人間模様*3
アレットがエクラの部屋を出ると、部屋の扉の横の壁に凭れて、フェル・プレジルが立っていた。
「上手くいったか?」
「ええ。概ね」
アレットは動じることなくにっこり微笑む。フェル・プレジルは『少しくらい驚いてくれてもいいのに』というような顔をしたが、アレットは構わず、情報共有に踏み切った。
「どうやら、エクラ・スプランドールにはレオ・スプランドールから手紙が届いたそうです。そして、その手紙を届けた協力者の名前は『ヴィア』。……私が捕虜として捕らえられていた時、私の世話をしていた魔物と同じ名前です」
この情報は、知っている人間がある程度居た方が、アレットの身の安全が担保されるだろう。
「は?つまり、勇者は魔物と手を組んだ、ってことか?」
「うーん、どうでしょう。あの魔物も相当に変な魔物だったので……何せ、人間の捕虜である私を、随分と丁重に扱いましたから」
アレットは頭を抱えつつ、『分かんない!』と存分に表現する。この情報については、『分かんない!』が人間の反応として最も相応しいものだろう。魔物が人間と交流を試みたということ自体、人間からしてみれば酷く奇怪なことのはずである。
「……ま、立ち話ってのも味気ない。ちょっと場所、変えるか」
フェル・プレジルがそっと歩き出したので、アレットもそれに伴って歩く。エクラの部屋の前にあまり留まっていても良くない。第一王子の派閥の誰かが目撃しないとも限らないのだから。
フェル・プレジルに連れられて歩いて行った先は、第三騎士団のための物置のような部屋であった。だが、あまり使われていないらしく、部屋の中はがらんとしている。作りつけの棚がいくつかあるのだが、その棚もほぼ使われていない。
……だが、物の少なさに反して、掃除は多少、行われているらしかった。棚はともかく、壁の隅に寄せられた木箱の類には埃がたまっておらず、また、その付近の床も、よく人が踏むらしい形跡があった。
「よし。じゃあ早速だが作戦会議といこうか、フローレン」
フェル・プレジルはそう言うと、壁際の木箱を2つ引きずってきて、その片方に座った。……どうやらこの木箱は、椅子代わりに使われているものらしい。ということは、この物置はこうして第三騎士団の者達が秘密裏に話す時に使われている部屋なのだろう。
「よーし。ここならまず、第一騎士団も第二騎士団も寄り付かないからな。安心して話せる」
フェル・プレジルはそう言って笑いつつ、他の木箱の蓋を開けて、中からあろうことか酒瓶を取り出した。『飲むか?』と聞かれたアレットは当然それを断り、断られるつもりで聞いていたらしいフェル・プレジルは笑って酒瓶を木箱に戻す。……もしかすると、第三騎士団の面々は時々ここで、こっそり一杯ひっかけているのかもしれない。
「えーと、エクラ・スプランドールにレオ・スプランドールから手紙があった、っていう話だったよな。……手紙の内容は?」
「主に体調を案ずるものだった、とエクラさんは話していました。でも、他の内容が書かれていなかったとは限りませんよね」
「だなあ……ま、まあ、エクラ・スプランドールが急に現れたきっかけは、もしかすると、レオ・スプランドールからの手紙だったかもしれない、ってことか。さーて、複雑になってきたな」
フェル・プレジルはそう言いつつ、木箱の上で脚を組み替える。アレットにとっては知っていることの確認であったが、彼にとっては初めて知る情報ばかりである。整理に多少、時間がかかるかもしれない。
「はい。従者の脱獄について、レオ・スプランドール殿が何か知っている可能性は高いかと。彼からも話を聞いてみたいですね。警戒されるでしょうが……エクラさん曰く、『あなたなら兄さんもそんなに警戒しないと思う』とのことだったので。近い内にこっそり面会してきます」
「成程な……正式な騎士でもなく、国の所属じゃあない、っていう時点で、俺達よりは警戒されにくいだろうな。それに何より、綺麗な女性ってのはいつだって男に警戒されにくい!」
フェル・プレジルがにこやかにそう言うのを聞いて、アレットは『ちょっとヴィアっぽいな、この人』と思う。同時に頭の中でヴィアが『失礼な!私ならもっと紳士的で、もっと上手く言葉を使えますよ、お嬢さん!』と騒ぎ始めたが。
