怪物*6
それからアレットは、王城を旅立つことになった。
……出発までには3日、かかった。というのも、1日はアシル・グロワールを説得するために消費し、次の1日は同行者についてアシル・グロワールが悩み、そして次の1日で荷物の準備などを行ったからである。
その間にも、王妃がアシル・グロワール可愛さに焦って余計な騒ぎ方をしたせいでアシル・グロワールが第二王子としての血統すら疑われ始め、『現王妃が産んだ子は本当に国王陛下の御子なのか?』といった噂が流れ、余計にアシル・グロワールを疲弊させていたが……むしろ、そうした事情でアシル・グロワールが疲弊していたからこそ、今回の外出が認められたのかもしれない。
「それでは行ってまいります」
「くれぐれも気を付けて……ああ、やはり俺もついて行った方が」
「駄目ですよ、騎士団長殿!あなたが付いてきては、話がややこしくなってしまいます。敵の尻尾を掴むにつかめなくなってしまったら、それこそ本末転倒というものです!」
アシル・グロワールは疲れた顔で『フローレン』に縋っていたが、アレットは元気よくそれを振り払い、そして、にっこり笑って敬礼した。
「かならずや、騎士団長殿のお役に立ってまいります!」
「ああ……気を付けていってくるのだぞ。そして、必ず、戻ってこい。できるだけ、早く」
「はい!迅速な行動を心がけます!」
アシル・グロワールは『本当に俺の役に立ってくれるというのならずっと王城に居て片時も離れないでほしい』というような顔をしていたが、輝かんばかりのアレットの顔を見てまでそんな泣き言は言えないらしい。
「まあ……殿下。一応、俺もついて行きますのでね。そう、ご心配なさらず。いや、気持ちは分かりますが」
……尚、今回の旅は、3人での編成となる。
エクラ・スプランドールと、フェル・プレジル。そして、『フローレン』だ。
名目上は、『勇者エクラ・スプランドールがどうしても大聖堂で直接神の声を賜りたいと思い、巡礼に出る』ということになっているが、アレットもエクラ本人も、すっかり『潜入捜査』という気持ちで覚悟を決めている。
「……フェル・プレジル。くれぐれも、フローレンをよろしく頼んだぞ。傷一つ負わせるな」
「あの、殿下。失礼ですが、フローレンは下手すると俺より腕の立つ戦士ですが……ご存じで?」
……アシル・グロワールの心労のことを考えると、やはり、急いで帰ってきた方が良さそうである。アレットとしてはアシル・グロワールがどうなろうとも知ったことではないのだが、現状、アシル・グロワールに一人勝ちさせるのが魔物の国の為には一番いい。
ということで……アレットは、今回の潜入捜査、最速で済ませてやろうと心に決めている。
ここ最近、やっと蝙蝠らしいことができるようになってきた。折角だ、腕試しのつもりで全力を出してみよう。
それからアレットとフェル・プレジルはエクラ・スプランドールの客室を訪れ、そこでエクラ・スプランドールを連れ出し、3人で城門を出た。
……一応、エクラ・スプランドールの外出許可は得ている。というのも、国王としてはあからさまにエクラの願いを突っぱねることができなかったからである。
あくまでも、国王は第一王子と第二王子の間に立っていなければならない。たとえ、もう心の内で『第二王子を排除してでも第一王子に王位を譲る』と決めていたとしても。
ということで……第二王子からの願いでもなく、あくまで、『エクラ・スプランドール』からの願いである、とされた上で許可を求められたなら、ひとまずそこにサインをするしかなかったらしい。
勿論、『護衛という名の監視役』としてフェル・プレジルを付ける程度のことはしてきたが、そのフェル・プレジルは今や第二王子寄りの立場に居る。後は『女性勇者におっさんの護衛で2人きりってのはまずくないですか』というフェル・プレジルの推薦によってアレットが潜り込み、体裁が整った形になる。
