反乱*3
そうしてレオ・スプランドールは秘密裏に、牢から出された。
牢番達はアシル・グロワールを訝しんだが、『フローレンを救うためなのだ』と言えば、半ば納得したようだった。
フローレンは城内でも人気者だ。彼女を救うためならば、城の使用人達の多くが秘密を守り、小さな嘘を貫く程度には。そして、アシル・グロワールがフローレンを大切にしているという噂もまた、城内に知れ渡っている。よって牢番は、『まあ、あのフローレンとアシル殿下だもんな』と、あっさり納得したのである。
アシル・グロワールはレオ・スプランドールを連れて城の中庭へ出て、そこから隠し通路を通り、城の外へと出た。
そこでようやく、多少の余裕が出て、レオ・スプランドールは戸惑いのままに尋ねる。
「おい、なんで俺を助けた」
「言っただろう。お前の妹の為に働いてもらう必要がある、と」
城の外には目立たない地味な馬車が待機しており、レオ・スプランドールはそこに乗せられる。
「それでも……俺を助ける必要があったか?その……リュミエラのことがあって、あんたにとっては、恋敵だろう」
馬車に乗り込んでそう尋ねれば、アシル・グロワールは、きょとん、とした。……まるで、『そんな名前の人間も居たな』と今思い出したかのように。
「……いや、あんな女のことは最早、どうでもいい」
そしてアシル・グロワールは苦笑して、それから、ふと、その表情を陰らせる。
「どうせ公爵家も兄上のために、わざわざ私を殺そうと画策しているのだろうからな。リュミエラも隙を見て私を殺すつもりでいたに違いない」
リュミエラが本当にそのようなことを考えていたかは分からないが、レオの目から見てもリュミエラのアシル・グロワールへ対する態度は、あまり良いものではなかったように見えている。
そしてレオの側へと寝返ったリュミエラを、公爵家はどうも、勘当していなかったらしい。少なくとも、レオはそう、リュミエラから聞いていた。……そう考えると、公爵家はリュミエラを通じてレオの情報を得、また、レオを操ろうと考えていたものと思われる。
それでいてアシル・グロワールが裏切られても怒る素振りを見せただけ、となれば……真に仕えているのはあくまでも第一王子の側、ということになるのだろう。そう考えれば余計に、アシル・グロワールがリュミエラに執着する理由はどこにも無いように思える。ついでに、レオは少々、アシル・グロワールのことを哀れにも思った。
「それは……」
何と声を掛けてよいものやら、と思案する。レオは然程、口が上手い方ではない。学が無い、と自覚はあったが、その最たるところがこうした言葉のやりとりに現れる。
……だが、そんなレオを見て、アシル・グロワールは薄く笑う。まるで、『気にするな』とでも言うかのように。
「何も問題は無い。むしろ、今思えばあのような女には裏切られておいてよかったとさえ思っている」
妙に明るいその表情に、レオは少々、寒気すら覚える。前向きにもほどがあるだろう、と。……だが。
「おかげで、彼女に会えた」
アシル・グロワールの、妙にそわそわとして嬉しそうな顔を見て、おや、と思う。
「ああ……フローレン、だったか?」
「そうだ。お前を脱獄させるのも彼女からの提案だったからこそ、実行したのだぞ」
レオは頭の中で、『ああ、あの魔物か』と納得する。確かに、如何にも賢そうで、かつ、見目麗しい魔物だった。魔物であると聞いても信じられない程に。
……アシル・グロワールは、フローレンが魔物であると知っているのだろうか。いや、知らないなら知らないでそっとしておいた方がいいだろう、とレオは判断し、口を噤む。判断が付かないことについては黙っている、というのが、ここ数年で身に着けたレオの処世術である。
「へえ……よっぽどそいつのことが気に入ったのか」
代わりにそう揶揄ってやれば、アシル・グロワールは意外なほど素直に頷いた。
「ああ、そうだ」
……それを見て、レオは、思う。
これはあの魔物も随分上手くやったもんだなあ、と。
「さあ、もう行け。剣は馬車に積んである。必要になることはまずないと思うが、念のため装備しておけ。食料も馬車に積んである。よく食って休んでおくといい」
「馬車の行き先は?」
「大聖堂だ。後はお前の妹が上手くやるだろう」
馬車の扉が閉められる。レオは自分の未来を少々危ぶみつつ、それでも地下牢で処刑を待つよりはずっといいだろう、と思い直した。
「追って私も向かう。フローレンに、案ずるな、と伝えておいてくれ」
「分かったよ」
……アシル・グロワール。婚約者を略奪した相手だが、最早そのしがらみも、本人にとってはどうでもいいという。
なら、上手くやっていくことも、できるかもしれない。
レオはそう希望を抱きつつ、動き始めた馬車に揺られ、大聖堂へと向かうのだった。
……そうして、大聖堂は大いに揺れた。
何せ、投獄されていたはずのレオ・スプランドールがやってきたのだから。
大聖堂の上層部はこの事態に大いに慌て……同時に、なんとか、レオ・スプランドールを人目に触れぬよう隔離しておこうと試みた。
だが。
「兄さん!」
「エクラ!……あー、心配かけたな」
離れ離れになっていた兄妹勇者が、このように感動の再会を果たしているのである。引き離すことなど、できようはずもない。
結局、大聖堂の上層部はおろおろとこの事態を見守り、混乱しているばかりとなる。その隙をついてアレットが接近すれば、レオ・スプランドールはエクラを抱きしめたまま、少々気まずげにアレットの方を見る。
