5.4.9
トシュテン・スヴァンベリは、スヴァンテ・スヴァンベリの父親で、スヴァンテ・スヴァンベリが知る限り、もう四十年以上も大琉璃花を研究し続けている。だが、それで何か得るものがあったのだろうか。研究を否定しているわけではない。四十年かけて、弟のクヌートも巻き込んで、それで何か大きな発見はあったのだろうか。
大琉璃花が巨大なラピスラズリの結晶であることを発見したのは、父ではない。昔から知られていた。そして大琉璃花より規模が小さい琉璃花なら、ラピスラズリの採掘が可能なことも知られていた。これも父の発見によるものではなく、昔から知られていることである。
何か、研究の成果は出たのだろうか。いかに大学教授の肩書があり、他の鉱石の研究で実績がある父でも何も成果が出ないのであれば、大琉璃花の研究に対しては、研究費の援助がなくなってしまうだろう。
僕の思いかスヴァンテ・スヴァンベリの思いかは分からないが、心配していた。
だから、そういう意味も含めて聞いてみた。「大琉璃花って、いったい何なんだい?」と。
どんな返事が返ってくるだろうか。それに対して、偽物の息子である僕は何を思うだろうか。
でも、返事は素っ気ないもので、僕の反応も素っ気なかった。
「神のラピスラズリだ」
「そう」
そういうことを聞きたかったのではない、と口から出そうになったが、父の返事を反芻して思い直した。わざわざ〝神の〟と付けているのだから。
「神のラピスラズリというのは、具体的にどういう点で神の関与を認めているの?」
「その組成だ。ラピスラズリは石灰岩が変質したもので、通常であれば周囲に石灰岩が存在する。だが、大琉璃花の周囲には石灰岩が見られない。これは非常に特殊な過程を経たものか、さもなければ神の仕業と考えるのが妥当と思える。もちろん、この大陸には安山岩が豊富にあることから、かつて巨大火山と超巨大生物が存在していた可能性も否定はできないがね」
「安山岩は」
「火山岩の一種だ。マグマが冷えて固まったものだな」
さて、安山岩はなんだったかと、喋りながら思い出そうとしたのだが、自分の領分とばかりにトシュテンの口は良く回る。そして石灰岩は、主としてサンゴや貝類の炭酸カルシウムが岩になったものであり、それらの亡骸のようなものだともいえる。
父は、石灰岩が安山岩の元になるマグマと混ざるか、またはその熱などの要因によって変質することでラピスラズリになるのだといい、その口ぶりからすると、大琉璃花の周囲に石灰岩が無いのは、おかしいということなのだろう。
そのように考えてみれば、山のように大きなサンゴか貝類、はたまた炭酸カルシウムを豊富に蓄えた巨大生物が大小たくさん存在していて、それは更にアジサイのようにこんもりとした形をしていて、その亡骸の石灰岩が火山か何かにより、丸ごとすべてラピスラズリになった。それを後の時代の人間たちが大琉璃花と呼んで崇めた、ということになろうか。
そんなことはありえるのだろうか。その点については、父の知識と経験から導き出された神のラピスラズリという表現が、最も妥当であるような気がしてきた。
「ところで父さん、クヌートがここにいるのは分かるんだけど、その、グロリアがいるのはどうして?」
「なんだ、グロリアさんと知り合いだったのか」
「うん」
詳細は話さない。彼女がここで何をしているのか、何をしたいのか全く分からないから。
彼女をちらりと見たが、心ここにあらずといった風で、自分の話が出ているにもかかわらず、こちらを見ているのかどうかも分からない目をしていた。
「三日くらい前に突然ここへ来てね、呼ばれたとかなんとか言っててよく分からなかったけど、身の回りの世話をしてくれるっていうから、是非って」
答えたのはクヌートだった。
呼ばれた、何に?
