大聖堂の傀儡*4
翌日。アレット達は大聖堂の中を、神官に案内されて歩いていた。
「では、こちらが祈りの間です。どうぞごゆっくり、神との対話を」
神官に案内された先は、小さな石造りの部屋である。小さな部屋ながら、祭壇があり、小さくも精緻な神の像が設置されていた。そして壁面にはやはり小さいながらも色硝子で飾られた窓があり、静かながら華やかな美しさを有していた。
……何故、このような部屋に通されたかというと、シャルール・クロワイアントとの接触のため。そしてそのために……敬虔な姿を見せておくためである。
アレットはエクラとフェル・プレジルと共に、『シャルール・クロワイアントから情報を聞き出しておいた方がいい』という結論に至っている。
そして、そのためにはまず、シャルール・クロワイアントと接触する必要があり……しかし、真正面から面会を求めたとしても、アシル・グロワールの兵であるアレットや、第一王子派ではないフェル・プレジルは間違いなく警戒される。
ならば、接触できる者はエクラしか居ない。エクラならば警戒されていたとしても、大聖堂側が取り込みたい人材でもあることから、内側に潜り込める可能性が高い。
だが、エクラが唐突にシャルール・クロワイアントへの面会を申し込んだところで、大聖堂側の警戒を煽るばかりである。一応は『兄のことを知る者から話を聞きたい』という名目が立つが、ひとまずは敬虔な宗教者である様子を見せておき、より大聖堂に与するように見せかけておくべきであると考えたのだ。
……ということで、エクラが今、祈りの間で祈っている。何について祈っているのかはまるで分からない。心の内で唱えているものは祈りの句ではなく呪詛の類かもしれず、或いは、何も考えてなどいないのかもしれない。
だが、色硝子越しに差し込む光に照らされた淡い金髪と、伏し目がちな青い瞳、そしてそれらに飾られた整った顔とを見れば、清廉な聖女のようにも見える。その内がどうであろうとも、思慮深く敬虔な様子に見えるのだ。……つくづく、美しさというものは立派な武器になり得るのである。
そうして一通り、案内の神官にエクラの様子を見せておいてから、アレット達は一旦客室へ戻り……そこで、エクラだけに部屋を抜け出してもらう。ここから暫くはエクラの単独行動だ。
つまり……護衛2人の目を盗んでシャルール・クロワイアントと接触したい、と申し出るのである。
アレットとフェル・プレジルはエクラを見送って、2人、部屋に取り残される。
「上手くいくかねえ」
「大丈夫ですよ、きっと。……相手もエクラさんが欲しいはずですから」
大聖堂の者達は、勇者が欲しいはず。レオ・スプランドールが投獄されている以上、彼らが縋る先はエクラしかない。だから、エクラは警戒されたとしてもそれを表立っては示されない。エクラを懐柔するために甘い言葉を吐き出すことはあっても、疑いなど微塵たりとも見せないだろう。
「まあ……いざとなったらすぐ駆けつけるが。あのお嬢ちゃんも世間知らずに見える。世渡りが上手い方じゃあなさそうだしなあ……心配だ」
「そうですね……」
残された2人は揃ってため息を吐く。
エクラはレオ・スプランドールによって隠されていたと見え、あまり世間の事情を知らないようだった。妹を巻き込むまいとしたレオ・スプランドールなりの配慮だったのだろうが。
「でも、世間知らずは俗世に染まっていないと言い換えられますし、ぼんやりしているのも浮世離れしていると言えるわけですよ。相手からの印象は悪くないはずです」
「まあな……祈りの様子見てても思ったが、やっぱりあのお嬢ちゃん、美形だわ。思えば兄さんの方も美形は美形だよな。あっちは品が少々足りねえが」
エクラも学が無いのはそうなのだろうが、物静かな様子が如何にも思慮深く見える分、レオ・スプランドールのように品の無さを感じさせることは無かった。正に、大聖堂が求める勇者像にぴったりだと言える。
「上手くいくといいなあ……」
「まあ、大丈夫だと思いますよ。ね、信じて待ちましょう?」
フェル・プレジルは少々心配そうであったが、アレットは概ね安心してエクラを送り出した。
