……そう。アレットが、仕向けているのである。
「……まあ、それでも第二王子派最大の特徴は、実質、魔物の傀儡になっているところだな……」
ヴィアがそう言えば、魔物達は皆、何とも言えない顔になる。
まさか、人間、それも勇者であり人間の国の王子でもある者が、魔物に懸想するあまり国を傾かせているとは、なんとも哀れな話である。
「……アレットがうまくやってる、ってことだね?」
「ええ、ええ。アレット嬢はそれはそれはもう、上手くやっていて……当初予定していなかった程度にまで、あの第二王子はアレット嬢に惚れてしまっております……多分、このままだと奴はアレット嬢のために国を捨てますよ」
「よく分からないけれど先輩はすごい!流石先輩!先輩は世界一!」
パクスが『先輩の話なら俺にも分かる!』とばかり、途端に元気になってぶんぶん尻尾を振り始めたところで、ヴィアはささっ、と次の話へ移ることにした。これ以上、アシル・グロワールについて話すことは無い。精々、『如何に人間の女傭兵フローレンに惚れこんでいるか』という程度のことしか話せない以上、ここらで話を打ち切るに限る。
「では……最後に、第3の派閥だ。それこそが『スプランドール兄妹』!」
そうして3つ目の派閥に話が及んだ時、ヴィアは元気にぴょこんと跳ねた。
「実の兄妹にして、どちらも勇者。兄と妹、お互いがお互いを大切に思っているがために、レオ・スプランドールが第一王子派の傀儡ではなくなり、更に、同じく第一王子派に属する大聖堂が傀儡にしようとしていた妹のエクラもまた、そこから離反する意思を見せている!今、第一王子派を凌ぐ勢いを持っている派閥だ!そして、そう!その勇者兄妹を生み出した立役者!それが……」
「先輩!アレット先輩!流石先輩!」
「いや、私なのだが……」
……元気なパクスに話の腰を折られて、ヴィアは、しゅん、とする。小さなスライムがふるん、と力なく揺れるのを見て、ベラトールがよしよし、とばかり撫でてやれば、途端にまた元気になったが。
「……ま、まあ、アレット嬢の働きも素晴らしかったとも。勇者になりたてのエクラ・スプランドールを早々に手懐け、それを餌にしてレオ・スプランドールも手懐けた。更に、アレット嬢の働きにより、第二王子派とスプランドール兄妹は手を取り合うことになり……要は、3人の勇者が手を取り合う事態となっている」
人間の国の大きな揺れ方を思い、ヴィアが感動に身を震わせていると、つん、とそんなヴィアをつつきつつ、ベラトールが首を傾げて訝しむ。
「……第一王子側は何してたんだい?みすみす、勇者を3人もくっつけちまうなんて、何を考えてる?」
ベラトールの疑問も当然のものだろう。第一王子側は、勇者達を『勇者だから』という理由で排除するにしても、3人もまとめてしまうべきではなかったのだから。
……だが。
「そうですね……恐らく、これは第一王子側が予想していなかった展開なのです」
ヴィアはつつかれ心地にうっとりしながらも、あくまでキリリとそう、主張する。
「まず、第一王子側の想定では、『エクラ・スプランドール』という新たな勇者は生まれないはずだった。そして、レオ・スプランドールに婚約者を奪われたアシル・グロワールはレオ・スプランドールを憎み、そこと協力関係になるはずはなかった」
「でも実際は、そうならなかった、と」
ベラトールの声に応えるように、ヴィアはぷるるん!と胸を張って、堂々と答えるのだ。
「ええ!何せ、エクラ・スプランドールが私によって勇者となり!更に、アシル・グロワールは元の婚約者などどうでもよくなるほどに、『フローレン』に惚れてしまったので!」
「成程ねえ……つまり、アレットが引っ掻き回したせいで、人間の国は今、王家対勇者、っていう構図になってるのかい」
「ええ、ええ。これは最早、何の能力も無い王族と、勇者のどちらを王位に据えるべきか、という内乱の様相を呈してきています。これによって、人間の国は存分に割れ、滅びまでの時をより縮めてくれることでしょうとも!」
ヴィアはアレットの手柄を我が事のように喜び、ぷるん、ぷるん、と揺れる。それに合わせてパクスも元気に尻尾を振るものだから、中々、見た目に騒がしい。
「更に、その王家は勇者達を魔物の国へ追いやって、そこで魔物の国を滅ぼさせるつもりでいるのですよ」
そんな騒がしい中で、ヴィアがそんなことを言うものだから、パクスは早速『何だって!?ならすぐ魔物の国に帰らなきゃ!』と騒ぎ始めるが、ソルはそれを黙らせつつ、にやりと笑う。
「……だが、魔物の国は滅びない。そういうことだろ?」
「ええ。アレット嬢は、ここで賭けに出るそうですよ」
ヴィアもこぽり、と、小さな体に小さな泡を躍らせて答える。
「アシル・グロワールが後戻りできなくなったところで、自身が魔物であることを明かすつもりでいるようです。そして……魔物の国と勇者、手を取り合う未来、とやらを提案してみるとか」
「……あいつがどれぐらい、あの人間を絆せたかで決まる、ってことか」
「ええ。ですが、上手くいくことでしょう。既に第二王子には何も残っていない。王城に留まり続けても良い待遇は得られず、味方は無能だと分かっている。彼に残されたものはもう、『フローレン』という希望だけなのですからね!」
ヴィアはそう言ってこぽこぽと泡立ちながら……ふ、と声を潜めて、また、言う。
「ですので我々が行うべきは、人間の国にある魔力の回収。そして……先んじて殺しておくべき存在を、殺しておくことです」
一方、大聖堂の客室。アシル・グロワールに改めて与えられた客室で、アレットとアシル・グロワールは2人、話していた。
「……な、成程。お前のところにはこのような手紙が来ていたのだな」
「はい。そしてこれにはお返事なんて出していません。私が騎士団長殿の元を去ろうとしている、というのは誤解です」
アレットがアシル・グロワールに手紙を見せて、誤解を解いていたところである。要は、『城へ戻ってくるな』という内容の、例の手紙だ。
『フローレンが自分の元を去ろうとしている』と思っていたらしいアシル・グロワールは心底安堵したらしく、崩れ落ちるように椅子へとぐったり凭れ、そして、アレットがにこにこと微笑みながら注いだ茶を飲んで、またその表情を緩めた。
「そうか……全く、兄上も碌なことをしないな」
結果だけ見れば、見事に裏目に出た第一王子からの手紙であるが、だが、恐らく、こうなる可能性も第一王子は予見していたはずだ。
……『フローレン』の心がどうであれ、『城に戻って来たなら相応の罰を与える』というような内容の手紙を送ってきているところから見れば、アシル・グロワールから『フローレン』を引き離すか、或いは、アシル・グロワールを城から追放するか、はたまた両者を名実ともに国家への反逆者とするか……そのいずれかの選択を強いているのだから。
「ただ……やはり、お傍仕えするのは厳しいのではないか、とも、感じております」
だからこそ、アレットは沈んだ表情で、そう言うのだ。
「ですので、どうか、お暇を頂きたく」
より強く、アシル・グロワールを惹き付けるために。