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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月

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第139話 煙る

 その日は朝から空が重かった。堪えきれない雨粒が音を立てては土の地面を濡らし、或いは次々と海に還っていた。

 しかし、本来なら陰鬱な気分になるであろうそんな日に、デニズヨル議会と南部氏族連合の代表団は心を弾ませていた。


「見返りも確約できずにすまないが、再統一を果たした暁には特別の便宜を図ろう」

「感謝いたします。我らと南部の皆さんで挟み込めば、いかに悪巧みに長じたケレム・カシシュといえども、ひとたまりもないでしょうな」

「うん。期待している」

「ありがたきお言葉でございます」


 条約の調印が済んだアルテンジュとエンダー・バルクチュが握手をしながら言葉を交わす。

 アルテンジュはいつになく喜びを顔に表していた。

 以前であれば勘ぐってしまう相手の言葉の、笑顔の裏にどのような思惑が隠されているかなど、どうでも良かった。潜在的な敵を一つ取り払えた。それで十分なのだと。


「それでは王子。俺は向こうと作戦の子細を確認しますから、ブラーク殿と一緒に宿にお戻りください」

「うん。しかし、タネル殿の弟が島の民に力添えをしていると聞いていたが、それらしい人物はいなかったな」

「ああ、イーキン殿のことですな。確かに見かけませんが、重宝されていると聞いておりますから、忙しくされているのでしょう」

「挨拶だけでもと思っていたが、残念だ。……では、デミル殿、確認の件、よろしく頼む。ケレム・カシシュを打ち倒せるのであれば、どちらが主体かなどどうでも良い」

「はい、お任せを」


 デミルが外連味(けれんみ)のない笑顔で返事をすれば、背筋を伸ばしてセルハンら北部勢力に近寄り、残る二人は北部勢力の用意した警護とともに宿へ戻る。


「本日も案内の者を付けましょう」


 エンダーの申し出を快諾したものの、いざ、「ご希望はありますか?」と人の好さそうな案内の者に問われれば、さてどこへ行ったものかと、同い年のドゥシュナンであればどこへ案内してくれただろうかと、重い空を見ながらアルテンジュは逡巡してしまう。


「図書館を」


 決めあぐねている間に、どのような目的によるものか、図書館に行きたいとブラークが申し出た。

 なぜそのような面白みのないところをと王子は思ったが、ブラークがわざとらしく言うことには、デニズヨルの図書館は蔵書の数が大陸随一なことに加えて、外地の本も豊富らしく、そのように吹聴(ふいちょう)されれば一度は視察しなければならないと、すぐに考えを改めるのだった。

 あるいはそれは、彼の中で(くす)ぶっている「王とは何か」という問いに対する答えが、そこにならあるとでも思ったのかも知れないし、ブラークに対する心持ちの変化であったのかも知れない。


 ともあれ、二人が真面目そうな短髪の男に案内されて辿り着いた図書館は、南町のちょうど中間地点、潸潸(さんさん)と落ちる雨の中で、静かに異彩を放っていた。

 土壁に木の屋根、そして簡素な木戸が一般的なデニズヨルの家々の中にあって、それは大理石で形作られており、さらには装飾が施された重い焦げ茶の扉が入口を塞いでいるのだ。


「これは、立派なものだ。ユズクの図書館も大きいが、こちらのものは一回り以上も大きく見える」

「そうですな。これほどの規模となると、教会本部の書庫よりも大きいかも知れません」

「ケスティルメのあれですか?」

「ええ、あれです。エルバン殿には断られてしまいましたけど」

「エルバン殿か。今となっては懐かしい気もします」


「殿下、そろそろ中の方へ参りませんと、お風邪を召してしまいます」


 図書館前で見上げたまま会話していた賓客(ひんきゃく)に対して、どうしたものかと時機を(うかが)っていた案内人が、好機は今と意を決したように話しかければ、二人はハッと息を吞んで、重厚な焦げ茶の扉を見遣る。

 視線を確認した案内人は頬を少し緩め、威厳のある扉の前まで歩を進めると、振り返って話し始めた。


「こちら、今から60年程前にご領主様が設立された大図書館です。当初は入館料を徴収し、蔵書の貸し出しは行なっておりませんでしたが、官営の製紙工場が本格的に稼働し始めてからは、無料で解放し、蔵書の一部貸し出しも始まりました」


