怪物*2
「まずい……第二騎士団へ告ぐ!今すぐ剣を持ち、銃を持って魔物へ立ち向かえ!第三騎士団は」
「もう動かしてますよ!大丈夫だ、民衆の避難を優先しています!」
「ああ、助かる!」
2人の騎士団長はすぐさま部屋を駆け出していき、アレットもそれについて行く。城内の騎士も既に動いており、城下に出れば、既に戦っている者達も居た。
「よし、加勢するぞ!」
そうして騎士団長達が参戦するのを見ながら、アレットは……目の前の奇妙な光景を見て、困惑していた。
……魔物達が襲ってきた、と、聞いたのだが。
目の前で暴れまわるものは皆、魔力の多い獣、であった。
魔物は、魔力から生まれる。例えば、ヴィアは魔王の残り湯から生まれたらしいが、魔力の多い環境であれば、大地や水に染みた魔力を元に、そこから魔物が生まれるのである。
ヴィアは魔力が水に宿って形を成した魔物であったが、同様に、アレットは魔力が蝙蝠に宿って生まれた魔物であった。ソルやパクスも同様であり……唯一、レリンキュア姫だけは少々異なり、彼女はほぼ純粋な魔力の代物であったが故に、竜であったのだろうが。
……だが、あらゆる動物が皆、魔物になるわけではない。魔物の国にも魔物ではない獣は、居る。そういった獣が魔物にならない理由は様々で、合う魔力と巡り会っていない、触れ合った魔力が少ない、魔力を受け入れる適性が無い、等々である。
そして、魔物になった後も、少しずつ魔力を得て、自分のものとして、ようやく活動できるようになる。アレット達が仲間を食らってきたように、或いは神の力の欠片から魔力を得るのに苦労しているように、魔力を得て自分のものとするのは容易いことではない。いきなり魔力だけが与えられたとしても、大抵の魔力は魔物に吸収しにくい形になっている。だからこそ魔物の国は魔力が枯渇していないのであり……そして、魔物は魔力を吸収していくには時間がかかるのだ。
……そして今、目の前に居るものは、『魔物』というにはあまりにも、知性も力も無い生き物であった。
魔力はあるものの、自分のものとしていない。それ故に、知性が生まれるでもなく、魔力を操ることもできておらず……魔力に、操られている。ただ、暴れている。そんなように見える。
そう。まるで、ただ大きな魔力だけを与えられた、獣のようだ。
「……ねえ」
アレットは周囲に聞こえないよう、しかし、魔物であれば確実に聞こえるであろう声量で、目の前に立ち塞がる狐に話しかける。
「あなたは、魔物?」
……盛り上がった肩や胴体の筋肉と、妙に不釣り合いな細い手足。そして理性を失った目はアレットを見るでもなく、ただどこかへ向けられている。そんな狐の怪物は、アレットの問いに答えることなく、その妙に鋭い牙でアレットに襲い掛かってきた。
「魔物じゃ、ないんだね?」
アレットは目を細めると……即座に2本のナイフを抜き、襲い掛かってきた狐の怪物へと、躊躇わずに突きを繰り出す。
小細工も何も無し、一直線に襲い掛かってきた狐の怪物は、あっさりと心臓を貫かれ、倒れ伏した。
石畳に広がっていく血と、数度痙攣したきり動かなくなった狐の怪物とを見下ろして、アレットはすぐ、次の獲物へと向かっていく。
相手が魔物でもなんでもないただの怪物であるなら、特に躊躇う理由は無い。
ひとまず、アレットは自分へ向かってくる怪物を片っ端から片付けた。だが、特にそれ以上、深追いはしない。適当に『民衆の避難』などを手伝っていれば、後は然程戦わずとも文句を言われることは無いだろう。
……今回の襲撃は、どう考えてもおかしい。何せ、魔物でもない、ただの『魔力を与えられた獣』というような怪物が、大量に王都へ攻め入ってきたのだから。間違いなく、誰かが裏で糸を引いていたに違いない。
そして……そんなことができる人間は、そう多くない。そう。唯一の例外は、シャルール・クロワイアント。勇者の従者として活動し、どうやってか第二王子に魔力を与えて勇者とした、奇妙な人間。
狙いも何も分からないが、今回の企みはほぼ間違いなく、彼の手によるものであろう。人間の中で魔力の存在をある程度理解している者など、そう多くは無いはずだ。
