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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月
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第135話 活殺自在

「ふあーぁ……んー、今夜も海は平和だなあ」


 海軍が保有する大型ガレアス船カティルバリナの甲板(かんぱん)で、水兵が一人、顎が外れてしまうような大きな欠伸(あくび)をしていた。


「真面目にやれよ、コライ。お前も、もう6年目だろ?」


 同僚からコライと呼ばれたその水兵は、乱雑な口髭を触りながら、上弦の月に伸ばしていた腕を素早く戻した。


「そうは言っても、敵なんて攻めてこないだろうに。なあ?」

「まったく……。だが、お前の気持ちも分からないではない。ギュネシウス港のバリナとキョペキバル、ここアイウス所属の我らがカティルバリナ。それら大型船を含めて、海軍の艦船のほとんどがこちらにある。意見の違いで分かれてしまったとはいえ、残りの艦船で仕掛けてくる可能性はないだろうな」

「そうだよなあ。夜間の哨戒(しょうかい)なんて、やる必要はないだろうに」

「だが、カシシュ様は依然として北部と南部の連中と停戦していないからな。やはり必要だろうよ」

「ふーん」

「不満か?」

「まあな」


 コライは同僚に背を向け、月を眺めながら話す。


「いくら月が出ているといっても、この暗さでは船を動かすだけでも命がけだろうなあ」


 だが、返事の代わりに彼の耳に入ってきたのは、短い「ぐぅ」という息だけだった。


 おかしい。

 何かを察したコライは振り返ることなく、不格好な咆哮を上げながら、船尾の方向に駆け出した。彼の目に飛び込んでくる甲板(かんぱん)の景色には、水兵はいない。ただ、時折、闇のようなものが(うごめ)いている、そんな言いようのない恐怖だけがコライの背中を押し潰そうとしていた。


()ってえ!」


 足元のロープに足を取られて勢いよく転び、久しぶりにヒトの言葉を叫ぶ。

 (つね)であれば足元にすぐ気が付き、転倒することなどなかっただろう。しかし、甲板(かんぱん)はいつの間にやら篝火(かがりび)も見えぬ暗闇に支配されていた。

 先も見えぬ中、月明かりを頼りにコライは闇から逃げようともがき、立ち上がろうとする。だが、思うように力が入らない。ならばと、甲板の上を這う。必死に。


 長い時間か、或いは彼が思うよりもずっと短い時間か。

 やがて前方の船室からどかどかと沢山の足音が聞こえてきた。同時に闇の中からはひたひたと、今まで聞こえなかった音も聞こえてきた。

 ヒトとは不思議なもので、助かると思えば途端に気力が回復し、体には力が巡るものである。これは立ち上がれるぞと身体を起こそうとするも、果たしてコライは水に溺れ、仰向けに転がった。その瞳に揺らめく月を映しながら。



「制圧完了しました。兵士は指揮官を含めて約300名投降、水夫は約400名投降。水夫は恐らく全員です」

「デュロモイ級4隻、制圧完了しました」


 灯りの消えた船上を、闇夜のような濃紺の衣服を(まと)う男たちがせわしなく行き交っていた。それは、先ほどまで船の主だった兵士たちは異なる色。その、黄土色のチュニック(軍服)を着た者たちの多くは既に息絶え、身包(みぐる)みを剥がされては、次々と暗い海に投げ込まれている。


「王国を守る海の盾ともてはやされたこの船も、実に呆気(あっけ)なかったな……」


 棍棒のようなものの先端に取り付けられた綺麗な石を眺め、報告を受けていた男はぼそりと呟いた。

 その男――ダルマクのデルヤが指揮する北部魔法兵とアバレ家シムセキの混成部隊は、アイウスに停泊中のカシシュ側艦船に夜襲を仕掛けた。作戦のために特別な訓練を受けた魔法兵たちそれぞれが黒魔石と青魔石を使って多数のシムセキの小型船を動かし、夜陰に紛れて大型船に乗り込んだのだ。

 北部の奴らは見えない不思議な武器で兵士を殺すと、噂としてはカシシュ側の兵士にも広まってはいたものの、実際に身をもって味わった者がいなかったことも彼らには幸いだったのかも知れない。

 カティルバリナの船室から飛び出してきた水兵たちは、月の薄明りの中で動く闇と傷もなく横たわる味方に怯え、恐慌状態に陥る者さえいた。だからといって、敵の全てが降伏してくれるわけではない。半数を超える敵は、やや尻込みしながらも魔法兵を含めた北部とシムセキの混成軍に立ち向かった。

 しかし、その結果が今の状況である。自在に明暗を操る魔法兵によってカシシュ側の水兵たちは視界を奪われ、なす術もなく討ち取られていったのだ。

 それでもカティルバリナの提督は船室の扉を締め切り、立て籠もって徹底抗戦の構えをみせたものの、それも恐怖に支配された一部の水兵によって内部から崩壊し、投降を決断したのだった。