「エクラさん、緊張してる?」
「……少し」
「大丈夫だよ。私もついてるし、フェル・プレジル殿もしっかりあなたを護ってくれるし……大聖堂までの道にも、詳しくていらっしゃるようだから」
そして、少々強張った表情のエクラと共に3人で城門を抜け、一行は大聖堂を目指す。
大聖堂までの道は、フェル・プレジルが詳しい。とは言っても、馬車を乗り継げば到着する程度のものなのだが……何せ、アレットは人間の国の常識など知らず、エクラもあまり外に出ずに過ごしてきたようでその辺りに詳しくなかったのだ。
「いや、それにしても驚いたな。エクラさんはともかく、フローレンまで馬車の類に乗ったことが無かったっていうのは」
「いやいや、物資の運搬のために使ってはいましたよ。でも、自分が運ばれる側になるのは初めてっていうだけで……」
「それが珍しいんだがなあ……ん?ちょっと待て。魔物の国へ行くためには船に乗っただろ?そこまではどう行ったんだ」
「え、徒歩で……半年ほどかかりましたが」
アレットは少々恥じらいつつ嘘を重ねていき、フェル・プレジルは『本当に居るんだなあ、お前みたいなのも……』と妙に感心して納得した。
「馬車は……他の人も乗っているもの?」
次いで、エクラがフェル・プレジルにそっと尋ねる。若干遠慮がちな様子なのは、人見知りしているのかもしれない。エクラは元々、少々人見知りで警戒心が強い性質らしいのだ。……アレットは既に、その警戒心の内側へと潜り込めているらしかったが。
「ん?いやあ……今回はエクラさんの護衛、って名目だからな。馬車は貸し切る」
「そう……」
「まあ、その方が落ち着いて行けていいよね。安全だし……」
馬車を貸し切りにしろ、ということについては、アシル・グロワールから何度も念押しされた。要は、一度演説まがいのことをしてしまっている勇者エクラを民衆の前に出すとろくなことにならないだろう、という判断によるところと、『少しでもフローレンの安全を』と慎重を期したところと、その2点によっての念押しだったが。
「ただ、道中は長い。お嬢さん方、疲れたらすぐ言ってくれ。休憩しながらのんびり行こうじゃないか。俺も綺麗どころに囲まれながらの休暇だと思って楽しむさ」
フェル・プレジルはそんなことを言って笑いつつ、城門を出てすぐのところに停まっていた馬車へと近づいていく。どうやら諸々の交渉をしに行ったらしい。
「まあ……そういうことで、よろしくね、エクラさん」
「ええ……こちらこそ」
エクラは少々硬い様子ながら、ひとまず、大聖堂への潜入捜査に向けて、闘志を燃やしているらしかった。アレットはそれを見てほっとしつつ、どうやら交渉が終わったらしい馬車に向かって歩を進めるのだった。
馬車での旅は、あまり快適ではない。
何せ、馬車は揺れる。多少整備された道を進むにせよ、王都を出て大聖堂までの道のほとんどは、ただ踏み固められただけの、土の道だ。凹凸もそれなりにあり、馬車はガタガタとよく揺れた。
アレットは『こういう時、大きなヴィアが居てくれたらお尻の下に敷いておいたのになあ』と思いつつ、薄いクッションの上に座っている。……スライムの柔らかく弾力のある体は、きっと、こうした揺れにも大いに対応してくれたことだろう。勿論、今、アレットの懐に残っている小さなヴィアを尻に敷くようなことはしない。そんなことをしたら流石にヴィアが潰れてしまうだろうから。
「馬車が初めてのお嬢さん方は平気か?疲れたら言ってくれよ?」
「私は大丈夫です。エクラさんは?」
「まあ、なんとか……」
フェル・プレジルの問いかけに対し、エクラは少々、元気が無い声を返した。見れば、少々顔色が悪い。
「エクラさん、ちょっと休憩しようか」
「……平気。急ぎたいから」
