反乱*1
「いやあ、まさか、本当に効くとは思ってなかったなあ……」
アレットは1人になれる場所で、そっと、小さなヴィアに話しかける。
……何せ、シャルール・クロワイアントが見事、野草茶中毒になっているらしいのだ。駄目で元々のつもりで仕込んだ茶葉が、こうまでしっかり威力を発揮してしまうと、アレットとしても少々複雑な気分である。
「あの野草茶の中身、何だったのです?」
「胡蝶楓と月光甘草。あと夢想薔薇の花びらと糖蜜荊の実」
「おおお、見事に50歳未満の未成年に与えることを禁じられた植物だらけですね……」
この間、シャルール・クロワイアントの部屋の茶葉に混ぜてきた諸々は、アレットが作る野草茶の中でも、最も幸福感や高揚感を得られる組み合わせの茶である。酒を飲むのとは異なり、意識ははっきりとしたまま幸福感や高揚感を得られ、更に、野草茶の味を非常に美味いと感じるのだ。
魔物達の間では、酒が手に入らない戦地での酒代用品として親しまれている。また、酒にほとんど酔わない魔物でも、こちらには耐性が無いことがあるので、そういった魔物を酔わせるために用いることもあった。……例えば、パクスは酒に対して類稀なるザルであるが、こちらの野草茶の幸福感には簡単にぽわわんと惑わされるので、パクスを酔わせたい時にはこの野草茶を酒に混ぜておくのが常套手段である。
「……で、どうするのです。魔物の国の植物に耐性の無い、しかも50歳未満の生き物にあんなもの与えてしまったら、もう奴は他のお茶では満足できませんよ。ああ、哀れな……」
「うん。面白いことにそうなんだよね……」
ヴィアは口ぶりとは裏腹に、ぷるぷると笑いをこらえるように揺れている。アレットも概ねヴィアと同じような気持ちで考え……そして、簡単に結論を出す。
「まあ、これを利用して王都に向かえないか、ちょっとやってみようと思うよ」
シャルール・クロワイアントがアレット謹製の野草茶の虜になってしまったというのならば、それは勝機である。
野草茶の供給をダシにして王都へ戻る交渉もできるかもしれない。より安全を期すなら、フェル・プレジルを王都へ向かわせた方がいいだろうか。
「そういえば、他の人間はそのお茶、飲んでいませんよね?」
「……後で、エクラの心配だけしておこうかな」
来客としてシャルール・クロワイアントの部屋を訪ねたことがある者は皆、あの茶を飲んでいる可能性がある。後でちょっと、確認だけしておこう、とアレットは心に決めるのだった。
「え?お茶?飲んでいない。……確かにお茶を出されたけれど、兄さんを裏切った奴が出すお茶なんて、飲めない」
「そうだよね。ああ、よかった……」
夕方、エクラに確認したアレットは心底安堵しながら、ひとまずこちらへの被害はなさそうだ、と思う。大神官あたりが被害に遭っている可能性はあるが、それは最早どうでもいいので放置することにする。
「お茶を飲むと、何かまずいことが、あった?」
「いや、毒を盛られている可能性を今まであんまり考えていなかったな、って思ってね」
「そう……そうね。もっと、気を付けなければ」
エクラが真剣な表情で居るのをなんとなく申し訳なく思いつつ、アレットは確認も済んだところで早々と話題を切り替えることにした。
「ええと、そうだ。シャルール・クロワイアントに、ちょっと交渉を持ち掛けてみようかと思ってね」
「ほー。交渉?」
フェル・プレジルも興味を示してきたところで、アレットはにっこり笑って言う。
「フェル・プレジル殿に、物資の補給と称して王都に戻ってもらおうかと。私と対立しているような様子を見せておけば、ちょっとは警戒が薄れるかもしれないし」
「物資の補給、ねえ……そんなので上手くいくかね?」
「補給してくる物資の一覧を作りましょう。それに説得力を持たせられれば、彼らは納得するはずです」
……恐らく、補給の内容に『茶葉』とでも書いておけばシャルール・クロワイアントの興味を引けるはずである。何せあの茶葉は大聖堂のどこでも手に入らないのだから。
そして恐らく、シャルール・クロワイアントの部屋に元々あった茶葉は、王城より持ち込まれたものであろうと思われた。酒の瓶が高級酒の瓶であったことから見ても、間違いなく第一王子の支援が入っている。
ということで……『王都に茶葉を補給しに行く』となれば、シャルール・クロワイアントが多少、興味を示すだろう。
一度で駄目でも、日を置いてまた確認すれば、その頃には茶葉が尽きたシャルール・クロワイアントが禁断症状を訴え始める頃である。恐らく、彼の許可は下りるだろう。
「或いは、最初は私が補給に向かう、ということで申請してもよいかもしれません。相手が難色を示すでしょうから、そこでフェル・プレジル殿が代わりに行くことにして頂ければ」
