怪物*1
ソル達が王都近郊へ到着してからここまでは休みなしだった。何せ、今の王都には人間達が蔓延っているのだから。
……若干、期待は、していた。『もしかして、自分達が消えた後、魔物達が人間達に反旗を翻し、王都を取り戻しているのではないか』と。そうでなくとも、魔物達が多く、生き残っているのではないか、と。
……だが、現実はそうも、いかなかった。
王都の中を少しばかり見て回ったが、戦いの痕跡は未だ消えず、人間達の支配はより一層強くなっており……路地裏、無造作に積み上げられたままの魔物達の死体は異臭を発していた。
『アレットが居れば、火の魔法で全員荼毘に付してやれたかな』とソルは思う。だが、今のソル達にはそんな余裕も無い。
結局、同胞達の死体が弔われもせずに積み上げられた横を黙って通り過ぎ、そして、人間達の監視を掻い潜りながら進み……予め目星を付けていた個所を見て回ることになった。
最初に見たのは、王都の外れにある小さな神殿。……神殿とは言っても、神の力を祀るものではなく、ただ、神に祈りを捧げるためだけの、小さな施設である。だが、神に係わる場所であるだけに、何か手掛かりがあるのではないか、と期待した。
……実際にその場を訪れてみて、すぐ、その期待は崩れたが。
何せ、原形を留めていなかった。休日に訪れて祈りを捧げる者も多かった場所……多くの魔物に安らぎを与えていた場所は、無残に破壊され、ただ廃墟が残るのみとなっていたのである。
そして、そこに期待していた魔力の痕跡……神の力の欠片を祀る場所に繋がる手がかりは、何も見当たらなかったのである。
次に向かったのは、王都の広場である。……レリンキュア姫の処刑場でもあったそこは、今や人間の兵士達がぼんやり立っているだけの場所であった。取り締まるべき魔物達もほとんどが死に絶え、或いは隠れ、或いは人間達に管理され……そうして、このような必要のない警備をしているばかりなのである。
パクスは『あいつら全員殺しましょう』と提案してきた。短絡的な思考ではあったが、ソルも大いに賛成したいところではあった。
……そうでもしなければ、あまりにも、やりきれない。自分達が見捨てたものとはいえ、残してきた同胞達と愛する王都とが無残な姿へと変わってしまったこの現実を、どうにも、受け止めきれない。
覚悟はしていたつもりだった。こうなると分かっていて、レリンキュア姫の脱出を決行したのである。
だが……それでも、どうにも、やりきれなかった。
結局、広場の人間達を殺すことはしなかった。というのも、向こうはこちらに気づいてはおらず、しかし、しかと銃で武装しており……それなりの数が揃っていたからである。そして何より、神の力の欠片の気配は欠片たりとも感じられなかった。
負傷してでも人間共を皆殺しにしたい気持ちはあったが、今はより優先すべきことがある。ソルは嘆くパクスを引きずって、広場を後にしたのである。
そうして次に訪れた場所が……地下水道であった。
魔物達の水道設備は、人間達のそれより余程上手くできている。
上水道はウンディーネが住み着いて勝手に管理して上手く回っており、下水道はスライムの類が住み着いて水の浄化を行っているのである。また、下水道は特に、魔力が流れ込んで新たな魔物が生まれる場ともなっていた。魔物の国にとって、なくてはならない設備なのである。
……だが、人間達にとっては、さして気に留めるべきでもない設備だということなのだろう。
なんと、地下水道はほとんど荒らされていなかった。流れ込む下水にぷかぷかとスライムが浮かび、のんびりと下水を食べては澄んだ水を滲ませて流している。
全体的な魔力不足は否めないらしく、スライムの数は多少減っており、また、地下水道へ逃げ込んできたらしい魔物が生気のない瞳で蹲っているような様子もあったが……それでも、今の魔物の国の光景の中では、随分と穏やかなものだった。
下水の流れ込む場所である以上、決して美しい光景ではなく、臭気もそれなりのものである。だが、懐かしい魔物の国の光景の片鱗を見つけて、ソルもパクスも酷く安堵した。王都の地下水道を初めて見るベラトールも、スライム達がのびのびと過ごしている様子を見て、『ああ、よかった』と息を吐いたほどである。
そして……そんな安寧の場所の奥に、ようやく、目的のものを見つけたのだ。
そう。最後の神殿が、そこにあった。
下水道が入り口になっている割に、神殿の中は清廉であり、まるで荒れていなかった。人間達に荒らされた南や東の神殿などの方が余程、酷い有様だったことを考えると、何とも皮肉気に思えてくる。
神殿の床や壁は、ほんのりと透明感のある、石英めいた石材でできていた。ランプに灯した光が壁や床に染み入り、反射して、ふわりと増幅されていく。地下の神殿であるのに、ぼんやりと薄明るく、暖かく感じられた。
