5.1.9
「ところでスヴァンテ、これからどういうルートでカナル大陸に行こうと思ってたんだ? お前さん、あっちの出身なんだから分かるだろ?」
「そうね。私が調べた行程もあるけれど、あなたが考えたものも聞かせてくれるかしら」
「えーとですね、警部補殿と聖女様、僕が考えて――」
「ちょっと待った」
簡単な朝食の後、今は合流したカルラ・アンジェロヴァを交え、宿屋の一室で打ち合わせを行なっているところである。
そこで二人の求めに応じて、僕が考えていたルートを説明しようとしていたのだが、求めた一方の警部補殿に止められてしまった。何事かと怪訝な視線を送ると、彼はのんびりと語るのだ。
「まー、スヴァンベリ司祭。これはそれなりに長い旅になりそうだ。ヒ大陸の外の地理に疎い俺だって、それくらいは分かる。だからここはお互い畏まった喋り方はなしにしようじゃないか。聖女様も、そう思うだろ?」
ヴィクトル・エリクソンは自分よりも十歳以上も年上で、その上、帝都の治安を影で支える公安警察の捜査官なのだ。当然、何かと気を遣っていたのだが、向こうがいいというのなら僕としては助かる。カルラ・アンジェロヴァも同様だ。そう思いながら、斜め前に座るカルラ・アンジェロヴァに視線を移すと、やはり彼女は露骨に口をへの字に曲げ、眉間にしわを寄せていた。周りにリヒト教の信徒がいなくて良かったと、僕の方が心配になってしまうようなひどい顔である。
「あなた方はそれでも構わないのでしょうが、私には立場というものがあります。このような空間であれば良いという考えもあろうかと存じますが、普段から気安く接していれば、それはいつか信徒たちの前で露見してしまうもの。どうか、そのことをよくお考えになってください」
これは駄目だと言っている。遠回しだが、駄目ですよと言われている。
「そうですよね。ですから、僕と警部補殿との間だけの話にしましょう。ね、警部補殿」
僕の選択はもちろん、男同士に限る、だ。この旅を安全なものとするためには彼女の威光が必要なのだ。それを貶める可能性があるものは、まったく彼女の言う通り排除しなければならない。
さて、警部補殿はどうするかと顔色をうかがっていたのだが、彼も元々受け入れられると思っていなかったのか、それとも細君との思い出がよみがえったのか、すぐに「そうだな。それがいい」と同意した。
「それでは先ほどのカナル大陸までのルートについて、僕が考えていたものをお話しますと、まずはここから陸路で東へ出ます。ジェカアレスで集めた情報によれば、港としてはハレ大陸最北東であるプエソンエブリから、カナル大陸のバルント・ハーヴという町まで、客室のある船が定期的に出ているとのことで、それに乗れば問題ありません」
「その、プエソンエブリっていうとこにはどうやって行くんだ?」
「神聖リヒトの勢力圏内は、西はジェカアレスから東はそのプエソンエブリまで横断するように汽車が走っているそうで、それを利用すれば問題はないと、そうですよね、聖女様?」
ヴィクトルにはできるだけフランクに接して、カルラには丁寧に接する。これは頭では分かっていても、実際にやってみるのはなんとも難しい。ついうっかり気安く話しかけてしまって、眉間にしわを作ってしまわないか、この先心配だ。
「ええ、そうですね。確かにスヴァンベリ司祭の言う通りです。しかし、汽車では東のロスツェスティから先、ホルスキィポトクまでの急峻な地形を越えるのに大変に時間がかかってしまいます」
僕の頭の中で、かつてルッツさん……ルッツくんと言った方がいいか。その若い男の護衛でホルスキィポトクとロスツェスティを通過したときのことが思い出される。かつて存在したドリテ王国から続く街道はあったものの、尖った山が多く、道は確かに険しかった。挙句の果てに山賊の襲撃にまで遭ったのだったっけ。懐かしいなあ。あのときに一緒だった人は、もう誰もいないのだなあ。それはそれとして、あのような地形に線路を通したのだから、相当に蛇行しているだろうし、場合によっては機関車を連結させなければ越えられない坂もあることは容易に想像できた。カナル大陸での記憶は靄がかかったように思い出せないことが多いのに、なぜ三百年も昔の記憶はポンと思い出せるのか、まったくの謎である。
「そうすると、別のルートを?」
カルラ・アンジェロヴァという、かつて僕の向こうに英雄セルハンを見出し、そして殺そうとした聖女様は、穏やかな顔で頷いた。そこには眉間のしわもへの字口もすでになく、きめの細かい肌が見えているだけだ。その肌を柔らかく動かして彼女は答える。まるで本物の聖女のように。
「ええ。聖都を出発したら、まずは北に向かいます」
「北? ……ああ、なるほど。船ですか」
「北へ行くと港があるのか。スヴァンテは物知りだな」
「いや、それほどでも」
この知識もやはり過去のものだ。三百年前、ここウミヴァドゥロから北東にはウテソヴァツェスタという港町があった。そこから東に街道を進むと、鉱山の町チェルベネーミェストや、ルッツくんの故郷であるシェドニィドゥベジェというこれも港町に行くことができるのだが、今回はそこへ行くことはないだろう。
そこで、カルラが「んっんー」と小さく咳払いをした。もしかしたら、僕が先に船だと言ってしまったことを気にしているのかも知れない。
「それもスヴァンベリ司祭の言う通りです。ウテソヴァツェスタから島嶼部を抜けて東岸へ出る定期船が出ております。それに乗船すれば、汽車よりも二日ほど早くプエソンエブリに到着することでしょう」
「それは良いことです。やはりあなたが同行してくださって良かった」
得意気な表情で語るカルラを、ヴィクトルが褒め称える。実際、得られた情報には感謝しているが、そこまで賛美をするようなものなのだろうか。とはいえ、未熟な僕の受け答えをフォローしてくれたような気もするので、これは二人に感謝するのがヒトとしての道であろう。
「そうですね。ありがとうございます」
カルラにお礼を言い、それからヴィクトルにもほんの少し頭を下げた。この三人で何カ月かかるか分からない旅に出ることは、もう決定事項であり、僕も覆すつもりはない。無用な衝突が起こらないよう、用心するに越したことはないのである。
「ところで聖女様、大変申し上げにくいことがあるんですけどね」
「どうかしましたか、エリクソンさん。私に協力できることがあるかも知れませんので、遠慮せずに仰ってください」
「……その聖女様にこういうことを言うのも大変に憚られることなんですが、路銀の方がですね、なんとも心許なくてですね、いくらか融通して頂けると助かるんですが」
愛想笑いを浮かべるヴィクトルの視線の先で、カルラの眉間のしわは瞬く間に深くなり、口は北部山岳地帯の峻険な山々の如くに曲がるのだった。
こうして僕ら三人は汽車に乗り、多少ギスギスしながらカナル大陸を目指すことになった。
その先に何が待ち受けているのかなんて、誰も知らないままに。




