反乱*5
アシル・グロワールはごねにごねて、半ば無理矢理、大聖堂へと迎え入れられた。
大神官としては、アシル・グロワールを処分するように声明を発表している立場でもあるため、アシル・グロワールを入れることはしたくなかったのだろう。当然ながら。
……しかし、アシル・グロワールから『不当な声明について大神官殿とお話がしたい。また、私が神に背いたというのであれば、それを神に問いたいのだ。巡礼に来ることの何が悪い』と凄まれれば、大聖堂が門を閉ざし続けることは難しかったらしい。
大聖堂は、公正と公平、万人の幸福を謳っている。そして立法や行政に携わらない中立の機関でなければならないため、第一王子に肩入れしている事実を明らかにするわけにはいかないのだ。
大聖堂からしてみれば『罪人』という扱いのアシル・グロワールについても、『神との対話を』と求めてやってきたなら、その門を開かなければならない。大聖堂は、その見せかけの清らかさを保つために、結局、アシル・グロワールを迎え入れることになってしまったのである。
「フローレン!」
そして、アシル・グロワールは大聖堂に入って真っ直ぐ、客室へとやってきた。先程、アレットが顔を出した位置を覚えていて、そこへ真っ直ぐ向かってきたらしい。凄まじい執念である。
「騎士団長殿!御無事でしたか!ああ、よかった!」
「それはこちらの台詞だ!」
アシル・グロワールは真っ先にアレットへと歩み寄ってきて、満面の笑みを浮かべる。あまりにも嬉しそうなので、それを横から見ていたレオ・スプランドールとフェル・プレジルは、なんとも言えない顔をした。
「騎士団長殿、レオの脱獄を手引きしてくださり、本当にありがとうございます」
アレットは真っ先にアシル・グロワールを労いつつ、その手を握ってにっこり微笑んだ。
「……レオ?」
「え?ああ、スプランドール殿です。エクラさんも居る中で、苗字まで含めて呼ぶのも不便なので……」
アレットがレオ・スプランドールと親し気であることに、アシル・グロワールは少々の焦りと不安、そして怒りのようなものまでを表情に過ぎらせる。だが、アレットはそんなことには気づいていない、というかのように、どんどん話を進めていくのだ。
「これで、大聖堂は大層困ることでしょう。現に、騎士団長殿がいらっしゃってから、大神官は頭を痛めているようです。ふふ」
未だ、ちらちらとレオ・スプランドールを見ているアシル・グロワールに微笑みかけてから、ふと、アレットは表情を陰らせた。
「それにしても……その、よかった。もう一度、お会いできて」
「……どうした。まるで、二度と会えないと思っていたかのような口ぶりだな、フローレン?」
アシル・グロワールはすぐ、アレットの表情の変化に気づいて顔を覗き込んでくる。それから逃げるように俯いて、それから、アレットは『なんでもありません』と笑顔を作って見せた。
……いつか、適切な機会を見計らって第一王子からの手紙の内容を打ち明けよう。これはアシル・グロワールから思考を奪う手段になり得る。何か誤魔化さねばならなくなった時などに有効だろう。
「ところで、騎士団長殿の客室はどこですか?」
少々会話が途切れたところを狙って、アレットはそう、尋ねる。すると、アシル・グロワールは言葉に詰まる様子を見せた。
それが『まだ部屋に戻らずフローレンと話していたい』なのか、『部屋を割り当てられる前に案内を振り切ってここへ来てしまった』なのかは分からないが、大方そのどちらかだろう。
「何か気になるところでもあるのか?」
アシル・グロワールへ助け舟を出すように、フェル・プレジルがそう、言葉を挟んでくる。アレットはそれに、真剣な顔で答えるのだ。
「いえ、警護が必要かと思いまして」
……アレットの発言に、その場に居た者達は皆、『そういえばそうか』と納得したような顔をする。
大聖堂側としては、アシル・グロワールが邪魔だろう。さっさと排除したいと考えた時、寝込みを襲うのは常套手段である。……勿論、寝込みを襲った程度で、ただの人間が勇者をそうそう殺せるものではないだろうが。
「そうか、成程……なら、隣に部屋を取らせるべきか」
「それでしたら、警護は私にお任せください。不寝番は慣れておりますので」
アレットがそう申し出ると、アシル・グロワールは明らかに戸惑った。『フローレンにそんなことをさせる訳にはいかないが……』とでも言いたげな表情である。
「ここまでの旅路でも、それまでの王城でも、あまりお休みになれなかったでしょう。なら、せめて今夜くらいはゆっくりお休みください」
