第124話 隠者の戦②
「セルハンさん、どうしてもユズクを攻めないといけないんですかね?」
「俺もユズク攻めには反対だが、しかし、軍の指揮を任されているこの身だ。議会が決定したことならば嫌々でも、味方の兵士が死なないように指揮を執るしかあるまい」
「でも……」
「でもはない」
ドゥシュナンは先日の決定に納得がいかないようで、未だに燻ぶり続けているが、軍の指揮を任されているセルハンは既に割り切り、戦の準備に邁進している。
年端もいかぬ若い代表は悩み、悩み、悩み、悩むのだ。
少し前はどうだったろうか。
本を読み、畑を耕し、家畜の世話をしていた。
或る日、抗議に出かけた父がデニズヨルの衛兵に殺された。
どうにもならずに皆で立ち上がった。
そして力を合わせてデニズヨルを占拠した。
沢山の人が死んだ。
それは何のために?
町よりも高く課せられた税金を安くするためだ。そうだ。
いや、フェリドゥン様はもうこの世にはいない。安くするため、だった。
そしてデニズヨルを治めなければならなくなった。あくまでも町の代表としてだけど。
どうして?
どうして僕が議員になったんだろう? 代表なんだろう?
どうして戦をしなければならないのだろう?
どうして人を殺す決断を僕に迫るのだろう?
お父さんが殺されたときも誰かが決断したのかな?
だとしたらどうして?
お父さんも兵士の皆も、簡単に死んだ。ごろごろと、ごとりごとりと。
「おい!」
ごろごろと転がる死体の一つがドゥシュナンに声を掛ける。
「お前はどうして生きてるんだ?」
そんなの分からないよ、と僕は答える。当たり前だ。どうして生きているのだなどと、考えたこともないし、すぐに答えが頭に浮かぶものでもない。
するとその死体は口も動かさず再び声を出す。
「それなら、お前はどうして死なないんだ?」
生きたいから。
「どうして生きたいんだ? お前が生きていたって人を殺すだけだろう?」
違う! 僕は、殺してなんかいない!
「確かにお前は殺していないが、お前の立てた作戦で沢山の人が死んだんだ。同じではないか」
違う! 違う、違う、違う。みんなが生きるために頑張ったんだ。人があんなに死ぬなんて思わなかった。
「……」
それに僕は生きたい! 生きて沢山の本を読むんだ! この国がどうなるか見たいんだ!
「そのために人を殺すと?」
うるさい!
「なんだ。分かっているじゃないか」
死体はもうそれっきり。
その日からドゥシュナンは人が変わったようにケレムやセルハンらと軍議を重ねた。
「どれだけ沢山の敵兵を殺して戦に勝つか、みんなで作戦を考えましょう」
その掛け声に、ケレムは目尻を下げて嬉しそうに、セルハンは苦虫を嚙み潰したような表情で作戦を練るのだ。
やがて木々の緑が一層濃くなる8月に入ってすぐの頃、セルハンを総指揮官に据えたデニズヨル議会と旧サディルガン領、および島の民たちの混成軍およそ4500は、ユズクの北、5キロほどの平野に在った。ドロナイ大丘陵の南西部から西に広がるその場所は、起伏が少なく、たまに背の低い草木が点在するだけの何もないアチクという名の平野。弑逆勢力が見晴らしの良いことを理由にここに砦を築いたことは想像に難くない。
ドゥシュナンは「デニズヨルで大人しくしていろ」というセルハンとイーキンの諫言も聞かずについてきてしまっていた。何が少年をそうさせるのかは誰にも分からず、或いは本人も分かっていないのかも知れないが、いずれにせよ、セルハンが扱いに困っていることは言うまでもない。本陣幕屋から出るときは必ず俺の許可を取れ、お供を付けろ、などと言い含めるのが精いっぱいだった。
「セルハンさん、早く敵兵を殺しましょう」
ドゥシュナンはそんなことを日常会話のように平静な表情で言う。熟練兵や舞い上がった新兵ならばともかくとして、平和に暮らし、出兵を拒んでいた少年の発言とは到底思えない。そのこともセルハンは案じていたのだが、総指揮官としては自身のこの戦に対する賛否はともかくとして、味方の損害をできるだけ出さないように作戦を進めなければならなかった。
その作戦はこうだ。
魔石の力を使って砦近くまで塹壕を掘り進め、また、同時に砦の下の土を動かして倒壊を狙う。規模は大きいとはいえ、急ごしらえのものだ。簡単に崩せるだろう。その後、東側から攻める別動隊と時機を合わせて大規模攻撃を加えるのだ。ケレムに対して魔法の存在を正式に認めたことになったが、味方の死傷者を抑えるためだ。已むを得まい。それに使い方までは開示していないから問題はない、大丈夫だ。そんな風にセルハンは考えた。
さて、日中に砦に近づくなど自殺行為であるため、必然、夜間に動くことにななり、そうとなれば、通常は灯りが必要不可欠である。その灯りをどうやって敵に察知されないようにするのか、或いは月が煌々と照らす夜ともなればどうやって身を隠しながら作業を進めるのか、という話となるのだが、作戦は月の顔が見えぬ雲夜を待って決行された。それまで散発的に砲撃はあったのだが、敵は砦から出てこず、空白地帯を挟んで睨み合っていた状況である。
