第117話 六角②
「もちろん、助力を求めに来たのですが、その前に、一つ。南門からここに来るまでに間、材木商が動いている様子がみられませんでした。理由を伺っても?」
「やはり気付くか。……簡単なことだよ、皆、ゼキを警戒して北へ商いに出かけられないのだ。この町で特に大きく商われるのは中央と北へ運ぶ材木だからな、ここから街道沿いに陸路で北に向かえばギュネシウスに当たり、それを避けて海路を使うにしても、ゼキに海軍の大半を掌握されている状況ではなかなかに難しいものだ」
ゼキとは、ビルゲ・ギョゼトリジュに協力しているゼキ・イスケレのことである。そのイスケレ家が代々治めているのが、大きな港を備えるギュネシウスだ。
南部から陸路で大陸中部や北部に出るには東西いずれかの街道を通る必要がある。一つはオルマヌアーズからカユツ、そしてギュネシウスを通る東側の街道、もう一つがオルマヌアーズからウチアーチを抜ける西側の街道である。もっとも、エコー大陸が北西に傾いた形をしているため、西というよりは南西であり、ウチアーチを抜ければ次はアトパズル、更には王都ユズクと、南北のほぼ中央を貫く街道となるのだが、とにもかくにもエルマン・オドンジョの治めるカユツからでも、オルマンドベルのオルマヌアーズからでも、北へ出るためには、弑逆勢力のゼキ・イスケレの領地が邪魔になるということであった。
この状況を思うに、ビルゲの反乱は6年前のセルハンら南部氏族の暴動よりもずっと前から計画されていたのではないかと推測されるが、だが、アルテンジュが取り組まなければならない眼前の目標は、どうやって、何を、エルマン・オドンジョに協力して貰うか、なのである。
「なるほど。ところで、商人の中で実際に被害に遭ったという話は?」
「ふむ。兵士に捕らえられた、町の入り口で門前払いされた、海軍の船に航行を邪魔された、と報告で聞いておる」
「そうなると、エルマン殿が手勢を率いてギュネシウスを攻め落とすのが良いかと思いますが、いかがでしょう?」
「簡単に言ってくれるな、第6王子よ。いかに本隊がユズクに駐留しているとは言え、あの町もここと同じように頑丈な城壁がそびえておる。そこに海軍からの艦砲射撃とくれば、たとえ勝てたとしても大半の兵が屍を晒す事態は避けられまい。そのような攻め戦をやるなどもっての外だ。……王子が代わりに攻め落としてくれるとでも?」
「いいえ。エルマン殿に無理なら私にも無理でしょうね。ですが、海軍を気にせず戦う方法なら用意できます」
「ふむ? それは?」
「簡単なことですよ。アトパズル側から攻めれば良いのです」
「だとして、途中のウチアーチはどうするのだ。ここから兵を割くわけにはいかぬぞ?」
「……何もエルマン殿に兵を出してもらおうとは思っていませんよ。南部の民を動かすのです。彼らの戦力をもってすれば、ウチアーチを落とすなど造作もないことは6年前に実証済み。その後にアトパズルから東進すれば良いだけの話です」
「なるほどのう。だが、そうすると儂らが協力できることなどないと思うのだが」
「ありますよ」
「ほう、何があると?」
その言葉に我が意を得たりと、アルテンジュは思わず口元を緩めそうになるが、どうにか顔を取り繕う。
「大きく三つ」
「ふむ」
「一つ目は南部氏族がウチアーチ攻略に動く際に、糧食を提供して頂きたい」
「ふむ。想定される兵の数を考えると十分な用意は難しいが善処しよう」
「二つ目は、オドンジョとイスケレの領境に砦を築いて欲しい」
「ふむ。本格的なものとなると早くとも2カ月はかかるが……、王子の目的は防衛拠点ではないのだろう? それならば問題なさそうだ」
「ええ、その通りです。最後は、エルマン殿が所管しているロッカク……、失礼、警察ですが、こちらは未だに全国の大きな都市に配置されているのでしょうか?」
「……なるほどな。ああ、ロッカクで構わんよ。そして、確かにユズク以外ではそのまま任務を行なっておる。なれば、王子はロッカクから流れてくる情報が欲しいのであろう?」
「そうしてくれると助かります」
「内地公安局には量も速さも到底及ばぬが善処しよう。だが、ゼキの目が光っておる故、ウチアーチが陥落するまでは南部氏族との協力関係を気取られぬわけにはいかぬのだ。糧食も砦の件も、こちらで時機を見計らってやらせてもらう。特に、糧食の件は商人たちを動かしてオルマヌアーズまで売りに行かせることにする。ロッカクからの情報も時機を見て伝えよう。それで良いか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
