第115話 城塞都市オルマヌアーズ
「分かった、協力しよう。ただし、条件がある」
背の高い白髪の老人、オルマンドベルのウムトは低い声でそう答えた。口の周りから繫茂する立派なひげが、その只者ではない風格を更に高める。
「その条件とは?」
それに対してアルテンジュは姿勢よく淡々と反応した。
ここは城壁に囲まれたオルマヌアーズの町の中央区画、その中でも中心と言っていい場所に建てられている、石造りの堅牢な城館である。
中央区画や中心部などというと、全体として円形や四角い町を想像する者が多いのであろうが、ここオルマヌアーズに限って言えば、キュルの枝葉の先端5枚を北西に向けて並べたような、極めて特異な形をしていた。葉のそれぞれが独立して立て籠もることのできる砦の機能を備えており、それぞれの葉をつなぐ枝――といってもかなり太い枝だが――にあたる部分も、もちろん壁で囲まれ、葉にあたる部分とは大きな鉄の門扉によって仕切ることが可能だ。尤も、訓練や修繕以外でその無骨な鉄の塊が閉められる事態になったことは、作られて以来、一度もなかったのだが。
そんなことは、これからも、この先も、ずっと無いのがいい。
「なに、簡単なことだよ。だが、その前に一つ教えて欲しい。テペ、テペクルジュ、イェシリアダン、オルマンユユから幾ばくかの金子を受け取っていると思うが、それはまだあるかね?」
「ええ。皆さんから路銀として支援して頂きましたが、出来るだけ節約して、半分は貯えるようにしています」
「それで、あと何日くらい生活できそうだ?」
「あと半月ほどでしょうか。……ウムト殿、それがどうかしましたか?」
「それは都合が良い」
真意が分からずに訝しむアルテンジュに構わず、ウムトは自分のペースで話し続けた。
「条件なんだがな、仕事を斡旋する故、しばらくこの町で働いてもらいたい」
「仕事……ですか? 何か特別な仕事でも?」
「いいや、この町で日常的に必要とされているものだ。もちろん、通常通りの給金も出すから安心して欲しい」
「それは願ってもない話です。しかし、それではそちら側に何の利益もないのではないですか?」
「こちらの利益はもちろんあるとも。どれも必要な仕事なのに人手不足なのだから、逃げない労働力が二つも手に入ることを、利益と呼ばずになんと呼ぼう」
「はぁ、なるほど」
その言にアルテンジュとブラークの二人は、どんな仕事が待ち受けているのかおおよその予想が付き、苦笑いを浮かべるより他なかった。
*
翌朝、二人がウムトに言われた場所に向かうと、そこには屈強な男が待っていた。
「おはようございます。アルタンです」
「お早うございます。ブラークです」
「お早うさんだ。ウムト様から話は聞いてるよ。俺の名はデミルだ。ここの現場監督をしている」
現場監督、と言われて二人はデミルの後方を見遣り、なるほどと思った。この場所は北西街区の外壁のすぐ傍であり、その高さ10メートルほどの壁に沿って急階段のある頑丈な足場が組まれ、男たちが行き来している。かと思えば、少し離れた場所では、女たちが石箕に入れた白っぽい灰のようなものと、泥のようなものを次々と鉄の箱の中に運び入れては、逞しい男たちが先端の見えない柄の長い棒でかき混ぜるような仕草をしていた。
壁の補修作業に関わる仕事だとは事前に聞いていたが、間近に見てみるとなかなかに壮観だとアルテンジュは思う。
「お前たちに今日やってもらいたいのは石拾いと石運びだ。あっちに石灰窯ってのがあるから、そっちへ行って、あとは偉そうにしてる体格のいい奴に聞いてくれ。話はしてあるから、俺の名前を出せば指示をくれるはずだ。じゃ、怪我しないようにな」
二人がデミルの指示した場所に近寄れば、大きな石灰窯の近くで腕を組み、仁王のように辺りを見回しては指示を出している男に声を掛けられた。
「おお、いらっしゃい。親方が言ってた奴らだな。早速だがあっちで山になっている石灰石を砕石場まで運ぶ仕事を頼む。ハンマーでさらに細かく砕くところだな。それで、そこで砕いている奴が休憩に入ったら、周りに飛び散った細かい石を集める仕事だ。分からなかったら俺に聞きに来い。簡単な仕事だろ?」
見知らぬ初めての仕事に二人は緊張していたが、目の前の男はさも簡単そうに言う。確かに石を運び、また石を拾うだけに聞こえたが、はたして勤まるだろうかと、特にアルテンジュは思う。しかし、やってみなければ何も分からないと、風情の無い灰白の山に近づこうと一歩を踏み出したとき、思い出したように腕組みをしたままの男が言う。
「おお、そうだ。砕石夫が石を砕いているときには、くれぐれも近寄っちゃなんねえぞ。石の破片が飛び散って大怪我をすることがあるからな」
二人は無言で頷けば、鼻と口を覆うように布を巻いて手近な石箕を手に取り、石灰石の山を切り崩す。そうして1時間半ほど没頭した頃だろうか。最初の休憩時間になり、簡易な覆面を外して顔の上下半分ですっかり色の変わった二人が、ぼそぼそと話し出した。
「この仕事は簡単だけど結構大変だな、ブラークさん」
「そうですね。私は肉体労働には少々心得があるので大丈夫ですけど、アルタン君は大丈夫ですか?」
「うん、問題ない」
「それは良かった。無理をして怪我をしないで下さいよ」
「うん」
「ところでアルタン君、気付きましたか?」
「うん? 何を?」
「現場監督のデミルさんですよ。何も気になりませんでしたか?」
「うーん、これといって何も思わなかったな」
「あの人、手がタコだらけでしたよ」
「それがどうかした……、あー、なるほどね」
「恐らく、色々と兼任されているのでしょうね」
「色々……か」
そう言ってアルテンジュは少し離れたところにいるデミルを見遣るが、見られた方は相変わらず、ゆっくりと現場を歩きながら周囲に目配りを怠らないだけで、あくまでも自然体である。
「色々と、ですね。詮索してじっと見るのは、要か不要か、諍い事の原因になるかも知れませんから、やめておきましょう」
忠臣からそれとなく忠告されると、王子も不自然に思われないようにゆっくりと顔を戻す。
而して二人は、場所を変えながら2週間ほどに亘って壁の補修工事を手伝ったのだが、どこの現場でも監督は決まってデミルだった。これにはウムトが手を回していることが容易に推測できたのだが、だとすれば目的はなんだったのであろうか。
*
「それではオドンジョ殿への文の件、くれぐれもよろしくお頼みします」
ウムトから深々と頭を下げて見送られ、アルテンジュとブラークはカユツに向けて馬車に飛び乗る。すっかりと浅黒く、逞しくなった体で軽やかに。