反乱*2
翌日、フェル・プレジルが大聖堂から旅立った。……最後の最後で、『王都へ赴くのはフェル・プレジルしか認めない』と大神官がごねたためである。
アレットは大いにため息を吐いてみせつつ、内心では『ここまで含めて計画通り!』と小躍りしつつ、状況を確かめ一歩ずつ前に進むような様子を大聖堂側に見せることにする。
エクラと大聖堂で暮らし、共に祈り、時には中庭で軽い運動などをして……そして時間の大半は、大聖堂に溶け込むために費やした。こうしておけば、大神官もシャルール・クロワイアントも、表立ってアレットと敵対しにくいはずである。
……そうして活動していく内に、アレットとエクラは大聖堂の中で妙に人気になっていった。3日も過ぎれば『大聖堂に咲いた2輪の野薔薇』とも謳われるようになり、5日が過ぎれば『大聖堂に降り立った天使』とまで謳われるようになってしまった。これにはアレットとしてもエクラとしても、苦笑いを浮かべるしかない。
「エクラさんは、まあ、大聖堂の勇者として擁立されるわけだから、大聖堂内で人気になる意味は大きいと思うんだけれどね……」
「でも、フローレン、綺麗だから……しょうがないと思う」
今日ものんびり、2人で中庭で日向ぼっこをしつつ、そんな会話をする。アレットは『こういう陽だまりにソルを置いておくと黒い羽がぽやぽやあったまって触り心地がいいんだよなあ』などと思い出しつつ、少々ぼんやりと虚空を見つめてみた。
エクラもアレットと揃って、ぼんやりと虚空を見つめて日の光を浴びる。そうして2人は並んでぼんやりして、それを見ていた大聖堂の者達に『おや、可愛らしい』と微笑まれ……。
「おーい!フローレン!エクラさん!戻ったぞー!」
そんな中へ、フェル・プレジルが戻ってきたのであった。
「あっ!フェル・プレジル殿!お帰りなさい……と言うのも妙ですが!」
「ははは。まあそうだな。でも、ま、一応『ただいま』ってことにしとくか。……で、ご注文の品だ」
「わ、ありがとうございます!」
余分に補給してもらった香水と蜜蝋の蝋燭、そして、アシル・グロワールの部屋でも見たことのある茶葉の缶。それらを受け取って、アレットはにっこり笑う。ひとまず、これでシャルール・クロワイアントに渡すものは大方準備ができた。あとは、茶葉の缶に適当に依存性のある植物を混ぜておくだけである。
「それから、ほら、エクラさん」
続いて、エクラの前に封筒が1つ、差し出される。素朴な……悪くいってしまえばそっけない無地の封筒だが、エクラはそれを見てすぐ、ぱっと表情を輝かせた。
エクラは礼を言ってすぐ封筒を開けると、かさかさ、と開いて……そして、中の手紙を読んで、にっこりと笑った。
「何て書いてあった?」
「読む?どうぞ」
アレットはエクラから手渡された手紙を読む。あまり綺麗ではない文字が並ぶ文面は、確かにレオ・スプランドールによるものであろうと思われる。
……手紙には、とにかくエクラを案ずる内容が書いてあった。大聖堂にてレオ・スプランドールへの助けを求め、大聖堂の擁立する勇者となったエクラに対して、『心配だ』と何度も何度も、文中に出てきた。
また、『牢屋に居る間にお前がどんどん悪いことに巻き込まれてるような気がして気が気じゃない』とも、書いてあった。やはり、レオ・スプランドールはエクラを大切に思っており、そのエクラを握られていては上手く動けない、ということなのだろう。
だから、大聖堂としてもエクラを手放したくはないはずだ。アレットはその確信を強め……そっと、手紙をエクラに返した。
手紙の内容はシャルール・クロワイアントに伝えてやらねばならないが、そのまま全て伝えるのも芸が無いので、適当に内容を差し引いて話すことにする。無論、シャルール・クロワイアントの目的はレオからの手紙ではなく、『茶葉』なので、手紙の内容など気にしないはずであるが。
それからアレットはシャルール・クロワイアントの元を訪れて、約束の品を渡すことにした。
「これが今、王都で流行している香水だそうですよ。エクラさんはこっちより、もうちょっと大人しい香りの方が好きだったみたいですが。それからこれが茶葉です。ああ、大きい缶で届いてしまったので、小分けにしておきました。それからこっちが蜜蝋の蝋燭ですね。礼拝にでもどうぞ」
