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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月
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第145話 谷底の花

 私の母はよく笑う人だった。

 花を愛でる人だった。

 1日のうちに、日が差す時間など僅かしかないというのに、屋敷の庭にわざわざ花壇を作って、季節が巡るのを楽しんでいた。

 あるいはそれは、あまりにも不愛想な父への愛の形だったのかも知れない。


 けれど、その愛は届かなかった。


 嫉妬に狂ったのか、真実だったのか、策謀か。

 不義を働いたと、庭師共々、父が自ら手にかけたのだ。

 残念ながら、父が生きている間に理由を聞き出すことはできなかった。そもそも、理由など初めから無かったのかも知れない。

 父が母を殺したことも。

 私が父を殺したことも。


「お館様、ギュネシウスが陥落しました」


 心ここにあらずと言った表情のケレム・カシシュに、イルカイが報告をしていた。

 ここはドロナイ大丘陵に幾筋(いくすじ)も走る幽谷(ゆうこく)の中にある、カシシュ家の領都ルス、その無骨な屋敷の中である。

 ルスの町は、ハリカダイレ王家によってユズクを中心とした平らかな街道が整備されるまでは、アイウスとデニズヨル、あるいはユズクとしてグンドウムを結ぶ、陸の道の中継拠点として大いに栄えた町だった。そして、街道が整備された後も、近道として好んで使う者はそれなりに多くいて、往時の勢いは見られないものの、やはり栄えている町だった。


 だった、というのは、人が行き交っていたのはもちろん内戦が始まる前の話だからだ。

 今では商人や旅人の姿はほとんど見られず、カシシュ家の支配下にある兵士たちが頻繁に行き交っている。加えてグンドウムへ抜ける北東の道などは、当然、(いくさ)の最中であるから尚のことで、通ろうとする人間は兵士と地元の民くらいなものであった。

 そのことは、当然、カシシュ家の税収をひどく押し下げ、対立の継続を危うくしていたのだ。それだけに、アイウスとギュネシウスには期待をしていたが、しかし、ケレム・カシシュの思うようには事は運ばなかった。


 彼は相変わらずの笑顔が貼りついたような顔で、その実、思案に暮れている。


 (いくさ)を続けるのは不合理なことで、だから各地の有力者たちに書簡を送り、クルマザを再開して秩序の再構築を目論んだのだが、彼らもまた不合理にハリカダイレ王家を滅した者とは政治を行なえないなどと言うか、無視を決め込む者ばかりだった。


 既に王はない。


 で、あれば、逆賊ビルゲ・ギョゼトリジュを討ち、最も広大な領土を有する私が王を(せん)するのが最も合理的ではないかと考えたが、それは違うということなのだろうか。


 ()せない。


 かくなる上は、一日でも早くグンドウムを陥落させ、やはり三方向からデニズヨルを攻めるしかないのではないだろうか。いかに向こうが魔石の扱いに秀でているとはいえ、戦力を集中させれば島の民とデニズヨル、デブラーチェニスを制圧することは叶うだろう。バリナとキョペキバルの艦隊も健在ならば、勝ちは見えているようなものだ。

 ともかく、北部勢力だ。それ以外はどうとでもなる。

 そうなるとやはり次の手は――


「お館様、もう一つ報告があります」

「む、なんだ?」


 ケレムの思考はイルカイに中断されるが、聞かないわけにはいかない。


「アイナとアトパズルの砦付近に兵が集まっているとのことです。ユズク攻めの準備かと」

「……どう見る?」

「グンドウム攻めでユズクの防衛には手が回らないとでも考えているのでしょうが、ショバリエ家もソルマ家も本格的な(いくさ)の経験はありません。兵士の数も合わせて4000がやっとでしょう。それならば問題ありません」

「南部の軍勢があるだろう。あれはどうだ?」

「あちらは、ギュネシウス攻めの後ですから、動かすとしても温存していた2000から3000程度でしょう。それ以上はないでしょうな」

「となると7000か。……ふーむ。デニズヨル議会はどう動くか。援護にしてもユケルバクを狙うにしても、或いはグンドウムを守るにしても、デニズヨルから大規模に軍を出してくれれば我らとしては助かるのだがな」

「左様ですな。それに、万が一、ユズクが落とされたとしても、例の件がありますから、南部が瓦解する可能性もありますな」

「そうだな。こうなっては、それを願うしかあるまいよ」


 薄暗い谷底で、けれど、ケレムは思う。

 次の王は、民を服従させられるほど強いのだろうかと。



「待ちかねたぞ、王子。今日は存分に語り合おうぞ」


 アトパズルの白と緑の宮殿で、キズミット・ソルマが鷹揚(おうよう)に言う。

 アルテンジュは何度顔を合わせても、このアトパズルがあるボシ平原一帯の太守であるキズミットのことがどうにも苦手で、できるだけ目を合わさず、かつ、手短に話を終わらせたかった。

 キズミットの方も、どうもアルテンジュがそういう心持であることは分かっているらしく、事あるごとに王としての心構えを説きつつ、精神的に圧迫もするのだった。「王が臣下と目も合わせられずにどうするのか、斯様(かよう)な王を戴けるものか」と。

 お互いにそのような意識でいるものだから、存分に語り合おうなどと言われても、それは(かえ)ってアルテンジュの気力を削ぐものなのだが、それを言ったところでキズミットは「それでは王は務まらぬ」とでも言うのだろう。