「……ところで、その、『ヴィア』っていう魔物は、どういう奴だ?」
「ええと……」
次いで、話題はヴィアに移る。
現状、レオ・スプランドールやエクラ・スプランドールの行動について、重要な立ち位置にある者がヴィアなのだから当然のことだが……アレットとしては、少々複雑な気持ちである。
だが、アレットは複雑な気持ちを押し殺して、そっと、指折り、ヴィアの特徴を数えて挙げていく。
「粘液のような魔物でした。粘液なのですが、私達とそう変わらない形をしており、身長は私よりも高かったです。人間の礼服を着ていて、恰好通り、妙に紳士的で、かつ、口が上手い、というか……」
「は、はあ?なんだそりゃ」
案の定、フェル・プレジルは面食らった。礼服を纏い、紳士的に振舞う口数の多いスライム、などと聞いては当然、混乱もするだろう。
「……まあ、変な魔物でしたよ」
「……確かに、変な魔物、だなあ」
ぽり、と顎のあたりを掻きつつ、フェル・プレジルは何か考え、そして、すぐさま考えることをやめたらしい。妙な魔物のことなど考えるだけ無駄だと悟ったのだろう。賢明な判断である。
「ま、まあ、いいや。そういう魔物も居る、ってことで……えーと、じゃあ、それ以外だと、そうだな……フローレン、お前は魔物の国でアシル殿下と一緒に、レオ・スプランドールとその従者を捕える場面に居合わせた、ってのは本当か?」
「はい。ああ、お調べになったんですね」
「調べるって程は調べてないけどな。ま、第二騎士団の気のいい奴にちょっと一杯奢ってやっただけさ」
まあ、聞き出すのは然程難しくなかっただろうな、とアレットは頷く。恐らく、フェル・プレジルは然程、警戒されていないのだ。その理由は彼と接してみれば、その気の良い様子からも理解できた。『雑用係』と自称するだけあって、第三騎士団は城内の様々な勢力の中へ潜り込むのが上手いように見える。
「ま、そういうわけで……そこでのレオ・スプランドールとその従者の様子は?」
「ええと、私はレオ・スプランドールには直接会っていません。そちらはアシル殿下が担当されましたので、私は従者の方を。……彼は、王家に仕えている印象でした。同時に、勇者の従者として働いていながら、然程、勇者にはこだわりが無かったようにも見えます」
「ほう」
アレットの話を聞いて、フェル・プレジルは少々身を乗り出した。『つまり、勇者の従者は第一王子の派閥か第二王子の派閥に属していた可能性が高いな』と踏んでいるのだろう。
更にそこへ、アレットは大きな情報を齎す。
「奴は、『レオ・スプランドールを裏切っても良い』と、言っていました」
「おお、そりゃ……すげえな」
フェル・プレジルの反応を見て、アレットは内心で微笑んだ。
多かれ少なかれ、事実というものは強い力を持っている。従者があそこでアレットに縋ってか、勇者を裏切る意思を表明してくれたのはありがたかった。
……おかげで、レオ・スプランドールにも従者への裏切りを教唆できる。第三騎士団の間に『従者は勇者を裏切るつもりだったのだ』とでも噂になれば、尚更、やりやすいだろう。
それからアレットは幾らかの打ち合わせを行い、それから部屋を出てフェル・プレジルと別れた。
アレットはこのまままっすぐにレオ・スプランドールの元へ向かうかどうかを少々考えて……先にアシル・グロワールの元へ向かうことにした。
アシル・グロワールは『フローレン』を心底信頼しているのだ。その信頼に応えておいてやった方が、何かと上手くいくだろう。アシル・グロワールにまで疑われるようなことがあっては、この先、動きにくくなる。
アレットがアシル・グロワールの執務室へ向かって歩いていると、ふと、廊下の先から声が聞こえてくる。人間にはまだ聞こえないであろう程度の音量に気づいたアレットは、慌ててその声に集中する。
「それで第三騎士団を味方につけたつもりか?」
……声は、第一王子のものである。
「何を仰りたいのです、兄上」
「いや、何。私が疑われてはたまらないと思っただけさ。ついでに、この国が割れるようなことがあってはならない、とも思っている。勇者が3人も現れた今、内輪揉めをしている場合でもないだろうに」
呆れたような声で第一王子がそう言うと、ふと、空気が張り詰める。アシル・グロワールが意識的にか無意識にか、魔力を張り詰めさせたのだ。
