人間模様*4
「知っているかもしれないが、私の母は後妻だ。兄上を産んだ皇后が亡くなってすぐ、王城へ迎え入れられた。そして私の母は、第二王子である私に王位を継がせたいらしい」
『そんなこと知らなかったよ』と内心で驚きつつ、アレットは神妙な顔で頷く。……恐らく、この王城に居る人間ならば、ある程度知っていて然るべき話なのだろうから。
「だから兄上は兄上で、私が目障りだったらしいな。自分で言うのもどうかと思うが……私の方が少々、優秀だった。それが兄上からしてみれば、気に食わなかったらしい」
アレットからしてみれば、アシル・グロワールの戦いの才能は、それほどのものでもなかった。何故か魔力を得て勇者となったが、その力が無ければ、人間の兵士の平均を少し超える程度の腕前でしかなかっただろう。アレット1人でも、不意打ちせずに十分倒せる程度だった。
そんなアシル・グロワールよりもさらに『優秀ではない』となると……第一王子を殺すのは然程難しくなさそうである。特に殺す予定は今のところ無いが、いざとなっても困らないだろう、とアレットはそっと記憶した。
「だがそれでも、幼い頃は仲の良い兄弟だった。兄上は私をよく気にかける、よい兄だったからな。私もそんな兄を慕って、王位のことなど特に考えずに過ごしていた」
「そう、なのですか……」
「ああ。だが、それら全て、演技だった。兄上は幼いころからずっと、私を殺そうとお考えでいらっしゃったのだ」
長く息を吐いて、茶を飲み、アシル・グロワールはゆっくりと話す。思い出しながら整理をしているのだろう。
「……いつものように庭園で日光浴をしていた時だった。兄上が私を庭園の湖へと誘った。舟に乗らないか、と。……庭園の湖には小舟があってな。季節になると、水蓮が美しい中を漕ぎ遊ぶことができる。兄上が私を誘ったのも、それくらいの季節だった。そして小舟に乗って湖の中ほどまで漕ぎ出した後で、菓子を、下さったのだ」
「それが……毒だったのですか」
湖の上。2人きりの状況。近くに護衛は居たのだろうが、同じ舟に乗っていなかったなら、救助は確実に遅くなる。常に監視が付いているであろう王子同士で毒殺するには悪くない手かもしれない。
「ああ。今も覚えている。赤い飴だったよ。それを、兄上自身は召し上がらずに、私に食べさせた。私は何も知らずに、毒の飴を口にして……」
そこで一旦、アシル・グロワールは口を噤む。自分が苦しみ、死にかけた時の記憶などあまり思い出したくないものだろうに、それでも律儀に説明しようとするのだから大したものである。
「その後の意識はあまり無い。ただ、兄上が舟の外に落ちて、それを遠目から見ていた護衛の騎士達が兄上を救助しに向かったことだけは覚えている」
成程、第一王子は幼少のころから中々の策士であったらしい。
毒を飲んだ弟への救助に向かわせないよう、自ら溺れるふりをして護衛達を引き付けた。それによって救助が遅れれば、より、毒殺が成功する可能性は高くなる。理に適った行動である。
「……それから、私は毒のせいで三日三晩、苦しんだ。胃の腑が内側から爛れて酷い痛みだった。痛みと苦しみに朦朧とし続けて……そして私がようやく部屋の外に出られるようになった頃には、毒殺未遂のことなどすっかり片付いていた。飴に毒を混ぜたとして、侍女の1人が犯人であるということになっていた」
「第一王子殿下には、何も?」
「ああ。兄上に罪は無い、ということになった。兄上は『何も知らずに』私に飴を与えたんだそうだ」
皮肉気に笑って、アシル・グロワールはそう言う。そう言ってから……深く憎悪の籠った目を、テーブルの上に落とす。
「だが……私ははっきりと覚えている。湖の上、舟の中で倒れた私に『美味しい?』と微笑みかけた兄上の顔を」
「それは……」
