怪物*4
怪物の襲来から、1週間ほど。
王都は怪物の恐ろしさを徐々に忘れ始め、少々不謹慎な噂を娯楽として楽しむようになっていた。
即ち、『第二王子は呪われている』という説である。
『魔物が城下に現れたのは、第二王子の呪いのせいだ』『勇者の力を奪い取ったせいで神がお怒りなのだ』『そもそもこんなに勇者が誕生するのはおかしい。全員偽物なのではないか』といった噂は、民衆を大いに怖がらせ、同時に大いに楽しませた。
民衆にとって権力者が落ちぶれる様というのは1つの娯楽でしかないのである。その権力者に自分達が統治されているということも忘れ、好き勝手騒ぐ民衆に、アシル・グロワールらは苛立たされている。
「全く……兄上を支持したいなら素直にそうしておけばよいものを、わざわざ敵対する可能性があるというだけで、私を攻撃してくるとは……」
「心中お察しいたします……」
……市井から聞こえてくる無遠慮な噂に、アシル・グロワールはやつれていた。アシル・グロワール本人も城下の被害状況の視察などに赴いていたのだが、城下に赴けばそれだけで好奇や侮蔑の目を向けられるのだ。嫌になりもするだろう。
「勇者の力に救われた国に住まう者が、勇者の力を恐れるなど……全く、嘆かわしいことだ」
アシル・グロワールはそう言って、アレットが淹れた茶を飲む。茶を口に含めば、多少、眉間の皺が浅くなる。最早、『フローレンが淹れた茶』を味わうと反射的に落ち着いてしまうらしい。
「勇者の力は……確かに、あまりにも圧倒的ですからね。私達、一般の兵と比べようもない程のお力を、騎士団長殿はお持ちです」
アレットはお代わりの茶を注いでやりつつ、少し悲し気に笑って、言ってやる。
「伝説に聞いていた力を初めて実際に見た者達が、それを恐れる気持ちは、多少、分かる気がします」
「……そうか」
あくまでも、『魔物の国の王都で多くの味方を勇者に見殺しにされた傭兵』としての立場でそう言えば、アシル・グロワールは少々しょげたような顔をする。……この人間は、どちらかというと民衆から悪し様に言われることより、『フローレン』が自分を怖がることの方が嫌らしい。
「ですが、そのお力に救われればやはり、騎士団長殿のお人柄と相まって、勇者の力が神の力だということがよく分かるかと思います。私は騎士団長殿に救われました。その時に、ああ、この方こそ、真に神に選ばれた勇者なのだ、と……そう、思ったのです」
アレットが励ますようにそう続けてやれば、今度は目に見えて、アシル・グロワールが元気になっていく。随分と分かりやすい。アレットの頭の中で何故かパクスがそっと顔を出しかけたが、アレットはそれをそっと引っ込めさせた。
「そうか……その、お前がそのように思っているというのなら、そうなのだろうな。うむ……」
アシル・グロワールはそわそわと少々落ち着かなげにそう言っては茶を飲む。アレットはにこにこと微笑みつつ、女王百合の蜜を混ぜて甘くした茶を自分自身でも味わった。魔物の国の植物の味は、やはり、アレットにとって馴染み深いものである。
「強すぎる力は、強すぎる悪があって初めて、その真価が分かるものなのかもしれませんね」
「まあ……そうだろうな。となれば、この国に強すぎる悪が無いということを、喜ぶべきなのだろうな……はあ」
ため息交じりの騎士団長を見てアレットは労わるように笑顔を浮かべ……そして、そっと、茶菓子の皿を勧めることにした。喋るか食べるか、2つに1つだ。怒りや悩みばかり口から零れるようならば、その口を塞ぐために、ひとまず食べさせておけばよい。……仲間内だと、特にパクスがこの部類である。悩んでいても怒っていても、パクスは食べるとそれらを忘れるのだ。パクスはその辺りも含めて、可愛い後輩なのである。
「騎士団長殿。よろしければお菓子もどうぞ。中々上手に焼けたのです」
「お前が焼いたのか!そうか、なら折角だ、1つ頂こうか」
アレットは、先程、厨房を手伝って焼いてきた焼き菓子を振舞いつつ、『皆、元気かなあ』と仲間達へ思いを馳せるのだった。
その夜、アレットはまた、城内のあちこちへ忍び込んでは会話を盗み聞いて回った。
使用人達の間でも、『第二王子の力の正当性』を疑う者が出始めているらしい。
