大聖堂の傀儡*6
その日の内に、エクラはシャルール・クロワイアントの協力を取り付け、ついでに大神官との面談をも果たした。
要は、大聖堂側はエクラを『正しい勇者』として矢面に立たせることで『偽りの勇者』との対立の姿勢を明らかにするつもりであるらしい。
そしてその行きつく先は……王家から、『偽りの勇者』である第二王子、アシル・グロワールを犠牲として出させる、という筋書きになるのだろう。
王家と大聖堂はどちらも、表立ってぶつかり合いたくはないはずだ。お互いに消したい人物が一致するのならば、お互いにその人物を消す方向で話を進めて終了するだろう。
「あー、やっぱりそういうことになったんだな?くそ、アシル殿下にお伝えしねえとな……」
夕食後、エクラから報告を受けたフェル・プレジルは苦い顔で俯く。
……彼からしてみれば、不運の王子であり不運の勇者であるアシル・グロワールに肩入れする気持ちが強いのだろう。
実際、アシル・グロワールはよく働いている。第二王子として、そして第二騎士団長として、そして勇者としても、城下に出た怪物を倒し、王城内では諸々の行政に携わり、と忙しく過ごしているのだから。
しかし、それ故に目障りに思う者は多いだろうとも予想された。王家に失墜してほしいような貴族であっても、ひとまず有能な第二王子を始末できるのであれば、傀儡にできるかもしれない第一王子側について皆で第二王子を叩きのめそう、と乗る可能性は極めて高い。
唯一、元々第二王子側の貴族が居れば彼らが歯止めになるだろうが……第二王子側の貴族など、然程多くない。居たとしても、その多くが魔物の国へ既に送られているのだ。
つまり、このまま放っておけば、まず間違いなくアシル・グロワールは処分されることになる。
良くても魔物の国へ追放。悪ければ城内で監禁されるか……或いは、秘密裏に処刑されるようなことも、有り得るかもしれない。
「いえ、もう少し、連絡は待ちましょう」
だからこそ、アレットがそう言った時、フェル・プレジルもエクラ・スプランドールも、目を見開いた。
「お、おい、フローレン!正気か!?」
「はい。相手に油断させて情報を抜き出さねば。……元より、騎士団長殿が今からできる準備など、然程多くありません。ならば、私達がより多くの手段を得ることを優先すべきです」
「そうは言っても……!」
フェル・プレジルは反論したい様子であったが、アレットの顔を見て、はっとして言葉を引っ込めた。
……アレットは今、『苦渋の決断を強いられている』という表情を演じている。姫の体を食らって次の神殿へ向かったあの時のことを思い出せば、そういった表情を作ることも容易かった。
「騎士団長殿なら、大丈夫です。きっと、大丈夫……」
「フローレン……」
アレットが小さく震える様子を見せれば、フェル・プレジルはなんとも悲しげに俯き、小さくため息を吐く。
「そうだよな、お前だって、心配だよな。すまない……」
「いいえ、非道なことを言っている自覚はあります。騎士団長殿を裏切るような行為だとも、分かっています。でも……より多く、あの人を生かす可能性を、残したいんです」
アレットとしては、このまま事態を悪化させたい。
完全に物事が理想通りの進み方をするのならば、レオ・スプランドールとエクラ・スプランドール、そしてシャルール・クロワイアントを始末しながら人間の国を破壊し、そして最後にアシル・グロワールを始末するのがよいように思われる。だが、そう容易くはいかないだろう。
アシル・グロワールが最も動かしやすい駒であることは間違いないが、今、最も始末しやすい駒もまた、アシル・グロワールである。今の内に始末しておいても悪くはない。
だがその一方、アシル・グロワールを生かしておけば、第一王子との小競り合いを悪化させ、人間の国全体を巻き込む戦闘へと導くことも可能だろう。少なくとも、アシル・グロワールを早々に始末してしまうよりは、ずっとやりやすいはずだ。
