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魔王が世界を忘れるまでは  作者: 政木朝義
第一章 大団円後も世界は回る
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第一節 はぐれスライム job 探偵 1

「厳重封印指定四番が、牢を破った」


 厳重封印牢からの速報は、瞬く間にグランクスト監獄中を駆け巡った。牢番黒エルフの一人が殺される間際、自衛よりも報告を優先したからだ。それも口頭言語ではなく、広域思念通話。命に代えても、監獄中の全員に行き渡らせるために。二人目の牢番は、何らかの魔術的対処行動を見せた瞬間に喉元を掻き切られた。三人目の牢番は、壁の制御盤に飛びついた。もう一度結界を復活させようとして、しかし叶わず、一瞬で全身を焼かれ消し炭にされた。


 どう封印を解いたのか、全くもって不明だった。未だ高魔力の残る地を選び、世界最高峰の封印で縛っていたにも関わらず。突然封印棺から踊り出た赤黒い炎が、三重の魔術結界を破壊し牢番達に襲いかかった。今分かるのはこれだけだ。

 元より厳重封印指定者というものは、並みの人間にどうにかできる存在ではない。かつての大戦において、魔王幹部を務めていた化物中の化物だからだ。防犯などの様々な理由により、ひとつの牢獄に一体ずつ封印される事になっている。グランクスト監獄では四番目を収容していた。つい先ほどまでは。


 蒸気機関の唸りを上げて、巨大な鐘が、鐘が鳴る。砂漠に佇むたった一基の監獄塔に、次々明かりが灯って行く。赤黒い閃光は出口を求めて暴れ回り、何枚もの対魔コーティングつきの鋼鉄扉を巧みにすり抜け、強固な外壁へ風穴を開けた。厳重封印指定四番は、それでも息切れしない。外層に展開されている五十の魔術結界を突き破り、なお勢いを落とさなかった。

 ありえない。魔法の消え行く世界で、まだここまでの力を有しているとは。それも、魔王幹部第四位が。いや、四番目だからこそとも言うべきか。監獄長ヘルマイシャは、開け放たれた窓から風を受けていた。間違いなく、躊躇いもなく、最悪の方角へ飛んで行くのを見た。脱獄時の消耗が激しかったのか、輝きは弱々しくなっている。だがそれでも、人類の驚異に違いなかった。

「共和国のジジイ共に知らせて。グランクスト監獄から厳重封印指定四番が脱獄し、首都まっしぐらよ、と」

「しかし、いいのですか?」

「我らの牢獄がこうも簡単に破られたのは、確かに恥。でもあなた達、恥の上塗りまで望んでいて? 理解したなら速やかに」

「イエス、マム」

 黒エルフの職員達は言われた通り、各々の仕事を始めた。ヘルマイシャは炯々とした双眸を細め、静けさを取り戻した黒い海を眺める。悪い魔素の含まれた、嫌な臭いのする風が流れていく。サーチライトに照らされた場所では、黄金砂が蛇の舌のように蠢いていた。

 じきに夜が明ける。全てを眠らせる帳が上がる。

 太陽が昇る時、世界は生まれ変わる。それがヘルマイシャ達黒エルフが伝承する、古い諺のひとつだった。





 朝方生まれた南風が、煉瓦と鉄と水の街へと吹き込んだ。整備された石畳の上を転がり、とあるパン屋の吊り看板を揺らし、優しく窓枠を叩く。今は草花が増えてくる季節だからか、やけに楽しそうだ。新聞屋と牛乳屋はとっくに配達を終えて、仕事へ向かう人々がぽつりぽつりと家から出てくる時間帯。気持ちのいい風は勢いを落とさず大通りを行く。一部が親と別れて小さな路地へ。開け放たれたままの二階の窓を見つけ、気まぐれに室内へと飛び込んだ。


 庶民的な素材でできたカーテンが、ばさりばさりと翻る。窓際にある机の上で、開かれたままの日記帳がページを踊らせる。昨夜から置き去りにされたままのマグカップ。椅子の背もたれには、雑にかけられた枯れ草色のコート。机の下に紙屑で溢れかけたごみ箱。靴下が片方だけ床に落ちている。