「間違いない。兄上はあの飴が毒であることを知っていた。だからこそ、自分では口にしようとせず、そして、私が倒れた後も微笑み、更に、湖に飛び込んで溺れたふりなどをしたのだ」
それはそうだろうなあ、とアレットは頷いた。アシル・グロワールの話を聞く限りは、第一王子には明確な殺意があったように見える。そして今もきっと、そうなのだろう。
「……ようやく毒の苦しみが癒えてきた頃、兄上が何食わぬ顔で見舞いに来た。『大丈夫?』などと言いながら、庭園で摘んだ花を持ってきた。今でもよく覚えている。どうして、自分が殺そうとした相手に、そんな顔で心配そうな素振りができるのか、と心底不気味に思った」
「ああ、なんということでしょう……」
アレットはアシル・グロワールの手を取り、きゅ、と握った。アレットの手より随分と大きな手を握ってみても、手を添えているだけのような有様だったが、それでも。
「……お話し下さり、ありがとうございます。何故、第一王子殿下を警戒すべきか、理解できました」
「そうか」
アシル・グロワールはアレットの様子を見て、満足気に微笑んだ。
「私は兄上を警戒している。常に私を狙っていると考えているとも。特に、私が勇者として神に選ばれ、いよいよ王としての正当性を増してしまった今は、余計にそうだろう」
「ええ」
「だからこそ、フローレン。十分に注意してほしい」
アシル・グロワールはアレットの手を握り返して、じっとアレットを見つめた。その目には生気がみなぎり、苦しい過去を思い出していた時よりも随分と活力に満ちていた。過去ではなく現在や未来を見つめることは、魔物だけでなく人間にも活力を与えるらしい。
「兄上はきっと、お前を狙っている。私が気にかけているという噂を聞いたのだろう。どうも兄上はお前に興味を抱いているようだ」
「えっ」
……ついでに、今回の場合、『愛する者の現在や未来のために』というところもあり、余計にアシル・グロワールは元気なのだろう。
「そうですか……成程。ならば、望むところです」
そこでアレットは、アシル・グロワールの漲る活力、或いは憎悪を燃料にして燃え盛る義憤の炎が燃え移ったかのように振舞いながら、力強い笑みを浮かべて応える。
「私に不用意に手を出してきたなら、返り討ちにします。騎士団長殿のお命を狙う輩とは、徹底的に争います。向かってきてくれるなら好都合です」
アレットは自信たっぷりにそう言うと、満面の笑みを浮かべた。
「必ずや、騎士団長殿に、勝利を!」
何やら感動したらしいアシル・グロワールを宥め、希望で満たしてやり、もう少々会話を交わした後、アレットはようやく、執務室を辞した。
それからアレットは地下牢へと向かう。
……レオ・スプランドールとの面会の為である。
レオ・スプランドールとの面会はすんなりと許可された。どうやら、アシル・グロワールが事前に話を通していたらしい。ついでにフェル・プレジルもまた、事前に話をしていたらしく、牢番は『ああ、こいつが噂の女傭兵か!』とばかり、興味深げにアレットを眺めながら何やら合点のいったような顔をした。
……だが同時に、第一騎士団の監視らしいものも幾らか、見受けられた。アレットは存分に彼らを警戒しつつ……しかし、多少、彼らに情報が漏れるようにも意識しつつ、牢番と少々やりとりをする。
レオ・スプランドールとの面会に来たこと。第一騎士団にも第二騎士団にも公表されていない調査だが、許可は得ているということ。そんなことを少々話して……そして、アレットは地下牢の先へと進む。
ここから先は完全に人払いをした。こっそりと聞き耳を立てる者が居ても、アレットの目は誤魔化せない。隠れていた第一騎士団の者に『駄目ですよ、ちゃんと退席してください!』と言ってやれば、彼は『何故分かった』というように驚きを隠そうともせず、しかし、アレットに押されるがまま、地下牢からすごすご大人しく出ていった。