真偽を確かめたいが、あの様子であるから、本人に聞くのは難しい。だから、僕は父と弟に聞く。
「ずっと研究していると思うけど、今まで大琉璃花の近くで不思議な体験をしたことはなかった? 不思議な体験をした話を聞いたとかでもいいけど」
「なんだい兄さん。もしかして向こうで民俗学者にでもなったのかい? あ、そう言えば今はどこに住んでるの? 前と同じところ?」
スヴァンテはもう何年も手紙を出していなかったから、クヌートもトシュテンもきっと心配だったのだろう。記憶の中のスヴァンテはシェスト教の聖職者であることを連絡しているし、僕もこの旅の途中で急に民俗学者になってもいない。
「民俗学者か、それもいいかもなあ。でも、僕は変わらず帝都の大聖堂で働いているし、住んでいるところも変わってない」
「ふうん。じゃあ、そっちの綺麗な女の人とグロリアさんも、帝都大聖堂の方なのかい?」
さて、これはどう答えたらいいのだろうかと、なぜか思ってしまったが、この父と弟が今更異教だなんだと騒ぐことはないだろうし、そもそも父も弟も青華教を熱心に信仰などしていなかったはずだ。
「えっと、カルラ。自己紹介を頼む」
まずグロリアを見て、その次にカルラに目を遣って、カルラの方に自己紹介をお願いした。グロリアはきっと、帝都で何があったのか詮索されたくない。
カルラ・アンジェロヴァは小さく頷いて、それからトシュテンとクヌートと、それからグロリアを順番に見た後で口を開いた。
「トシュテンさん、クヌートさん、そしてグロリア・ホルストさん、初めまして。私はリヒト教のビスコプ、カルラ・アンジェロヴァです。宗教上の理由で、スヴァンテさんと旅をしております」
「これはこれは。息子がお世話になっております」
「兄がいつもお世話になっております。ところで、カルラさん」
「なんでしょう?」
「リヒト教……とは?」
てっきり宗教上の理由のことを聞くのかと思ったが、そちらはクヌートにはどうでもいいようだ。しかし、考えてみれば華那琉大陸にはリヒト教が無いに等しい。シェスト教も無いに等しいが、それでも父と弟には僕がいるから分かるのだろう。それに比べてリヒト教はバルント・ハーヴの教会にでも行かなければ、一生目に触れる機会もないかも知れない。華那琉連邦が青華教以外の宗教を禁止しているからだろうと疑ったが、昔は禁止していたものの、今はそうではないらしい。この大陸のヒトは当たり前のように青華教を信仰し、リヒト教やシェスト教には興味を示さない。ただそれだけのことなのだ。
さて、カルラ・アンジェロヴァは果たしてどう答えるのか。通常のリヒト教関係者であれば、「アイン神こそが唯一の神であり、リヒト教こそが真なる宗教である」などと、声高に言うのだ。しかし、彼女はその唯一神を偽物だと断じたリヒト教教主、ディーテ・ボハ・スヴェトラの直下である。案外彼女も割り切っているところがあるかも知れない。
「リヒト教とは、六柱の神々を奉ずるシェスト教から枝分かれした宗教です。シェスト教との最大の違いは、神はこの世界にアイン神様のみが存在し、唯一無二であるとするところです。公表されている信者数は世界一ですので、トシュテンさんもクヌートさんも、他の大陸で困ったときには、是非、当教会を頼って下さい」
父と弟に話し終わったカルラは何故か僕の方を見たが、特に問題がある説明でもないので、少し頷いてみせた。なぜ僕を見たのか本当のところは分からないが、通常であれば、先ほどの説明でよかったかどうかの確認だろう。それ以外の理由で僕を見たのなら、何の目的なのかさっぱり分からない。
分からないと言えば、グロリアのこともどうすればいいのか僕には分からない。ここは同性同士ということで、カルラに任せた方がいいのだろうか。僕は結局、聖女様ほど人々と向き合ってこなかったのだから、こういうときは何もできないし、余計なことをしては大変だと、思い付いたことの全てを躊躇してしまう有様だった。




