5.1.7
「初めまして、スヴァンテ・スヴァンベリくん。私の名前はディーテ・ボハ・スヴェトラだ。ウチテルと言った方が分かりやすいがね。今日は有意義な話をしようじゃないか。ビスコプ・アンジェロヴァ、案内ご苦労。君は執務室で待機していたまえ」
カルラ・アンジェロヴァとの面会の後、そのカルラの案内で別室に移動すると、そこには今度こそウチテルがいた。瑠璃色のケープは白で縁取りがされていて、他のものとは少し異なるが、カルラ・アンジェロヴァと色を入れ替えたもののようにも見える。
そしてケープの下には、瑠璃色の地に銀糸と金糸で刺繍が施されたローブを纏っていた。いかにもリヒト教の高位聖職者といったいでたちである。見た目は五十代そこそこだろうか。白髪の短い髪の毛は丁寧に後ろへ撫でつけられ、顔は細面の部類。目は細く、目尻が柔和に見せるが、全体としては理知的で、悪く言えば冷たい印象だ。
そのような人物がわざわざソファーから立ち上がり、握手で僕を出迎えてくれている。だからと言って、心を開くことはない。殺されかけたのは分からないが、グレアムたちに拉致されたのは、間違いなく目の前にいる男のせいなのだから。
「初めまして。拉致してまでここに連れてきて、いったいこの僕とどんな有意義な話をしようというのでしょうか?」
「そうでもしなければ、君はここに来てくれないだろう。違うかね?」
それには当然、答えない。答えたところで何もなりはしない。
「……それで、話というのは?」
「なに、簡単な話でね、我が教団では過去に白渡りを経験したことがある者を集めているんだ。君にも覚えがあるだろう?」
それにも答えない。彼らは既に情報を掴んでいるのだから、答えなかったところで何が変わるわけでもない。
「その白き炎。白渡りを経験し、無事に戻ってきた者がその身に秘めるそうだな」
「ディーテ……あー」
「ウチテルで構わない。そもそもディーテ・ボハ・スヴェトラの名も、ウチテル就任と同時に授かるものだ。さして意味はない」
「あなたは、視えるのか?」
僕のその問いに、ウチテルは肩をすくめてみせた。
「……まあいい。残念ながら、私には視えない。だが、部下たちからは報告が上がってきている。一際輝く白き炎があるとね」
「集める理由は?」
「ふむ、いい質問だ。だが、何から話したものか。……ああ、そうだな。我がリヒト教の遠大にして崇高な目的から話してあげよう。リヒト教はなぜシェスト教から分かれたか知っているかね?」
「派閥争いに敗れたんでしょう」
「そういう見方もできるだろうが、根本からして違う」
「と、言うと?」
「信じる神が違うのだから分かれるしかない。分かりやすい理由だろう?」
「言われてみれば確かに。しかしそれが白き炎とやらと、どうつながるっていうんですか?」
「君が白渡りを経験しているのなら、もう分かっているのではないか?」
この男はいったい何を言いたいのだろうか。確かに僕は白渡り、或いは 時渡りと呼ばれる現象に何回か遭遇していて、そのたびに神を名乗る者と会っている。正確を期すならば、僕の魂の器となる人間が遭遇したものと、器に魂がある状態、更にその後、器が朽ちた後のものは分けた方がいいのかも知れないが、リヒト教がそこまで僕の情報を掴んでいるかどうかは分からない。だから、余計なことは言わない方がいい。
いずれにしても僕が予想できる範囲では、神秘的な体験を集めてアイン神の奇跡とし、布教活動の材料にしたいのだろうと思っていた。
「あいにくとさっぱり分からない」
今度は僕が肩をすくめて、さらに首を横に振る。同時にすっかり忘れていたオイレン・アウゲンを展開し始めた。二百メートル、三百メートルと広げたところで、確かに白炎はあるのだが、これも以前見たカルラ・アンジェロヴァのものだけしか見つからない。これでは集めているというのが嘘か本当かは分からない。集めているとしても、うまく事が運んでいないか、人間ではなく話を集めているかのどちらかなのだろう。そうだからといって「あなたは嘘をついていますね」などとは、決して言ってはいけない。話が終わってしまうし、最悪、ヴィエチニィ・クリッドのオフチャクに今度こそ殺されてしまうだろう。今は、情報を集めるために話を聞き出さなくてはならないのだ。
「そうだろうとも。先ほど、私は信じる神が違うと言った」
「そうですね」
「だが、シェスト教は世界最大の宗教だ。我が教団もハレ大陸ではもっとも信者が多いが、ヒ大陸とエコー大陸では比べるべくもない。もっともヒ大陸ではライトグレイス共和国が協力してくれてはいるがね」
「それでシェスト教の勢力を削ぐために、とか?」