だが、エクラは首を横に振る。エクラはエクラで、兄を救うために必死なのだ。
「おいおい、エクラさん。気持ちは分かるが、気持ちだけじゃ、どうにもならないこともある」
フェル・プレジルはエクラの様子を見て、御者へ『馬車を止めてくれ。休憩したい』と声を掛ける。馬車は街道の脇、少し開けた場所に停車することにしたらしい。少々道を外れて進んだ後、馬車は緩やかに止まった。
……そうして、エクラがじっと睨んでいるのに気づいて、フェル・プレジルは安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。大聖堂には書簡を送ってある。少なくとも、大聖堂としてはエクラさんの様子を見てから、レオ・スプランドールの処刑を進めることにするだろう。そんなに急がなくても大丈夫だ」
それでもエクラは心配そうだったが、アレットが隣で手を握ってやれば少し落ち着いてきたらしい。
「……奴らが排除したいのはまず間違いなく、アシル殿下の方だ。最悪、レオ・スプランドールは見逃してもいいと思ってるかもしれないし、それを餌にしてエクラさんを取り込めるならその方がいいって考えてるかもしれない」
「そう……」
エクラはフェル・プレジルの言葉を聞いて、ちら、とアレットを見た。どうやら、アシル・グロワールについて、アレットに遠慮しているらしい。
「大丈夫だよ。アシル殿下は気にしなくても大丈夫。きっと上手くやっておいでだから」
アレットはエクラを安心させるべくそう笑いかけ、ついでに荷物から水筒を取り出す。中には今朝方煎じてきた茶を入れてある。休憩には丁度いいだろう。
「だから、ね?今は、エクラさんが本調子で大聖堂まで辿り着くのが先決だよ。交渉前から焦ってもしょうがない」
「……そうね」
エクラはアレットの言葉に頷くと、フェル・プレジルに手を貸されながら、そっと馬車を降りる。馬車の外は街道脇らしく低木くらいしかない、開けた場所である。冬の柔らかな日差しの下、枯れた草の上に敷物を敷いて座れば、多少、気分も落ち着くだろう。
「少し休憩してから、また出発しようね。あ、御者さんも、よろしければお茶、どうぞ!」
「ちょいと早いが、昼食にしちまってもいいかもしれんな。俺はそろそろ腹が減ってきたよ……」
アレットとフェル・プレジルの様子を見て、エクラは少々戸惑うような様子を見せつつも、くすり、と笑う。気分が解れたらしいエクラを見て、アレットもまた、にっこりと笑うのだった。
……こうして、一行は大聖堂に向けて、着々と進んでいったのである。
……そして、それと同じ頃。
「こりゃあ、とんでもないモンを見つけちまったかもな」
ソルは、ため息を深々と吐き出して、壁画を眺めていた。
「あんた、これが読めるのかい?」
「まあ、多少、古代語を齧ってたもんでね」
隣に立つベラトールには、この壁画の文字が読めないらしい。それもそうだろう。最早この魔物の国でも、古代語を読める魔物はそう多くない。ソルとて、城の学者と友達付き合いをしていなかったらまるで読めていなかったに違いない。
「隊長!隊長!なんて書いてあるんですか!?俺、全然読めません!」
「だろうな」
ソルは『だろうなってなんですか!?俺が読めないの当たり前だと思ってたんですか!?まあそうですよね!俺もそう思います!で、なんて書いてあるんでしたっけ!?』と元気に騒ぐパクスを『うるせえ』と押して少々退かしつつ、壁画の文字を読んでいく。
……地下の神殿の奥。探索し、謎を解き、少しばかり怪我をしながらもなんとか辿り着いた最深部。そこにあった壁画に描かれていたものは神話の一幕でもなんでもなく、ただ、魔物の国の美しい風景。
そして、平穏な絵の下の方、古代語で書かれたその文章は……ソルが読む限り、冒頭が、このようにある。
『命こそが魔力の枷である。』




