反乱*6
それから。勇者達は、大聖堂の正面玄関である、大礼拝室に居座っていた。
そこには既に大聖堂の人間達が避難してきており、勇者達はそれら民衆を守るように、大聖堂の入り口に立っているところである。
勇者が動かないことについて、民衆は多少、ざわめいた。だが、勇者達は動かない。魔物を倒しに大聖堂の外へ出向くことはせず、あくまでも『本当に危なくなった時以外は動かない』という姿勢を明らかにしている。
「おーおーおー……見ごたえがあるねえ。勇者が3人揃って、動かねえとは」
フェル・プレジルが苦笑する横でアレットも笑いつつ、この状況を楽しむ。
……今、大聖堂内部では恐らく、大神官がシャルール・クロワイアントを責め立てているところだろう、と思われた。これは一体どういうことだ、と。
勇者3人からしてみれば、魔物の襲来はまたシャルール・クロワイアントの手によるものだと考えるのが自然だ。だから当然、動かない。
その一方で、シャルール・クロワイアントには怪物を生み出した覚えが無いのだろう。つまりこれは罠でもなんでもなく、事実そのまま、魔物の襲来、なのである。だが、それを大聖堂側は知らないのだから、大神官も勇者も、皆でシャルール・クロワイアントを責めるばかりとなってしまうのも仕方がない。
一度嘘を吐いたと露見した者は、信用されなくなる。
アレットは『明日は我が身、とはならないようにしなきゃね』と神妙な思いで誰にともなく頷くと、大聖堂が困り果てるこの現状を、もうしばらく観察しておくことにした。
……一方、大聖堂側は案の定、混乱していた。
「シャルール!これは一体どういうことだ!?」
そして、大神官に詰め寄られて、シャルール・クロワイアントは只々、青ざめることしかできなかったのである。
……大聖堂の見張り塔からは、確かに、魔物の姿が見えている。その数はたった3体だが、逆に言えば『たった3体で人間の国に乗り込みここまでやってくることができた強者』である。侮ることはできない。
それでも、最初は然程、心配していなかったのだ。魔物が如何に居ようとも、こちらには勇者が3人も居る。そう思っていたシャルール・クロワイアントだったが……鐘を鳴らしても、勇者達は誰も、動かなかった。
エクラ・スプランドールまでもが動かなかったのは、間違いなくレオ・スプランドールによる指示だろう。アシル・グロワールが協力しないのはまあ、大聖堂から出た声明のことがあったから仕方ないとしても、それでも、あの正義感の強い愚かな第二王子が意地汚くも『動かない』ことを選択するなどとは、思わなかった。「何としても勇者を動かせ!あの魔物に大聖堂が襲われたら、どうする!」
「礼拝堂に勇者達は居るようですので、死者は出ないだろうと思われますが……」
「それがどうした!死者が出ないことより、神への祈りの場に魔物が踏み込むことを案じるのだ!」
大神官はこの通り、強硬な姿勢を貫くつもりらしい。おかげでシャルール・クロワイアントは今、板挟みとなってしまっている。
……『フローレン』と名乗った女傭兵が言っていた言葉が、ふと、思い出される。『第一王子はあなたを守ってはくれませんよ。あなたがレオ・スプランドールを守らなかったのと同じように』。そう、彼女は言っていたが……。
「まさか、ここでも、そうなるとは……」
シャルール・クロワイアントはそうぼやきながら、この状況をどうすべきか、考え、考えても出ない答えに焦れる。
「シャルール!とにかく、勇者を動かせ!エクラ・スプランドールだけでもいい!」
「……はい」
だが、まだ望みは捨ててはいけない。できるなら、魔物相手に死んでもいい他2人の勇者を動かしたいが、今一番動かしやすそうなのはエクラ・スプランドールである。彼女の敬虔な様子を見る限り、神を引き合いに出せば多少、望みがありそうに思えた。
……そうして、シャルール・クロワイアントは3人の勇者と多くの民衆が集まる礼拝堂へ、赴くことになったのである。
「……何の用だ?」
そこで、シャルール・クロワイアントはレオ・スプランドールに凄まれた。他にも数名、神官を連れて行ったのだが、決して育ちの良くないレオの剣呑な表情に、上品な育ちをしてきた神官達は怯んでしまって話にならない。
「大聖堂の外に、魔物が居る、とのことでした」
「ああ、知ってる。で?」
レオ・スプランドールの取り付く島もない様子に、シャルール・クロワイアントはどうしたものか、と頭を抱えたくなる。
「魔物が居るから倒してこい、って言いたいのか?なんで俺達が働かなきゃならねえ?……おい、シャルール。お前、どのツラ下げて俺の前に出てこられた?お前、『レオ・スプランドールのことは裏切ってもいいと思ってる』、んだったな?」