郷愁、というものを、ソルは感じていた。荒れ果てた王都では感じられなかったそれを、初めて踏み入るこの神殿の中で感じ取る。それに気づいてまた、取り返せない多くのものが思い出される。
「……とりあえず、休むか」
神殿の内部、祭壇の前まで進んだソルは、そこで腰を下ろす。心身共に、疲労の限界だった。感傷的にもなっている。今すぐ、神殿の探索を行う気にはなれなかった。
「そうだね。いいよ、私が見張りをやる。あんた達は寝な」
「いや、見張りは要らねえだろう。外にはスライムがみっちり住み着いてる。何かありゃあ、すぐ気づくさ」
そう。ソル達が神殿に踏み入った時、地下水道のスライム達はそんなソル達を見てぷるるん、と体を揺らすと、ソル達を守るように、神殿の入り口の周りへと集まってきたのである。
彼らの中には喋るスライムも居て、『王都けいびたいの隊長どの、どうかごゆっくり。ぼくたちが見張っています。』との言葉を伝えてくれた。ならば、今、ソル達のすべきことは彼らに甘えてゆっくりと休むことだろう。
「スライムって、みんないい奴なんですかねえ。俺、あんまりスライムの知り合い、居たことなかったからよく分からないんですけど……」
「ま、そうだな。皆、いい奴だ。……ヴィア程に喋る奴は俺も見たことないけどな」
3人は『よく喋るスライム』を思い出して『やっぱりあいつは変な奴だった』とそれぞれに思う。
「まあ、スライムだろうがそうじゃなかろうが、私達は魔物同士だ。悪い奴、ってことも無いだろうよ。……じゃ、私も寝ちまうよ。流石に中々堪えた」
ベラトールは早速、床の上に寝転がって休む姿勢になる。それに倣ってパクスもころりと丸くなると、ソルが体を横たえるより先にもう、寝息を立て始めた。
……ソルも随分と疲労したが、パクスもベラトールも、疲れ切ったことだろう。
せめて今日だけは、と思いつつ、ソルもまた、そっと横たわって目を閉じる。
……そうしてしまえばすぐ、神殿の清廉ながら優しい気配が、そっと、ソルを眠りに引き込んでいった。
……一方、ソル達が神殿で眠っている間も、アレットは人間の城の中で地位を固めていた。
王妃は相変わらず『フローレン』の名前を出されると不愉快そうな顔をしたが、アシル・グロワールに釘を刺されて以来、多少、大人しくもなったらしい。
……何より、アレットが『第二王子の為に』と働く姿をアシル・グロワールから何度も聞かされて、多少、考えが変わってきたのだろう。
また、一度冷静になることで、多方への人脈を持つ『フローレン』の力に気づいたのかもしれない。
少なくとも、今のアレットはほぼ唯一、エクラ・スプランドールに心を開かせ、レオ・スプランドールと『どうやってか』取引をしているらしく、そしてフェル・プレジルやアシル・グロワールからの評価も高い、という……極めて優秀な人材なのだから。
……さて。そうしてアレットが地盤を固める中、地盤が固まり切らない者が居る。
そう。処刑を目前としていたにもかかわらず、レオ・スプランドールを殺すのが難しくなってきたのだ。
それによってレオ・スプランドールは未だ、宙ぶらりんの状態で地下牢に居るわけだが……その処遇さえも、どうしたものか、と王城内の者達の頭を悩ませている。
今も、アレットと騎士団長の2人きり、という面子で、顔を突き合わせて話し合っているのだが……。
「レオ・スプランドールについては、可能ならばさっさと処刑したい。が、今処刑を急げば民衆からの反感を買うだろう。エクラ・スプランドールの件といい、どのように説明すべきか……」
「うーん……どうしましょう。エクラ・スプランドールを懐柔することはそう難しくなさそうですから、うまく言いくるめられればいいですが……少なくとも公開処刑にはできませんよね」
……結局、両者の考えは同じである。『レオ・スプランドールの処刑は難しくなった』。
「恐らく、エクラ・スプランドールはレオ・スプランドールの処刑を知れば王家に歯向かうことでしょう。そして彼女はその時、間違いなく民衆を味方に付けてくるはずです」
「そうだろうな……」
アレットはアシル・グロワールにそう伝える。その辺りはアシル・グロワールにも分かっているらしく、反発もなく肯定された。
「ですから、勇者兄妹のことは、できればこちらで抱え込みたいですね。ただ……」
「……エクラ・スプランドールは、俺が、レオ・スプランドールから勇者の力を奪った、と主張している訳だからな。敵対は避けられない」
レオ・スプランドールを処刑するのは難しい。
だが、エクラ・スプランドールの主張を考えるに、味方に付けることも難しいのだ。
