第134話 融通無碍
「王子。ショバリエ家、オドンジョ家、それとデニズヨルの議会から親書が届いております」
11月上旬。
ボシ平原東部にて、街道沿いの集落建設を視察していたアルテンジュのもとにブラークが訪れた。3千の避難民のほとんどが、何らかの形で携わっているお陰で工事は順調に進み、10月の終わり頃から二つ目の集落作りに取り掛かり始めたところであった。それは街道沿いに作られた新集落とアトパズル、ウチアーチ、カユツ、ギュネシウスの中心地点に計画され、将来的には街道を整備し、ウチアーチとギュネシウス、カユツとアトパズルを結ぼうと彼らは考えたのだ。言わば、ドロナイ大丘陵に在って、デニズヨルとアイウス、ユズクとグンドウム、そしてアイウス、グンドウム、ユケルバクを結ぶ旧道が交わる地点にできた町、ルスのような役割を担うことを期待して。
「うん。手紙にはなんと書いてあった?」
返事をしたアルテンジュは最早アルタンという人物を纏う必要もなく、親しい家臣のようにブラークに声を掛けた。
「ショバリエ殿からはユズク攻め、オドンジョ殿からはギュネシウス攻めについて、それぞれデニスヨル側から協力要請があったことの連絡です」
それを聞いたアルテンジュは小首を傾げる。
「……うん? デニズヨルからはなんと言ってきているのだ?」
「いずれユズクでお会いしましょう、と」
「ソルマ殿へはデニズヨルからの連絡は?」
「ありました。ショバリエ殿と同じく、デニズヨル側からユズク攻めへの協力要請があったと言付かっております」
「まだ見返りも決めあぐねているというのに、北部の民たちは我らと共にユズクを攻めてくれるということか。ありがたいことだ」
「そうですね。ただ、間のアイウスが依然としてカシシュ側にあるというのに、ギュネシウス攻めをオドンジョ殿に打診しているのはどういうことでしょう。それにアバレ家は、南へ向かう兵士や軍船の通行を許可するのでしょうか?」
「それも確かにそうだ。或いはカシシュの本拠地であるルスを一番に攻め落とし、西側からアイウスに侵入しようとしているのかも知れないぞ」
「それは……、難しいと思います。ユズクを押さえる前にそのようなことをすれば、アイウスとユズクから挟み撃ちにあう危険があります。そもそも至る所に隠し砦があると言われているルスに、わざわざ最初には攻め込まないでしょうな」
「そうなると、ブラーク。お前ならどう攻める?」
「まずはドロナイ大丘陵から北に出る旧道の出口を塞ぐように堅固な城塞を築きます」
「うん」
「その上で、ユケルバクを攻め、次いでユズク、更にその次はルスと内陸部から奪っていくのが適当と考えます」
「ユケルバクを囲んでいるときにルスから救援がくるのではないか?」
「ユケルバクを3日以内に陥落させれば可能でしょう」
サディルガン家が築き上げた町を内応もなしに3日以内に攻略できるものかと、アルテンジュは苦笑いを浮かべ、ブラークに言う。
「それは難しいな。そうなると我らとショバリエ殿、ソルマ殿の力をもってして、先にユズクを攻略するのが妥当なのではないか?」
そうなのだ。以前はアトパズルから兵を動かすのは慎重にならざるを得なかったが、ギュネシウスと結ぶ街道上の集落が完成したことで、格段に動きやすくなったはずなのだ。
「それですと建設が終わったばかりの集落が破壊される恐れがあります。民にも犠牲が出るやも知れません」
「民は前もって避難させておけばよいのだ。民がいれば集落は作り直せる」
「しかし、新しいとはいえ、建設に携わった者や住み始めた者たちの思い入れを無下するわけにはまいりません」
ああ、これだ。このブラークは戦のことが何もわかっていないと、アルテンジュは嘆き、つい、口に出る。
「余の意見に反対か?」
「反対です」
「……もうよい。この件はカシム殿と相談する。手紙を置いて下がれ」
「変わられましたな」
「お前みたいに変わらない方がおかしいのだよ」
「いえ、そういう意味では……、失礼しました。手紙はこれに」
「うん」