……今回の襲撃に使われた怪物は、ほぼ間違いなく、人間の手で生み出されたものだろう。それこそ本当に、ただの獣に魔力をぽんと与えたのだろうと推測できる。そうして人為的に生み出された『魔物』が、人間の国を襲った。
奇妙な事態である。シャルール・クロワイアントの狙いは未だによく分からない。
だが……ここで人がある程度死ねば、それはそれでアレットとしては喜ばしい。特に、勇者達は、ここで死んでくれれば儲けものである。アレットはこっそり、そんな期待をしつつ……。
「流石、アシル殿下!あのように巨大な魔物も簡単に屠るとは!」
「ああ、団長!一生ついて行きます!」
……曲がり角を曲がったところで、アシル・グロワールが巨大な怪物を仕留め終えたところを見つけて、そっと、曲がり角の手前へと引っ込むことにした。
どうやら、ここで重要な死者が出ることはあまり期待しない方がよさそうだ。
そうして二刻ばかり。兵士達が戦い続けて、ようやく、城下の怪物は片付いた。
その間、アシル・グロワールは存分に己の強さを発揮していたらしい。他の人間達とは明らかに一線を画す動き方、その力は、共に戦った兵士達や城下に住まう民衆から、畏敬と畏怖を存分に集めたようだ。
フェル・プレジルも随分と善戦したようなのだが、やはり、勇者の動きと比べるとどうにも霞む。フェル・プレジル自身は『ま、主役ってガラでもねえしな』と苦笑いしていたが。
……そして、アレットは一般の兵卒の中では相当な上位に食い込む結果を叩き出した。恐らく、民衆の避難などを一切手伝わなかったなら(つまり、手を抜かなかったなら)余裕を持っての一等賞だっただろう。
こうして町を襲った怪物の一団は無事に排除され、アシル・グロワールの力が存分に知れ渡り……ひとまず、この事件は幕を下ろすこととなった。
アシル・グロワールとフェル・プレジルは、早速王城へ召集されていった。今回の事件についての報告を求められているらしい。そんな2人を見送って、アレットは今、城下の片づけを行っている。
「いやー、貧乏くじだよなあ、俺ら」
「魔物の死体の片付け、ってのは、まあ、やりたい仕事じゃねえよな……」
……当然ながら、城下町に入り込んだ怪物を殺せば、そこに死体が残る。その死体を放置しておけば、腐り、病の原因ともなる。なので今、兵士達が動員されて、そうした死体の片づけをさせられているのである。
時々、怪物の死体に人間の死体も混ざっているのはご愛敬、といったところか。一応、人間の死体は弔うために別に分けてあるが……弔う余裕があるとは、何とも羨ましいことだ。アレットはどこか冷えた気持ちで、人間の死体を馬車へ積む。
「それにしても、魔物の国にはこんなのがうじゃうじゃ居るんだろ?全く、とんでもないところだよなあ……」
だが、少々不思議な言葉を聞いてしまい、アレットは耳をそばだてる。……どうやら、第三騎士団の兵士の言葉のようだが。
「全く、理性ってもんが見えねえからな。気が狂ったみたいで……戦いにくいったらありゃしねえ」
「魔物ってのは本当に碌なもんじゃねえな……」
……そして、随分と不名誉な言われようであるのを聞いて、流石にアレットは訂正を挟むことにした。
「いえ、あっちで見た魔物はこういうかんじじゃありませんでしたよ」
魔物としては、こんな『ただ魔力を与えられた獣』如きと一括りにされてはたまらない。そして人間に化けるという点でも、魔物の国で戦っていた傭兵としては、この情報を訂正しておくべきだろう。
「魔物の国で見た魔物は、言葉を喋りましたし」
「えっ」
「もう少し賢いかんじがありましたね。火薬くらいなら使っている様子がありましたよ」
「えええっ……ああ、そうか。お前、向こうに居たんだっけ」
第三騎士団の兵士達はアレットの言葉に驚いていたが、『魔物の国へ行って戦っていた者』の言葉には耳を傾ける気になったらしい。興味深々、といった様子でアレットの話に聞き入る。