その空白地帯、自陣から敵砦までの距離はおよそ700メートル。昼間になれば塹壕は確実に見つかり、昼夜問わず妨害に出てくる可能性が高い。一気にやらなければならない。
この突貫工事とも言える作戦を遂行するため、セルハンは5名ずつ六つの部隊を編成した。二つは塹壕、二つは砦の破壊、一つはそれぞれの部隊の魔石が全て色を失った際の補給兼交代要員、そして残るは四つの部隊の中間地点を進みながら現場で指揮を執るイーキンの部隊だ。作戦が失敗すればヒトは誰かを非難せずにはいられないもので、魔法の扱いに長け、部隊の指揮経験もある。かつ、はっきり言ってしまえば異分子の一人である自分が適任だと、イーキン自ら名乗りを上げたのだ。
そしてイーキンは暗闇を歩く。
「敵を沢山殺してきて下さいね」
戦のときには普通の励まし。だが、ドゥシュナンと何カ月か行動を共にしてきた彼からしてみれば、実に薄気味の悪い言葉であった。それが空耳のように彼の頭の中に木霊する。
ああ、いけない。集中しなければ、と頭を振って辺りを見渡すイーキンの視界は、真っ暗な曇夜とは思えないほどに明るい。これも彼が手にしている魔石の力。
霧がかかったような半透明の黒色の球体の、その表面とも中とも判別できぬ場所に内部を大きな丸で抜かれた白塗りの正方形が浮かんでいた。それは闇、月、星、海、そして安寧を司る乙女、ナハト神の紋様である。
この魔石を使用者の体の一部に触れて願うのだ、梟の眼を授けて下さいと。そうすれば、その者の目は忽ちのうちに暗がりを見渡せるようになる。晴れた日の昼間には及ばないが、それでも曇天の重い空の日と同じ程度の視界は確保できるのだ。松明や篝火の光が真っ白に大きく見えることと、何よりも数が少ないという問題はあるが、それでも夜間の突貫工事にはありがたい魔法であった。
「塹壕班東、中ほどまで進みました」
「塹壕班西、中ほどに到達」
「工作班西が前に出過ぎている。速度を遅くするよう伝えろ」
報告を聞き、懐中時計を確認しながら各部隊の進捗を調整して、少しずつ前へ歩を進める。中間地点を通り過ぎた後も敵方の反応はなく、作戦は順調に進んでいった。そうして工作班が砦まで30メートルほどの距離に迫った頃、2時を示した針を見てイーキンが指示を下す。
「工作班西、行動開始。その後は速やかに塹壕班と合流し、撤退するよう伝えよ。東側は5分後、同様に」
そうして二人の兵士が伝令に駆け出せば、じきに砦の西側が倒壊し、非常を知らせる鐘の音とともに白い点が群れを成してそこに集まっていく。やがて東側も同じ有様となり、白い点の様子からも敵方は大混乱となっていることが分かった。
「速やかに撤収」
これにて工作部隊の任務は十全に終了し、ドロナイ大丘陵のなだらかな稜線が白み始めた頃には、彼らが掘った迷路のような塹壕に北部軍の兵士たちが列をなして飛び込んでゆく。
暗い道の先にある勝利を予感しながら。
*
――7月下旬、ギュネシウス。
「報告! 海堡要塞より砲撃あり! 東端南の城壁塔へ着弾! 被害を確認中!」
「ちぃ!」
報告を聞いたベルカントは、西門塔2階の仮指令室で大袈裟に舌を打つ。
「ユルマイ殿、後は予定通りに!」
「ええ」
そう言って二人は頷き合うと、それぞれ控えていた兵士に指示を飛ばす。ユルマイは「生き残っている城壁の大砲で一斉に海堡要塞に砲撃を加えよ」と、ベルカントは「友軍の砲撃が済み次第、地上から海堡要塞を制圧せよ」と。事前に想定していたこととはいえ、やはり実際に攻撃を受けると焦りが募り、ベルカントは歩き回り、窓から様子を眺めるなど、目に見えてそわそわしている。
「海堡要塞からの砲撃が止まりました。これより要塞の制圧を開始します」
しばらくして届いた報告にベルカントはやっと落ち着きを取り戻す。先ほどの海堡要塞からの砲撃とこの後の制圧で死傷者は出るが少しの犠牲で済むだろうと、そう安堵していたのだ。だが、彼の、いや、南部氏族連合の呑気な考えは耳をつんざくような幾重もの号砲とともにかき消されることになった。
「報告! 制圧部隊、敵艦砲射撃と海堡要塞の敵兵によりおよそ300名生存不明!」
つい先ほど穏やかになったばかりのベルカントの顔がみるみる青ざめる。
「報告します! 港内の敵艦船から市中に無数の砲撃あり! 味方の死傷者多数!」
次にもたらされた凶報と、それを裏付ける止まぬ砲声にベルカントの顔はますます蒼白になり、ついにはよろめいてどすんと床に座り込んでしまった。
「ベルカント殿」
そこへいつもと変わらぬ表情のユルマイが声を掛ける。
「しっかりなさいませ。こういうときこそ現場の指揮官は冷静に指示を出さなくてはなりません」
「……ああ、ああ、……そうだな」
虚ろな目をしたベルカントが漸くと言った感じで声を出し、少し黙して伝令兵とユルマイに伝えた言葉は撤退の2文字。
「カシシュ軍はどうする?」
「私たちは――」
その言葉は、西門塔へ不躾に侵入してきた砲弾によってかき消された。