アレットが物品を渡すと、シャルール・クロワイアントはすぐさま茶葉の缶に飛びついた。……茶葉の缶は、『王都のどこで売っているものか』と探られては困るため、適当な別の缶に詰め替えた、という体を取っている。
シャルール・クロワイアントは茶葉の缶を開けて、その香りを吸い込んで笑みを浮かべた。どうやら、最初に部屋に仕込んだ分の茶葉が既に切れていたらしく、シャルール・クロワイアントは随分と禁断症状に苦しんでいたらしい。アレットは『変な人だなあ』というような態度でシャルール・クロワイアントを見つめつつ、曖昧に笑みを浮かべておくにとどめる。
「ええと……そんなにそのお茶、気に入ったんですか?」
更に、『まさかね』と言外に表しつつアレットがそう聞くと、シャルール・クロワイアントは、さっ、と居住まいを正して咳払いをする。……まあいいか、とアレットは小首を傾げつつ、生温い笑みを浮かべることになるのだった。
「それで、レオ・スプランドールからの手紙は?」
「ああ、そうでしたね。忘れられちゃったのかと思いましたけれど」
シャルール・クロワイアントは一応、『レオ・スプランドールからの手紙』を名目にして、フェル・プレジルを大聖堂の外へ出すことを許可したのである。茶葉ですっかり忘れていたらしいが、一応思い出したようなので、ちゃんと伝えることにする。
「エクラさんを心配する内容でしたよ。簡単に書き写したものがあるのでどうぞ」
アレットは予めメモ書きしておいたそれを渡しつつ、ふと、目を眇めて尋ねる。
「それで、その手紙をどうするつもりですか?」
「いや、特に何も。……ふむ、然程役に立つ内容ではないようですね」
まあそうだろうなあ、とアレットは頷く。……レオ・スプランドールに手紙を書かせるにあたって、一応、フェル・プレジルかアシル・グロワールかが監修したはずだ。問題のある内容が出てくるはずがない。
「ところで、シャルール・クロワイアント殿」
手紙のメモを読みながら何やら考えているところに、アレットはそっと、話しかける。
「あなた達の目的は、何ですか?エクラさんを使って、何をしようとしているのです?」
少々鋭く声を発してやれば、シャルール・クロワイアントは少々怯えた様子を見せた。
「アシル・グロワール殿下の失墜が望みですか?」
「……我々は、神が導いた正しい勇者が人々を導くことを望みます」
更に畳みかけてやれば、シャルール・クロワイアントはアレットと目を合わせないまま、聖句でも唱えるようにそう言った。
「アシル・グロワール殿下は正しい勇者ではない、とでも?まあ、あなたが作り上げた勇者なら、そうでしょうね。でも、作っておいて殺すなんて、そんな身勝手は許されませんよ」
「……何のことやら」
シャルール・クロワイアントの声が小さく震える。怯えるなら存分に怯えればいい。その方がアレットにとってはやりやすい。
「あなたが今後、アシル・グロワール殿下に手出ししないのであれば、特に咎めるつもりはありません。けれど、殿下に何かしようと思うのならば……」
アレットはゆっくりと間をおいて、じっと、シャルール・クロワイアントを睨む。
「やめておいた方が、賢明でしょうね。第一王子はあなたを守ってはくれませんよ。あなたがレオ・スプランドールを守らなかったのと同じように」
そしてアレットは、黙ったままのシャルール・クロワイアントを置いて部屋を出た。
……シャルール・クロワイアントの目的は未だに見通せないが、少なくとも、大聖堂や第一王子と組んでいることは間違いない。アシル・グロワールが死んだ方が都合が良いのだろう、という程度は分かる。
だが、今殺されても困る。アシル・グロワールにはもう少し働いてもらいたいのだから。
「ああ、フローレン。ちょっといいか」
アレットが客室に戻ると、フェル・プレジルが声をかけてきた。王都から帰ってきたばかりであるが、休むより先に情報共有したいらしい。
「はい。情報共有ですね」
「ああ。確認しないことには、気になって休めないからな。……そっちはどうだった?」
「特に何も。……ただ、私は大聖堂に大分馴染めましたし、エクラさんも大聖堂で大人気となっています」
アレットが苦笑しながらそう答えれば、フェル・プレジルは『まあ、そうだろうなあ』と妙に実感の籠った頷きを見せた。
「それで、そちらはいかがでしたか?騎士団長殿には……」
