第142話 海の上
カティルバリナ艦隊は海を走る。
緑の魔石で風を起こし、通常であれば補助的な役割しかないその帆を酷使する。青の魔石で海面を整え、船の揺れをも抑える。
どんどん走る。
バリナ級大型艦1隻、中型艦2隻、小型艦4隻が直線とも言える錐形の巨大な塊となって、ギュネシウスの海堡要塞を穿つが如く、ひたすらに流れる。
昔からの決まりごとのように、海堡要塞からはいくつもの砲弾が飛んでくる。
だが、それらの全てが不自然に逸れて着水していく。
デルヤは敵方の砲撃が正確かつ長射程である理由について、魔石を使用しているからだと推測した。もちろん、砲弾を直接操ることは出来ない。緑の魔石で空気を操っているのだろう。だったら――
だったら、こちらも干渉すればいいだけのことだ。難しいことは何もない。
「距離600!」
太陽を背に風を切り、砲弾を退けて、どんどんと海堡要塞が大きくなってきたそのとき、砲撃の音が止み、むくりと海面が起き上がった。
しかし、それもデルヤの予想の範囲内だった。
「青石で波を押さえつけろ!」
数名の魔法兵が青色の魔石を嵌め込んだ間隔杖を高波に向ければ、捻じれ、身悶えるような動きと共に、とぷん、と沈む。
だが、落ちきらぬ水飛沫の向こうには新たな影があった。
「10時方向、敵艦! 中型2! 小型4! 射程内! バリナ級なし!」
「全艦か?」
「恐らく!」
「面舵! 針路2時だ! 敵艦船は牽制だけしておけ」
けたたましく銅鑼と大砲を鳴らし、渡り鳥のように艦隊が流れてゆく。
ここは既に敵の策の中。左舷後方からは敵艦、左舷前方からは再び海堡要塞からの砲弾が次々と迫る。
凄まじい勢いで海堡要塞に近づいたカティルバリナの艦隊は、或いは船を捨てて突撃移乗戦闘を企図しているのかと思われたのだが、デルヤの指示は違うものだった。
「全艦、一斉砲撃! 青石の半数は姿勢制御、半数は要塞への放水! 緑石と水夫はそのまま全速力を維持だ! 潰せ!」
緩く弧を描くようにギュネシウスの眼前を流れたカティルバリナ艦隊からは、海堡要塞を上回る数の砲撃が通り過ぎ様に繰り出され、埠頭の突端にあった無骨な石の塊は、大量の水を含んで沈黙した。
残る敵は、いつのまにか突き放していた敵艦船6隻だけである。足の速さや砲弾の様子から、魔石を使う者が乗り込んでいないことは明らかだった。
*
「西城門付近、敵兵の排除完了しました!」
幕屋の中、報告を聞いたアルテンジュが胸を撫でおろす。
「現在の被害はどれくらいだ?」
「は! ただいま負傷者190、死者63です!」
「侵入後の状況は?」
「主力部隊は中央の広場付近で敵兵と交戦中。別動隊は南城壁壁内への突入を試みておりますが、まだ至っておりません」
「分かった。下がれ」
「は!」
デミルは、ここまでの流れがさも当然という表情で、状況の把握に努めている。
「合わせて253……か。予定よりもちょいとばかり多いな」
カシムは数字が気になるようだが、北部の海軍が頑張ればあっという間に決着がつきます、とデミルが言えば、それもそうかと元から大して気にしていなかったように、実にあっけらかんと口にした。
「カシム殿、作戦は順調か?」
「ええ、順調ですよ、王子。中央広場を落とせれば、旧イスケレ屋敷は目と鼻の先です。海堡要塞は健在だが、今のところ沖にかかりっきりのようだ。問題ありませんぜ」
そのとき、これまで聞いたことがないような大きな音が聞こえてきた。何事かと幕屋の外に3人は飛び出るも、生憎とそこから変化は見えず、しばらくして駆け込んできた伝令によって、状況を知ることとなった。
「海堡要塞、陥落しました!」
その報告に幕屋の面々は色めき立ったが、カシムはすぐに口元を引き締めてデミルに指示する。
「南門の状況が気になる。500ほど南城壁制圧部隊の後詰めにまわせ。そのまま中で市街地制圧の指揮を頼む」
「承知」
砲兵部隊を向かわせはしたものの、南門を砲撃するオドンジョ軍から届く報告には特に進展がない。以前の攻撃時にもほとんど砲撃を受けなかったことから、北門や西門と違い本来の防御力を有しているのだろう。もちろん、北部はそれを考慮した上でオドンジョ軍を南門に当たらせたのだろうが、その結果は今のところ芳しくない。
だが、それも内側から南城壁内部へ侵入できれば問題はないのだ。海堡要塞が沈黙し、北城壁の敵部隊には牽制くらいでしか手を出さないと決めたのであれば、残るは南城壁と敵の指揮官がいると思われる旧イスケレ屋敷くらいのものである。