「あー、その方が警戒されにくいかもな。よし、じゃあ、それでいくか」
それからアレット達は簡単に打ち合わせを行い、シャルール・クロワイアントから王都帰還の許可を引き出すべく、動き始めるのだった。
……つくづく、奴を野草茶中毒にしておいてよかった。アレットはにっこりと微笑んだ。
それからアレット達は、補給物資の一覧を作った。
エクラの為の教本や筆記具、また、大聖堂へ奉納するための蜜蝋の蝋燭といった物品の中に、『女性ものの下着』や『茶葉』といった物品も混ぜる。
『女性ものの下着』は、高性能なものは大聖堂では手に入りにくいため、物資の補給の言い訳としては悪くないだろう。そして『茶葉』に関しては言わずもがなである。
ついでに、こちらから王都へ持ち帰る物としてエクラからレオ・スプランドールに宛てた手紙を紛れ込ませることで、大聖堂側の視線を紛らわす意図もある。手紙は検閲されても問題ないように、エクラが大聖堂と神を褒め称え、兄に心配するな、と告げる内容になっている。これを受け取るレオ・スプランドールの困惑が想像でき、アレットは少しばかり、レオ・スプランドールに同情したが。
……ということで、それらをまとめて、アレットとフェル・プレジルはシャルール・クロワイアントと大神官の元へ赴いた。
「どうか、物資の補給のために一度王都へ戻ることをお許し頂きたく」
アレットが開口一番にそう言えば、大神官も、シャルール・クロワイアントも良い顔はしなかった。
「あなたは勇者エクラの護衛だったのでは?その任務を降りる、ということですか?」
「私はエクラ・スプランドールさんの護衛です。その任務を途中で投げ出すようなことはしたくありませんが、彼女に少しでも快適な生活を送ってもらうことも自らの務めであると考えておりますので……」
「大聖堂での暮らしが快適ではない、と?」
大神官は如何にも『不服だ』というような顔をしていたが、アレットはそれをそっと見つめつつ、物資のリストを手渡した。
「これが、彼女に必要と思われる物資です。大半は大聖堂でも手に入る物でしょうが、王都に戻らねば手に入らないものもございます」
大聖堂は、清貧をよしとしている割に、様々な物資に恵まれている。少なくとも、普通に暮らしている分には快適に過ごせるだけの物資があるのだ。服も、意匠を気にしなければそれなりに手に入る。であるからして、リストに載せたものは、『普通の暮らし』にもう一つ、何かを付け加えるためのものである。
例えば、『勇者のいで立ちに相応しく、かつ、小柄な少女にも扱える剣』。フェル・プレジルから聞いた『王都の少女達の間で流行している香水』。そして……『風変わりな茶葉』。そういったものである。
「……この茶葉、というのは?」
そして案の定、シャルール・クロワイアントはその茶葉の存在に目を付けた。
「王城で、アシル・グロワール殿下にも好まれているお茶です。城でエクラさんと一緒に飲んだ時、気に入った様子だったので……しかし、大聖堂に奉納されたものはあまり無いとのことでしたから」
アレットは後で口裏を合わせられそうな嘘をつらつらと並べながら、茶葉の説明をする。シャルール・クロワイアントは少々訝しむような顔をしたものの、それ以上に、『茶葉』というものに対して大いに興味を持っている様子を見せてきた。
「どんな茶葉ですか?」
「ええと……乾かした花弁や薔薇の実が混ぜ込まれた薬草茶です。そう華やかな見た目の茶葉ではありませんが、エクラさんが美味しいと言ってくれたものなんですよ。……あの、そのお茶に、ご興味が……?」
アレットは『まさかそんなことは無いだろうなあ』とでも言うかのような顔で、シャルール・クロワイアントの様子を窺う。シャルール・クロワイアントは当然、『興味がある』などとは言わなかったが、明らかに動揺した様子を見せてきた。
「あの、他にも、蜜蝋の蝋燭など、大聖堂に奉納するための物資も調達してくる予定なのです。それはエクラさんからの頼みですが。ですから、どうか、ご許可を。……彼女は神に選ばれた勇者かもしれません。でも、同時に、まだ年若い少女です。少しでも、心安らぐ瞬間を作ってあげたいのです」
アレットの言葉に、大神官もシャルール・クロワイアントも難色を示す。……だが。
「それから、シャルール・クロワイアントさん。あなたに、伝えたいことがあります」
アレットがそう言うと、2人とも、反応した。
「2人きりでお話しする時間を、頂けませんか?」
じっと見つめてやれば、シャルール・クロワイアントはいよいよ、逃げられない、と悟ったか、こくりと頷いて見せたのだった。
