第77話 オットマーとルッツ
「いつも助かるわ。あなたがお金を入れてくれるから、私たち、何とか生きていけるのよ。あなたが私たちの子供で本当に良かったわ」
「ああ、そうだ。お前は本当に自慢の息子だよ」
白髪になりかけた両親が、嘘偽りのない優しい笑顔で語りかけてくれる。実家に戻って生活費を渡すと繰り返される、ささやかな幸せの光景だった。
だが、これは現実だったろうか。
* * *
アルマさんと結婚するとかしないとか、そんな話をしてから2年の歳月が流れた。あれからお会いする機会も全然なかったし、オスヴァルトさんに聞くのも恐ろしいし、うん、もうそろそろ諦めよう。もとから叶わぬ恋だったのだ。きっと、お父上から厳しく反対されて、軟禁状態にされてしまったのかも知れない。スパイアクション映画よろしくヘリコプターからワイヤーにぶら下がって大きなガラス窓をバリーンと突き破って救出したら……、あ。
まだ見ぬお義父上から地の果てまで追いかけられそうだ。やめておこう。ガラス窓、ほとんど見たことないし。
豪華な革表紙の謎の葡萄色の薄い本も、たまに思い出して読んでみてはいるが、相変わらず淡々と日常が書いてあるだけで、アルマさんに関する情報が大幅に拡充されていたりとかは無かった。
そんなはっきりとしないこの身ではあるが、魔物駆除に報奨金が導入されて以降、オダ領内でせっせと魔物を倒すお仕事に精を出し、肉食獣型の魔物を見つけたらすぐに逃げろ!を合言葉に大怪我もなく無事にやっている。ところでオダ領内は当たり前のように魔物がいるけど、他のところ、他の国はどうなのかな?報奨金とか出るのかな?
そんな折り、イヌイの傭兵組合で神石を提出していたら懐かしい人に声を掛けられた。
「やぁ、スヴァン君、久しぶりだね」
イヌイ、ヨシミズ、カネウラ、アシミヤ、ラッキを股にかけて商売をしている行商人のオットマーさんだ。最後に話したときからもう何年も経っているから、随分と白髪が増え、お腹の脂肪も増えたように見える。
「オットマーさん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ、この通り元気ですよ」
そう言って丸いお腹をさする。病気とかは分からないけど元気そう。
「ところで、こちらにいらしたということは、護衛の依頼か何かでしょうか?」
「ええ、スヴァン君を指名で護衛をお願いしようかと思って、相談に来たんです」
「えーっと、そうしたら……、あ、ちょうど戻ってきた」
奥の部屋まで報奨金を取りに行っていたニクラウスさんがちょうど戻ってきてくれたので、小難しい話も出来そうだ。
「おや、オットマーさん、いらっしゃいませ。ちょっと待ってて下さいね。はい、スヴァンさん、今回の報奨金です。念のため、ここで数えてみてくださいね。オットマーさんはすいませんが、少し向こうの席でお待ちいただいてよろしいですか?」
「あ、これは失礼。それが終わったら呼んで下さいね」
オットマーさんをお待たせするのは申し訳ない気分なので、ニクラウスさんから袋ごと渡された銀貨を大急ぎで数える。研ぎ澄まされた10枚タワー速建ての術をフル活用して。
「うん、確かに。じゃ、オットマーさん呼びましょうか」
受付台に建築された銀色のタワーが足りていることを確認できたら、手早く自分の革袋に掻き入れ、オットマーさんに声を掛けて受付まで呼び寄せる。と、もう一人、少し痩せていて気の弱そうな男がついてきた。どこかで見たことがあるような……。
「ルッツと申します。スヴァンさんとは、一度、ヨシミズのお店でお会いしたことがあります」
「ああ、あのときの。お久しぶりです。よく覚えてましたね」
オットマーさんと、それからアニキとバルナバスさんと一緒にヨシミズへ行ってから、もう何年経ったのだろう。よく覚えていたものだと感心する。
「ええ、ええ、商売がうまくいく人間は、人の顔をよく覚えているものだと、アイゲントーマに教わりましたから」
「ルッツは僕が教えたことをよく覚えていてくれて、計算も速いから助かりますよ。それで今回の依頼なんですけどね、……あ、ここからはルッツが説明した方が良いかな。君の依頼なんだし」
そう言ってオットマーさんはルッツさんの方を向いて説明するよう促した。
「はい、私から説明します。実は今後1、2年を目途に独立して商売を始めようと思っておりまして、その前に神聖リヒトの実家に一度帰ろうかと思ってるんです。何せ、15歳でこっちに来て働き始めてから一度も帰ってませんから」
けじめをつけるために実家の家族に会っておきたい、場合によってはこっちに家族を招きたいのだな。
「今、神聖リヒトとおっしゃいましたけど、具体的にはどこになりますか?地図を持ってきますので、経路を検討してみましょう。何せ北の国境は封鎖されていて通れませんから」
「あ、シェドニィドゥベジェという町です。ロスツェスティから北東に行った、海に面したそれなりに大きい町でした」
ルッツさんの返事に頷いたあと、すぐにニクラウスさんが奥の部屋からB4くらいの大きさの地図を持ってきて、皆が見えるように机の上に広げる。精細なものではなく、大きな町や街道、河川や湖沼、森林、山々、それから港の有無などが描かれたものだが、有ると無いとでは大違いだ。
「えーっと、ロスツェスティの北東、北東……、在った。地図に載ってますね」
ニクラウスさんがシェドニィドゥベジェの町を探して、指を置いてくれた。それにしてもアシハラ王国とは町の名前が全然違うんだな。ボクの家庭教師から、ハレ大陸では皆、同じ言葉を喋ると教えてもらったのだが、この違いは何なのだろう?