そしてアレットがそう言って見上げれば、いよいよ、アシル・グロワールは悩み……そして。
「……あー、俺はエクラを部屋に残してきちまったから、そっちに戻る。で、第二王子殿下はこの部屋の余ったベッド、使えばいいだろ」
そこで、レオ・スプランドールがそう、助け舟を出したのである。概ね、アレットの想定通りに。
そういう訳で、アシル・グロワールはアレットとフェル・プレジルと共にこの部屋で眠ることになった。
アシル・グロワールが狙われるとしても、兵士が2名同室に居れば、ある程度の抑止力になる。そういう訳で、話が付いたのだが。
レオ・スプランドールは部屋を出る時、アシル・グロワールに「上手くやれよ」と囁いて行った。それにアシル・グロワールはぽかん、として、それから、じわ、と頬を赤らめ、「あくまでも紳士的であるべきだろう」と、怒って見せつつ囁いて返す。
……耳の良いアレットにはそのやり取りまで聞こえているので、知らんぷりをするのが中々大変である。更に、フェル・プレジルも少々気まずい様子を見せている。こちらも大変である。
「あ、ああ……その、何だ」
そうしてレオ・スプランドールを見送って、アシル・グロワールはこれまた何とも気まずげにもじもじとしながら、ふと、熱っぽい目でアレットを見つめ……自らの意思を断ち切るように、ぐ、と視線を逸らした。
「浴室を借りるぞ」
「はい。ごゆっくり!入浴剤もございますので、どうぞお使いください」
アレットは笑顔でアシル・グロワールを見送り、そして、エクラが使っていた寝台を、ぽふぽふ、と整え始めるのだった。
アシル・グロワールはとにかくぎくしゃくとしていた。だが、フェル・プレジルが緩衝材となり、アレットはあくまでも『忠実な兵士フローレン』として振る舞ったため、次第にアシル・グロワールも落ち着きを取り戻す。
そうして夜もすっかり更けてしまったところで、就寝することになった。大聖堂はアシル・グロワールの登場にざわめいている様子であったが、今、こちらからできることは無い。今はゆっくり休んでおく方が理に適っており、そして何より、『手遅れ』になることがあれば、アレットとしては喜ばしい。
……3つの寝台の内、今まではアレットが真ん中を使い、端と端をエクラとフェル・プレジルが使っていたのだが、アシル・グロワールがそれに難色を示したため、アレットが使っていた寝台をアシル・グロワールが使い、エクラが使っていた寝台をアレットが使うことになった。
アレットが今まで使っていた寝台に入ったアシル・グロワールはそわそわと落ち着かなげな様子であったが、アレットは気にせず、寝ることにした。……エクラが使っていた寝台は、どことなくヴィアの魔力に似た気配が漂っていて、中々居心地が良かったのだ。
……その夜、アレットは『先輩はいい匂いですね!』とパクスに騒がれる夢を見た。夢の中のパクスが夢の中のソルに、すぱん、と後頭部を叩かれたところで目が覚めた。……夢の中でも可愛い後輩は元気である。
翌朝。
アレットは大きく伸びをして、寝台からもそもそと出る。窓のカーテンの隙間から漏れる光は朝のそれ。アレットは目隠し用に布を掛けた一角に潜り込んで身支度を整えると、早速カーテンを開けて、朝の光を体いっぱいに浴びる。アレットが得意とする時間帯は夜だが、朝が嫌いなわけではない。それに、ソルは朝が来ると途端に動きが良くなるものだから、朝を好んでいるらしかった。仲間が好きなものはアレットも好きでありたい。
朝の空気を吸い込んで、気分を新たに外の景色を眺める。……アシル・グロワールもやってきたことだ。そろそろ大規模に動いて、人間の国の二分を図った方がいいだろう。
そして……第一王子は国を割るために必要な要素であるため、まだ生かしておくとして……今、一番の脅威であろうシャルール・クロワイアントについては、そろそろ殺しておくべきだ。
奴らの狙いは魔物の国の滅亡であろう、と、推測が立ってしまったのだから。
アレットがそうしていると、やがて、大聖堂の鐘が鳴る。朝を告げる鐘の音は、穏やかに、かつ重々しく荘厳に、朝の空気を割って通っていく。
「朝か……ふわ、寝た気がしねえ」
そこで、鐘に起こされたフェル・プレジルがもそもそと動き出す。ついでにその横ではアシル・グロワールも目を覚ましたらしく、もそもそと掛け布が動いていた。だが、アシル・グロワールの方は起き出してくる気配が無い。まだ寝台の中でごろごろするつもりなのかもしれない。
