怪物*7
アレット達は大聖堂の前に到着していた。それは、王城と遜色ないほどの大きさを誇る、白亜の宮殿である。『こんな建物でも無いと、人間は神に見放されちゃうのかな』などと考えながら、アレットはぼんやりと、大聖堂の突端、屋根の先を見つめる。
「おーい、手続き、終わったぞー」
「あっ、ありがとうございます」
ぼんやりしている内にフェル・プレジルが諸々の手続きを終えたらしく、大聖堂の門がゆっくりと開かれていく。アレットはエクラの手をとって励ましながら、一歩、踏み出した。
白っぽい石畳を踏み、重厚な門を潜り抜けた先に……いよいよ、人間達の神のおわす場所とやらがあるのだ。
大聖堂の中は、色味に乏しい印象を受けた。どこか全てが灰色がかって、妙に現実味の無い風景に見える。
白っぽい灰色の石材でできた床や壁、天井。そして柱。全てがぼんやりと、灰色。
聖堂の中に並べられた長椅子は使い込まれて灰色がかった木材でできており、壁に掛けられた燭台は真鍮製だろうか、暗くくすんだ色合いをしている。
行き交う神官らしい人間達は、皆揃って灰色の長い衣を身に着けており、裾を引きずるようにして歩く姿はどこか幽霊めいて見えた。
入り口から奥の祭壇まで真っ直ぐに敷かれた絨毯こそ深い臙脂だが、それも少々色褪せてくすんで見える。
……古く、重々しい。静かだが、妙に空虚だ。
アレットはこの空間に、そんな感想を抱いた。
「どうぞ、礼拝を」
そして、案内の神官が示す先。大聖堂に入って真正面……祭壇の上には、人間達が神と崇める像が設置してあった。
魔物の神とはまるで異なる姿である。人間の男のような姿で造られたその像は、唯一、この場で色鮮やかに……黄金に輝いていた。どうやら、あの像は贅沢にも金で造られた代物であるらしい。
天井に近い位置の窓から差し込む光は、昼間だというのに、どこか遠く淡い。その光にぼんやりと照らされて鈍く光る神の黄金像が、妙に間抜けに見えた。
「よし。まずは礼拝していこうじゃないか」
少々ぼんやりしていたアレットは、フェル・プレジルの声に引き戻される。
フェル・プレジルはアレットとエクラがこうした場所に不慣れであると察したらしく、手本を見せるように先んじて祭壇へと近づいていった。アレットはありがたく、その後について行くことにする。
祭壇の前へやってきたフェル・プレジルは、そこで跪き、一定の作法で祈りを捧げ始めた。アレットはそれを見様見真似で、しかし完璧に、祈る。……祈りの内容自体は、人間の国の破滅であったが。
続いてエクラも真似して祈り始め、3人が静かに、祭壇の前で祈りを捧げることとなる。勇者と、人間と、魔物。随分と不思議な取り合わせの3人だが、そんなことに気づいている者はこの大聖堂の中にも然程多くはあるまい。
「よし。祈りは済んだか?」
「はい。……少し、すっきりした気分です」
アレットがフェル・プレジルに笑いかければ、『それはよかった』と笑顔が返ってくる。アレットは笑顔をエクラにも向け、緊張しているらしい少女勇者の手を握る。
そうして3人が祈りを終えた様子を見て、案内の神官がそっと、奥にある扉を指し示した。
「では、こちらへ」
……3人は、意を決して大聖堂の奥へと、入っていく。
ここには、確実に、勇者を生み出すための何かがあるはずだ。
アレット達が卓について待つと、やがて、奥から豪奢な格好をした人間がやってきた。
手には黄金の錫杖。身に着けた衣類は濃く鮮やかな青。そこに入った刺繍の細かさを見ても、目の前の人間がそこらの神官とは異なる立場の者だとすぐに分かる。
「大神官殿、こちらが例の……」
灰色の神官がそう囁けば、大神官、と呼ばれた人間はゆっくりと進み、3人の前に立つ。アレットはフェル・プレジルが立ち上がって一礼したのを見て即座に同様に一礼する。エクラだけは遅れて、だが、それによってより堂々として見える美しい所作で一礼した。