「そうすると、距離にして普通だったらここから片道400から420kmくらい、普通の馬車で早くて11日、余裕をもって15日くらいで考えるところですね。ただ……」
「国境が封鎖されているから、その道は使えないんですよね」
ニクラウスさんの試算に、ルッツさんが残念そうに反応する。
「ですので、そうすると陸路でドリテ側から入るか、海路で入る選択肢になりますね。ドリテを回っていくと、ふむふむ……」
定規のようなものを地図に当てておおよその距離を調べるニクラウスさんの作業は10分ほどで終了した。やはり慣れているのか、作業に無駄が無いように感じる。
「ドリテ側からは、向こうの王都ドゥリビエまで出て、そこから北西にずっと進むとロスツェスティまで行けますね。目的地までの距離は片道約890km。結構な距離です。海路を使う場合は、カネウラまで出て、そこから船でリヒト西岸の漁師町ジェカアレス、そこから先は陸路でリヒトの本山があるウミヴァドゥロを経由して片道約900から920kmと更に時間がかかりますね。あ、でも、この情勢ではジェカアレスとの船の往来も封鎖されている可能性もありますから、ドリテ側から陸路で入る経路でご検討されると良いと思います」
「ふむぅ、なるほど。では陸路で行くことにします。往復の護衛をお願いしたいんですが、依頼料としてはどれくらいを見積っておけば良いですか?」
ちゃんと料金を確認してるな。さすが商人だ。ぬかりない。
「そうですね、往復の日数が50から60日、護衛の人数は最低3人、護衛1人1日銀貨20枚ですので、完了報酬として銀貨3000枚から3600枚くらいはかかるかと。日数が想定より短ければ勿論、多少はお安くなります。それから組合の手数料が報酬の5%ですので銀貨150枚から180枚かかります。他に、護衛の傭兵たちの飲食、宿泊などの費用が依頼主持ちになりますので、ご注意ください」
「分かりました。それでお願いします」
「はい、ニクラウスさん、質問!」
「はい、スヴァンさん、何ですか?」
ルッツさんとの話の途中だったが、どうしても気になることがあって元気よく手を上に挙げてしまった。
「ドリテ王国はともかく、神聖リヒトとは停戦していないんですよね?神聖リヒトに入ったときに、向こうの兵士に襲われたり、捕まったりすることはないんでしょうか?」
「ああ、それも説明するべきでしたね。戦争中でも民間人の移動については、封鎖されているところ以外は特に制限されていませんので、その護衛に就く傭兵も一定の条件のもと、兵士が危害を加えることがない制度があるんですよ。結構昔にシェスト教会とリヒト教会の働きかけで出来た制度なので、お膝元の神聖リヒトなら問題ないでしょう。その条件というのは、無地の青いリベリーを着用することと、衛兵の詰所がある町に着いた場合には、詰所に所属と依頼内容と目的地を告げることですね」
「へぇー、そんな制度があったんですね。ありがとうございます」
「そんなところですが、移動手段と出発日はどうされますか?」
俺が中断させてしまったが、ニクラウスさんが再びルッツさんとの打ち合わせを再開する。オットマーさんもルッツさんの横で真剣に耳を傾けているようだ。
「移動は所有している荷馬車にします。出発については出来るだけ早いに越したことはありません。そちらで人数が揃い次第すぐに、ということでお願いします」
「了解しました。では、スヴァン以外の護衛が決まったらこちらから連絡いたします。料金のお支払いや組合への報告についてもその際にお話します。今の滞在先を教えていただいても?」
「はい、今はイヌイの――」
そうして、俺の何気ない日常に新しいページが差し込まれようとしていた。
「だが、このときの俺はまだ知る由もなかった。あの大事件に巻き込まれることなど」
「ん?どうしたんですか?」
「あ、すみません。何でもないです。ただの独り言ですよ、ニクラウスさん」
一度、言ってみたかっただけだが、人に聞かれてしまうと恥ずかしすぎる。
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