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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第5章 坐井観天 5.4 僕たちはいつも空を見上げて、いつかここから出てやろうと思うんだけど、結局、空しか見ていなかったことに気付くんだ

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5.4.8

 グロリア・ホルストは良き妻であり、良き母であり、善き神の(しもべ)であり、そしてイビガ・フリーデの佳きヴェヒター(滅獣師)であった。けれど、彼女の不幸は己が信仰する神によって引き起こされた。正確なところは分からないが、帝都での一件から推測するに、彼女は白渡りを経験し、そこで使命を授けられたということで間違いないだろう。よりにもよって、スヴァンテ・スヴァンベリを殺すなどという、崇高な神の使命を。


 そんなグロリア・ホルストのシクロは、まず冷えた空気が発生して氷の(つる)が対象に絡まり、「咲け、スノウ・クリーパー」の詠唱と共に氷の(つる)から鋭利な棘が飛び出して対象を刺す、或いは冷気の花が咲くものだった。通常、冷気や炎などの事象はシクロに付随する。それはつまりシクロが先で、事象が後に現れるのがシクロ使いの常識ということだ。しかし、彼女の場合はその順番がおかしい。かなり特殊だ。事象として空気が冷え、その後にシクロが顕現する。しかも彼女のシクロは武器の形状をしておらず、対象に巻き付いた状態で現れる。そういうことを考えると、拳銃やライフルよりもヒトを暗殺することに向いているだろう。だからこそ、神は彼女に使命を授けたのかも知れないが。

 そしてその氷の(つる)は、三度(みたび)、僕に放たれるはずだった。


「咲け、スノウクリーパー」


 冷たい空気が足元を駆け抜けた後、(つる)が地面と僕の体を()う。それはじきに僕の体に棘を突き立てるものだ。或いは(つる)に花を咲かせ、今以上の冷気で僕の体組織を壊すものだ。対応策としては、動き回るしかない。

 否。もう一つ、対応策があった。


「眠れ、ナハト・ル――」


 ケモノもシクロも滅するナハト・ルーエを唱えるはずだった。僕を囲むように出せば、僕の体に巻き付いてもすぐに消せるから。しかし、その必要がないことに気が付いて、途中でやめた。

 氷の(つる)が、パリパリとか細い音を立てて崩れ落ちてゆく。形を成せない、形を保てない、人体にダメージを与えるような棘を作れない、冷気を維持できない。


「咲け、スノウクリーパー……咲け、咲いて、咲いてよ、どうして咲かないの」


 目に薄っすらと涙を浮かべて、懸命にシクロを出そうとする彼女の心は、もう無ではなく、何をどうやっても氷の(つる)が現れることはないだろう。彼女はきっと、華那琉(かなる)大陸でシクロが出せないことを知らずにここまで流れ着いたのだ。この大陸にはケモノがいないのだから、そういうこともある。

 一頻り叫ぶように詠唱をした後、うな垂れて静かに涙をこぼす彼女に、いったいなんて声を掛けたらいいのか。


「グロリア、帰ろう」


 結局、僕が言えたのはそれだけで、彼女は無言で頷くだけだった。恐らく彼女は、あの夜の一件で、僕から逃げてここへ来た。そして何の皮肉か、その場所には僕とよく似た弟がいた。そこへ、たまたま、本当にたまたま僕が来た。何の因果によるものか、それとも神のいたずらなのかは知らないし、どうでもいい。

 ともかく僕は、グロリア・ホルストと話をしなくてはならない。なぜ僕を殺そうとしたのかを知るために。

 弟のクヌート・スヴァンベリと話さなければならない。父のトシュテン・スヴァンベリと話さなければならない。なぜ大琉璃花(おおるりばな)を研究しているのか、大琉璃花(おおるりばな)とは何なのか。


 グロリアの先を歩き、小屋に戻る。

 きっと彼女は僕をもう殺さない。カルラ・アンジェロヴァと同じように。グレアム・グッドゲームは指示があれば殺しに来るかもしれないが、少なくともカルラと一緒にいる間は襲ってくることはないだろう。


「ただいま」


 ここは自宅ではないはずなのに、小屋のドアを開け、そんなことを口走る。


「お帰り」

「お帰りなさい」


 クヌートもカルラも恐らく自然とそんなことを言って、僕とグロリアに何があったかなどを聞かない。二人とも無事だったから、というのが大きいと思うが、僕がいつも通りの顔なのに対して、グロリアが露骨に落ち込んだ顔をしているから、何かを察して気を遣ってくれているのかも知れない。変な誤解をしていなければいいのだが。


「スヴァンテ、よく来たな」


 遅れて声をかけてきた男を見遣る。

 白髪の少し長い髪を後ろで束ね、髭を蓄えた男。

 大きな傷はないけれど、顔のつくりは僕とよく似ていた。それでもやはり、深いしわがその顔には刻まれている。


「久しぶり、父さん」


 実際に顔を見た途端に、スヴァンテ・スヴァンベリの記憶が僕に流れ込んでくる。元々の肉体は彼のものなのだから、最初から容易に思い出せればいいものを、なぜ鍵となる単語があるにもかかわらず、記憶を引き出せないのか疑問である。僕が言うのもまったくおかしな話ではあるが、こういうときは以前のようにスヴァンテ・スヴァンベリの人格が出てきてくれた方が、スムーズに話しができるのにとも思う。しかし、彼はもう死んだのだ。少年神の言う摂理に則れば、その魂は巡らなければならない。この肉体に留まり続けてはいけないのである。


「相変わらず大琉璃花(おおるりばな)を研究しているの?」


 話しながら椅子を探し、腰掛けて父トシュテン・スヴァンベリに向き合う。

 彼は青藍(せいらん)の大学に籍を置き、もう僕が生まれるよりも前からずっと大琉璃花(おおるりばな)を研究していたのだった。――つい先ほど流れ込んできた記憶によれば。

 そして母はいない。

 スヴァンテ・スヴァンベリの母は優しく物静かなヒトだったが、彼が十二歳、クヌートが九歳の頃、流行り病であっけなく亡くなってしまったのだ。父のトシュテンはそれ以来、以前にも増して口数が少なくなったように思う。それでも僕たちの養育をしっかり行なっていたのだが、スヴァンテ・スヴァンベリ少年はそれを苦痛に思っていたようだ。十五歳になり、大人と同じ背丈になった彼は外で働くことを父に告げ、その後、色々あって今ここにこうしているということになる。僕は、本物ではないけれど。


「ずっと、研究しているよ」


 短い返事のあとに訪れる沈黙。父はいつも通りで、僕が言葉を探している。

 話題を見つけようと視線を彷徨わせた先では、カルラもグロリアも、そしてクヌートも簡素な椅子に腰を掛け、僕と父の会話を見守っているようだった。


「ねえ、父さん」


 呼びかけても、「うん」や「はい」は言わず、父はじっと僕を見たまま。それも記憶の通りだから、そのまま言葉を続ける。


大琉璃花(おおるりばな)って、いったい何なんだい?」


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