……やはり、出来過ぎている。
城下の民衆の前でアシル・グロワールが戦ったにしても、その噂がこうまで悪意を持って伝わるというのは、やはり、おかしい。何者かが意識してそのような噂を広めていると考えるべきだろう。
ということでアレットは、噂の出処を探すことにした。
……当然ながら、これはそう簡単なことではない。悪意を持って噂を流す者が居たとしても、噂を広める者は善意で広めていることが多い。或いは何も考えずに広めていることもある。特に目的意識も無く噂を振りまく者達の足取りを追うのは、難しい。
だが、それでも分かることは案外あるものだ。
まず、『本来ならば一般の者が知るはずがない情報』が漏れていれば、その情報を知る者が情報を流した、と分かる。
今回の場合、『第二王子の勇者の力は意図的に生み出されたものであり、神の力ではない』という噂が広まっている訳だが、この主張を行っているのは今のところ、エクラ・スプランドールくらいなものである。
そして、エクラ・スプランドールには噂を流すだけの力が無いことを考えると……やはり、『シャルール・クロワイアントがアシル・グロワールを勇者にした』ということを知っている者達が噂を流している可能性が高い。
また、『勇者は全員偽物なのでは?』といった噂を発しているのは、第二王子も含めて勇者を全員排除したい者であろうと考えられ、そこから、シャルール・クロワイアントの取引相手が誰なのか、なんとなく読み取れる。
他にも、『神がお怒りなのだ』といった噂も多いことから、宗教関係者が加担している可能性も高そうである。
アレットはそんな情報を城内で集めに集め、そして……相談することにした。
「……という訳なのですが、神の力について言及するような方は、この城もしくはこの国にどれくらいいらっしゃるのでしょう」
アレットは、フェル・プレジルに相談してみた。
……フェル・プレジルは今、中立とはいえ、第二王子寄りの立場である。当然だ。第一王子は第三騎士団に毒を盛ろうとしていたのだから。中立を決め込んでいても、自分に危害を加えてくる者との間で真ん中に立ってやる義理は無い。フェル・プレジルはそれ故に、第二騎士団所属ということになっているアレットに対し、非常に親身になっていた。
「そうだなあ……神の、ってなるとやっぱり、大聖堂の関係者か?」
「大聖堂……」
「ああ。行ったことあるか?」
初めて聞く名前にアレットは警戒を強くする。……人間の国における『宗教』が、魔物の国のそれとは大きく異なるということを、アレットはなんとなく知っている。
人間の国においては、宗教とは心の内に当たり前にあるもの、という具合でもなく……心の内に宗教があることを行動で示し、時には心の内に宗教が無かったとしてもそれらしい行動をしなければならない、らしい。
その為に自らに苦しみを課し、苦しみを課す者を讃える。より自虐的な者に対して、『敬虔である』とする評価が送られる。アレットには理解が難しい内容であったが、『人間達にとって神っていじわるな存在なんだよね、きっと』と納得することにしている。
「いえ、不勉強なもので……名前を聞いたことがあるくらいです」
「ははは。だろうな。大丈夫だ、俺も行ったことはない。どうにも、そういうのは堅苦しくて苦手でな」
そしてフェル・プレジルもアレット同様、多少、人間の国の宗教に忌避感がある者であるらしかった。無論、表立ってこんなことを言えはしないのだろうが、多少気を許した雑兵相手なら、ということらしい。
「だが……そうなると、大聖堂が口を挟んできてる、ってことになるだろ?それはまずいかもな」
更に、フェル・プレジルはそんな懸念を口にする。恐らくこれも、表立っては言えないことなのだろう。自然と小さくなった声に耳をそばだてつつ、アレットは慎重に、話を聞く。
「大聖堂には大聖堂の権力がある。神のお言葉を伝えるってことだからな、王家に口を出すくらいの力はあるんだ。東の川に橋が掛けられたのも大聖堂からの進言だった訳だしな。……だが、それが、王位継承に関係するところにまで及ぶ、ってなると、流石に越権行為だろうな」
「越権行為……」
アレットの脳裏で、点と点が繋がる。