「あー……フローレン、っていったよな」
「え?私?」
まさか名を呼ばれるとは思っていなかったアレットは、きょとん、とすることになったが、レオ・スプランドールはそれを見てますます気まずげにしながら、ぼそり、と言った。
「第二王子殿下が、お前によろしく、だとよ」
「……そっかあ」
アシル・グロワールらしい行動である。かつての恋敵に、このようなことを頼むとは。レオ・スプランドールもさぞかし気まずい思いをしたことだろう。
「ええと、それで、殿下は今、どちらに?」
「準備してからこっちに来るんじゃねえのか。一緒には来なかったが、こっちには来る予定があるみたいだった」
「ええっ、こちらに!?……成程なあ、駄目だ、分からないなあ……」
レオ・スプランドールならまだしも、アシル・グロワールにとってこの大聖堂は、正に敵地真っただ中である。こちらへ来る意味が分からない。
勿論、シャルール・クロワイアントや大神官が手出しをしてきたなら、むしろそれを口実に反撃の機会を得ることができるので、全くの無意味という訳ではないだろうが……費用対効果が、釣り合わないようにも思うのだ。
アレットがアシル・グロワールの思惑を測りかねて首を傾げていると。
「フローレン!手紙だ!」
そこへ、人波を掻き分けて、フェル・プレジルがやってきた。レオ・スプランドールの到着にすぐ駆けつけてこなかったのは、この手紙のせいであったらしい。
「……例のところからですか?」
「ああ。例のところからだ」
フェル・プレジルの苦い顔と、その指につままれてひらひらと振られる封筒の豪奢さ。それらからアレットは、手紙の差出人をすぐさま察した。
……第一王子からの手紙、ということなのだろう。
レオ・スプランドールとエクラ・スプランドールの兄妹は、全く離れる様子を見せなかったため、困り果てた大神官に『とりあえず客室へどうぞ。お二人一緒で構いませんので』と言わせることに成功し、無事、安全な状態で客室へと戻ることが許された。
ついでにエクラが『フローレンに一緒に居てもらいたい』とねだった為、アレットと、ついでにフェル・プレジルもその客室で茶を飲んでいるところである。
無論、大神官はすぐにでもレオ・スプランドールから話を聞きたい様子だったが、レオ・スプランドールは『長旅で疲れてるんだ。話すのは休んでからでいいよな?』と突っぱねてこの客室に居座っている。大神官の心境を思うと少々哀れに思えてくるアレットであった。
「で、どうだ。何が書いてあった」
「ええー……うーん、結構困ることが書いてありました」
フェル・プレジルがそわそわする横でアレットは手紙を読み、そして、心底困り果てつつ、その手紙をテーブルの上に置いて皆が読めるようにする。
……手紙には、実に困る内容が書いてあった。何せ、『お前とアシル・グロワールの命の安全と引き換えに、二度と城へ戻ってくるな』と書いてあったので。
「えーと……つまり、『どこの出かも分からない平民の女と第二王子が恋に落ちたともなれば王家始まって以来の醜聞である。大聖堂の騎士として仕事を斡旋してやるのでそのまま二度と戻ってこないように命令する。破られた場合はフローレンも第二王子も命を保証しない、』ってことだよな……?」
「どうやらそのようですね……」
アレットは、手紙の内容に、非常に困っている。これは一体、どうするのが正解なのか。
……アレットとしては、人間の城の中で起きる様々なことについて、情報があった方が嬉しい。だが、もう、城にはレオ・スプランドールは居ない。レオ・スプランドールという魔力の塊を回収できてしまっている以上、城に戻らなくても然程困りはしない。なので、第一王子の命令に従っても、別によいのだ。
……だが、何せ、第一王子側の思惑が、見えない。わざわざこのような手紙をアレットに送り付けてくるのだから、何か思惑があるのだろうが……。
また、『第二王子と恋に落ちている』と誤解されるのは、非常に、複雑な気分であった。『恋に落ちてるのは向こうなんだけれど……』と強く思うアレットであるが、世間からしてみれば、身分違いの恋に身を焦がす男女、ということになるのだろう。ましてや、アレットの方にまるでその気が無いどころか、殺意があるとはだれも思うまい。
「こんな……こんなひどいこと、どうして」
一方、エクラは手紙の文面を読んで、きゅ、と眉間に皺を寄せた。『フローレン』が不当な扱いを受けていることについて、遺憾であるらしい。
「これは、なあ……アシル殿下の母君が一枚噛んでいるかもしれないな。それにしても随分と個人的な事情に首を突っ込んでくるもんだなあ……」
フェル・プレジルは半ば呆れたような顔で、第一王子の署名を眺めている。こちらは遺憾というよりは呆れが強いらしい。
「ええと……その、レオ・スプランドール殿。これについて、どう思う?」
そしてアレットは、念のため、もう1人の意見も聞いておくことにした。
「どう、って言われてもな……。悪いが俺は大して頭が良くも無い。俺の意見なんて聞くだけ無駄だろ」
「どうだろう。それでも一応、聞いておきたいけれど」
レオ・スプランドールはこの場に居ることも少々気まずいような様子であったが、ちら、と手紙を見て、それからアレットをまた、ちら、と見て……ふい、と視線をそらしつつ、言った。
「第二王子が城に帰らなくなりそうだと思った」
……その時、アレットは第一王子の目的を、おおよそ、悟った。
要は、彼らはアレットを城から遠ざけることで……間接的に、アシル・グロワールを城から追い払いたいのだ。