だからアレットは、アシル・グロワールをぎりぎりまで追い詰めてから、生き残らせたい。
その為にも今は、アシル・グロワールへの攻撃を止めずにおく方が賢明であろうと判断したのである。
「……提案が、あるのだけれど」
だが、そこでエクラがそっと、手を挙げた。アレットも、フェル・プレジルもそれを珍しく思いながらエクラを見つめると……エクラは以前よりずっとはっきりとした意思を宿した目で2人を見つめ返し、そっと、言った。
「……兄さんを取引の材料にしたい」
「私は大聖堂側につくことを大神官に表明した。けれど、私の目的は、あくまでも兄さんの救出だから」
エクラはぽつぽつと、しかし、はっきりとそう語る。アレットは『ちょっと私に似てきたかもなあ』などと思いながら、エクラの言葉を黙って聞くことにする。
「だから……私個人は、兄さんを助けてくれた人に付く義理がある。大聖堂が第二王子の処分を王家に求めたところで、第二王子が兄さんを救出してくれれば……私は大聖堂の言い分を否定することもできる」
エクラの言葉は、要は、大聖堂およびシャルール・クロワイアントへの復讐を兼ねた計画を示唆していた。
大聖堂は勇者を欲しており、そして丁度良く現れたエクラをその御旗と成して突き進みたいのであろうが、エクラは大聖堂の傀儡に据えられても尚、意思を持った個人なのである。
よって、大聖堂が動き出したところで丁度、エクラがくるりと手のひらを返せば……大聖堂は上っていた梯子の段をいきなり外され、大層困窮することだろうと思われる。
「な、成程な……結構えげつないこと考えるね、お嬢ちゃん」
フェル・プレジルが少々表情をひきつらせつつそう言えば、エクラは『えげつなかっただろうか』と考えるような、少々渋く沈んだ顔をする。ここで誇らしげにしないあたりがアレットとの大きな違いであろう。アレットなら、ソル辺りに『えげつない計画だな』とでも褒められようものなら、胸を張って誇ったところだ。
「いいと思う」
とにかくエクラが誇らないので、アレットが代わりに褒めてやることにした。アレットが手を伸ばしてエクラを抱きしめれば、エクラは驚き身を竦ませたものの、すぐに体の力を抜き、アレットの抱擁を受け止め始めた。
「大聖堂が第一王子と癒着しているっていうなら、大聖堂もいずれ、正す対象になるから。だから……それを今の内に、はっきりさせておくのは悪くないよ」
「な、成程なあ……確かに、大聖堂も大分、きな臭くはある。だが……」
「この国の為にも、無用な権力の繋がりは、全部、正さなきゃいけないと思うんです。どうでしょうか」
フェル・プレジルは抱き合う美少女2人を前に何とも言えない顔をしていたが、アレットの言葉について考え、考え……ため息交じりに結論を出した。
「……まあ、ちょっと大聖堂にも軽ーく鉄槌を下しておくのは悪くないかもな。本来、大聖堂は完全な中立でいなきゃいけない存在だ。なのに第一王子側にここまで肩入れしてるってんなら、それは一旦、正しておくべきだろう」
フェル・プレジルの結論に、アレットとエクラは微笑みあって喜ぶ。ひとまず、ここで仲間割れせずに済んだのはありがたいことである。アレットとしても、もうしばらくは人間達に交じって活動しなければならないのだから。味方になる人間は多い方が良いのである。
「だが……つまり……その、エクラさんが言ってることってのは……何だ?レオ・スプランドールを救出する、ってのは……どういうことだ?」
微笑みあうアレットとエクラの横で、ふと、フェル・プレジルがそう、疑問を零す。
……尋ねてはいるものの、その引き攣った表情を見る限り、既に答えが分かっていそうでもあるが。
「兄さんを脱獄させてもらいたくて」
そして、あっさりとエクラがそう言えば、フェル・プレジルは『やっぱりか!』と天井を仰ぐのだった。
「だ、脱獄!?脱獄させるのか!?」