少なくとも、レオ・スプランドールがエクラ・スプランドールの主張に乗って『俺は第二王子に勇者の力を奪われた』と主張し始めたら泥沼である。……アレットはむしろ、そうなるように仕向けてきたが。
「1つには、エクラ・スプランドールの主張を、『まだまだ未熟な少女の勘違い』ということにして片付ける方法があります。それを寛大に許す第二王子殿下、というのは、そう聞こえの悪いものではありませんが……」
「そうだな……その場合、レオ・スプランドールを先に買収しておく必要があるだろうな。彼がエクラ・スプランドールの主張に乗ってしまえば、こちらからその証言を覆すのは難しい」
アレットはアシル・グロワールの言葉に頷きつつ、内心で『まあ、私の助言通り、レオ・スプランドールは自分の力を奪われた、って主張するだろうなあ』と考えた。
「……では、いっそのこと、騎士団長殿からレオ・スプランドールに取引を持ち掛けてみてはいかがでしょうか。処刑しないことを約束する代わりに、こちらに有利な証言をさせる、というのは」
ついでにそんなことを吹き込みつつ、アレットは……少々、考える。それは、『そもそも、敵の思惑は何か』ということだ。
……敵の全貌は、見えない。シャルール・クロワイアントが誰と組んでいるのか、未だによく分からない。だが、その狙い程度は、透かし見ることができる。
まず、シャルール・クロワイアントは、レオ・スプランドールの従者として王家から派遣されながらも、レオ・スプランドールを裏切っている。それでいて、レオ・スプランドールが魔物の国を制圧してそこに新たな王国を作ろうとしていたことについては、止めなかった。
次に、シャルール・クロワイアントは、どうも王家に尽くしているらしい。第二王子側なのか、第一王子側なのかは分からないが。
……そして、シャルール・クロワイアントは、南の神殿の神の力を使って、アシル・グロワールを勇者にした。これはまず間違いない事実だろう。
以上のことから考えると、どうにも、矛盾が生じてくる。
まず、王家のことを考えるのであれば、レオ・スプランドールによる新たな王国など、計画段階で阻止しておくべきだっただろう。王家に忠誠を誓っているのならば、王家に打撃を与えかねない勢力は潰しておいた方が良かったはずだ。
そしてやはり、アシル・グロワールを勇者にした意味が分からない。アシル・グロワールに力を与え、王位を継承させる狙いがあったのであれば、脱獄などせずに、レオ・スプランドールの証言を封じ込めるための証言者になった方が良かっただろう。まさに今、その点でアシル・グロワールは困っているのだから。
……にもかかわらず、シャルール・クロワイアントは脱獄した。恐らく、何者かの手によって。
「うーん……シャルール・クロワイアントは、誰の味方なのでしょうか……」
アレットは唸りつつ、考える。
……シャルール・クロワイアントの行動だけ見ると、第二王子を勇者にすることで第二王子の味方をしているように見える。だが、現在の結果だけ見てしまえば、今、一番状況が安定しているのは第一王子であろう。
今や、『勇者』の肩書は、力の象徴でありながらも衝突の材料になってしまっている。エクラ・スプランドールが居なかったとしても、レオ・スプランドールとアシル・グロワールの二者だけで、十分な争いの種となっているのだから。
更に、レオ・スプランドールが魔物の国に新たな王国を作ろうとしていたこともまた、ここで響いてきている。生まれかけの王国は、一体誰のためのものなのだろう。このまま計画は閉ざされるのだろうか。そもそも、何のために王国を作ろうとしていたのか。
……一方のアレットとしては、このまま国が荒れてくれれば嬉しい。魔物の国をああまでしてくれた人間達の国を内側から滅ぼしてやるのは、そう悪くない。アレットが、愛する大地へと帰るためにも。
それに、その過程で勇者3人が死ねば、その魔力を回収することもできる。
つまり、今の状況はアレットにとって悪くない状況、なのだが……。
……そうして考えていたアレットは、思い出す。
『無能な働き者の味方が一番の敵』だと、ヴィアが言っていたことを。
はっとして、アレットはすぐさま考え始める。シャルール・クロワイアントが正にそれではないだろうか、と。
「殿下!」
そこへ、駆け込んできた者が居る。無作法も無作法であるが、駆け込んできた者の表情を見るだけで、誰もがその無作法を咎める気にはなれなかったことだろう。
駆け込んできた者……フェル・プレジルは、顔面蒼白となって、必死に訴えかけてきた。
「城下に魔物が現れました!その数……数百!」
「何だと!?」
……アシル・グロワールが驚く後ろで、アレットもまた、静かに目を見開く。
一体、何が起きているのか。魔物であるアレットにさえ、まるで理解が及ばなかった。