「まあ、とにかく……今回襲ってきた魔物は、明らかに何か、おかしかったです。本当に魔物だったのかな……正直なところ、全然戦い方が違って……私は、魔物とは全く別物として意識を切り替えて、戦ってました」
アレットの言葉に、皆が聞き入る。彼らからしてみれば、行ったことのない魔物の国、見たことのない魔物の様子について、それなりに興味があるらしい。
「それに、あんなに理性が無い生き物が、あんなに集まって統率されたように襲い掛かってくる、なんて不自然です。誰かが手を引いたとしか思えません」
「成程、確かにそうだよなあ……」
「そもそも、なんでこの国に魔物が入り込んでるんだ、って話だしな。海を渡ってきた奴がこんなに居た、とも思えねえ、よな?」
アレットは『海を渡ってきた魔物ならここに居るんだけれどね』と内心で思いつつ、神妙な顔で頷いて見せる。
「だから……その、もしかしたら、これは魔物の国の魔物じゃなくて……この国で、新たに生まれた魔物、っていうことなのかな、って思ったんだけれど……」
「うおお……そりゃ、随分ときな臭い話じゃないか」
「どうなるんだかな。今、騎士団長達が集まって話してるんだろ?」
「今後の動きによっては、俺達も魔物の国に行くことになんのかなー……いや、その前に国内の掃討作戦とか、ありそうだよな……」
アレット達がそんな話をしていると、なんだなんだ、とばかり、兵士達が集まってきて、やはり同じような話をアレットから聞く。或いは、既に第二騎士団の兵士から『やはり今回襲ってきた化け物は、魔物の国の魔物とは違うものだったように思う』という話を聞いていた者も居て、場は大いに盛り上がった。
……盛り上がりつつも、怪物の死体の処理は着々と進められ、町は次第に片付いていく。それでも、怪物の襲来の痕跡が完全に消えるまで、当分かかるだろうが。
アレット達、兵士がそれぞれの寝室へ戻れたのは夜遅くになってからだった。
日が暮れて、怪物の死体の処理をするのに難しい暗さになってからも、人間の死体を安置所へ運んだり、武具の手入れをしたり、城へ避難してきた民衆の世話をしたり、と何かと仕事があったためである。
アレットも日付が変わる頃、ようやく自分の部屋へと戻ってくることができた。さっさと寝てしまいたい程に疲れたが、仕事が仕事だった分、汚れに汚れた。
簡単に汚れを落とすため、大きな薬缶に水を汲んで暖炉の火にかけて、沸かし始める。適当に湧いたら大きなタライに入れて水で温度を調整しつつ、ちゃぷんと浸かればいい。
ついでにちょっと入浴剤を入れようかなあ、と、アレットは薬缶の中にオレンジの皮の干したものをぽいと放り込む。これは厨房を手伝っていて手に入れたものだが、これを入れておくと湯の香りが中々に良いので、アレットは気に入っている。
そうして、アレットは少々うきうきしながら薬缶の湯が沸くのを待っていたのだが……。
「フローレン、入っていいか?」
「あ、はい。どうぞ」
騎士団長がやってきた。一応、アレットが以前言ったことや王妃からの目を気にしてか、フェル・プレジルも連れてきたのがなんとなく微笑ましい。
「すまないな。眠るところだったか」
「いえ、これから入浴しようとしていたところで……あっ、汚い恰好で申し訳ありません」
アレットが汚れた服のままもじもじすると、アシル・グロワールは少々慌てて咳払いなどしつつ、『気にするな、急に押し掛けてきたのはこちらだ』とだけ言う。……その裏で、用意されているタライや湯気を出す薬缶を見て、なんとなく『フローレンの入浴』を想像してしまったらしく、妙にぎこちなかったが。
「あー、じゃあ、手短に。入浴前の若い娘をいつまでも捕まえとくもんじゃあありませんからね、殿下」
そんなアシル・グロワールを少々揶揄うように言ったフェル・プレジルは、ふと改まって、アレットに向かう。
「……さっき、騎士団長や城の重役、国王陛下や第一王子殿下なんかも集まって、会議が行われた。俺とアシル殿下も参加してきたわけだが……まあ、ちょっと妙な具合だったんでな」
ぽり、と頬を掻きつつ、フェル・プレジルはそう言い……ちら、とアシル・グロワールを見やる。すると、アシル・グロワールも少々妙な顔をしつつ、ため息交じりに話した。