「ところがそうではないのだよ。リヒト教の開祖である初代ディーテ・ボハ・スヴェトラによれば、人類はシェスト教の神々を否定しなければならないという」
「神の否定、確かにそれは分かれなければ無理ですね」
「そうだろう」
「しかし、それでも白き炎とはつながらない」
なぜ、白炎が必要なのか。
「初代ディーテ・ボハ・スヴェトラは、白渡りを経験して世界の真理に触れ、そして白き炎を授かった。こういえば君にも分かるのではないかな」
世界の真理に触れ、白き炎を授かった。
白き炎とはなんであるのか。白炎とはなんであるのか。そもそもオイレン・アウゲンを通してしか視えないあれは、いったいなんであろうか。少年神は僕に何も語ってくれない。けれど、僕がこの世界で器を得るよりもずっと昔。初代ディーテ・ボハ・スヴェトラにはそれを授けた。真理を与え、魂を入れた。そうしてリヒト教が誕生したのであれば白炎とは――僕は自分が導き出した結論を信じることができなかった。僕は自分が出した結論を語りたくなかった。それでも、驚愕のあまりに口が動いてしまう。
「白き炎とは、シェスト教の神々を否定しうる世界の真理である。……まさか、そんな矛盾があるものか」
だとすれば少年神は果たして何だったのか。だが、確かにそのように考えればつじつまが合うことは多い。そして、思考は再び巡る。少年神とは何者か。
狼狽する僕の前で、今代のウチテルは満足そうに笑みを浮かべ始めた。
「その通りだ。初代ディーテ・ボハ・スヴェトラは白渡りでシェスト教の嘘に気付いた。直後からそれまでの怠惰な生活を捨て、人が変わったように働いてリヒト教をたちあげたのだよ。それは今では考えられないほどに困難なことだったろう。しかし、偉大なる開祖は偽物の神々を否定するために、残りの生涯の全てを捧げたのだ。我々は世界を偽物の神からヒトの手に取り戻すために戦っているのだ。そして、そのためには真理が必要だ。シェスト教の神々を否定できるだけの真理がね。だから、スヴァンテ・スヴァンベリくん。どうか君の知識を我々に教えてほしい。君はいったい白渡りで何を見たのか、何を経験したのか。それが明日の人類の道しるべになるのだから」
少し興奮したように語るウチテルの目の輝きには、僕を騙そうとする気持ちを垣間見ることはできない。そして、世界をヒトの手に取り戻すという言葉のなんと魅力的なことだろう。
そうだとしてもだ。
「しかしウチテル。それではあなた方が奉じるアイン神も偽物だということになってしまうでしょう。さすがにそれは望んでいないのではないですか?」
僕の質問にウチテルは更に嬉しそうな表情で、こう返したのだ。
「偽物の神々を討ち果たすには、偽物の神こそがふさわしいと思わんかね」と。
自らの神を偽物だと断じた男は、更に言葉をつないでいく。
「初代ディーテ・ボハ・スヴェトラによれば、そもそも神とはヒトが生み出すものであるとされている。つまりヒトは自らが生み出した偽物に願い、縋り、望み、そして思想と行動を管理されている生き物なのだ。私は偽物に管理された世界に甘んじるほど怠惰ではない」
「しかし――」
何かを言いかけて、そして僕は黙った。
この男の言いたいことは分かる。だからといって、少年神が僕にお願いしたことまでをも否定できるものでもないし、何よりも、僕は少年神と何度も会っている。あれは偽物だったのだろうか。確かに六柱と言いながらも、僕と僕の器が出会ったのは一柱と、存在しないはずの少年神だけだった。だが、それがすぐにシェスト教の神々の否定になるかというと、そうでもない。それに、僕が傭兵スヴァンのときに、クリスタ・ホルツマンに送った少年神の絵を、シェスト教会は否定しなかった。そもそも六柱というのもいい加減なものだったのかも知れないが、どちらにせよ、僕は、僕の秘密を宗教に利用されるなんて、真っ平ごめんだった。
「うん? どうした?」
「いえ、何でもありません。残念ですが、僕は白渡りを経験したことがないので、あなた方にお話しできることはありません」
半分正しく、半分間違っていることを理由に僕は協力を断った。
ウチテルは大袈裟に残念そうな表情を作ったが、それも想定内だったらしく、すぐに喋り出す。僕の気持ちを誘導するように。
「では、君は何を望む?」
「世界の真実を」
「ならば、カナル大陸に行くがいい。我々は奉ずる神は違えども同志だ。今後、ヴィエチニィ・クリッドには手出しをさせないと、このディーテ・ボハ・スヴェトラの名にかけて誓おう。だが、すでに抜けた者やイビガ・フリーデの連中は私の知るところではないがな」