シャルール・クロワイアントはアレットに目を向けたが、アレットは『しーらない』という顔でそっぽを向きつつ笑みを漏らすばかりだ。これにはシャルール・クロワイアントも、神官達も、青ざめるしかない。
「しかし……勇者として、人々を」
「人々を守った結果が牢屋だった。次に働いたら今度は処刑台か?笑わせるよなあ。ああ、当然だが、エクラも行かせねえ。妹を牢屋に入れるわけにはいかねえからな。だから後はお前らが勝手にやればいい。ああ、安心しろ。自分の身は自分で守る」
レオ・スプランドールがエクラを引き寄せつつそんなことを言うので、神官達は皆、困り果てる。大聖堂側に引き入れたと思っていたエクラが、兄の登場によって一瞬で寝返ってしまった、と思っているのだろう。まさか、初めから寝返っていたとは思っていないらしい。
だが、神官達は……特に、シャルール・クロワイアントは、ここで勇者を働かせなければならないのだ。
大聖堂の人間ではなく、大聖堂そのものを守らなくてはならない。その為には、先んじて、魔物に勇者を向かわせるべきだろう。
となれば……残る勇者はただ1人、だが。
「……俺に働け、と言いたいのだな?」
ぎろり、とアシル・グロワールが睨んでくるのを見て、シャルール・クロワイアントは最早、どうすることもできないことを悟ったのだろう。青ざめ、震えながらもじっと、アシル・グロワールの前に立つ。
一応、シャルール・クロワイアントは王家の要請に応えて動いている、という大義名分がある。その『王家』が第一王子のみを指すとしても、ひとまず、名分はある、と思い直し……。
「その後で俺を追い出すつもりか」
「そんな!一体何を仰るのですか!私は王家の忠実な……」
「面白い冗談だな。俺は王家の一員ではない、と言いたいのか」
……そして、アシル・グロワールには最早、何の願いもかけられない、と知った。
「失せろ。俺達は人々は守るが、お前らまで守ってやるつもりはない。……守ってほしいなら、俺達の扱いを間違えたな」
これ以上のやりとりをするつもりはない、とばかりに突っぱねるアシル・グロワールを見て、そして、レオ・スプランドールとエクラがじっと睨んで来ているのを見て……そして、背後からは大聖堂の者達の『何故、勇者様達は動かれないのだろう』『こちらの大神官様が何かしてしまったのではないか?』といった声が聞こえてきて、より一層、シャルール・クロワイアントを追い詰めていく。
「……あの」
そこへ、フェル・プレジルが、ちょい、ちょい、とシャルール・クロワイアントの肩をつついた。なんだ、と目を向けたシャルール・クロワイアントに、『ちょっとこっちへ』というような身振りをして、部屋の隅の方へ連れていく。
……ここでフェル・プレジルは予め決めておいた予定通り、『あなたが戦えばいいのでは?それならば俺はお手伝いしますよ』と持ち掛けているはずである。……そして、そこでシャルール・クロワイアントが考えあぐねている間に、アレットが1人、外へ出る手はずとなっている。
「なあ、おい」
アレットが外へ向かっていると、レオ・スプランドールが声を掛けてきた。
「……外に居るのは、お前の仲間なのか?」
そう。彼は、アレットが魔物であると知っている。だが、どうも、それを公言するつもりは無いらしい。……現状、『フローレン』について下手なことを言うとアシル・グロワールに『粛清』される可能性が高いので、それを恐れてのことかもしれないが。
「そうだったらいいね。もし、外に居るのが私の仲間なら……レオ。あなたにとっても、味方が増えることになる。あなたの、というか、エクラさんの、かもしれないけれどね」
「ああ……あの、ヴィアとかいう奴は、エクラを救ってくれた。そいつの仲間だっていうなら、信じてもいい」
そこでアレットは、おや、と思う。レオにとって、魔物を見逃す利点をいくらでも並べ立ててやるつもりでいたのだが、そうするまでも無いらしい。
「下手な人間より、よっぽど信頼できる」
「ああ……成程ね」
……どうやら、レオは人間を信用できないあまり、魔物に肩入れし始めてしまったらしい。
これはどうしたものかな、とアレットは迷う。
レオがこうなるとは思っていなかった。つくづく、人間というものはよく分からない生き物である。
「……後で話したいことがある。聞きたいことも。時間、とれるか?」
「まあ、努力はしてみるよ」
何にせよ、レオについてはこれが終わった後にすべきだろう。アレットはひらひらと手を振ってレオ・スプランドールの横を通り過ぎ、外へと向かうのだった。
