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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第5章 坐井観天 5.4 僕たちはいつも空を見上げて、いつかここから出てやろうと思うんだけど、結局、空しか見ていなかったことに気付くんだ

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5.4.7

 バッケ・ブロ・ノドという湖は華那琉(かなる)大陸北部にあって、その神秘的な美しさと雄大さは、|フォルカフ・ブロ・ブロモル《青の民》たちから信仰されるのに十分(じゅうぶん)だった。

 バッケ・ブロ・ノドは華那琉(かなる)大陸最大の湖で、そしてどこまでも青く澄んでいる湖として、観光ガイドでも紹介されていた。

 しかし、北部である。

 大琉璃花(おおるりばな)もバッケ・ブロ・ノドも、華那琉(かなる)大陸を代表する景色として観光ガイドに載っているものの、現状、交通機関は馬か徒歩のために、おいそれと訪れることができる場所ではなかった。運よく連邦政府鉱山公社所有の汽車に乗り込めれば、かなり時間を短縮することが可能だが、それでも線路はバッケ・ブロ・ノドの近くには敷かれていない。湖の近くに住む、|フォルカフ・ブロ・ブロモル《青の民》がそれを許さなかったからだ。汽車は手前の琉璃花(るりばな)鉱山まではあるのだが、それより先は今のところ工事予定もない。そして、その最も近い駅からでもバッケ・ブロ・ノドまでは三十キロメートルほどの距離がある。僕たちがいる大琉璃花(おおるりばな)からは、およそ六十キロメートルだ。

 北部での測量調査はまだ終了していないらしく、情報の正確性には欠けるが、目指す大琉璃花(おおるりばな)は見えている。距離の遠い近いなどさしたる問題ではない。馬の無い僕たちは、窪地を避けてひたすらに歩くのみだった。

 そうして三つ目の大琉璃花(おおるりばな)に到着したのは、二つ目から一日半ほど歩いた頃だった。これまでと同じように、アジサイのようにこんもりとした瑠璃色の花冠(かかん)があり、その(ふもと)には簡素な小屋があった。と、言いたいところだが、三つ目ともなれば少々様子が違うものである。

 (ふもと)に簡素な小屋があるのは変わらない。が、大琉璃花(おおるりばな)の形が違う。全体的なものは変わらないが、細部が違う。いや、これを細部と言っていいかどうかは分からないが、花冠(かかん)が違うのだ。花の形が違うのだ。それは近づいている途中から分かってはいたのだが、実際に近寄って眺めてみると、その異様さに押し潰されそうになる。これは本当にこの世のものなのだろうかと、目を疑いたくなる。オイレン・アウゲンに映し出されるそれを、否定したくもなる。


 ――(つぼみ)だった。

 少し(ほころ)んでいるから、二分咲きとでも言えばいいのか。

 これまで見てきた二つの大琉璃花(おおるりばな)では、五角形のキキョウのような花が開いているように見え、しかし、今目の前にある大琉璃花(おおるりばな)は、花弁が外に向かっているのだ。開いている大琉璃花(おおるりばな)と同様にそれが無数にあるものだから、その姿は実に刺々(とげとげ)しい。

 巨大なラピスラズリの結晶であるはずなのだが、これではまるで本物の花ではないか。


 そして、(ふもと)の小屋である。

 これまでは誰もいなかったが、今回は誰かがいる。オイレン・アウゲンに三つ、映っているから間違いない。

 カルラと頷き合い、慎重に近づく。窓は汚れていて小屋の住人は見えないが、外に杖やバケツのようなもの、それに極めて簡素な造りの馬留(うまとど)めに繋がれた馬が二頭見えた。

 カルラを少し離れたところで立ち止まらせて、僕が一人でドアをノックする。声はかけない。中でヒトが動いている。でも、一つはじっとして動かない。


「はい、なんで――」


 ドアを少し開けて覗いた顔は、僕を見てひどく驚いているようだった。それはそうだろう。僕もひどく驚いているのだから。

 焦げ茶色をした癖毛の短髪に青い瞳、身長は僕と同じくらい。顔の作りも僕とよく似ている。違うところがあるとすれば、僕の顔の真ん中を一文字に横切る古傷がないことくらい。

 弟がいた。スヴァンテ・スヴァンベリの、靄がかかったように曖昧な記憶の中に存在する弟――クヌート・スヴァンベリが。


「あ……久しぶりだな。まさかお前がここにいるとは、その、思わなかった」


 僕の顔を見たまま固まっているクヌートは、その言葉で我に返ったのか、弾けるような笑顔を咲かせた。


「兄さん、お帰り! あ、お帰りじゃ変か。いらっしゃい。父さんもいるよ」

「父さんも」

「うん、だから早く顔を見せてよ。父さんもきっと喜ぶよ」


 クヌートは何の悪気もなく言っているが、正直、僕は中に踏み込むことを躊躇(ちゅうちょ)している。別に父と仲が悪いというわけではない。父は寡黙で不器用だったが、スヴァンテ・スヴァンベリの記憶の中では、どちらかと言えば関係が良好だったイメージが残っている。イメージだけで詳細が思い出せないのは困りものだが、躊躇(ちゅうちょ)しているのは、もう一人の方だ。

 僕と弟の声に反応して、その、もう一人が動いた。どんどんと近づいてくる。とうとう声が聞こえてきた。


「スヴァン、ちょっと外で話をしましょう」


 帝都で何度も聞いたその声と、何度も見たその顔、そしてオイレン・アウゲンに映る弱々しい白炎(びゃくえん)

 グロリア・ホルスト。帝都のあの夜から行方不明になっていた彼女が、榛色(はしばみいろ)の瞳で僕を見ながら、ドアを内側から引き開ける。


「分かった」


 グロリアに続けて、今度はクヌートに話しかける。


「すまないが、あちらの女性を小屋の中に入れてやってくれないか」


 言われたクヌートは、僕の影からひょいっと体を出してカルラを見ては、「うん、分かった」と短く返事をしただけで、詮索はしなかった。

 僕は後ろに控えるカルラに身振り手振りで、小屋に入ることを指示し、またグロリアと共に小屋から離れることも伝える。どれくらい伝わったかは分からないが、カルラが颯爽と小屋に入っていったのだから、何とかなっていることだろうと思う。

 問題は、前を歩くグロリア・ホルストだ。群青に染められて、白い糸で草花の模様が刺繍された厚手のシャツと、厚手のズボンを身にまとったグロリアだ。

 もう小屋から五十メートルくらいは離れているが、まだ立ち止まらない。込み入った話をしたい程度なら、もう小屋から十分(じゅうぶん)離れたと思うのだが、或いは込み入った話をしたいというのは、ただの僕の思い込みであったのかも知れない。


「スヴァン。あなた、私を殺しに来たのでしょう?」


 そうきたか。

 彼女もまた、僕……ではないか。スヴァンテ・スヴァンベリを殺そうとした人間の一人であるし、実際にスヴァンテ・スヴァンベリの命を奪ったのは彼女だ。スヴァンテ・スヴァンベリはグレアム・グッドゲームに撃たれて、グロリア・ホルストのシクロでトドメを刺された。その後、僕の魂が入ると、今度はカルラ・アンジェロヴァに命を狙われ、そして仕留め損ねたと誤解したグロリア・ホルストに再び殺されかけたのだ。


「落ち着け。今さら君を殺したって意味はない。それくらい分かるだろう」


 途端にグロリアの表情がなくなり、足元が冷たくなる。


「咲け、スノウ・クリーパー」


 それが彼女の答えだった。


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