「では……脱獄について不問にせよ、とでも仰るおつもりか?」
アレットはそっと、大理石の太い柱の陰から覗き込んで、2人の王子の様子を窺う。……冷たい目を向けるアシル・グロワールに対して、第一王子はあくまでも冷静沈着なように見えた。『勇者』を前にして動じる様子を見せないあたり、中々の胆力である。
「極端な奴め。そうではない。ただ、公正な取り調べが行われるのだろうな、という確認だ」
いっそのことアシル・グロワールを挑発するかのように第一王子は苦笑して、そして、去り際、そっと囁く。
「私に不利な供述を得よう、などとは思わないことだ。そんなものはどこにもありはしない」
そうして、第一王子は去って行った。『こっちに来たら天井に貼り付いてでも隠れるべきかなあ』と半ば真剣に考えていたアレットであったが、幸い、第一王子はアレットが隠れていた方とは反対側へ去って行った。
……さて。最後の囁きまでもをしっかり全て聞き取ったアレットは、どうしたものかなあ、と考える。
第一王子がわざわざ牽制しに来たことは大いに気になる。第一王子や第一騎士団を探ったら、何か、出てくるかもしれない。
……だが、元々、アシル・グロワールを訪ねる予定であったのだ。そして、今、アシル・グロワールは多少なりとも気が立っているはずであり……つけ入る隙が大きい。この機を見逃すわけにはいかない。第一王子の方をもう少し調べたい気持ちはあったが、それは元々予定していた通り、夜、皆が寝静まってから行えばよいだろう。
「騎士団長殿!」
ということで、アレットはアシル・グロワールに声を掛ける。少々思考に沈んでいたらしい騎士団長はアレットの声に少々驚いた様子であったが、愛しの『フローレン』の姿を見るや否や、表情を緩める。
……だが、先程まで、自分と第一王子が行っていたやりとりについて、思い出したのだろう。綻んだ表情は気まずげに歪められる。
「フローレン……聞いていたのか」
「あ……その、第一王子がいらっしゃっている、というところまでは、分かってしまいました。何か、雰囲気が良くなかったことも……」
『何も知りません』と白々しく嘘を吐いてもいいが、ここは一部分認めてしまった方が疑われないだろう。不要な疑いは極力、避けて通るべきだ。
「雰囲気……そうか、お前は魔力持ちなのだったな」
「騎士団長殿のお怒りの様子が少しばかり、伝わってきました。あれが魔力なのですね?」
アレットが尊敬と畏怖の目を向ければ、騎士団長はきょとん、として、それから愉快そうに笑い出した。どうやら、機嫌はすっかり直ったらしい。
「さて、フローレン。俺のところへ来たということは、茶に付き合う時間はあるな?」
「私でよろしければご一緒させてください」
にっこり笑ってアレットは答え……それから、声を潜めて、そっと囁く。
「そのついでに、現時点でのご報告を」
「……ということで、この後、夕食時にでもレオ・スプランドールの面会に行って参ります」
「大丈夫か」
「はい。エクラ・スプランドール曰く、私ならば然程警戒されないだろう、とのことでしたので」
アレットはエクラとの会話の半分程度を報告し終えて、ふう、と息を吐く。そのついでに茶のカップを口元へ運べば、王子の茶会に相応しい、上等な茶葉の良い香りがふわりと漂った。
「何かあったら、すぐさま俺でも、フェル・プレジルでも呼ぶように」
「ええ、分かっています。お任せください。きっと上手くやってみせます」
アレットはにっこりと笑って茶のカップをテーブルに戻し、それから、そっと、躊躇うように口にする。
「それから……その、騎士団長殿も、もし、第一王子殿下に何か、不当な扱いをされた場合には……いえ、私などがお力になれるとも思えませんが……」
ぼそぼそ、とアレットが言えば、アシル・グロワールは何とも感激したような顔をして、それからアレットの手を取った。
「ありがとう、フローレン。……そうだな。では、早速で悪いが、少し聞いてくれるか」
「はい!私でよろしければ!」
アレットは『さて、どんな話が出てくるかな』と内心でわくわくしながら、続く言葉を待って……。
「……私は兄上に毒殺されかけたことがある」
……続いた言葉が少々、想像以上であったため、演技でもなく絶句した。