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転生のおと  作者: 津多 時ロウ
第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月
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第129話 大きな鳥

「構わんよ」


 8月上旬。アルテンジュはボシ平原を遊牧するゲーキ族の(おさ)と会談の機会を得た。


 南部氏族連合のギュネシウスの制圧作戦は失敗に終わった。

 まだ月を跨ぐ前のこと。町から撤退してくる南部氏族連合やカシシュの兵士たちを回収するために、近い距離に陣を移動して待ち構えていたところ、兵士たちに交じって一般住民の姿も見えた。

 保護を求める住民たちを破壊された町に無下に追い返すような、そんな道理に外れた行為を行なう選択肢もなく、誰構わず受け入れていると、避難民は気付けば5000人余りにもなっていたのである。

 イスケレ側からの攻撃はギュネシウスの内側だけに留まり、壁外まで出ての追撃や砲撃がなかったのは不幸中の幸いか。死傷者、行方不明者合わせて500名以上の大きな損害を出したギュネシウス制圧作戦は、負け戦にもかかわらずすんなりと撤退することができた。


 ただ、気がかりなことがいくつか増えた。

 カシシュ兵の多くはギュネシウスで戦闘を継続することを望み、そのまま残ったのだ。

 そして、避難民である。人が生きていくためには食べなければならない、飲まなければならない、それらを得るために働かなければならない。南部の連合軍の食料の蓄えは多い。ボシ平原最大の都市アトパズルまでは問題ない。だが、その後はどうする?

 アルテンジュと南部の将たちはぐるぐると思考を巡らせるも、結局、アトパズルに到着しても結論は出ず、町のすぐ東側に一時居留したのだが、


「この()れ者めが! 王にならんとする者が民の仕置きも分からぬとは、その首から上はなんのために付いておるのだ! 役に立たぬものなら(わらわ)が即刻斬り落としてくれようぞ!」


 アトパズル一帯を治めるキズミット・ソルマへ、ギュネシウスでの顛末と一時居留の話をしようとアルテンジュが赴くと、手酷く罵られてしまった。

 陶器のようにきめが細かく滑らかな肌を紅潮させたその顔は、口許が歪み、目つきはいっそ冷たい。


「申し訳ありません。民も兵も連れてすぐにここを離れます」

阿呆(あほう)! そのようなことは一言も言っておらぬ! (ぬし)は何を分かった気になっておる!」


 彼女の剣幕に恐れをなし、立ち去ろうとするアルテンジュは再び罵倒された。

 キズミットは近習(きんじゅう)を呼び、アルテンジュに聞こえぬように何やら相談をしたあと、再び冷たい視線を彼に向け、淡々と言う。


「こちらで2000ほど面倒を見よう」

「……は?」


 アルテンジュの委縮した頭では、その発言に理解が及ばず、ただ、自分がした間抜けな返事がキズミットを更に怒らせてしまうのだろうと身構えた。彼女の目尻は相変わらず温度のないままだ。


「アトパズルにギュネシウスから避難してきた民を2000名ほど住まわせようと言うのだ。お主もそれを期待しているのだろう?」

「いいんですか?」

「いいも何もない。そうしなければ飢えで暴徒化する(おそれ)もある。我が民のためにやらねばならぬし、結局、天下の民のためにもなる。そんなことも分からぬのか?」

「……ありがとうございます」


 アルテンジュは何も言い返せずに礼だけを述べた。本当は悔しいのだ。己が無知であることを知らなかったことが。ただただ復讐だけを考えていたことが。ギュネシウスで沢山の兵が、住民が死んだことが。恥ずかしくて情けなくてどうしようもなく惨めで、その全てを見透かしているような冷たい瞳から早く消え去ってしまいたいのだ。


「それから」

「……はい」


 目も合わせられず、膝の上で拳を固く握りしめてアルテンジュはどうにか返事をする。


「ボシ平原東部にて、新たな集落の建設と統治を許可する。金も資材も出さぬし、チョバンとゲーキへの口利きもしてやらぬが、3000もの民をまとめるにはそれが良いだろう」

「……東部、ですか。……ありがとうございます」


 それは、ギュネシウスの敵勢力に対する盾になれと言われているに等しい上に、集落を築く資材や飲み水、食料の確保はどうするのか、どれくらいの期間がかかるのか、襲撃への備えはどれくらいの人員で足りるのか、どれほどの資金が必要なのか。少し考えただけでも課題は山積みだった。


 しかし、重い足取りで南部氏族の本陣幕屋に戻ったアルテンジュに掛けられた言葉は、彼の予想を裏切る、実に前向きなものであった。


 デミルは言う。

「集落の名を借りた頑強な砦を築きましょう」


 カシムは言う。

「東部に集落を築けば、いくらでも領地をくれるなんて、実に気前がいい。キズミット・ソルマという御仁はとんでもない器の持ち主だな」


 エムレは言う。

「いくらでも開発して良いのであれば、大規模な集落を東へと向かう街道沿いに作り、そことウチアーチを真っ直ぐつなぐ道も作りましょう。ウチアーチと大規模集落の間にはいずれ小さな集落もできるでしょう。避難民にも十分な仕事が与えられましょう」