大聖堂とやらがそれなりの権力を持っていたとしても、王家に属する者を悪し様に言うのは流石に憚られるはず。
だが、恐らく大聖堂やそれに属する者から、第二王子および勇者を批判する噂が出ている。
つまり、この噂は大聖堂関係者以外から出たか、はたまた、大聖堂関係者が上の者の意向を無視して流したか……。
「つまり、勝手にはやらねえだろ、ってことさ。大聖堂が第二王子の噂を流してるっていうなら、そりゃ、大聖堂が第一王子の後ろ盾を得た、ってことだろ」
アレットの中で、点と点がきちりと繋がった。
これはやはり、第一王子側の手引きによるものであったと考えるべきだろう。
まず、前提として、『シャルール・クロワイアントがアシル・グロワールを勇者にしたのは、勇者を全員まとめて始末する予定があったから』。
当初の予定では、レオ・スプランドールとアシル・グロワールの2名をまとめて処理できればよい、とでも考えていたのかもしれない。レオ・スプランドールの存在にはアシル・グロワールだけではなく第一王子側も苛立っていたことだろう。
だが、そこにエクラ・スプランドールがやってきたことで……いよいよ、シャルール・クロワイアントは計画を実行させやすくなった。
それが今、城下に流れる噂である。
『勇者が複数居るなんておかしい』という論に始まり、徐々に、アシル・グロワールの正当性を疑うような噂を流していく。それと同時に、生み出した怪物の群れを王都に送り込み、そこでアシル・グロワールを戦わせることで、その能力……普通の人間とは明らかに異なるそれを、民衆に奇異なるものとして認識させる。
そうして、アシル・グロワールを王位争いから追放していく。
……それがシャルール・クロワイアントの狙いだったのだろう。
シャルール・クロワイアントの狙いは、第一王子の勝利。
アシル・グロワールもレオ・スプランドールもまとめて排除して、第一王子に有利な場を作ることが、シャルール・クロワイアントの目的だったのではないだろうか。
「うーん……やはり、第一王子は、使えるものは使う、ということなのでしょうね。隙があれば見逃さず、このように利用する、と……」
「ま、第一王子側が大聖堂と繋がってるって決まったわけでもない。神だの何だの言う奴らは大聖堂以外にも居るだろうしな。まだ判断は早い」
ふう、と息を吐きつつ、フェル・プレジルは姿勢を崩した。ここ数日、彼もまた激務に追われている。疲労もそこそこであるようだ。
「だが……第二王子側としては、やっぱり警戒しとくに越したことないだろ?」
「ええ、そう、ですね……」
アレットは神妙な顔をしつつ、内心では『でも勇者が全員まとめて消えてくれるなら、魔物からしてみると、とっても嬉しい』と考える。勇者の魔力を回収できれば尚良いが、まあ、勇者達が滅んでくれるならそれはそれで構わない。
「ですが、まだ確定しないことも多いです。騎士団長殿にあまり多くのことをお伝えするのは、ご負担をおかけすることになりそうで……」
アレットは少し考え……そして、やはりこのままもうしばらく放っておくことにした。
それと同時に、思う。
『一人勝ちなんてさせないからね』と。
……シャルール・クロワイアントの狙いは、未だ、完全には読み解けない。どのようにして勇者を生み出したのか、どのようにして神の力の欠片から魔力を抜き出したのか、そうしたことが分からない以上、奴らに一人勝ちさせるのは少々危険だ。
なので……アレットは、勇者達だけではない、全人類の滅亡に向かって、舵を切っていくことを決意した。
そうして、翌日。アレットがアシル・グロワールに少しばかり、報告をしていると。
「殿下!大変です!」
そこへ、伝令が駆け込んできた。何事か、とアレットもアシル・グロワールも注視する中……青ざめた顔で、伝令が言う。
「シャルール・クロワイアントが見つかりました。大聖堂で保護されているそうです。そして……『過ぎた力は平和を損ねる。複数の勇者が存在する状況は神の意志に反する。真なる平和と神への祈りのため、勇者を排除すべきだ』と、大聖堂が……!」
……遂に、動いた。
アレットは予想していた通りの展開に『やっぱりね』と内心で笑う。
人間の国の舵の奪い合いは、もう始まっているのだ。