 飾りや造花のひとつもなく、雑然とした印象のある室内だ。隅にはベッドが一台あり、人ひとり分の膨みがある。ナイトテーブルの上に置かれた目覚まし時計は、設定時刻ぴったりに酷い音を立て始めた。


 しばらく何の動きもなかった。だが毛布の中身はついに堪えきれなくなり、突然何かを突き出した。人間の腕ではなく、細長い銀色の流動体だ。それが鞭のようにしなって、がなり立てる目覚まし時計をひっぱたく。不気味な銀腕は一瞬で引っ込んだ。

 目覚まし時計はなす術もない。床に叩きつけられ、ハンマーがすっぽ抜けてしまった。ベルを叩けなくなり、本体だけが震え続ける。毛布の下から、くぐもった呻き声がした。またやってしまった、といったところだろうか。目覚まし時計を乱暴に扱ったことについて、それから寝起きの悪さについて。毛布を被ったまま溜め息をつくが、今日はいつまでもこうしていられないのだった。


 意を決して這い出してきたのは、二十歳半ばの青年だった。灰色の髪を持ち、中肉中背で実に平凡な顔をしている。今度はきちんと人間の形をした腕を伸ばし、上品に目覚まし時計を大人しくさせた。実際のところ、彼は人間ではない。人間の外見を模倣しているだけの、核を内包する銀色の軟体魔法生物。高度な知性を持つ最上位スライムの一体。それが本来の姿だ。


 彼は洗面台に向かうと、鏡に映る自分自身を確認した。自分がこちらを見ている。いつ見ても目立った特徴のない、どこにでもいそうな普通の顔立ちだ。今日もなかなか、擬態の調子がいい。突然、表情筋に力が入る。彼はキレのいい動きで、人差し指を突きつけた。

「今日も意識が」

 今度は指を自分に向ける。

「ある!」

 勢いよく身を乗り出して、力強く言う。欠かさず行っている日課だった。

「よし、あるぞ。ちゃんとある」

 満足げに言いながら、手早く洗顔を済ませる。端から見ると実に奇妙な行動だが、彼にとっては重要なのだ。

 いつものシャツとズボンに着替えると、背もたれからいつものコートを掴み取り、木の階段がたわむ音を聞きながら一階に降りる。



 一階は、オーク族夫婦の経営する食堂になっている。『柏ノ木亭』だ。古風な作りのカウンター内では、オーク族中年男性が新聞を読んでいた。冷めかけた紅茶の入ったティーカップを傍らに置いて。

 彼の名はノンブ・マルメン。やたら体格がいい上に犬歯が発達しているが、別に豚頭という訳ではない。アマルサリア共和国首都アマリの東街十六番地、その一角にある当建物の所有者だ。彼は朝の日課である店内掃除と植物の水やりを終え、一息ついているところだった。今日は収集日なので、燃えるゴミ出しもあるか。


 朝の『柏ノ木亭』には、準備中の看板が掛かっている。この店が開いている時間は、昼から夜にかけてだ。

「おはようノンブ」

「スーラント、お前また目覚まし時計ぶっ飛ばしただろ」

「悪い」

 スーラントは小さく肩を竦めた。

「物は大事にしろよ。だがまあ、目覚まし時計をぶっ飛ばしたい時もあるわな」

 ノンブは話題を変えるため、ところで、と言った。おもむろに新聞を翻し、立てた親指を一面へ向けてみせた。大きな文字で、連続少女失踪事件。ここ数日巷を賑わせているので、耳にタコができるほど見聞きしているニュースだ。またそれらしき行方不明者が出たらしい。五人目だ。誰の娘だとか書いてあるだろうが、スーラントはさほど興味を示さない。おいおい、ノンブが大袈裟に言う。

「お前も探偵なら、こういう難事件をパーっと解決して勲章でも貰ったらどうかね。ウチのツケだって、一瞬で返せるぜ」

「警察の仕事だよ。探偵の仕事とはね、浮気調査、誰かのペット探し、対象の尾行……。そんなものだ」

「そうかね。いや待てよ。お上の役に立っても、お前の無免許がバレたら、縄をかけられるかもしれねえ」

「違いない」

 スーラントは苦笑しつつ、カウンター内に入り、慣れた様子で厨房へ向かう。


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