5.1.3
暗闇の中でガタゴトと音が鳴り、ガタンゴトンと定期的な振動がこの体を震わせる。
僕はどうしたのか。確か、ジェカアレスで聞き込みをしていたはずで、それから、それから……思い出した。
後頭部に痛みを感じて、それから気を失ったのだった。
頭は……もう痛くない。手は動くか、足は動くか、体は動くか。手は両手首のあたりで縛られているようで、どうにも難しい。ただし、腕の自由は効く。手首を縛られている都合で、それほど可動範囲は広くないが。足はどうか。足もやはり両足首を縛られているような感覚がある。しかし、両足がぴったり付くような縛り方ではなく、余裕はあるようだ。
ここまで目を瞑ったまま確認して、僕はオイレン・アウゲンを展開することを思い出した。自分の周りの薄い膜を、内側から空気を入れるようにして膨らませていく。黒い靄は二人、いや三人分か。
周囲には木と土埃が混ざったようなニオイ。
どうする?
近くに人が近寄ってきた気配を感じ、薄っすらと目を開ける。黒い革靴が見えた。男物だ。気を失う直前に聞こえてきた声も男だった。同じ人物だろうか、それとも別の人物だろうか。
ああ、この規則正しい音は電車、ではないな。この世界にはまだ電車はない。蒸気機関車なら帝国でも実用化されていた。魔石で蒸気を発生させる蒸気機関車が。
そうであれば、僕は何者かに攫われ、汽車に乗せられて運ばれている可能性が高い。
何のために?
思い浮かぶことはたくさんあるが、まずは目をしっかり開けて状況を確認しよう。幸いにして猿ぐつわも目隠しもされていない。何よりも、僕にはシクロのリィンカーネイションがある。命までは取られていないのだから、周りにいるのがどんな相手であれ、うまく立ち回れる自信はあった。
そのように覚悟を決めて目を開く。革靴の奥にはもう一つ、革靴を履いた別の足が見えた。視線を上に向けると、見知った顔が僕を見下ろしていた。
「よお。起きたか、スカーフェイス」
黒く長い髪を後ろで束ね、その青い瞳は鋭い。ヴィエチニィ・クリッドのグレアム・グッドゲームがそこにいた。
かつて上官の指示で僕を殺そうとし、ヴィエチニィ・クリッドの帝都の拠点を僕が潰そうとしたときに立ちはだかった男がそこにいて、冷たい顔で僕を見下ろしているではないか。
「何の用だ、グレアム・グッドゲーム。まさかまた僕を殺そうとしているのか?」
「名前を覚えてもらっているなんて光栄だ。だが、その推理は笑えないなあ。殺しの依頼だってんなら、ジェカアレスで間抜け面を晒しているときにとっとと殺したさ」
「……う……うう」
どこからか、男性の呻き声が聞こえてきて、頭を動かし、視線をやればそこにいたのは同じように手足を縛られ、しかし、目隠しもされている無精ひげの中年男性――ヴィクトル・エリクソンだった。
服には土埃が付いているが、見た限りでは怪我らしい怪我はない。
無関係な人間を巻き込んでしまったことに若干の引け目を感じ、そして無関係な人間を巻き込んだグレアムに怒りを覚える。
僕はここで何をするべきか。
この縛っている縄をシクロで切断するのは簡単だ。しかし、それで警部補殿を助けられるかと言えば、それは難しい。
なぜならグレアムと一緒にいる若い男。端正な顔に、几帳面に横分けされたブロンドヘアー。奴は確か、帝都の港湾区で僕と大立ち回りを演じた、レイピア使いの男だ。白いスーツを着崩しているグレアムと違い、この暑い季節にネクタイを締めてスーツをきっちり着ている辺り、神経質で任務に忠実な性格が窺える。それが瞬き少なく、睨むような目つきで監視しているのだから、実に具合が悪い。
つまりあれは、僕がこの手足を縛っている縄を切るや否や、自身の生死を問わずに抑え込みにかかる可能性があるということだ。そうなれば警部補殿が五体無事でいられる可能性はぐっと下がってしまう。
だが、本当はこの状態に期待もしている。
僕がわざわざジェカアレスに来た理由の一つにも、リヒト教の調査がある。この状況であれば、どうせお前は処刑されるのだなどと、普段は聞けないような内部情報をべらべらと喋る可能性もあるだろう。
だが、この後のグレアムの言動は、それとは僕の期待を裏切るものだった。
突如、彼の足が高く上がり、まずいと思ったときには僕の両手は勢いよく踏み付けられていた。
激痛が走り、漏れそうになった悲鳴を、歯を食いしばって耐える。
「おいおいおいおい、勘違いするんじゃねーぞ、スカーフェイス。さっきも言った通り、何もこっちはお前らを殺すつもりはねえ。だから、シクロを出して縄を切ろうなんて考えんなよ。大人しくしてりゃ、命は保証する。……お、どうした? なんか言えよ」
グレアムは足をぐりぐりと左右に振って、両手をなぶるように踏み付け続ける。当然、両手に痛みが走り続け、口などきけるはずもない。
「グレアム、その辺で」
「あ? おっと、すまねえな。俺としたことがつい、いつもの癖でやっちまった。ほれ、足をどけたからなんか話せよ。聞きたいことがあるんだろ? なあ?」
神経質そうな男が落ち着いて声をかけると、グレアムは足をどけ、ようやく両手の痛みから解放される。普段なら、お前はいつも両手を踏んづけているのかと、激怒したいところではあるが、今の状況ではそうもいかない。
「ぐ……はぁ、はぁ……お前らの」
息も絶え絶えに、どうにか声を絞り出す。グレアムは意外にも何もせず、何も言わず、黙って続きを待ってくれていた。
「お前らの目的は……なんだ」
やっと喉から出せた質問は陳腐だが、今はこれを聞くことが最良だと思える。
「あー、そっか、そうだよなあ。説明してなかったもんなあ。今から説明してやるから、よーく聞けよ」
勿体ぶったその態度と先ほどまでの暴力には、僕も大いに暴力でお返ししたいところではあるが、状況がそれを許さないのは先ほども述べた通りだ。そんな僕の目だけが奴の口を見上げ、注目する中で、グレアムは舞台役者のようにこう言ったのだ。
「我らがウチテル様が、スカーフェイス、お前にどうしても会いたいと仰るのだ。ありがたく思い給えよ?」などと。