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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月
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第137話 脆弱

「……カシム殿の言う通り、お主は本当にどうしようもないガキだのう」

「は?」


 つい声を荒げてしまったが、彼女の怜悧な瞳に見据えられたアルテンジュは、すぐに表情を取り繕う。


「カシム殿らはお主の臣下ではない。協力してくれているのだ。それに向かって無謀な命令をするなど、心得違いも(はなは)だしいとは思わぬか? 思うだろう? うん?」


 アルテンジュは返すべき言葉も見当たらず、ただその場に立ち(すく)むことしか出来なかった。キズミットはそれを想定していたのか、重々しくも透明感のある声音(こわね)は続いた。


「仮にも王にならんとする者が、ヒト一人を(ぎょ)せずして、この先いったいどうして国を治めていくのか。お主にはその心構えが全くできておらん」

「で、では……、俺はいったいどうすれば良かったというのですか?」

「それくらい自分の頭で考えよ。ともかく考えるのだ。自分の立場と、置かれている環境と、そして相手の立場と環境を。できなければ王にはなれぬと思え。(わらわ)は答えを教えぬからな」

「せ、せめて何か手がかりだけでも」

「くどい」


 頼りにしていたキズミットにそう言われては何も言えず、アルテンジュは悄然(しょうぜん)と白壁の館から立ち去った。


 考える?

 何を?


 アルテンジュは大きな石が乗っかったような頭で考える。


 相手の立場と環境を?

 王族に従うのは当たり前のことではないのか?

 だが、これはキズミット殿の言う考えろ、とはきっと違うのだ。何を考えなければならないのか考えねばならない。

 立場と環境。

 臣下ではなく協力しているのだ……。

 ……南部氏族は王国の家臣ではないのか? いや、それは俺が王ではないから、とも考えられる。

 しかし、キズミット殿はカシムに頭を下げた。どういうことだ?

 英雄王マリクが南部氏族に恩を受けたから?

 訳が分からない。

 もう寝よう。

 そして明日の朝、カシム殿と話をしよう。謝罪しよう。

 明日になればきっと全てが上手くいくようになっているんだ。

 今日はもう、何も考えられない。考えたくもない。寝よう。


 ――けれど、彼の望んだ朝は来なかった。


「王子、起きて下さい! 大変です!」


 アトパズル郊外。寝ていたアルテンジュの天幕に二人の男が駆け込み、その一方が声を張り上げた。

 一人はブラーク、もう一人はデミル。

 ただならない気配を前に惰眠(だみん)(むさぼ)れるほど、アルテンジュは愚かではなかった。すぐにベッドから立ち上がり「何事だ」と問えば、


「アトパズル周辺の駐留兵が、たた、た、退去を始めました!」

「なに!? どれくらいだ!?」

「500から1000の間。半数に満たないくらいです」


 慌てふためくブラークを見かねたのか、質問にはデミルが答えた。


「そうか……。カシム殿は?」


 はたしてアルテンジュが知りたいのは、カシムがどうしているかなのか、カシムが退去を主導していないのかなのか。


「いつも通り、朝の鍛練に励んでいます」

「引き留めていないのか?」

「昨日の今日ですからねえ。難しいと思っているんでしょう」


 昨日の今日。

 それを聞いてアルテンジュは眩暈(めまい)がした。

 あのようなことがあれば、誰知れず、話が漏れ出てしまうものだ。そして、王子が無謀な作戦を南部の英雄カシムに命令したとでも広まれば、元々意欲の低かった者やカシムを崇拝する者から去っていく。そういうことなのだろう。


「デミル殿も難しいと思うか?」

「ええ、難しいと。俺も退去しようかどうしようかと迷っているところですよ」

「本当か!?」

「俺の場合は族長からの命令ですからね、ウムト様からの指示でもなければ退去はしませんよ。それで、どうするんです?」


 アルテンジュは現状確認とともに、水平感覚を懸命に取り戻そうとしていた。しかし、目の前の男も、族長命令で縛られていなければ去っていってしまうのかと思えば、世界が傾く力はより力強くなる。


「ブラークさん、俺、どうしたらいいんですか?」


 どうにか作り上げた王子としての立ち居振る舞いも、傾いた世界ではあっさりと剥落(はくらく)し、そこにいたのは、ただ図体ばかりが立派な子供だった。


「……カシム殿に相談に行きましょう」

「そ、そうですね。それがいい」

「大丈夫です。私も一緒に行きますから」

「ありがとうございます」

「ただ、その前に水を1杯、飲まれてはいかがでしょうか」

「あ、ああ、そうですね。そうします」


 そして二人はカシムを探して歩き、デミルは現状把握に戻る。


 道すがら、ブラークはあえてゆっくりと歩を進め、アルテンジュに話しかけた。


「兵士が退去した原因については、私でも(おおよ)そ承知しておりますが、王子は心当たりはございますか?」

「……俺がカシム殿と喧嘩をしたからではないですか?」

「半分正解で、半分外れですよ」

「その、半分外れというのは……」


 刹那、脳裏にキズミットの声がして、アルテンジュは目を見開き、口を(つぐ)む。

 それくらい自分の頭で考えよと、相手のことを考えよと。

 ほぼ同時に頭の中の声が自身のものに切り替わる。

 それくらい自分で考えろよと。

 いつから森の民、丘の民を臣下と思うようになったのかと。

 いつから彼らを支配しているつもりになっていたのかと。


 ――いつから俺はそんなに偉くなったのかと。


 何も成していない癖に、随分と思い上がったものだ。

 自分で考えよ。相手の立場と環境も考えよ。

 そういうことだったのだ。


 思考は終わり、彼の視界の端に映っていたカシムの姿が中央に移動する。

 そして王子は声を放った。


「昨日は申し訳なかった」


 アルテンジュの声が届いたカシムは彼の顔を()めつけるように見遣り、嬉しそうに眼を細めた。


「この一晩で随分と違う顔になったじゃねえですか」


 歩み寄りながら返事と呼べない言葉を返せば、その次にはこう言ったのだ。


「それで、使者には誰を送るので?」

「俺とブラークです」

「妥当なところでしょうが、デミルも連れて行った方がいいでしょうな。向こうの軍の責任者に顔が効く」

「うん。そうします。作戦の立案は大丈夫ですか?」

「一両日中には書面にまとめておきますよ」

「分かりました。よろしくお願いします」


 用事が済んだ二人の戻りしな、カシムがブラークに声を掛けた。


「ブラーク先生」

「はい」

「良かったですな」

「ええ」


 それだけで終わった短いやり取り。アルテンジュは気恥ずかしくなり、やや駆け足で自分の天幕に戻っていった。


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