第150話 大義
「ソルマ殿、こちらをお願いします」
セルハンが何かを拾い上げ、中を一瞥してキズミット・ソルマに渡す。
「む。分かった」
キズミットも、そのありふれた外見の割に重たい革袋の中を見て、近侍にも渡さずに自身の腰ポーチに慎重に押し込めた。
「こういったものはタルカン殿の扱いだ。後ほど私から届けよう。直接にな」
「こちらの議会にもそのように報告します」
「うむ」
「では、不躾ではありますが、我々はこれにて失礼します」
「そうか。世話になったな」
「いえ。ユズクの仕置きについては我々は介入しませんので、後はご随意に」
「あい分かった。……デニズヨルが心配なのであろう? 早く戻るが良い」
「ええ、また近い内にお会いしましょう」
セルハンが早く戻りたいのは、キズミットの言う通りの理由だった。デニズヨルが攻められる可能性が高いと考えられるのであれば、やはり、自分は早く戻らなければならないと、若干の焦りがあったのだ。
デブラーチェニスの備えで勝てれば良し、さもなければデニズヨル市街までするりと行かれてしまう、と。
そのデブラーチェニスは、巨人の鼻と呼ばれる断崖絶壁の岬の突端にあった。東からデニズヨルを目指す船は、皆、その大灯台を頼りにし、また、大灯台から見下ろされるように近くを航行しなければ、デニズヨルには入れない。
だから、初代のバルクチュは、海に向けて仰々しい要塞をそこに作った。そしてデブラーチェニスを島の民、その後、デニズヨル議会が掌握したときから、ゆっくりと防壁の強化と大砲等の重火器の拡充を進めてきた。グンドウムがカシシュ家に制圧されて以降は、砲台を増やすことを優先していた。
そして、シェスト暦1638年2月末。いよいよカシシュ家のバリナとキョペキバルの艦隊がデブラーチェニスの足元を通り抜けようとしたとき、60を下らぬ大小の大砲が次々と間断なく火を吹き、両艦隊に大打撃を与える予定だった。
結果としては、デブラーチェニス側からの一方的な砲撃だったにもかかわらず、計10隻で航行していたうちの、僅か2隻を大破させるに留まり、挙句、その2隻には目もくれずにデブラーチェニスの射程範囲から出てしまった。そうなってしまえば、デブラーチェニスの守備隊の仕事は、返り討ちの可能性が非常に高い追撃ではなく、大破した2隻の中型艦の乗組員たちの救助だけである。
そうして、バリナとキョペキバルの艦隊8隻は悠々とイキレンキ海峡に侵入し、西へ進みながらデニズヨルへ砲撃を開始した。当然のことながら、この事を想定していた議会が無策に構えていることはなく、海峡の両側に二重三重に砲兵部隊を展開して、両側から艦隊に砲撃を加え続けた。
「あれ?」
その様子を町外れの土塁の上で眺めていたドゥシュナンだったが、その動きにはどうにも違和感があり、考え始める。いかに敵地の飛び込む必死の作戦といえども、本来は重要な施設に狙いを定めるものだろう。けれど、敵の動きからは全くそういった気配は感じられず、ともかく場当たり的に、手当たり次第に攻撃しているように見えた。
考えられることは三つ。だが、一つはそもそも内地公安局が重要な施設を把握していないだとか、それをケレム・カシシュに伝達していないなど、到底信じられないことなので、実質、二つだった。
一つは、指揮を出来る人間が既にいない。
もう一つは、デニズヨルを破壊しつつ、本隊のために陽動をしている。
しかし、あの貴重な軍船を囮にするだろうかと、否定もする。
「ユムシャクさんはどう思いますか?」
「どう、とは?」
ドゥシュナンは遠眼鏡を覗いたまま、隣のユムシャクに問いかけた。それは、意見を求めたということではなく、自分の考えを整理するために。
「あの二つの艦隊だけでデニズヨルを落とせるわけがない。それは向こうも分かっているはずで、それならば、現に海峡を航行しているあれは何なのでしょうかね」
「ああ、なるほど。そういうことでしたら、やはり陸からも、攻めてくるつもりなんじゃないですかね?」
「やっぱりそう思います?」
「そう思います」
「そんな分かり易い攻め方、するのかなあ?」
分かり易くても普通は対応できないんですよ。ユムシャクはそう思ったが、口には出さないでおいた。
「エンダー様には作戦の変更はしないよう、お伝えください」
「あ、はい」
ケレム・カシシュは敵の戦力を完全に見誤った。
ルスとグンドウム、それからユケルバクから可能な限りの兵を動員し、海峡に入り込んだ艦隊とともにデニズヨルを挟撃する作戦だったのだ。だがしかし、南から攻める予定だったユケルバクは落とされ、東、及び南東から攻める部隊は、塹壕が張り巡らされた砦に悉く阻まれた。
結果、イキレンキ海峡への突入に成功した二つの艦隊だけが、しかし、再度デブラーチェニスの雨のような砲撃を考えると撤退も出来ずに、デニズヨルへの攻撃を決行し、砕け散った。陸の部隊はといえば、砦を攻略できないまま時間ばかりが過ぎためか、途中で撤退していった。