「頭を上げよ」
そんな3人へ、大神官から声が掛けられる。重々しくゆったりとした声は、大神官の姿をそのまま音にしたような、そんな気配すらあった。
「……そちらが、エクラ・スプランドールか」
「はい」
大神官はエクラをじっと見つめる。エクラもまた、その青い瞳でじっと、大神官を見つめた。
「よくぞ来た。だが、何のために、ここへ?」
「私の力が神によって与えられたものではないとしたら、一体何なのか、知りに来ました」
そしてエクラは、予め決めてあった通りに答える。はっきりと、堂々と、自らの意思で。
「それから……私と兄がこれから、どうすれば神の意に沿うことができるか、も」
エクラの言葉に、大神官が少々目を瞠り、それから、ふむ、と目を細める。『これをどのように利用しようか』と考えているのだろう。表情には珍しいものを手に入れた時のような愉悦が滲んでいる。
「ふむ……神の意に沿う、と。それはよい心がけだ」
大神官はそう言うと、ふと、笑う。
「そう望むのならば、その術はここにある。しかと神の声に耳を傾け、行動するがよい」
「……神は私に声を賜られますか?」
「望むなら。……或いは、私がその手伝いをすることもまた、できよう。ふむ、そうだな……」
大神官は少し考えると、薄く笑って、先程の案内の神官を呼び戻す。……否、呼ばれたのは別の神官だったのかもしれないが、ほとんど同じ灰色の長衣をまとって同じように動く姿を見ていると、区別がつくかどうかも少々怪しい。
そんな神官に、大神官は何かを言づけて、やがて、満足気に頷く。……その囁きも、蝙蝠たるアレットの耳にはしかと届いていた。『3階の客室を用意するように』と。どうやら、ひとまず一行を逗留させつつ、エクラをどのように扱うか、決める時間が欲しい、ということらしい。
わざわざ階層を指定したのは、3階の高さならば人間がそうそう逃げ出せないからだろう。……つまり、大神官はエクラをこの大聖堂に、ひとまず閉じ込めておきたいらしい。
「そちらも長旅で疲れているだろう。今日はゆっくりと休むがいい」
大神官はアレットの盗み聞きを知らないまま、薄く笑ってそう言った。いかにも親切でどこか神秘的な風を装ってはいるが、その本性を暴けば恐らく、国家の転覆を狙う私利私欲に塗れた人間の本性がある。そして、皮を一枚剥ぎ取れば、どうせ、そこにあるのは他の人間と何ら変わらない血と肉が見えるのだろう。
アレットはにこやかに大神官を見つめながら、考える。
『ひとまず、あの大神官の動きを追っていればいい線行きそうだなあ』と。
分かりやすく親玉が居るというのは、よいことである。
それからアレット達は『清貧』を絵にかいたような食事の席に招かれた後、客室に通された。だが……。
「見事に一部屋ですね」
「だなあ……俺が付いてきたのは間違いだったか……」
通された客室は、寝台こそ3つあるものの、部屋は1つであった。これは困った。アレットとしては、1人きり……ではなく、『1人と1スライム』になれる場所が欲しかったのだが。
それに何より、アレットは着替える時に羽を見られる可能性がある。できれば1人部屋があることが好ましかった。
……だが、ここは敵地である。潜入している以上、あまり不用意なこともできない。ひとまずはこの相部屋を許容するしかないだろう。
「ええと、じゃあ、着替えの時にはこの一角で各自行う、ということにしましょうか……ちょっと待ってくださいね。ベッドカバーを使えばなんとか囲いくらいは作れそう」
「お、おおお、フローレン、お前、器用だなあ……」
ということで早速、アレットは室内のものを勝手に使い、ひとまず着替えのための場所を確保した。こうしておけば、フェル・プレジルが『俺は部屋の外に出ておくから女性2人はそれぞれ着替えてくれ』とアレットとエクラを同じ着替えの場に置き去りにするようなことも無いだろう。……同性の人間同士ならそれでもよいらしいが、アレットは魔物である。羽を見られては困るので、少なくとも下着を付け替える間は、誰にも見られないことが好ましい。