相手の狙いがある程度分かっている以上、必要以上に警戒して機を逃す方がまずい。ここは少々厚かましいくらいに出ていった方がいいだろう。
「エクラさんは勇者っぽいですから、きっと上手くいきますよ」
……エクラならば、きっとそれができる。アレットは成功を信じて、にっこりと微笑むのだった。
『シャルール・クロワイアントに面会したい。』そう申し出たエクラ・スプランドールは、あっさりと、神官に案内されて小さな部屋へと通された。
少々緊張はするが、それだけだ。……エクラの日常は、既に大きく変わっている。今更、この程度で緊張などしていられない。
エクラの人生が大きく変わったのは、2回。
1回目は、兄であるレオが勇者に選ばれた、と分かった時だ。
それまで兄と二人、慎ましくも穏やかに畑を作って生活していたエクラだったが、勇者になったレオが『もっといい暮らしをさせてやれると思う』と、意気揚々と出ていったあの日。あの日から、エクラの日々は随分と寂しいものになった。
勇者の妹と知れたら、何かと厄介だ。勇者の存在をやっかむ者も居る中で、レオがエクラに指示したことは『できるだけ外に出るな』という、ただそれだけだった。
エクラには勇者というものについて、あまり実感がわいていなかった。今までずっと傍に居た兄が勇者であったなどと言われても、よく分からなかったのである。
だが……兄が魔物の国へ向かうらしい、と聞いて王都まで馬車を乗り継ぎ、そこで見た光景は……あまりにも華やかな街並みであった。
旅立つ勇者を見送るため、王都の城下町は祭の様相を呈していた。屋台が出て、花が飾られ、人々が歓声を上げ……そして、その道の真ん中を、見たことも無いような立派な服を着た兄が、凛々しい笑顔で進んでいった。
人ごみに紛れながらそれを見送ったエクラは、そこでようやく、理解したのである。
勇者というものが、どんなものであるのかを。
……そして、レオの言いつけ通り静かに隠れて過ごしていたエクラの元へ、人生の2回目の転機がやってきた。
それは、ヴィアと名乗る奇妙なスライムだった。紳士のような恰好をして、人間らしく形を整えた奇妙なスライム。飄々として、少々お調子者。それでいて品があって、なんとなく、今までに出会ったどんな者とも異なる性格をしているように思えた。まあ、魔物である以上、当たり前といえばそうなのだろうが。
エクラははじめ、ヴィアを大いに警戒した。魔物相手に警戒しすぎるということもあるまい。ましてや、人間の国には既に居ないはずの魔物がやって来たともなれば、怪しむのが当然である。エクラはレオから贈られていた銃を手に、ヴィアに敵意を向けたのである。
だが……兄の手紙を持ってきた、と言われたなら、それを突っぱねる訳にはいかなかった。ヴィアは非常に紳士的で、『手紙が欲しかったら家の中に入れろ』などと言うことも無かった。ただ、エクラにレオからの手紙を渡して、自身はじっと、家の外で待っていた。
レオからの手紙には、然程上手くない兄の字が並んでいた。
エクラの近況を案ずる内容。冬支度が上手くいっているかといった心配。そして……レオ自身の近況と、王家の陰謀。そして、ヴィアという魔物について。
『第二王子に嵌められた。このままだと多分、王都で処刑されることになる。』
レオからの手紙にそう書いてあったのを見て、エクラは頭が真っ白になるような、それでいて『ああ、やっぱり』と諦めに似た何かで満たされるような、そんな感覚を味わった。
気持ちが動かないまま、ただ、じっと手紙の文字を読み進め……そこに、希望を見出したのである。
『そこで、賭けになるがこの魔物に手紙を託すことにした。妙な奴だが、信用できないことも無いように思う。名前はヴィアと名乗っていた。』
『奴の力を借りれば、俺は助かるかもしれない。お前を危険な目に遭わせたくはないが、俺が処刑された後、口封じにお前にまで手が伸びないとも限らない。シャルール・クロワイアントは抜かりのない奴だったから、多分、お前のことも知っている。』
シャルール・クロワイアントという人物については、既に何通か届いていたレオからの手紙に書いてあった。王家から派遣された従者だ、という程度にしか知らなかったが、その者がレオを裏切ったらしい、ということくらいは、エクラにも推察できた。
