4.4.6 轟音
初め、ドン、という鈍い轟音がいくつか。
次に、西からの悲鳴の波。
最後、空が赤く燃えていた。
途端に膨れ上がり、零れ落ち、黒靄が彷徨う。
次々とケモノが現れ、ヒトの波の僅かな隙を見つけては、リボルバーで仕留め歩く。
再度、大きな爆発音がいくつも響いた。
悲鳴の波に紛れて「共和国艦隊だ!」という絶叫も聞こえる。
その黒々としたヒトと靄の塊が次々と過ぎ行く中を、僕はシクロもしまわず西に進む。
これはチャンスだ。この混乱であれば、人目も気にせずに僕は堂々と奴らに復讐ができる。己を殺し、ギュンターを殺し、ニールさんとエリーヌさんを襲ったあいつらに正義をふりかざすことができる。
僕は誰か。俺とは誰か。もう、どうでもよいのだ。
「やあ、こんばんは。今日は絶好のお月見日和ですね。スヴァンテ・スヴァンベリ君」
灯りの途切れた暗闇からこちらの明るい世界に、白いスーツを着た丸坊主の男がぬっと現れた。
「……」
「おやおや、だんまりとはよろしくないですな」
その男は包容力を感じさせる笑顔で俺に優しく語りかけてくる。
間違いなくあのとき出会ったオフチャクの一人だ。
「ところでこんな時間にこんなところにお出でとは、いったいどのようなご用事でしょうか? 老婆心ながら忠告すれば、早く第二区画まで避難するのがいいと思いますけどね」
ああ、いやだ。
こいつの表情や所作、話し方は優しく丁寧だというのに、どうしてこんなにも俺をイライラさせるのだろう。
俺はゆっくりと銃口を向け返事とした。
「それは少しお行儀が悪いですよ。本を読んでいますか?」
「……どういう意味だ?」
「やっと喋ってくれましたね。私は実に運がいい」
「どういう意味だと聞いている」
「おやおや。怒らせてしまいましたかね。でも、どういう意味も何もありませんよ。そのままの意味です。本をよく読むヒトは落ち着きがあり、思慮深い。そして無闇に力をふりかざさないものなのです。だから、スヴァンテ・スヴァンベリ君、本を読みなさい」
何の話かと聞いてみれば、実に下らない。
結局、この男は何をしたいのだろう。
俺は一刻も早くヴィエチニィ・クリッドを壊滅させたいというのに。
だから、銃口を男に向けたまま、現れたときと変わらず、睨みつけるように見続けた。
……後ろから黒靄が一つ、近づいてきている。
それのすぐ近くには、大きな腰鉈のようなシクロが映る。
目の前の男は肩を竦めて首を何度か横に振り、口を開いた。
「やれやれ。私は平和主義者なので戦いたくないのですが、あなたがこちらに敵意を向け続けるのなら、已むを得ません。……躾の時間だ、エデュケイター」
男が二重に唱えると白い多面体がクルクルと回転しながら集まり、それは長くしなやかなムチとなる。
そして、ジャケットの内ポケットに左手を入れると、男は再び闇に包まれた。
「自己紹介が遅れてしまいましたが、私、ヴィエチニィ・クリッド帝都基地ヴェリテルのジェフ・レディングと申します」
その暗闇から声がした。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
リヒト教が魔石を製造しているようなものなのであれば、その使い方も知っているということを。
暗闇の中から、叩きつけるようにムチが飛び出してくる。
バシッと当たる音がして、だけど俺はもうそこにはいない。
見えて、動くのだ。自分でも驚くほど、オイレン・アウゲンで捉えた情報が、澱みなく動作に繋がっている。
だからジェフ・レディングは、敵たりえない。
問題なのは後ろの黒靄だ。
ヒトの波はもうとっくに通り過ぎ、辺りにある黒靄は、後ろのそれを除けば、ヒトから逸れ、ふらふらと彷徨うものだけだと判断できる。
そのような状況で、後ろのそれはピタリと一定の距離を開けたまま、立ち止まっているのだ。何をしたいのか分からないが、いるだけで警戒しなければならない。その存在を認識しているだけで、後ろの奴を殺してしまえと、心がざわめく。
彼女はいったいどんな顔をして待ち構えているのか。
彼女はいったいどんな感情でイビガ・フリーデの皆と話していたのか。
知りたくないと言えば嘘になり、知りたいと言えば、それもまた嘘になる。
俺の心は今宵の月のように判然とせず、それが恐らく彼らの狙いなのだろうとも思う。
その間にも、ジェフ・レディングのエデュケイターなどというふざけた名前のムチは、暗闇の中から肉を削ごうと縦横無尽に飛んでくる。だが、今夜の俺は実に冴えている。もう、戦い始めてから二十分は経とうというのに、躱し、或いは自在法剣で次々といなしては、怪我らしい怪我の一つもしていない。
しかし、こちらからの攻撃が出来ていない。
暗闇の中心と、オイレン・アウゲンの映像から感覚的に弾き出したジェフ・レディングの位置がずれているのだ。
攻撃の隙を窺い、暗闇にシクロの弾丸を放つも、直後のムチの動きをもって、それが外れていることを知らされた。
向こうの手数は多く、こちらの攻撃は当たらない。
白の魔石で光を放てば、この暗闇は晴れるだろうか。
そんなことを考えたとき、後ろの黒靄が卒然と動いた。
ドン、という、鈍く重い轟音が聞こえたような気がした。