「えっ、シャルール・クロワイアントが脱獄したんですから、レオ・スプランドール殿も脱獄してよいのでは」
「うおっ、そう来たか!ど、どう反論したらいいんだ、こりゃ……」
フェル・プレジルが頭を抱えている一方、アレットとしても、レオ・スプランドールを脱獄させることについては半々の賛成具合である。
このままレオ・スプランドールの処刑ができてしまうなら、その方が良い。勇者と面と向かって戦うなど馬鹿げている。人間が勇者を殺してくれるなら、それに是非とも乗りたいところなのだ。その為にアレットはわざわざ、この人間の国までやってきた。
……だが、状況が変わった。
シャルール・クロワイアントが大聖堂および第一王子側につき、そして、第一王子側とアシル・グロワールを戦わせることで、勇者どころか人間の国自体を滅ぼせる可能性が見えてきてしまった。
となれば、アレットはそれに乗るしかない。
徹底的に、人間を殺さねばならない。
それは、魔物であるアレットの使命である。今後の魔物の国の安寧のためにも、ここで人間達には歴史から消えてもらった方が良いだろう。
……ということで、今の状況からしてみれば、レオ・スプランドールを脱獄させることも、そう悪くはないのである。それでも精々、半々程度なもの、とアレットは思っているが。
「レオ・スプランドールを脱獄させて、どうするって?」
「兄さんが脱獄してきたなら、私は兄さんの味方に付くのが自然だと思う。そして、兄さんを救ったのが第二王子なら、私も兄さんも、第二王子につくことができる。そうなれば、真っ先に大聖堂を滅ぼすこともできる」
フェル・プレジルは『滅ぼすのか!?大聖堂を!?』というような顔をしているが、アレットは真剣な顔で頷いて賛同した。
「うん。大聖堂を滅ぼすかは別としても、大聖堂に大きめの一撃を入れない限り、大聖堂と第一王子派の癒着は切り離せないと思う。一番いいのは、大聖堂が第一王子の支援を諦めることだと思うから……そういう意味でも、第二王子側に勇者がもう2人つく、っていう展開は悪くないかも」
アレットも賛同すれば、エクラも『わが意を得たり』とばかりに頷いた。
……アレットとしては、勇者が3人も生き残ったままになるのはあまり喜ばしくないが、うまくやれば内輪揉めを誘発して、勇者と勇者をぶつけ合うこともできるだろう。ひとまずは人間の国の崩壊へ、一手進めておいた方がよいかもしれない。
「エクラさんが寝返る言い訳としては、レオ・スプランドール殿から色々と証言をもらえればそれで事足りると思うんだ。ついでにそれをうまく民衆に広めて世論を作っちゃえば、こっちのものかも」
「お、おおお……フローレンも揃って、えげつないことを……」
フェル・プレジルは何とも言えない顔をしているが、反論は出してこないあたり、気持ちが付いてこないだけで頭の方では既に賛成に傾いているのだろう。
「それに、そうしてもらえれば、レオ・スプランドール殿とエクラさんが、会えるから……」
……更に、アレットがそう言って寂し気に微笑めば、人のいいフェル・プレジルは、はっとしたような顔をした後、神妙に頷いて見せた。……兄妹愛を引き裂くことはできない、と判断したのであろう。実に人間らしい、心の籠った判断である。人間全体にとっては愚かな判断だが。
「……兄さんの脱獄を手伝ってもらうなら、今すぐにでも第二王子に手紙を書くべきだと思う。大聖堂側を油断させる時間は、あまり無いかもしれない」
そしてエクラの結論を聞いて、アレットは考える。
……少し放置しておいて、アシル・グロワールをより危険な状態にしておくのも、悪くはないだろう。
だが、このままだと、レオ・スプランドールが城の地下、牢獄の中で生きながらえてしまう可能性も、無いわけではない。
ついでに、勇者の死体をアレットが食らうことで、魔力の回収もできる。アレットの手の届くところで死んでもらいたい、という希望まで含めれば、処刑台で死なれるより、そこらの道端で死んでもらった方がありがたい。