……さて。そうして、レオ・スプランドールの牢の前に1人だけでやってきたアレットは、ようやく、『勇者』と相対することになる。
「久しぶりだね、レオ・スプランドール」
そこでアレットがそう話しかければ、レオ・スプランドールは少々訝し気な顔をし……そして、思い出したらしい。
「お前っ……あの時の、魔物!?」
そこでレオ・スプランドールは激高しかけたが、アレットはそっと、それを押し留めて、言った。
「ヴィアの代わりに、あなた達を助けに来たよ」
レオ・スプランドールが、ぽかん、とする。
「ええと、私個人としては、あなたにものすごく恨みがある、んだけれど……ヴィアが、私の仲間が、あなたと取引をしたらしいから。それをちゃんと、果たしに来たの」
アレットがそう言うと、レオ・スプランドールも、今すぐにアレットの手を離すのは得策ではない、と考えたらしい。それ以上騒ぐ様子もなく、ただ、存分に警戒しながらアレットを睨んだ。
……だが、まあ、これで第一関門は突破した、と見ていいだろう。最悪の場合、『こいつは魔物だ!』と騒ぎ立てるレオ・スプランドールによってアレットの立場が悪くなっていただろう。そう考えれば、こうして対話の余地があるだけ、まだ随分マシである。
アレットは気を取り直して、早速、レオ・スプランドールに尋ねる。
「エクラさん、今、この城に居るの。知ってる?」
「エクラが……?」
「うん。勇者の力を手に入れて、ここに居る」
アレットがそう言うと、レオ・スプランドールは何か、ほっとしたような顔をした。……驚きより先に安堵が来た、ということはやはり、エクラに勇者の力が与えられることを想定していたと考えられる。ヴィアとの取引も、その辺りが絡んでいたのかもしれない。
「……あなたとヴィアの間にあった取引は分からないし、もう、無効になっちゃった。ヴィアは死んだから」
「……そうか。あれは……妙な魔物だったな」
「うん。そうだね」
アレットはくすり、と笑う。人間ですらヴィアを『妙な奴』と評するのがなんとなく面白い。
「まあ、そういう訳で、そういう『妙な魔物』と取引するようなあなただから、私が関わる余地もあるかなあ、って思ってね。私は、仲間が信じた相手のことは信じることにしてるから」
そう前置いて、アレットはにっこり笑う。
「あなたの従者が、脱獄したの。知ってた?」
「……え?」
レオ・スプランドールはぽかん、とした。それから数拍置いて、戸惑いと、憎悪。『あの野郎』と小さく呟いたところを見ると、協力を得られる望みは大きい。
「それでね、こちらとしては結構、困ってる。彼の狙いによっては、王城も、あなたも、エクラさんも危ない。多分あなたとあの従者は、必ずしも協力関係にあったわけじゃないでしょう?あいつの取り調べ、ちょっと関わったけれど……『勇者を裏切るつもりがある』って、言ってたから」
後半は少々賭けであったが、アレットはそう言って、レオ・スプランドールの様子を窺う。……彼は、焦燥と憎悪を露わに、じっとアレットを見て頷いた。どうやらアレットは賭けに勝ったらしい。小さな山場を越えたアレットは内心ほっとしつつ、にっこり笑って囁いた。
「知っていること、全部、教えて。そうしてくれれば……少なくとも、エクラさんのことは守ってあげられると思うから」
アレットの言葉に、レオ・スプランドールは何か、迷うような様子を見せた。だが、それもほんの、数秒のこと。
「そう、だな……条件次第だ」
ぎらり、と光る眼で、レオ・スプランドールはそう、言ったのである。
「いいよ。何がお望み?」
アレットは『やったね』と内心で喜びつつ、にっこり笑って、勇者との交渉を始めるのだった。