5.3.1
「――猊下、そろそろお時間です」
沈黙は渋みのある声で破られた。リリェフォッシュさんがお茶会の終わりを告げたのである。華那琉大陸全土に信者がいる大宗教ともなれば、トップが忙しいのも当然のことだ。
「そうか、残念じゃのう」
猊下はどこからどう見ても、誰が見ても分かるくらい肩を落とし、寂しそうな顔をしている。ここまでの表情となれば、このお茶会に別の目的などなかったと信じてもいい。
けれど、急に顔を跳ね上げ、いいアイディアが閃いたとばかりに、表情に花が咲いた。
「そうじゃ! お主ら青華教の神は知っておるか?」
「もちろんです。オオルリ様でしょう?」
「そう、そのオオルリ様は北部にある大琉璃花をご神体としておる。世界の真実を探し求めるなら、是非、オオルリ様の麓で修行するがよいぞ。お主らならば、オオルリ様もきっと心を開いてくれよう」
それから僕たちは、ミーネ・リンドベリ猊下と別れの言葉を交わし、再びリリェフォッシュさんの運転で、ソレプゴン・ホテルに帰ってきた。恐らく一年分は喋ったであろうお茶会は有意義で濃密であり、何をどうやって僕とカルラ・アンジェロヴァを探し出したのかは分からないが、誘ってくれたことにはとても感謝したい。まさか、ここまで歓待しておいて、「あなた方は青華教の敵だ、排除する!」とはならないはずだ。
問題は、オオルリ様である。
最後に彼女が教えてくれたあの言葉。まるでオオルリ様が実在していて、会ったことがあるかのような言い方ではないか。もちろん、僕だって神様に会ったことがあるのだから、彼女の言うことを否定することはないのだが、だとしたら、僕が会った神様はいったい何者なのだろうか。彼女が会ったかもしれない神様は、果たして何者なのだろうか。それこそ正しく真実でありながら、真実ではないものなのだろう。そして、それを知りながら、僕よりも一回りも若い異能者は、きっと会えると言ってのけた。
であれば、行くしかない。異教の神に出会えるのだ。不寛容なリヒト教の徒たるカルラにとっては、報告書にどう書こうかと悩みは尽きないと思うが、そんなことは知ったことではない。僕は魂が上手に回らない原因を探すのだと、あの神様に約束してしまったのだから。
さて、オオルリ様、というか大琉璃花は北部にある。
北部というのは文字通り北のことなのだが、この華那琉大陸においては北部というのは少々特殊な地域だった。
第一に歴史的な経緯がある。南部は様々な国が群雄割拠し、熾烈な領土争いが行なわれていたが、北部は北部で南部の人間が言う蛮族、もしくは北部の人間が自分たちのことだと誇らしげに言う〈|フォルカフ・ブロ・ブロモル《青の民》〉によって、長く南部の国々の侵入を防いできた。土地を奪われたとしても、五十年以内には奪い返す。それこそ、有史以来、華那琉連邦が成立するまでのとても長い期間、それを繰り返してきたのである。北部の環境が厳しく、南部にとって魅力が薄かったというのもあるだろうが、概して|フォルカフ・ブロ・ブロモル《青の民》は死を恐れない精強な戦士が多いことも、関係しているとみて間違いないだろう。
第二に特殊な地形の関係で、南部から行きづらい。定期船がない話も、岩礁が多くて航行が難しいことに起因するものだ。だから陸地を通って行くしかない。だがしかし、その陸地の一部が狭い。南北の狭間が瓢箪のように極端にくびれていて、尚且つ、大陸屈指の高山が壁のように東西に連なっている。それによって南部と北部が物理的に区切られているのだ。昔であれば高波にさらわれる可能性がある海沿いの街道を通らなければならなかったが、連邦政府がトンネルを作ったことにより、かなり安全に行き来することが出来るようになったという。いずれにしても、南から北へ行くにはそのくびれを通らなければならず、その玄関口となっているのが、ここ青藍なのである。
南部の文明国からしてみれば、そういったことを考慮した上で侵略するのは割に合わないと判断されたことだろうし、それこそ有史以来ずっと断絶していたせいで、北部は未だに未開の土地であるという印象が強い。
だから、南部の人間が北部へ行く際、裕福な人間は必ず護衛を付けるそうだ。どうしてかといえば、統一されたとはいえ、〈|フォルカフ・ブロ・ブロモル《青の民》〉の一部は未だに南部の人間を快く思っておらず、また、南部の民も彼らを蛮族として蔑視している者が多い。分かり合えず尊重し合えない者同士が出会えば、その結果は推して知るべし。
無論、連邦政府のお偉いさんや、南北の一般市民の多くは仲良くすることが利益になると思っているし、将来にわたって友好的な関係を築いていくにはどうすればいいのかを真剣に考え、行動している。けれど、一部の過激派のおかげで、遅々として進まないばかりか後退してしまうこともあるのが現状らしい。
これが、本屋と図書館で調べた結果と、スヴァンテ・スヴァンベリの記憶から導き出した現状だった。
「――お前さんたちが行くってんなら、俺も護衛としてついていくのはやぶさかではないが、どうにか行かない方法はないのか? それか、二人の不思議な能力で簡単に暴漢を退治できたりするもんかね?」
いつもの通り夕食後の打ち合わせを行ない、その中で先ほどの状況を説明すると、ヴィクトルからそのように言われた。公安警察の人間としては、いくら当人の使命のためとはいえ、要人をそのような治安の悪い場所にむざむざ行かせるのは、心配の種でしかないので当然だ。ちなみに、要人とはカルラ・アンジェロヴァのことである。帝都公安警察の人間が同行しているにもかかわらず、異郷の地でリヒト教の幹部に何かあったと知れたら、ライトグレイス共和国にどんないちゃもんを付けられるか分からない、という考えもあると思う。
帝都公安警察、若しくはイビガ・フリーデ、またはヴィエチニィ・クリッドの人間がもっとたくさんいれば、事前に安全なルートと場所を確保する方法を取れただろうが、生憎と今は三人しかいない。そして、僕は世界の真実のためならば、治安が悪かろうが関係ないし、カルラはウチテルから授かった使命のためなら、やはり治安の良し悪しなどどうでも良いかも知れない。
だが――
「青華教の法主ミーネ・リンドベリ。彼女が嘘をつく人間とは思えない。だから、僕は大琉璃花の麓に行ってみたい。会えるなら、オオルリ様と話しをしてみたい。そこに真実があるのなら」
「だからってなあ。聖女様はその辺、どうお考えで?」
「私もウチテル様から賜った使命がありますので、ここで退くという選択肢はありません。しかし、スヴァンベリ司祭の言う通り、危険があるのでは使命を果たせずに終わってしまう可能性があります。となれば、二人がしっかり私を守れば、万事解決かと」
「うん、僕もそれしかないと思う。だからヴィクトル、北部でもよろしくお願いします」
「私からもよろしくお願いします」
「まあ、若者たちにお願いされたら、俺みたいなおっちゃんとしては断れないし、そもそも断るつもりもなかったんだが、本当に行くのか?」
「もちろん」
「当然ですわ」
僕とカルラが真剣な顔でヴィクトルをじっと見れば、彼は小さく溜息を吐いた後、嬉しそうに「しょうがねえなあ」と呟いた。