ヴィアとの会話は……どこか、場所と機会を見て何とかすることになるだろう。まあ、最悪の場合、判断をアレット1人で行うつもりで居れば、ヴィアとの会話は必須ではないのだ。無論、話す機会が減ればその分、ヴィアは寂しがるだろうが……。
「……ということで、ええと、フェル・プレジル殿。エクラさんをよろしくお願いします」
そうして荷解きもある程度終わったところで、アレットはそう、フェル・プレジルへ言い……窓辺へ向かう。
「お、おお……?え、あ、おい、ちょ、待て、フローレン。どこへ行く。つーかどこから行くんだお前」
「ちょっと窓から!」
窓には装飾的な格子が嵌っていたが、アレットの手にかかればその程度、簡単に外れる。そっと格子を取り外したアレットは、それを窓の傍、床の上に置き……窓枠に足を掛け、身を乗り出した。
外は夕暮れ。もうしばらくすれば太陽が投げかけている光の最後の一片までもが地平に沈み、やがて、世界は宵闇に覆われていくのだろう。
……そうなればそこは、アレットの為の世界である。
大聖堂の3階ともなると、少々、高い。ここから飛んだら気持ちよく飛べるだろうなあ、とアレットは思いつつ、しかし、ここで羽を出すわけにはいかない。アレットはつい先日王城でそうしていたように、羽を出さずにあちこち飛び回ることになるだろう。
「フローレン!俺はアシル殿下にお前の無事を頼まれてるんだがなあ!」
「大丈夫ですよ、フェル・プレジル殿!私、傭兵崩れなんですよ?これくらいのことはできます!」
心底心配そうなフェル・プレジルににっこり笑って返して……それからアレットは、その微笑みを仄暗いものへと変える。それは正に、丁度今……太陽が沈み、これから夜が来るという時に似つかわしい笑顔だ。
「なので、もし私が探されたら、その時は時間稼ぎをお願いしますね」
慣れた調子でそう言って、アレットはいよいよ、窓の外へと身を躍らせたのであった。
アレットはひとまず外に出て、壁面を器用にするすると渡っていく。古い造りの大聖堂は石材のあちこちに隙間があったり、補修の痕があったりするのだ。そこを手掛かり足掛かりにして、飛ぶように進んでいく。
塔の屋根へ足音も無く飛び乗って、大きく跳躍して壁の窓へ。中を素早く確認して転がり込んだら、即座に室内を進んで、続いて、反対側の窓からまた外へと躍り出る。
……そうしてアレットは、大聖堂のできるだけ高い位置を目指した。
大方、こういった時に中枢部の者が集うのは、高い位置か、地下。或いは建物の中心部。だが、いきなり地下に潜るのは少々難しい。なのでアレットにとって最も簡単な『高い位置』を目指して、ひとまず突き進んでいるところである。
アレットの小さな体は、地上から見上げても然程目立たなかっただろう。そもそも、転落したら間違いなく死ぬであろう高さに人影があるなどとは、見張りの兵達も考えまい。
アレットは半ば空を飛ぶようにして大聖堂の外壁を進み、上り……そしていよいよ、それらしい部屋のバルコニーの柵にぶら下がることに成功する。
ぶら下がるのは蝙蝠の得意分野である。足でぶら下がるのは勿論、手でぶら下がるのも然程、苦ではない。
アレットはそんな姿勢のまま、バルコニーの向こう、レースのカーテンに仕切られた部屋の中の気配に耳をそばだてた。
……すると、少々、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「……そう。実に簡単なことです。魔力の枷は、命へと変質させることができる。そして何であれ、殺してしまえばそこに宿った魔力を奪うことができるのですよ!」
それは、勇者レオ・スプランドールの従者……かの、脱獄したシャルール・クロワイアントの声だった。