……そこまで考えて、アレットは、先程の自分の言葉を翻すことにした。
「分かった。すぐに、騎士団長殿に手紙を書こう。それで、レオ・スプランドール殿の救助を要請しよう」
より大きな目標のために、今は、小さな目標を諦める。
アレットはそう決断して、エクラの手を握るのだった。
「でも、普通に手紙を出したら検閲されそうだな……」
その一方、フェル・プレジルは現実的であった。……アレットもその可能性には思い当っている。大聖堂に居るアレット達が、王都に向けて手紙を出したなら。それはすぐさま検閲されるか、そうでなくとも相手側の不要な警戒を招くことになる。
「ですよね……うーん、どうしようかな。ここはやはり、直接届けに行けたら安全なんですけれど」
「いや、それも難しいだろ。王都へ戻る理由もなしに王都へ戻るってのは……いや、まあ、俺とフローレンがエクラさんを置いて帰るってのは、まあ、できなくもないが……それをやっちまうと、それ以降、エクラさんと連絡を取る手段がなくなるからなあ……」
3人はそれぞれに唸る。
情報は武器である。より滑らかにやりとりができれば、その分だけ強い。アレットはそれを、ヴィアの便利な生態によって知った。
「王都へ戻る理由が、あれば、いいんだけれど……うーん」
だが今はそうもいかない。今、アレットの懐に居るヴィアをここで出すわけにはいかず、ましてや、小さなヴィアを更に千切って小さな小さなヴィアにしてしまうなど、できるはずもない。
「できるだけ急いで連絡を取りたいけれど、でも、王都に戻る隙を探すために、もう少し粘らないといけないかもね……」
……結局のところ、どうにかして、大聖堂側の隙を見つける以外に方法は無さそうであった。
……そうして、アレット達は時間を稼ぎながら、大聖堂の隙を探ることになった。
時間稼ぎはごく単純で、エクラが大神官やシャルール・クロワイアントとのやり取りの中で計画を引っ掻き回せばよいのである。決まったことについてより良い案を出してみたり、決めたいことについて難色を示してみたり。
そうしている間に、アレットは大聖堂の中でも人々に好意的に接し、あらゆる仕事を手伝い、人々に感謝され……上手く内部へ潜り込むことに成功していた。それを警戒される分には相手に余計な疑念を抱かせることになって丁度良いので、アレットはより一層、大聖堂の中でよく働くことにした。
一方のフェル・プレジルは、何もせずぼんやりと過ごし、大聖堂側の警戒から外れるように振舞っていた。いざとなったら、フェル・プレジルだけを王都へ戻らせて情報の伝達を一方通行にでも行いたい考えである。
……そうして一週間ほど、粘った頃。
「やっぱり手紙は全部、検閲しているみたい。暗号とかを仕込むにしても、警戒されてるだろうし難しいかも」
「そう……」
大聖堂の警戒は随分と硬く、隙らしいものが見当たらなかった。
これも当然と言えば当然である。道理で、エクラの護衛とはいえ、第二王子側と知れているアレットが大聖堂に踏み入ることを許されたわけである。中に入れて外に出さないつもりだったとするならば納得がいく。
「あー……じゃあやっぱり、俺だけ王都に戻るか?」
「うーん、そう、ですね……そうなるかも」
アレットは渋い顔でため息を吐きつつ、何とか、他に良い案が無いか考えるのだが……。
「ところで最近、シャルール・クロワイアントの様子がおかしい」
「へ?」
急に、エクラがそう言ったことにより、アレットの意識は引き戻される。
「様子がおかしい、っていうのは……?」
「妙にイライラしたり、すごく大量にお茶を飲んだり、そのせいで何度もお手洗いに入ったりしてる」
……アレットは『なんでだろう?』と考えて、その次の瞬間、思い出した。
そういえば、依存性のある植物のお茶を仕込んでおいたんだったなあ、と。