「吉報を待っておるぞ。第6王子よ」
こうして有力9家の一つ、オドンジョ家からも協力の約束を取り付け、意気も高らかにオルマヌアーズのウムトに子細を話したアルテンジュだったのだが――
「お主、南部の王になるつもりはないのではなかったのか?」
返って来たのは実に感情の無い問いかけと、鋭い眼光だった。
「しかし、ウムト殿。アルテンジュ王子はあなた方のことを思って……」
「黙れ! 助祭崩れが!」
声の圧力と眼光で射竦められ、途端に言葉と色を失うブラーク。隣のアルテンジュは指が小刻みに震えているようにも見えるが、努めて冷静に釈明する。
「ウムト殿の懸念はご尤もではありますが、これは決定事項ではありません」
「ほう? お主の口ぶりでは我らのウチアーチ攻めが前提で話が進んでいるように思えるのだが?」
「それについては、これから南部の有力者の皆さんを一堂に集めて会議を行ない、話し合う予定です。それに重ねて言いますが、私はあなた方の上に立とうとは微塵も思っていませんよ」
嘘だ。本当は南部氏族が自分の思惑通りに動かせると思っていたのだ。そして、自分の指示に唯々諾々と従ってくれればいいのにとも思うのだ。よくもこれだけすらすらと口から言葉が出るものだとアルテンジュは思うのだが、恐ろしい形相のウムトの前で無理をして笑顔を作っている彼の本心など、誰にも見抜けまい。
「分かった。それならば良い」
納得したようなウムトの言葉に、アルテンジュは事なきを得たと心の中で胸を撫で下ろすも、次はその会議である。口を衝いて出たことだけに、何をどうすればいいのか、まったく見当もつかないのだ。だから、
「しかし、ウムト殿。会議を開きたいのですが、私にはどうすればいいのか分からないのです。どこで開き、どのように長の方々を招き、どのように話し合ったらいいのか。何か良い知恵をお持ちではないでしょうか?」
目の前にいる経験豊かな老人に、素直に教えを請うてみた。
「……俺の爺から聞いた話だが、かのマリク王は南部の者たちの協力を仰ぐためにカビレ・コンセを開いたという。委細は知らぬが、王子もそれに倣うのが良いのではないか? 歴史は繰り返すものとは言うが、マリク王の子孫がギョゼトリジュ家から逃れ、南部でカビレ・コンセを開くとなれば、建国譚を知る者ならば否が応でも気持ちが昂ろうというもの。場所については、昔はここオルマヌアーズに集まったらしいが、しかし、それは丘のテペが参加しなかったからだそうだ。そうなると今回はイェシリアダンの集落などが良いだろうな」
「日取りは――」
「日取りは早い方が良いな」
どうやらウムトはカビレ・コンセの開催にとても乗り気のようで、やや興奮気味になっている。
「では、今から2週間後、6月6日はいかがでしょうか?」
「ライゼ神のご加護の月か。縁を結ぶには悪くはない。出来れば今月のヤクト神のご加護の月に開きたかったところだが、時間もないし、已むを得まい。これから他の長たちに早馬を出しても6日はかかるからな。それでいこう。……む? 早馬はオルマンドベルが出すから、金の心配はいらぬぞ?」
「ありがとうございます。ところで、うまく行くでしょうか。そのカビレ・コンセは」
「王子はこれまで協力の約束を取り付けてきたのであろう。であれば何も気にすることはない。案内状の文面と話すことだけ考えて後はどっしり構えておれば良いのだ。加えて、そこの助祭崩れ、いや、ブラーク殿」
「はい?」
射竦められたあとは同席はしていたものの、完全に聞き役に徹していたブラークだったが、突如としてウムトに名前を出されて素っ頓狂な声をあげてしまう。
「あのブラーク殿の人脈があってここまで協力を得られたのだと思うが、そもそもブラーク殿が素性も分からぬ放浪者に仕え続けるのも、お主に何か力を感じてのことだろう。王子、お主は縁に恵まれ、縁をつなげる力を持っているのだよ。そしてカビレ・コンセを開くのは他ならぬ縁を司るライゼ神のご加護の月。何も問題はあるまい?」
縁に恵まれ、縁をつなげる力を持っている。言われて見れば、確かに自分は縁に恵まれていたとアルテンジュは思う。エルバン・ダイレの助力こそ得られなかったが、ブラーク・ダイレの助力を得られたのは正しくライゼ神の不思議な力でも働いたのではないか。そもそもそれは、自分を南部に逃げるように手配したタルカン・ショバリエの厚意からずっと続いているのではないか。
そう思えたとき、アルテンジュには不思議と力が湧いた。
それはとても静かに、とても深く、彼の心を暖め、そして傷つけた。