『ヴィアとは、お前の願いを叶えるようにと約束してある。もしお前が望むなら、ヴィアがお前に力をくれるらしい。勇者には足りないかもしれないが、身を守る力くらいは、手に入るんじゃないかとヴィアが言っていた。勿論、力を手に入れるのもそうしないのも、お前次第だ。俺を助けてくれとは言わない。この状況をひっくり返す案がヴィアにはあるらしいが、正直、危険だとも思う。ただ、お前が安全に過ごすためには、力があった方がいいとは思う。』
正直に『助けてくれ』と言えない兄の手紙に、エクラは様々なことを思った。
元々学の無い兄が急に神に選ばれたからといって、物語の中の勇者様のような人間になるとは思えなかった。エクラにとってレオは勇者ではなく、どこにでもいる農村の青年でしかなかった。
そしてその実感は、決して間違ってはいなかったのだ。レオは案の定、王家を巡る陰謀の中に巻き込まれ、そして、投獄され、処刑を待つ状態にまでなってしまった。
身の程知らずだったのかな、と、エクラはぼんやり思った。ただの村娘でしかないエクラには、陰謀渦巻く最中へ飛び込んでいく力は無い。レオですらあっさりと用済み扱いされているこの中で、力の無いエクラにできることなど、何も無かった。
……そう。力が無ければ、全てを諦めなければならない。
だから。
……力さえあれば。
自分もまた、勇者になれれば。
この状況をひっくり返せるのではないか、と。そう、エクラは、思ったのだ。
だからエクラは……ヴィアを家に、招き入れたのだ。相応の覚悟と共に。
自分も、この大きな渦に巻き込まれるために。
「お待たせしました。あなたが、勇者エクラ・スプランドールですね?」
過去を思い返していたエクラの元に、男が1人、やってくる。平凡な見目の男だが、所作には品がある。賢そうな瞳はどことなく、エクラを観察して何かを測ろうとするような気配が見て取れた。そう知った上で見てみれば、いかにも王家からの間者らしい男であった。
……シャルール・クロワイアント。
兄の従者であった者であり……兄を裏切った者である。
「その……レオ・スプランドール殿については、大変申し訳ありませんでした。あなたのお兄さんを、救うことができずに……」
「構いません」
取り繕ったような言葉も、巧みに作られた悲しみの表情も、エクラの中に苛立ちを生む材料にしかならない。エクラはシャルール・クロワイアントを睨まないように気を付けながら、なんとか平静を保つ。
「私が、救いますから」
そして放った言葉に、シャルール・クロワイアントは目を瞬かせ、それから『なんと、勇ましい!』と喜ぶような素振りを見せた。無論、その素振りの裏ではエクラを利用する方法を考えているのだろうが。
「……第二王子が、神の声を偽ったと聞きました」
そこでエクラは、畳みかける。内容については、フローレンと協議して決めたものだ。フローレンはとても賢い。エクラとは比べ物にならず、そして、シャルール・クロワイアントにも勝るのではないか、とエクラは感じていた。
「ならばそれを正さなければならない。私はきっとそのために、勇者として、ここに居るのだと、そう、思っています」
「ええ……そう、ですね。いや、このように勇者が何人も現れるということ自体、非常に珍しいことではあるのですが……神が、偽りの勇者を倒すために、あなたを遣わしたのだろう、と、私もそう、考えていますよ」
シャルール・クロワイアントがエクラに同調するのを聞いて、エクラは表情をより一層、硬いものにする。
本当ならば、柔らかく微笑んで『同じ意見で嬉しいです』とでも言ってやればいいのかもしれないが、エクラにはその度胸は無い。ただ、厳しく硬い表情のまま、エクラはいよいよ、シャルール・クロワイアントに問うことになるのだ。
「あなた達は、私に力を貸してくれますか?」
その青い瞳で、エクラはじっと、シャルール・クロワイアントを見つめる。
「共に、兄を救ってくれますか?」
もし、自分に神の愛があるのであれば、どうか、この男にも王家にも天罰を、と願いながら。