 アトパズルで合流したブラークは言う。

「ボシ平原は地表の川こそ少ないのですが、地下水脈は豊富で井戸を掘ればすぐに水が出て来るそうです。鑿井(さくせい)に通じた技師を貸してもらえないか、ソルマ家と交渉してみましょう」


 皆から不満の声でもぶつけられるかと覚悟しながら話をしてみれば、何ということはない。次々と湧き出る発想にアルテンジュは安堵し、同時に何をすれば良いのか途方に暮れていた自分の無力さに、言いようのない劣等感も覚えた。


 一通り方向性が決まったところでアルテンジュは表に出て空を見上げる。

 辺りは既に陽が落ち、星々の世界になっていた。

 不意に聞こえた角笛のような音の奏者を探せば、向かってやや左の天幕の上でじっとこちらを見つめる大きなフクロウの影が見えた。暗闇の中で篝火を反射する、その煙水晶の如き黄褐色(きかっしょく)の瞳に不吉を感じたアルテンジュは身震いをしながらも、瞑目し、神に祈る。紫黒(しこく)の乙女、ナハトの神よ。死せる魂に安寧を、我らの行く道に星々のお導きと安らぎを、と。


 その翌日、キズミット・ソルマからボシ平原東部での集落開発勝手の許可証を受け取った彼は早速動き始め、チョバン氏族とゲーキ氏族の(おさ)たちから、無事に許可を得ることができた。



 8月下旬。


 小川の杭にフクロウが止まっていた。とても大きなフクロウが。


 何かしなければと思い、何もしなくていいと思う。

 そんな気持ちになって何日も経っていた。


 ドゥシュナンはフクロウをじっと見つめ、数分の後、地べたに寝転び空を見た。

 どこまでも青い空は、しかし、いつものように空虚に見える。

 やがて空は母親の顔で塞がれた。


「寝っ転がってないで働きな」


 ドゥシュナンの母シーラは、夫が亡くなった日の翌日も変わらず畑仕事に精を出し、ドゥシュナンの兄、姉と共に先祖代々の畑を守った。ドゥシュナンがデニズヨルに出向くようになってからも、その代表になってからもそれは変わらなかった。

 シーラは言う。


「私には難しいことは分からん。お天道様の下で、お前たちと作物と仔牛の成長を見ていることが幸せなのさ」


 ドゥシュナンが壊れかけの心で帰った日も、イネキの集落には変わらず家が在り、変わらずシーラがいて、変わらず餌やりを指示された。


 ――あれから。ドゥシュナンはほんの少し前のことを思い出す。


 バリス・セレンの襲撃に遭ってからも、2度ほど深紫や深紅のチュニック(軍服)を纏った兵士たちを見掛けたのだが、いずれも相手よりも先にデルヤが気付いたことが幸いして、一度も刃を交えることなくグリの森まで逃げ込めたのである。


 グリの森に入るとそれまでの荒れ野が嘘のように木々が生い茂り、8月の陽射しを遮った。少し進めば、街道から少し入ったところには、切り開かれた土地と、円錐形に組まれた1回限りの炭焼き窯が散見された。

 ドゥシュナンとデルヤが物珍しく眺めるも、大きな武力を持った者になど(くみ)したくない向こうからしてみれば、生成りとは言えチュニック(軍服)を纏うデルヤなどは厄介ごとそのものと見え、沿道を行き交う者と視線が合うことは(つい)ぞなかった。


 それは彼らイーデミルジュ氏族の中心集落であるクルムズパスに辿り着いたときも、ほとんど変わることはなかった。危害は加えられないものの、余所者、厄介者を見るような視線はイーデミルジュの(おさ)に一時滞在の許可を得ても変わらず、二人は後続の部隊が追い付くまでの間、実に居心地の悪い思いで過ごした。製鉄所の高炉が何本も見える煤けた集落で何日も。もちろん、デルヤの負傷した右腕の治療にその時間が有効ではあったのだが。

 それだけにイーキンたちと再会できたときの喜びは大きく、逃げるようにクルムズパスを出発したのである。後続の部隊もまた2度ほど会敵したが、魔石のお陰で被害もなく撃退できたという。


 そしてデニズヨルに戻ったドゥシュナンは、すぐに議員を集めて宣言した。このアチク平野から撤退する中、ずっと考えてきたことだ。そこに迷いはない。


「デニズヨル代表の職を辞します」


 島の民の代表議員はマビキシュ族のメティンが、町の代表はエンダー・バルクチュがそれぞれ引き継いだ。自分がいなくなったところで問題はないと、ドゥシュナンは考えたのだ。


 そして今に至る。

 畑仕事を再開しようと起き上がれば、大きなフクロウは相変わらずそこにいて、ドゥシュナンのことをじっと見ていた。


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