焦らず、じりじりと自軍の制圧地点を広げていく。それが、ボシ平原会戦で陸軍に散々に打ち負かされたカシムの結論だった。
兵士の数も、兵器の質も上回っている。不足があるとすれば練度くらいなものだろう。ギュネシウスが落ちるのは、確定と言っても良かった。
アルテンジュは手を握り締めて、そのときを待った。カシムとデミル、エルマン・オドンジョ他、将兵たちを信じて。
*
グンドウムは東に銀の海を臨む港町である。
遠浅の地形により、アイウスやギュネシウス、はたまたデニズヨルのような大きな船は出入りができず、西にアイナギビ海を見るショバリエ領アイナと同じように、漁業と大陸を廻る規模の小さい商船団の中継基地として栄えてきた。南北に長くのびる美しい砂浜は、特に朝陽が立ち上る様子に神の気配すら感じられるとして、外地の要人を饗応するためにも利用されてきた。
忙しくも長閑な町だった。
しかし、今、領主ロクマーン・アバレの目に映るのは、風光明媚な海岸の景色ではなく、周辺の地図と防衛隊長オヌルと外地調査室の室長補であるエシンだった。
「北部に助力しているイーキン殿より、カシシュ側のバリナとキョペキバルの艦隊が我がグンドウムを狙っているようだと連絡があった。これについて対応を協議したい」
ロクマーン・アバレが二人を集めた目的を語るが、堂々とした姿勢に反して、その手は自慢のオールドダッチの髭にある。
「敵勢力はいかほどで?」
もう50を過ぎ、そろそろ防衛隊長の職を辞したいと考えていたオヌル・コルクトであったが、生まれ育った町が攻められるとなれば、一も二もなく守らねばならぬと、丸い目を険しくしている。
「これまでの通常の編成であれば7隻で動くので、バリナとキョペキバルの艦隊で14隻はあると予想されます」
オヌルとは対照的に、涼し気な目元のまま冷静に推論を述べたのはエシンであった。ロクマーン・アバレと大して変わらぬ年齢のこの男は、そのまま敵の行動予測を論じ続けた。
「流石に海軍だけ落とそうとは思っていないはずなので、大丘陵からも徒歩部隊が出てくるのではないでしょうか」
「そちらからは難しいのではないか? デニズヨル議会が攻め入る機会を狙っているだろう」
「デニズヨルはアイウスに援軍を送っているということですから、ルスやユケルバクを攻め落とせるだけの余力は残っていないのではないでしょうか。で、あれば、南西のドロナイ大丘陵からの侵入にも備えるべきかと思います」
エシンとオヌルの会話を、顎鬚を撫でつけながら黙って聞いていたロクマーンだったが、守り切れぬと思ったのか、弱々しく口を開いた。
「ひとまずはデニズヨルに救援を求めるべきであろうな。利に聡いテズギャがどんな判断を下すかは分からぬが。……それと、エシンよ」
「はい」
「ウチャン族は助力してくれると思うか?」
「……難しいかと。元より表立って敵対しているわけではありませんので」
「族長の血縁であるお主が説得してもか?」
「彼らは今回の件を有力家同士の権力争いと見て、基本的には傍観する姿勢です。島の民のように自衛のために立ち上がる理由もなく、ましてや、森の民のようなハリカダイレ王家との繋がりもありません。ギョゼトリジュ家やイスケレ家のような同化政策を取るかどうかも不明で、無理を言って協力して貰えたとしても、漁船を貸してもらえる程度でしょう」
ロクマーンは大きく息を吐きながら、今度はオヌルを見遣り、端的に「どう思う?」と口にした。
「エシンの情報通りに進むのであれば、海の戦は諦め、陸の防衛に徹するのが良いと思います。いかに砲撃で建物を破壊されようと、結局、徒歩部隊から守り抜けばいいのです。そうして耐えていれば、いずれデニズヨルからの助力も到着し、勝利も望めましょう」
「うむ。やはりそれしかないか。だが、デニズヨルからの援軍については当てにしない方向で策を練ってくれ」
「は!」
「エシンはデニズヨルへ援軍の要請を頼む。シムセキの船も使って構わん。ウチャンへもひとまずは頼んでみてくれ」
「畏まりました」
やはりこうなってしまったかと、二人がいなくなった部屋でロクマーンは表情を曇らせるが、降伏するにしても王の器など見えぬケレム・カシシュではどうにも先行きは暗く、民の被害を考えれば大きな溜め息を吐くより他なかった。