5.2.1
聖都ウミヴァドゥロを発ってから四日後、僕らの姿はカナル大陸の西の玄関口である、バルント・ハーヴを目指す客船の中にあった。
聖都からウテソヴァツェスタへは、朝早くの汽車に乗ったお陰でその日の夕方になる前には着いた。夜は汽車を走らせていないとのことで、のんびり汽車に乗っていたら、途中の町で一泊しなければならなかったところだった。
ウテソヴァツェスタで一泊後、これも一番早い時刻の客船に乗り、昔の馬車であれば六日か七日はかかるような距離を、わずか二日で移動してプエソンエブリに到着することができた。これには魔石機関の発達によって、船の速度が向上したことも大きい。立ち寄った町々で、カルラ・アンジェロヴァがすべてのリヒト教会に挨拶に赴かなければ、もしかしたらもう少し早く移動できたかも知れない。その上、帝都で視た魔石の記憶を思い出すと、これもなかなか複雑な心境ではある。
だが、実際に魔物が多く発生し、被害が出ることもある現状では、忘れてしまう方が楽ではあるのだろう。神聖リヒトのマッチポンプまがいの行為を白日の下に曝したところで、すでに魔物は放たれ、自然繁殖してしまっている。加えて魔物から取り出せる魔石は、ヒトの生活に欠かせないエネルギー源となってしまった。残念ながら、もう手遅れなのだ。
甲板で巨大な二本の煙突を眺めながらそんなことを考えていた。
この船は外洋を航海するだけあって、ウテソヴァツェスタから乗ったものよりも二回りはサイズが大きい。それだけに、魔石機関が二つは必要なんだなと勝手にそう思い込んでいたのだが、興味本位で案内係の乗組員に聞いてみたところで、こんな回答が返ってきてしまった。
「いいえ、お客様。当船舶における動力機関は、全部で四つでございます」
年は僕よりも一回りは下だろうか。
焦げ茶色の髪をきっちり横分けにした清潔感のある風体で、彼は丁寧に説明してくれた。
「四つのうち二つは仰る通り魔石機関、残りの二つは石炭を使用した旧来の蒸気機関なのです。また、あの煙突は見たそのままではなく、中に二本ずつ小さな煙突があるものとお考え下さい」
どうしてわざわざそんなことをしているのかと、その場ですぐに疑問を持てれば良かったのだが、生憎とそのときの僕はただそういう船もあるのだな程度にしか思わなかった。
三人で食事をする際、話題としてそのことを話し、どうしてなのかとヴィクトルとカルラに聞いてみたのだが、ヴィクトルからは「魔石が入手困難になったときのためじゃないか」と真面目な答えがあった。ところがカルラからは「崇める神が違うのでしょう」などと、どう捉えたらいいものか、理解に苦しむ答えが返ってきたものである。
「崇める神様が違う、というのはどういうことでしょうか、聖女様」
「スヴァンベリ司祭。あなた、本当にカナル大陸のことを忘れてしまいましたの?」
その通りだ。スヴァンテ・スヴァンベリのカナル大陸での記憶を辿ろうとすると、なぜかところどころ思い出せない箇所がある。それも明確にどれそれの記憶がない、というものではなく、まるで記憶が改変されたかのように、思い出せないことすら分からない部分があるような感じがある。詳しく知らないが、縞状記憶喪失がずっと続いているようなものなのだろうか。
そういうことだから、カルラにそのように言われても、ただ何を思うでもなく、素直に頷くことしかできなかった。それを見た彼女は、少し困ったように眉根を寄せて、「バルント・ハーヴに到着したら、すぐに説明しますわ」と零すのだった。
* * *
プエソンエブリを出港してから三日後の午前九時、僕らは無事にバルント・ハーヴの港に降り立つことができた。
その港は大変な賑わいだった。大きな船が何隻も停泊していて、それに合わせて人夫も多い。到着した幅の広い埠頭から少し離れるだけで途端にごちゃごちゃとして、ヒトと荷物にまみれてしまうような混雑ぶりである。こうなってしまってはカルラに説明を求めることなど場違いも甚だしく、僕たちはお互いに見失わないよう、人の波から逃げて町に入ることに神経を注ぎ込んだ。もちろん先頭は僕なのだが、残念ながらというか例によって出入り口の場所を思い出せず、しかし体は覚えているから迷いはしないという、我ながら奇妙な状況になってしまった。
そうして港と町を形ばかりに隔てている検問所をなんとか通過したところで、ようやく僕は港のゲートに掲げられている文字に気が付いた。
『ようこそ、華那琉大陸へ』
『バルント・ハーヴへようこそ』
鳥居のような形のゲートの、横に渡されている箇所にそのように二段で書かれていて、僕はヒ大陸を目指すとき、確かにここを通ったのだと、そして対外的にはカナル大陸だが、大陸全域を統治する国――華那琉連邦内では漢字で表示していたことを思い出す。僕は同時に、カルラとの約束を思い出し、ゲートのそばからバルント・ハーヴの町を眺めた。
この町もやはり近代化著しく、港の周りは木骨レンガ造りの大きな倉庫の他、高さ十五メートルを超える灰色のビルディングが立ち並んでいた。はて、住居用の建物はどのようなものだったのかと記憶を探ると、不思議なことに鮮明に思い出せる。元々カナル大陸は、いや、折角だから華那琉大陸とするべきか。この華那琉大陸は北風が強い地域が多く、そういう場所では基本的に北から南へと浅い傾斜で上がっていく屋根を備えた、背の低い家屋がほとんどだった。そのような家屋の骨組みと屋根には木材を使用するが、壁や屋根瓦にはこの大陸でよく採れる青墨色の安山岩をふんだんに使い、隙間は白いモルタルで埋めるのである。
そうやって生まれた街並みは、どこかあなぐらの原始風景といった趣があり、同時に同じ方角を向いた青墨色の斜め屋根が立ち並ぶ様には、独特の緊張感も感じられるものだった。
スヴァンテ・スヴァンベリの記憶によれば、この近代化が進んだバルント・ハーヴの町でも、そういった家屋はまだ多く存在していて、鉄筋コンクリートのビルディングとアンバランスさを作り出していたのだそうだ。
僕が港から離れながら無意識に探しているカフェも、伝統的な華那琉大陸様式の建物で、そこでなら落ち着いて話ができることだろう。これも明確に形を覚えているわけではないのだが、僕はそのようなカフェが良いと思っている。パッと頭に浮かび上がっている。実に不思議なことだ。そして僕はそれをうまく言葉にできないにもかかわらず、「ええと、確かこっちにカフェがあったはず」などと言って、ヴィクトルとカルラの案内までしていた。
道中、カルラが人々の視線を集めていたが、美しい女性というのはどこの大陸でも好奇の目で見られてしまうのだなと、そう思わずにはいられなかった。