続いて、アレットがそう問うと、フェル・プレジルはにやりと笑う。
「ああ。レオ・スプランドールの脱獄について、アシル殿下にお伝えしてきた。物資の調達も抜かりなかっただろ?」
「はい。ありがとうございます」
ひとまず、フェル・プレジルは上手くやったようである。物資についてもそうだが、アシル・グロワールに伝えた、ということは……恐らく、レオ・スプランドールの脱獄もほど近い。
「……ただ、雲行きが少々、怪しくてな」
「え?」
しかし、フェル・プレジルは表情を少々険しくして、アレットを見つめ……妙なことを、言った。
「その内、お前宛てに手紙が届く」
「手紙?……あの、検閲があるのでは」
アレットはあれこれ考えを巡らせてみるが、手紙が自分に届く意味が分からない。……だが。
「ああ、検閲は問題なく通るだろうな。差出人は第一王子だろうから」
「……えっ?」
フェル・プレジルの言葉を聞いて、流石のアレットも言葉を失った。
……これは、想像していなかった。
「遂に、第一王子はお前にも手を出そうとしている。まあ、お前はアシル殿下の弱味だからな……」
「よ、弱味、ですか……?」
フェル・プレジルの言葉を聞いて、まあそうだろうなあ、と納得する。アシル・グロワールが『フローレン』に執心しているのは傍目から見ても明らかだろう。それを第一王子が見逃すはずもない。
「どういう内容が来るのかは分からないが、警戒しておくに越したことは無いだろうな」
「うーん、実際に届くまではどうにもできませんね……」
だが、第一王子が手紙を送ってくる、となっても、その内容について、まるで想像がつかない。大方、脅しをかけてくるのだろうと思われるが……。
「ちなみに、それについて騎士団長殿は」
「アシル殿下か?まあ、お怒りだったぞ。『フローレンに手を出す気か!』ってな」
「あああ、私のことなど捨て置いていただいていいのに……」
アレットが嘆くのをフェル・プレジルは何とも言えない顔で眺めて……それから、ふと、言った。
「……ところで、フローレン。お前、あのな?アシル殿下のことを『騎士団長殿』って呼んでるよな?」
「え?はい」
何の話だろう、と思いつつアレットが首をかしげると……フェル・プレジルはまたも何とも言えない顔で、言う。
「……忘れてるかもしれないが、俺も一応、騎士団長なんだぞ?」
妙にじっとりとした目を向けられたアレットは、フェル・プレジルの言葉の意図するところを概ね察したが、またも首を傾げつつ、答える。
「……あ、はい。ですので、フェル・プレジル殿のことは、フェル・プレジル殿とお呼びしております」
「いや、差別化を図れって意味じゃなく……いや、やっぱいいわ……」
フェル・プレジルは少々疲れたような顔でため息を吐いていたが、アレットはそれをただ、微笑みつつ首を傾げて見守るに留めた。
……こっちにも気に入られちゃったかあ、と、内心でぼんやり考えつつ。
……その夜。
「レオ・スプランドール」
名を呼ばれてレオ・スプランドールが顔を上げれば、そこにはもう1人の勇者が居た。
アシル・グロワール。……2人目の勇者にして、第二王子。そして騎士団長でもある彼は、レオ・スプランドールにとって少々気まずい相手である。
「牢を出てもらう」
「……遂に処刑か」
そんな相手が氷のような表情で牢の鍵を開けたものだから、レオ・スプランドールはそう覚悟した。
エクラのことは心残りだし、魔物の国に作るはずだった新たな王国のことも気になる。そして何より……上手くやれなかった悔しさが、じわり、と心の底に残っている。
勇者であったはずなのに。人々のために戦ってきたはずなのに。気づけばよく分からない人々の駆け引きに巻き込まれ、その渦中から抜け出せなくなっており……王族に手を出した犯罪者として投獄され、処刑される身となっていた。
自分の人生は一体何だったのか、などと思いながら、レオ・スプランドールは顔を上げて……違和感に気づく。
自分の処刑のためにここを出されるにしては、牢の前に控えている兵士が少なすぎる。
「これを着ろ」
更に、アシル・グロワールは牢の中へ、フード付きのマントを投げて寄越した。一体何のつもりだ、と混乱しながら見上げれば……。
「脱獄させてやる。その代わり……お前の妹と俺の部下の為に、精一杯働いてもらうぞ」
青い瞳の奥に執念の炎が燃えているのが、見えた。