「さて、王子。今回のユズク攻めだが、南部の衆には東側から攻めてもらいたいと思うのだが、どうだろうか?」

「あー、横から口を挟んで申し訳ないが、途中のオトラク川にかかる橋には砦が築かれていたはずです。それはどうするんで?」

「カシム殿か。跡継ぎのベルカント殿は息災かな?」

「え? ……ええ、森に戻らせて色々やらせてますよ」

「それは重畳(ちょうじょう)。……橋の砦の件だが、他に渡れるところもない以上、落とすしかあるまいよ。別れて動いてもらうのは、その後だな」

「我々がオトラク川沿いに北に進み、ユズクの東に出ることも出来ますが」

「デミル殿は痛いところをつくのう。だが、我が領の兵士たちがどういうものであるか、察してから言って欲しかったところではあるな」


 キズミットは、実戦経験が不足していると言いたいのだ。それも圧倒的に。そのような兵士だけで、街道を塞ぐように設置された堅固な砦に攻めかかるなど、心配事でしかないのだろう。

 アルテンジュは大きく深呼吸を一つ。


「……西から攻め上がるタルカン殿も心配ですね」

「王子の言う通りだよ。ソルマもショバリエも小競り合い程度はあるが、本格的な(いくさ)は経験したことがない。(いくさ)ばかりしていた逆賊めらと、どれほど渡り合えるかは全く分からん。もっとも、タルカン殿にはチェリキバルタの精鋭がおるがの」



 ドロナイ大丘陵の谷間。そこを通る街道上に建てられた砦は、昼間でも仄暗い。太陽が天の頂にある前後数時間だけが、ここが地の底ではないことを実感させてくれる。

 その仄暗い谷間にも、時折、炎で照らされることがあった。カシシュ軍が投石器や魔石で炎を飛ばすのだ。しかし、デニズヨル議会からの援軍が到着して以降、カシシュ軍側も慎重になっているのか、本格的に攻めかかってくることはなかった。それは、連戦の疲れが出ているようにも、オヌルの目には映っていた。


「アバレ様よりお下知。四番砦を放棄して、五番砦まで後退。並びに、グンドウム域内の防衛にも兵士を割くように」


 その指示の意味をオヌルは全く理解できなかったが、ユムシャクと相談し、即座に撤退の準備を始めた。単に主命であるからという理由だけではなく、嫌な予感もしていた。自分が把握していないことがグンドウムで起こったのではないかと。

 カシシュ側がそうした変化を抜け目なく感じ取ったのか、その日の四番砦はいつもよりも激しい砲撃を受けたのだが、暗くなれば砲撃の音が止むことだけはこれまで通りだった。当然のことながら、アバレとデニズヨルの軍は敵が行動しないその時間に、堂々と撤退を開始し、難なく五番砦まで後退することが出来た。そこでアバレの軍は二手に分かれ、一方は更にグンドウムまで交代する。

 オヌルの胸中は複雑ではあるが、四番砦はもう補修も限界だったのだと思って、なんとか気持ちに区切りをつけようとしていたのだが、翌朝、五番砦で目覚めた彼にもたらされた報告には、気持ちの区切りなどどうでも良くなった。


「グンドウムが包囲されました!」

「海軍か!?」

「その他に陸からも」


 オヌルは両の手で壊さんばかりに机を叩き、歯を食いしばる。

 ドロナイ大丘陵は奴らの庭なのだ。少し考えてみれば分かることを、なぜ目を光らせておかなかったのか。警戒を怠ってしまったのか。なぜ、奴らの攻撃が散発的になったことの、その理由を考えなかったのか。

 それでも防衛隊長としてやることは変わらない。今なお事態が好転する可能性を探して最良の行動を検討し、指示を出すのだ。


「敵の数は?」

「1500ほどかと」

「ほぼ同数か……」


 そうであれば海軍の上陸部隊と、やはり砦を攻めていた敵兵の半分以上がグンドウムに現れたのだろう。何にしてもその動きはオヌルには把握できず、しかし、兵士を戻せという下知があった以上、外地調査室(カラカサ)か、その下のシムセキが掴んだのか。手遅れである感もあるが何らかの方法で、察知はできたのだろう。

 しかし、まだオヌルの心は諦めてはいない。


「ユムシャク殿、五番砦の守備を貴殿にお任せして良いか? 砦内の武装は好きに使ってもらって構わぬ」

「ええ、もちろん。しかし――」

「心配は無用だ。敵が町に立て籠もる兵士に気を取られている間に、私の部隊で背後を突くのだ。さすれば、敵は町の包囲どころではなくなるであろう。実に明瞭で簡単な作戦だ」

「ご武運を……」

「貴殿もな」


 勝てる可能性を信じるオヌルの瞳に、ユムシャクはそれしか言えなかった。確かに数の上ではそうだろうとユムシャクも思う。けれど相手は普通ではないのだ。でも、それでも、オヌルは覚悟を決めた。であれば、武人に何を言うことがあろうかと。


 しかし、オヌルがグンドウムに近づくにつれ、彼が妄信した可能性の芽はどんどんと小さくなっていった。

 神の気配すら感じられる雲一つない真っ青な空の下、炎と黒煙が立ち昇っていた。大小さまざまに、いくつも、いく筋も。

 風に乗って色鮮やかな花びらが目の前を通り過ぎていく。

 数瞬、オヌルは歯を食いしばり、その次には怒鳴るような大声で指示を出した。


「全軍、突入! ご領主様をお救いせよ!」


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