そういう意味ではないとすればどういう意味だったのだろうとアルテンジュは思うのだが、それも彼にとっては些末なことで、すぐに忘れてしまうのだ。
さて、カシムである。
ギュネシウスの敗戦から数日後、デミルは自ら総指揮官の職を辞したいと申し出た。丁度、カシムに総指揮官への就任を打診しようとしていた時機だったことから、アルテンジュはこれを二つ返事で了承し、しかし、自身の体面から総指揮官の次席とした。
一方、打診されたカシムはと言えば、お前みたいなガキのお守は御免だね、と要請を撥ね除け、周囲を冷や冷やさせたものだったが、渋々、総指揮官の役目を引き受けてもらっている。焦ったアルテンジュが朱火将軍などというご大層で、ややもすれば皮肉とも思える役職を用意して頭を下げたのだ。
苦労して招き入れたカシムだったが、アルテンジュからの相談に、彼はよくデミルと相談してから返事をした。なぜすぐに答えないのかと聞けば、一人じゃ分かんねえよ、とぶっきらぼうに返ってくる。
この頃になってアルテンジュはまた失敗したと後悔していたが、カシムを総指揮官に推したのもやはり自分であることから、なんとか体面を保とうとしていた。それが、自らの劣等感を拗らせているだけだとも気付かずに。
「カシム殿。北部勢力の動きだが、どこを攻めると予想する?」
カシムとデミルを天幕に呼び寄せたアルテンジュは、まず手紙を見せ、次に大きな地図を広げて問う。
「恐らく、ドロナイ大丘陵の北部にいくつか砦を築き、その上でアイウスを攻めるつもりではないでしょうか」
先に答えたのはデミルだった。カシムは腕組みをしながら無言で二度三度、頷いている。
「カシム殿はどう思う?」
頷いたことから答えなど分かっているが、一応は聞かねばならないとアルテンジュが問う。
「さあ? 向こうに聞いてみればいいんじゃないか? そっちはどうですか、こっちはどう動けばいいですか? って」
「そんなことができるものか。あくまでもこっちが上であっちが下でなくてはならないのだ。それでは、こっちが下になってしまうではないか」
アルテンジュがカシムの意見を却下するかのような言い回しをすれば、カシムはわざとらしく口角を上げて無言の笑顔を作るのだ。
だからアルテンジュは耐えられずに話題を変えてしまう。
「北部のことはさておき、今後我らがどう軍を動かせば良いか、二人の意見を聞きたい」
「さてさて」
今度はカシムが口を開く。
「ブラーク先生には聞いたんですかい?」
「なぜブラークに聞くのだ? あれは戦のことなど分からぬ男だぞ」
「やれやれ。これだからガキのお守なんざあ、嫌だと言ったんですがねえ」
「誰がガキか! 不敬な!」
アルテンジュは目を血走らせて大男のカシムを睨み、カシムはカシムで相変わらず笑顔を作っていた。
「まあまあ、お二人とも落ち着いてくださいよ。王子、代わりに俺の意見を具申してもいいですかい?」
「む、そうだな。デミル殿の意見を聞こう」
「……その話し方には全然慣れませんな」
「うるさい。早く意見を言え」
「これは失礼。現状、我々と、我々に友好的な関係にある勢力だけでは、沿岸部はもちろん、内陸部の町も落とすことは難しいでしょう」
「やはり難しいか」
「ええ。新しい武器の調達もしなければなりませんが、間にカシシュ家の占領地域がある都合上、イーデミルジュのクルムズパスからは難しい。であれば、まずは守りを固め、その上で北部勢力と連携すればいいでしょうな」
「あ奴らを余の下に置くにはどうすれば良い?」
「放っておいても下につくんじゃないですかね? 俺は戦のこと以外はわかりませんが」
「そうか。ふむぅ」
結局のところ、カシシュ家の勢力が大陸のほぼ中央にあり、反カシシュ勢力がその周りを取り囲んでいるといっても、北部と南部は連携しておらず、どうにも決め手に欠けるのだ。
それらすべてを自分の思うがままに動かせたのならと、なぜ、ブラークもカシムもデミルも、そして北部勢力も、王子という権威にひれ伏さず、思い通りにならぬだと、アルテンジュは心をうねらせ、口を固く結んだ。