「第一王子派の者が、『勇者の力とは実に素晴らしいものだ』と言っていた。それだけだが……『功労者として表彰が必要ではないだろうか』とまで申し出てきたのでな。流石に不審だ」
「へ?第一王子派が、騎士団長殿を、表彰……?」
……妙な話である。アレットは目を瞬かせながら、首を傾げる。
「え、ええと……それで、その表彰式の話は、どうなったんですか?」
「ま、死者も出ている中でそれは不謹慎だろ、ってことでアシル殿下が主張されたんで、その案は取り下げられたがな。とにかく、妙ではある」
「そうですね……うーん、なんで、敵を応援するようなことを、わざわざ……?」
第一王子派は一体何を企んでいるのだろうか。盗み聞いた内容からしてみれば、第一王子派は第三騎士団の者達に食中りを仕組んでやろうと画策する程度には、『手段を択ばない』ものだという印象だったのだが。……だが、食中りについてはアレットからフェル・プレジルの密告もあり、未然に防がれた。そのこともあって、今更ながら慎重を期すようになった、のだろうか。
「あの、その時の国王陛下や第一王子殿下の様子は、いかがでしたか」
「特にどうということも無かったな。父上も兄上も、特にご自分の意見は発されなかった。『功労者として表彰すべき』という意見にも、『死者も出ている中で表彰式を行うのはあまりに不謹慎だ』という意見にも、頷かれるだけだった」
そして、第一王子派や、本来中立であるはずであろう国王自身についても、まるで『関与していない』というような反応を取った、となれば……いよいよ、第一王子本人ではなく、それでいて第一王子派の者が勝手に暴走した結果なのではないか、とも思える。だが……。
「それから、フローレン。今回襲ってきた魔物について、どう思う」
続いて、アシル・グロワールはそのことについて問うてきた。なのでアレットは、内心で喜びつつ、先程も城下で行っていた主張を繰り返す。
「あれは魔物ではなかったのではないかと思います」
「ほー。魔物ではない、と……?」
魔物の国へ行ったことのないフェル・プレジルは少々訝しげであったが、アシル・グロワールは『やはりな』とばかりに頷いた。
「その……少なくとも、魔物の国で戦った魔物達については、より理知的で、より手ごわい印象がありました。ですが、今日、城下を襲ったものは……理性の欠片も見えず、かつ、然程手ごわくもありませんでした」
「成程、やはり、お前もそう思ったか」
「はい。騎士団長殿もやはり、感じておいでだったのですね」
アレットは『頼もしい!』というような目でアシル・グロワールを見上げ、にっこり微笑んだ。
「……ですが、そうなるとやはり、あの怪物がどこで、誰の手によって用意されたものなのかが気になりますね」
「そう、だな……うむ」
アシル・グロワールは『やはり兄上か?それとも、まさか、脱獄した例の従者が……?』と悩み始める。アレットとしても、大凡そのどちらかではないだろうか、と考えていたが……どのみち、確証は得られない。
だが。
ちょいちょい、とつつかれて、アレットはフェル・プレジルの方を向く。すると、フェル・プレジルは少々深刻そうな顔でアレットを部屋の隅へ連れていき、そこで、ひそひそと囁いた。
「フローレン。その、この間の話じゃ、シャルール・クロワイアントがアシル殿下を勇者にした、って、話、だったよな……?」
「え、ええ。そのように、レオ・スプランドール殿から聞き出しましたが……」
一応、シャルール・クロワイアントの脱獄については第三騎士団団長と第二騎士団副団長代理の共同捜査、ということになっているため、アレットはこの辺りもフェル・プレジルに報告している。そして何やら、その辺りが引っかかったらしく、フェル・プレジルは少々考え込み……そして、言った。
「……なら、シャルール・クロワイアントは、そこらの動物にも何かの力を与えられる、ってことか?」
……そう。それは、あの魔物のなり損ないのような怪物が生み出されるにあたって、至極真っ当な理論であった。