 このアイウス北方沖夜戦により、カティルバリナ以下5隻はほぼ無傷で北部勢力の手に渡ることとなった。

 シェスト暦1637年11月下旬の出来事である。


 沖を守るカティルバリナの艦隊を無力化されたアイウスの守備隊は、多くの人員ごと鹵獲(ろかく)されたカティルバリナからの艦砲射撃を警戒したが、艦隊は定期的に沖から(うかが)うに留まり、守備兵たちの精神を(いたずら)に疲労させたに過ぎなかった。それが北部軍ひいてはドゥシュナンたちの作戦だとも知らずに、次第に慣れていってしまったのだ。

 本来ならば、ギュネシウスからバリナかキョペキバルの艦隊でも呼び寄せ、早めにカティルバリナを潰すべきだったのだろうが、これ以上の損失を恐れたアイウスの守備隊長は救援を要請しなかった。攻撃してこない、あれはただの脅しだ、いや罠だ、偵察だなどと理由を付けて。

 そのような指揮官のそのような精神状態のときに、突如として町の外に敵兵が出現したら、どうなるだろうか。きっとこう思うのではないだろうか。

 あれもきっと見せかけだけの威嚇に違いないと。こちらを攻めとるつもりなどないのではないかと。だから、見張りを少し増やし、城壁に近寄ってきたら報告しろなどと、この期に及んで呑気な対応を指示した。本当は恐くてたまらないのに、現実を認められなかったのかも知れない。


 アイウスの北に伸びる街道に、突如として生成(きな)りのチュニックを(まと)った北部の兵が現れてから二日後の夜、地鳴りのような音とともに城壁の一部が崩れ落ちた。それを契機に北部の兵たちが攻め寄せてくる様子は見られず、守備隊長は早急に補修を指示した。

 だが、それから毎晩のように地鳴りは続き、初めて城壁が崩落してから三日後の夜には、北城壁の全てと西城壁のおよそ半分が瓦礫(がれき)の山と化したのだ。もちろん、守備兵にも多数の死傷者が出た。

 事ここに及んでからアイウスの守備隊長はようやく記憶の一部を掘り起こすことに成功し、自らの(あやま)ちに気が付いた。これはアチク平野の(いくさ)そのままではないかと。


「街道に展開している敵軍の数は?」

「およそ1000かと」


 それだけしかいないのかと、己の失敗も忘れて安堵し、アイウスとグンドウムを結ぶ街道上にて野戦に臨むための準備を始める。アチク平野では夜間に柵が倒壊した後、夜が明けてから攻め込んできたのだ。夜明けまでまだ時間がある。それまでに陣を整え、こちらから打って出れば勝ち目はあるだろうと、アイウスの守備隊長はそう考えた。そう考えてしまった。

 そうして夜間に支度をさせ、空が白み始めると同時に、アイウス守備隊のほぼ全軍は元城壁だった瓦礫(がれき)の隙間や西門を通り、町の北側で相変わらず静かに佇む北部軍と相対した。

 この時点で冷静な指揮官であれば疑問に思わなければならない。気付かなければならない。


 なぜ、彼らは静かに佇むのか。

 なぜ、彼らは突然現れたのか。

 なぜ、カティルバリナは悠々と行き来を繰り返していたのか。


「かかれ!」


 アイウスの守備隊長は残念ながら気が付くのが遅かった。否、考えもしなかったのかも知れない。何度かの銃撃の後、反撃もないことを(くみ)(やす)いなどと漫然と捉え、勇ましく敵陣地に総攻撃を命じるが、乗り込んだ兵士たちが見たものは、チュニック(軍服)を着せられ、銃のような棒切れを持った案山子(かかし)たちと、中身のない幕屋だけ。

 念のためと、総出(そうで)で検分していたところで、いくつもの風切り音(かぜきりおん)が聞こえ、彼はやっと自分の運命を受け入れることができた。



「カシシュ様」

「イルカイか。どうした?」


「アイウスが陥落したと早馬がございました」

「そうか」


「私かユルマイが指揮を執っていればと思うと悔しくてなりません」

「彼らの前では()むを得まい。ところでイヌイから魔石を手に入れる算段はついたか?」


「いえ、生憎(あいにく)と」

「そうか」


「ですが、別の場所から入手できそうです」

「ほう? それは?」


「神聖リヒトです」

「ふむ。……なるほど、いかにもあの生臭(なまぐさ)どもらしい。だが、ギュネシウスからジェカアレスとなると遠いな。それはどうする?」


「ご安心ください。商人を通さず、3隻の偽装商船を定期的に走らせます。第1便は2週間以内には到着するかと」

「そうか。それは楽しみだ」


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