これ以降、ケレム・カシシュはドロナイ大丘陵へ至る街道の関所を固く閉ざした。
――王都解放から1ヶ月後、南部氏族連合は、事実上、解散した。
アルテンジュは行方知れずのままで、彼らの大義が失われたためである。
マリク王と南部氏族との間に交わされた100年前の盟約は、果たされる前に終焉を迎えた。そもそも、アルテンジュ、いや、アルタンが彼らにとって義務を果たすべき相手だったのかさえも、今となっては怪しいものだが。
そしてユズクの統治については、ショバリエ家とソルマ家が、王に返すそのときまでという条件で、共同で行なうことになった。奪還の立役者である南部勢力に王子はおらず、そして重要な役割を果たしたもう一方のデニズヨル議会は、そもそもユズクを欲しがらず、ケレム・カシシュの手に渡らなければ誰が統治しても構わないとすら、セルハンが言っていたためだ。
アルタンが開発の指揮を執ったボシ平原の三つの集落は、ソルマ家の預かりとなり、警備については、オルマンドベルとオルマンユユが持ち回りで行なうこととなった。
ギュネシウスはオドンジョ家の管理にあるので、問題はない。
あともう一つ、かつて森の民に攻め滅ぼされたコル家のウチアーチも、完全に南部氏族連合の管理になっていたため、そちらはイェシリアダン族の預かりとなった。
けれど、内乱はまだ終わっていない。
4月下旬になっても、一連の騒動に加担したケレム・カシシュはドロナイ大丘陵に固く閉じこもり、デニズヨル議会やショバリエ家、ソルマ家、オドンジョ家、アバレ家からの降伏勧告に応じる気配もない。
そうであればと、カシシュ家に占領されたままであったグンドウム及びアバレ家の旧領を、ロクマーン・アバレの要請により北部の軍が攻めれば、守っていた守備隊はあっけなく遁走した。
なぜ、ケレム・カシシュは降伏をしないのか。
ドロナイ大丘陵の複雑な地形を使って徹底抗戦を行なうものだとも思われているのだが、グンドウムを守っていた守備隊の行動からすると、どうにも彼の考えていることは予想が出来ない。
「ふむ……」
「ほうほう」
「……」
「ヤクト神の支配する狩猟の月に開始して、ライゼ神の覚えめでたき、それも商売の月早々の完了を目指すとは、実に議会らしいことだな」
ドロナイ大丘陵に攻め込めば、甚大な被害が予想されることはドゥシュナンに限らず、多くの者が予想するところであったのだが、既に流通はケレム・カシシュ自らが止めている。放っておいても自滅するものだとデニズヨルの議会は想定し、勝手に滅ぶそのときまで、じっとしようとしていた。
しかし、キズミット・ソルマから、意外なことにエルマン・オドンジョからも矢のような催促が届いていた。
曰く、内乱終結のための象徴がなければならない。
曰く、民の安寧のために、反逆者の首級をあげなければならない。
曰く、全方位からルスに攻め込めば必勝である、と。
そのような親書が議会の議員たちにも届けられていたのか、エンダー・バルクチュの説得もむなしく、デニズヨル議会はルス攻めを決定してしまった。
そうなってしまえば、やはり、出来るだけ被害がないよう作戦を立てなければならないと、セルハンの気は休まらず、ドゥシュナンと会議を重ねる。
「ルスへの街道は、ほとんど谷間でやはり平地よりも狭い。ドゥシュナンならどう攻める?」
「僕なら上も攻めますよ」
「上? ……ああ、そうか。奴らは丘の上も知り尽くしているんだったな」
「ええ、ですから丘にも兵士を回さなければ、負けてしまうでしょうね」
「言い切ったな」
「数の差など簡単に覆せるくらい、守る上で有利な地形ということです」
「だが、それをするには沢山の兵士が必要ではないのか?」
「我々だけで動くわけではないですから、大丈夫ですよ。ソルマ家とオドンジョ家は間違いなく大義のために兵を出しますし、アイウスの議会もイーキンさんが説得してくれることでしょう」
「アバレ家とショバリエ家、それに森の民と丘の民は難しいと」
「ええ、難しいでしょうね。片や兵が癒えず、片や大義を失った。それでも、参加を促す書簡は送った方が良いでしょうが」
「で、こっちはどこから出すんだ?」
「デニズヨル、デブラーチェニス、ユケルバク、それからイーキンさんの部隊も動かしましょう。丘の上の制圧を先行し、安全が確保でき次第、それぞれの方向から下の街道を扼していけば、時間はかかりますが損害は少なく済むはずです」
「他の勢力にもそれを?」
「もちろんです。ここで壊滅的な被害を被ってしまえば、また内乱がはじまってしまいますからね。……僕のように、わけも分からず家族が殺される世の中なんて、もううんざりです」
「……議員の連中の大義はどこにあるんだろうな」
「決まっているじゃないですか。下らない戦争で家族が死なない国を作るためですよ。彼らの家族を僕らが殺している可能性だってあるんですから」