シャルール・クロワイアントと二人きりになるのは二度目である。以前は『爪を剥ぐぞ』と脅しをかけた分、今も存分に警戒されているらしい。
「以前、勇者を裏切る用意がある、と言っていましたね。それは、レオ・スプランドールだけについてですか?それとも、エクラ・スプランドールについても?」
そんな中、アレットが早速聞いてみれば、シャルール・クロワイアントはじっとアレットを見て、緊張気味に答える。
「……エクラ・スプランドールは真なる勇者です。手放すわけにはいきませんよ」
「成程。では、あの時の続きですが……」
アレットは特に表情を変えることなく、ただ、柘榴の如き目を少々細めて、問う。
「まだ、騎士団長殿にお会いしたい、と?」
答えなければ爪を剥ぐぞ、と言外に表しつつそう尋ねれば、シャルール・クロワイアントは冷や汗をかきながら黙った。
「……お会いしたいようですね。それは、危害を加えるためですか?」
「い、いえ、そんなことは……」
シャルール・クロワイアントの表情を見る限り、どうやら、彼はアシル・グロワールに何らかの危害を加えようとしていたようだ。……アシル・グロワールに魔力を与えて勇者と成したのがシャルール・クロワイアントであることから、概ね、どのようなことをしたかったか、想像がつく。
恐らく、アシル・グロワールの力をいずれ暴走させるために、様々な思索を巡らせていたのだろう。彼を、王位継承の盤面から叩き落すために。
「お、脅すつもりなら、どうぞ。ここは大聖堂です。神の御前で、そのような野蛮な」
「取引を提案します」
アレットに怯えるシャルール・クロワイアントに対し、アレットはさっさと本題を切り出すことにした。
「エクラ・スプランドールが勇者として認められる、ということを騎士団長殿にお伝えしなければなりませんから。それから……あなたがここに居ることも、騎士団長殿にお伝えします」
「そんなことを許す道理がありません。私は勿論、大神官様も……」
「なら、大神官様の説得はあなたがお願いします。私には報告の義務がありますので、あなた達に止められようとも必ずや、騎士団長殿に報告を行わねばならないのです。ただ、それを大聖堂の公認の下行うかどうか、というだけの話ですよ?」
少々横暴に、傲慢に、アレットは強気の交渉を行う。何せ、武力で言えばアレットの方が上である。シャルール・クロワイアントに何らかの小細工があったとしても、まともに戦えばアレットが勝てることは間違いない。それは、シャルール・クロワイアントにもよく分かっているはずだ。
「……そして、その代わりに私はあなたのことを見逃しましょう。騎士団長殿の命を狙っていたことも、一度は水に流します。いかがですか?」
「そ、そんな脅しには……」
「なら、調達してくる物資の中でほしいものがあればお分けしますよ。香水、いかがですか?」
アレットがにっこり微笑んでやれば、シャルール・クロワイアントは黙ったまま、じっとしている。『茶葉を分けろ』とは言えないのだろう。アレットもあえて、シャルール・クロワイアントが茶葉を欲しがっているなどとは気づいていないふりをして、話を続ける。
「では、レオ・スプランドールがエクラさんに宛てた手紙。それの内容を、あなたにお伝えします。それでどうですか?ついでに香水と蜜蝋の蝋燭と、茶葉も付けますよ。それに加えて、あなたの行いを見逃す、と言っているんですよ?それくらいで、大神官様を説得する代価には十分でしょう?」
アレットは『レオ・スプランドールからの手紙』を交渉材料としてちらつかせる。シャルール・クロワイアントは『自分は死にたくない』『茶葉が欲しい』といった要求はしにくいだろうが、『レオ・スプランドールの手紙を確認するため』にアレットの要求を呑むことはできるはずである。
「……それで手を打ちましょう」
結局、シャルール・クロワイアントは如何にも渋々といった様子で了承した。だが、『茶葉』に強い興味と期待を寄せているらしいことは、はっきりと分かる。アレットはまたにっこりと微笑んだ。
「では、そのように大神官様にお伝え下さい。また明日の朝、ご意見を伺いに参りますので」
アレットは笑顔でそう言うと、フェル・プレジルが待っている扉の外へと歩いていく。
「お待ちください」
……そんなアレットの背中に、シャルール・クロワイアントの声が掛けられる。振り返れば、シャルール・クロワイアントは緊張の張りつめた瞳で、じっとアレットを警戒していた。
「……あなたは一体、何者なんですか?」
探るような言葉に、アレットはまたにっこりと微笑んで返した。
「……アシル・グロワール騎士団長にお仕えする一兵卒ですよ」