「おはようございます」
だが、アレットがそう声を掛けた途端、がば、と、起き上がる。……先程までの諦めの悪い様子がうそのようである。
「……夢では、なかったか」
そしてアシル・グロワールはアレットを見て、何とも幸福そうな顔をする。『フローレン』の姿を見て、幸福な現実を実感できたらしい。アレットとしては『変な騎士団長殿ですね』とくすくす笑うしかない。
「体調はいかがですか?」
「ああ、とてもいい……ここ数週間で最高の目覚めだ」
アレットを見てうっとりとそんなことを言うアシル・グロワールの前で、アレットはくすくす笑いつつ薬缶を取り出す。
「最高の目覚めということでしたらご不要かもしれませんが……お茶はいかがですか?」
「ああ、是非もらおう」
予想通りの返事を得て、アレットは『そうでなくちゃね』と、早速、野草茶の準備を始めるのだった。
その内、エクラがレオ・スプランドールを連れてやってきた。その頃にはフェル・プレジルとアシル・グロワールも身支度を整え終わっており、5人は揃ってアレット謹製の野草茶を飲むことになった。
「ここでの朝食はどうなっている?」
そうしてある程度茶を飲んでいると、ふと、アシル・グロワールがそんなことを聞いてきた。
……彼としては、『朝食はまだか』というよりは『フローレンはちゃんと食事を摂っているのか』ということが気になるのだろうが。
「どう、と仰られましてもね。一応、俺達は客人ってことになってるんで、運ばれてきますよ。今朝はちょっと遅いようですが」
「毒でも盛られてるんじゃねえのか」
「兄さん、怖いこと言わないで」
アレットは苦笑しつつ、それぞれのカップに茶のお代わりを注いでいく。……実際、レオ・スプランドールの言う通り、朝食に毒を盛られている可能性は高い。だが、こうしてエクラと一緒に居ることで『殺してはならない相手に万一、毒の皿が渡ってはいけない』ということで抑止力になる可能性も高いが。
「小腹が空いたということでしたら、おめざにお菓子がありますよ。素朴なやつですが、いかがですか?」
アレットはそう言いつつ、固焼きのビスケットを出す。素朴な野草茶に合う、素朴な焼き菓子である。これなら多少、腹の足しにもなるだろう。
少々遅れている朝食のこともあり、人間達はそれぞれ、嬉々としてビスケットをつまんでいく。アレットも何枚か、ビスケットをぱりぱりと齧り、茶を飲んで、さて、これからどうしようかな、などと考え始めた。
どう動くにせよ、ここから先は慎重にやらねばならない。魔物の国までもが戦場となり得る今、少しでも魔物達の被害を抑え、そして、人間の国を滅亡させるべく、最大限の立ち回りをしなければならないが……。
その時だった。
「おっ?何だ?」
カラン、カラン、とせわしなく鐘が鳴る。大聖堂の鐘は、朝と真昼と日没と、3度鳴らされるが、それのいずれとも違う。朝の鐘は既に鳴っており、昼にはまだ、早すぎる。
ならば、せわしない鐘の音の意味するところは、一つ。
「魔物だ!魔物が攻めてきた!」
……緊急時、ということである。
「何!?魔物だと!?何故……ここは魔物の国ではないのだぞ!?くそ……」
アシル・グロワールは慌てふためきつつも、剣や鎧の準備を始めた。
だが、アレットとしては、ここでアシル・グロワールを行かせるわけにはいかない。理由は単純、魔物の同胞を殺させるわけにはいかないからだ。
「レオ・スプランドール!お前にも付き合ってもらう!」
「……今更、勇者として人々のために働け、って?正直、御免だけどな」
レオ・スプランドールも、乗り気ではないらしいが、それでも武装の準備を始めている。
「ああ、エクラはここに居ろ。お前はまだ実戦の経験があるわけでもないし……」
「でも、私だって兄さんの役に」
「そう思うならここに居てくれ。それで、大聖堂内部の奴らを落ち着かせてやれ。勇者で人気者の、俺の自慢の妹ならそれができるはずだ」
レオ・スプランドールは流石に勇者としての来歴が長いだけあり、『勇者』がどのように活用できるかをよく知っているらしい。彼は頭が回らない分、経験は多いのだ。
「よし、では……」
「皆さん、待ってください!」
……だが、ここで勇者を2人も、出向かせるわけにはいかない。
1人ならまだしも、2人の勇者が出ていったとなれば、外に居るという魔物達の命は無いだろう。……人間の国まで来られる魔物であっても。
だからアレットは、ここで勇者達を引き留めなければならないのだ。