 案内人が得意気に話すも、アルテンジュには疑問が浮かび、ついそれを口にしてしまう。


「ご領主様というのはバルクチュ家であろう。デニズヨルの住民はバルクチュ家を嫌っていたのではないのか? 島の民たちが占領した後もなぜここは破壊されずに残り、なぜ君は誇らし気なのだ?」

「我々デニズヨルの住民はバルクチュ家を嫌ってなどおりませんよ。島の皆さんでさえも、フェリドゥン様を殺めてしまったのは哀しい事故だったと表明していますから、バルクチュ家に恨みのある者はそんなにいないのではないでしょうか」


 それを聞いたアルテンジュは口をへの字にして小首を傾げ、いかにも理解が及ばないと言った表情を作った。


「恨みがあるからこそ、無謀にも立ち上がったのだと思っていたが、それは思い込みだったということか」

「恨みも多少はあったと思いますが、生活を守るためにやむなくと発表しておりますし、お屋敷はほぼ無傷、図書館もご覧の通りで、更にジェム・バルクチュ様も捕縛後、処刑ではなく追放処分ですから、きっかけの一つにはなりこそすれ、原因としてはやはり大きくないと、私は思っています。それにこの扉の装飾、実に美しいでしょう? 彼らもこれを壊すのはもったいないと思ったに違いありません」


 そのように言われて、二人は改めて扉をまじまじと見つめれば、両開きの扉の左右には上から威厳のある老人とうら若き乙女、頭の禿げあがった人の好さそうな老人と慈愛に満ちた表情を浮かべる女性、そして古い甲冑を纏った武人と旅装の若い男性が、見事な木象嵌(もくぞうがん)で描かれていた。


「これはシェスト教の神々を描いたものですね。素晴らしいものです」


 目を細めながら呟くブラークに、何かを見つけたアルテンジュが指を差しながら問う。


「一番上に描かれているのは……、右側はフクロウと女性ですからナハト神ですね。反対側の老人はアイン神だと思いますけど、手に持っているあれはなんでしょう?」

「あれとは……、ああ、あれは鍵ですね。アイン神を暗喩するものですが、ナハト神といい、似姿と一緒に描かれるのは珍しいですね」


 扉、鍵、アイン、ナハト……とぼそりと呟き、アルテンジュは目を伏せ思案顔になるのだが、案内役がその扉を引いて開け、更にもう1枚の簡素な扉を押し開ければ、紙の匂いと共に飛び込んできた光景に、その目は見開かれた。


 いくつかのドームで形成された高い天井の下、扉から奥に向かって真っ直ぐに通路が伸び、その両側に人の背丈よりもやや大きな書架がいくつも整然と並べられていたのだ。或いは、書架によって通路が出来ていると言っても良い。よく見れば、壁に張り付くようにして2階が設けられており、そこにも沢山の書架が置かれている。


「これは……すごい」

「ええ、本当に。教会本部の蔵書庫とは、また違う造りで素晴らしいですね」


 アルテンジュが感嘆の声を漏らせば、ブラークは再び教会の話を持ち出すが、彼なりの褒め言葉なのだろう。


「ここにはどれくらいの本があるのだ?」


 王子の問いに、案内役の顔は輪をかけて得意気になる。


「紙片から稀覯本(きこうぼん)まで、およそ10万冊に及ぶと言われております」


 それを聞いた彼は軽い眩暈(めまい)を覚えながら唸った。


「一生かかっても読み切れないであろうな」

「通常であればそうでしょうね」


「全て読んだ者がいるような口振りだな」

「全て、とは申しませんが、ドゥシュナン様はあの若さで既に3分の1は読破したという噂です」


 自分と歳の変わらない彼が3万を超える本を読破したという事実に、アルテンジュの心は(にわ)かに煙り、その日は、記憶があやふやなままだった。

 やがて、帰りの船上、アイナギビ海に浮かぶ月を眺めながら、彼はブラークに(こぼ)す。


「俺はこのまま王子を続けていていいのでしょうか」

「何をおっしゃいます。ハリト王の血縁はあなたしかいないのですよ」


 本当に続けて良いのだろうかと暗い水面に問うてみても、静かに揺れる月は応えてくれず、アルテンジュは再び海にため息を()いた。


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