大聖堂の外に出てみると、より一層、緊急を知らせる鐘の音が煩い。冬の昼の太陽はやや低く空に輝いて、冷たい風が大地を駆けていく。魔物の国と比べれば何ということのない寒さであるが、人間達には堪えるらしい。アレットは『温暖な』冬の気温を肌に感じながら、大聖堂から離れて進んでいく。
ここまで、時間は稼いだ。後は……。
「ヴィア。行ってくれる?」
アレットは、ヴィアをそっと、手のひらに乗せる。……このヴィアは小さい。このヴィアをさらに分けてしまえば、ヴィアは簡単に消えてしまうだろう。
だからアレットは、ヴィアをソル達の方へと向かわせることにした。一度限り、片道限りの連絡手段として。
「勿論です、お嬢さん。ですが、帰ってこられるかは……」
「帰ってこられなくても、いいよ。どうか、ソル達をよろしく」
大聖堂の見張り塔からは、人間の視線を感じる。どうせ、今もアレットのことを警戒して見張る者がいるのだろう。……だから、アレットは、ソル達に会う訳にはいかない。
「……お嬢さん。どうか、ご武運を」
「ありがとう、ヴィア。そっちもね」
ヴィアは小さな体を器用に、むにゅ、と折りたたんで一礼すると、ぴょこん、と跳ねていく。小さく透明なスライムが一匹、アレットから離れていったことは、人間達の目では確認できないはずだ。アレットはそのまま、魔物達の様子を窺うふりをしながら、ヴィアが遠く去っていくのを見守るのだった。
ヴィアがソル達に話を伝えたか、と思われる頃、アレットは大聖堂へと戻った。『魔物達はこちらに接近してくる様子はありません』という報告を携えて。
……そっと大聖堂の中に戻ると、そこでは先程までと変わらず、3人の勇者が動かずそこに居た。そして、フェル・プレジルとシャルール・クロワイアントはまだ押し問答しているらしく……そして。
「勇者よ。お前達の力は人を守れと神から与えられたもの。それを得ながら、このように浅ましい真似をするとは何事だ!」
大神官が1人、激高していた。
「そう言われてもね。神がどう思っていようが、俺はもう人間に愛想が尽きそうなんだよ。本当に守ってやる価値があるのか、怪しくなってきた。何せ、俺を使うだけ使って裏切ってくれる奴がいたもんでな!」
そして、大神官に対して非常に強く出ているのがレオである。
「大体、魔物を殺せば平和になるのか?魔王を倒して、もうすぐ3年になるっていうのに、どうして何も変わってないんだ?政治は何をやってる?俺みたいな……畑を耕して天気に振り回されて、それでも必死に生きてる奴らの暮らしは、少しでも良くなったのか?」
恐らく、この中で唯一の、『本物の勇者』。作られた勇者ではなく、本当に、自然に力を得た勇者であるはずのレオが、今、一番、人間から遠い。
その事実に気づいているのかいないのか、大神官はただ、怒りに震えるばかりである。彼からしてみれば、レオの言動は神への反逆に他ならないのだろう。
「なんという……なんという、無礼な」
「礼を尽くしてきた結果がこれだからな。無礼にもなる。しょうがないだろ?それとも、見返りも求めずにただ奉仕せよ、ってか?」
レオがそう皮肉れば、不意に大聖堂が揺れた。
ぱりん、と音を立てて色硝子の飾り窓が割れ、カシャンカシャンと激しく音を立てながら床に落ち、硝子板が粉々に砕けていく。
人々はそれに悲鳴を上げ、逃げ惑い……そして、レオとアシル・グロワールは共に剣を抜いて割れた窓の傍へ駆け寄る。大聖堂を守る義理は無いが、ここに居る人々の命を守る義理はある。
……だが、窓が割れた以外に、被害は無かった。それきり、魔物の気配も無く、ただ、びゅう、と冷たい北風が一陣、割れた窓から吹き込んだだけ。
「魔物は去ったか……?」
「どうやらそのようです。恐らく、初めから偵察のつもりだったんでしょう」
アレットがそう言えば、その場に居合わせた人間達が安どのため息を吐く。
それはシャルール・クロワイアントも大神官も同様であったが……大神官は、安堵してから割れた色硝子の窓を見て、そして、シャルール・クロワイアントへと怒りをぶつけ始める。
結局、『公の場ですべき口論ではない』ということに落ち着いて、2人はほどなくして去っていったが……今回の魔物の襲撃と、それに対して動かない勇者、という問題は、これから第一王子の元にも伝えられて人間達の頭を悩ませてくれるであろうと思われた。
……そうして、ひとまず騒ぎが落ち着いた後。
「あー……フローレン。今、いいか」
レオがそう、アレットに声をかけてきた。
……何を考えているのか今一つ掴み切れないこの人間のことが、ようやく分かるかもしれない。
「勿論」
アレットはにっこり笑って、それから、忘れないように思い出す。
……王都の門の前で死んでいった仲間達のことを。