「どうした、フローレン」
「魔物が来てる。待ってる時間はねえだろ」
……2対の青い瞳に見つめられ、アレットは息を呑む。
彼らは、勇者だ。人間に裏切られ、人間に利用されて、それでも未だ、勇者であるのだ。
そう、人間の味方であり、魔物の敵である、勇者だ。
「私の作戦に、乗ってくださいますか?」
そんな勇者を前に、アレットは緊張しながらも、そう囁いた。
ただ、魔物として。
「……ああ、分かった。他ならないお前の作戦なら、安心して身を任せられる」
そして、アシル・グロワールはすぐさまそう返事をしてきた。即断即決である。もう少し粘られるかと思っていたが、思いのほかあっさりと決まった彼の心に、アレットとしては『うわあ』という気持ちでいっぱいである。
「は!?お、おい、どういうつもりだ」
「レオも。どうか、聞いて。あなたの立場をこれ以上悪くするわけにはいかないから」
レオ・スプランドールは流石に混乱し、迷う様子であったが、アレットがその手を握って引き留めれば、それを振り払ってまで外に出ていこうとはしなかった。
そうしてなんとか勇者2人を引き留めたアレットは、この場で嘘を組み立てていく。
「これは、罠である可能性が高いと思います」
見えない敵が見えないのをいいことに、どんどん疑いをかけていくのである。
「勇者が3人。そして恐らく、大聖堂や第一王子派としては……その勇者の内の2人が、目障りです」
アレットが初めにそう言えば、その『勇者2人』はそれぞれに頷いた。
「騎士団長殿と、レオ。あなた達は、いつでも狙われています。間違いなく」
「だろうな」
アシル・グロワールは黙って頷き、レオ・スプランドールはげんなりした口調でそう言いつつため息を吐く。アレットはそんな2人を労し気に見ながら、話を続けた。
「そして、魔物、ということでしたが……シャルール・クロワイアントは、以前城下を襲ったあの怪物を生み出せる可能性が高い。今回の魔物というのも、奴の手によるものである可能性が高いと見ています」
「ほう、成程な」
これについて、アシル・グロワールの方はすぐ反応する。城下の怪物と戦った記憶は、彼の中にも新しい。
「そうじゃなかったら……いや、そうだとしても、大聖堂を襲ってくる魔物は倒すしかねえだろ。大聖堂の中には無関係な人だって居るんだぞ」
一方で、レオ・スプランドールにはその実感が今一つ、湧いていないようであった。それもそのはず、城下を怪物が襲った時も、彼は牢屋の中だったのだから。
「ええ、そうだと思います。シャルール・クロワイアントは人がどれだけ死んでも気にしないでしょうから。……魔物の国でそうだったように」
だが、アレットがそう言えば、レオ・スプランドールは苦い顔をして黙る。自分が自分のためにシャルール・クロワイアントの指示通り、『遅れて』到着したことを思い出したのだろう。そして同時に、魔物を倒さずにいることへの焦りをも覚えているようだったが……。
「ですから、人々の命は守る必要があるでしょう。……でもそれは、大聖堂を出ていってまでやることではありません。大聖堂の中に魔物が侵入してきてから動いても、間に合うはずです」
アレットがそう言うと、レオも、大人しくなる。
人々を守るのが勇者の役目だとするならば、そうすればいい。魔物に危害を加えさえしなければ、どうだっていいのだ。それで大人しくなるならそうしていてもらおう。
「そして、大聖堂の中に居るあなた達をどうこうできる程、奴らは豪胆ではないはずです。だからこそ、あなた達が外へ出ていくのを期待して、あのように鐘を鳴らしているのでしょうから」
「成程な……我々が人の目がある所に居る限り、我々を秘密裏に始末することも、濡れ衣を着せることもできない、と」
「はい。ですから……皆さん、聞いてください」
アレットは、3人の勇者を順番に見やりつつ、言い含めるように、小さな声で、しかしはっきりと言う。
「勇者の方々は、大聖堂から動いてはいけません。人々を守ることはあっても、魔物を倒しに外へ出ていってはいけません。常に人々の中に居てください。大神官が頭を下げても、です」
『大神官が頭を下げても』という下りで、勇者達は皆、にやりと笑う。それにアレットもにっこり笑って応えた。
「魔物もすぐには入ってこられないはずです。それに、まだ、大聖堂を襲いに来ると決まったわけでもないのでしょう?なら……」
そして、そこでたっぷり一呼吸分、間を置いて……。
「……ゴネましょう!」
アレットは不敵な笑みで、そう言った。